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考察レポート by 厨二可愛い永遠のライバル

6.



「んっ……」


 服を脱ぎそのままだらしなくベッドに横たわり、先ほどまで一緒にいた彼女の事を考える。


 私が例えば彼女を評価する程に偉い人間だったら、こういうのかもしれない。彼女はあまり自分から話さない人だと。語りかければ、問いかければ彼女は適切に適宜答えてはくれるが、自分から話をする事はあまりない。実際、彼女との会話をよーいどんで始めれば私から口を開く事になるだろう。沈黙に耐えられないという意味ではなく、つい口を開いてしまうといった方が良い。私自身もクラスメートからすれば口数の少ない自分からあまり話すような人ではないと思われている。もっともあのクラスメートたちに心を許す事はないだろう。彼女の妹いなほさんにしていた事は度し難い事なのだから。


 そう。それに代表されるように彼女は冷静なように見えて熱血というとまた違うが冷静とは違う。感情を押し殺しているといえば良いのだろう。理性で抑えきれない感情なんてないのだとそう言わんばかりに。理性を失った動物になりたくないとでもいう心が彼女の深層心理にあるのだろうか。興味深い事この上ない。


 私がここまで他人に興味を持ったのはきっと人生で初めてだ。


 遺伝子異常。


 漢字で書けば五字足らずの現象の御蔭で私の人生は生まれながらにして方向性を強制的に決められた。遺伝子を残せない生物に意味はあるのだろうか。


 いろんな本を読んだ。


 子供の頃、今でも十分子供であるが、必死になって読んだ中の一つに利己的遺伝子と言う興味深いものがあった。リチャード・ドーキンスという著者の名前を後生大事に未だに覚えているのはきっと衝撃的だったからだろうと思う。


 生命は遺伝子の乗り物である。


 この言葉が私の脳内から抜け落ちる事はない。


 遺伝子を次世代に育めない生命体であるこの私は、生命ではないといえる。


 自意識の存在場所は心であると臆面もなく答えられる程幼子ではないが、それでも心にずっしりと響いたのを今でも覚えている。


 この私は、いつまでたっても生き物にすらなれない。


 この先どうあがいても。何をしても何を行っても生命として意味がない。意味がないのならば何をしても同じ事だ。善行でも悪行でも変わりはしない。私のすることは意味のない、賽の河原で石を積み上げるようなそんな所為だ。


 だから、だから私は逃げたのだった。


 フィクションへの逃避。


 生命を育む機能のない私は男性に魅力を感じる機能もまた存在しない。綺麗か、綺麗じゃないか、可愛いか、可愛くないか、格好良いか、格好悪いか、そんな個性にもならない個性を羅列する事はできる。できるが、そこに魅力は感じられない。遺伝子を育みたいとは感じない。もっとも、それは女に対してもである。


 私には人を魅力的に感じる機能は存在しない。


 けれど、きっと心の、曖昧な存在である心のどこかで私は願っていたのだろう。


 白馬の王子様がいつか私をこの窮地から救ってくれる事を。馬鹿馬鹿しい。馬鹿げている。いるわけがない。いても意味がない。そんな事は分かり切っている。けれど、それでも求めている。


 その結果が百合でふたなりというのはあまりにお粗末な発想なのかもしれない。


 可愛い物が好き、綺麗なものが好き、そして、遺伝子を残す行為を見るのが好き。創造するのが好き、想像するのが好き。


 私には叶わない願いだからこそ追い求めてしまう。きっと白馬の王子様もそういう事なのだろう。持っていないからこそ求めるのは人の性。


 そんな私が興味を持った人。


 ここではあえて人と言おう。私とは違い生命なのだから。


 鞍月蓮花。


 一見するといつも不機嫌そうな表情をしている少女。ペンギンのようだなどと言われているが正直なところ私にはそういう印象はあまりない。そもそもペンギンのような顔とは一体全体どういうものなのだろうか。いなほさんにいつか聞いてみたいものである。きっと不機嫌そうに唇を歪めた結果、アヒル口なら可愛らしいものの失敗してペンギンの嘴のようになっているからだろうと推測している。


 身長は私よりも十センチは高いだろうか。すらりとしたスレンダーな体躯は見る者にユニセックスな印象を与える。髪を整えて着る物を着れば男装の麗人(?)といった所か。カッコハテナが重要である。これもやはりユニセックスな印象を与える容貌の所為で彼女は端正な顔立ちだとは思うが、世間でいう美少女にも美人にも当てはまらない。どちらかといえば格好良いに分類されるのだろうか。


 そして彼女を彼女たらしめているのは体型でも容姿でもなく、思考形態である。


 極めて特異。


 極めて異例。


 極めて非凡。


 同年代とは思えない知識の深さ。そして、知識が深いだけではなく知識の使い所を理解している所などは正直脱帽を通して唖然とする。同年代の皆が必死に記憶している物事を当たり前のように自分の力として使う姿は空恐ろしいものすら覚える。事実、その力は生徒のみならず先生方へも波及しているらしい。特に数学の若宮先生とは仲が良く二人で記号のやりとりをしているのをたまに拝見するぐらいである。それが何を意味するのか私には分からない。


 そして、もっとも異例、異常であるのはそれが記憶喪失後であるという事だった。


 一人の人間としての終わりを迎えたといって過言ではない状況から二月余り。当初は生活をしていくだけでも大変だったといなほさんに聞いた。例えばブラのつけ方が分からないなどなど。


 閑話休題。


 そんな彼女が何故百合を好きなのだろうかと思うのは不思議な事だろうか。


 頭の良い人には変態が多いとは言うものの、真に頭の良い人を見た事がなかったため分からなかったが、彼女は確かに変態だと言わざるを得ない。


 私と彼女は逆。


 全くの逆。


 それに気付いたのは彼女と出会って、彼女の存在を知って以後、それほど時間を要しなかったように記憶している。というのも、彼女は極端に性愛、より具体的に言えば孕み孕まれ孕ましに関して言及を避けたり、話題を拒否したりする。


 それゆえに、彼女は生命を育みたくない、子供じみた男女愛の恐怖により百合に向かっているのかといえば、それは彼女自身が違うと私へのレスで記述している。であるならば?何故?と思ったものの暫くして私は自分が勘違いをしていた事に気付いた。


 彼女が生命を育みたくないのは事実である。しかして恐怖による百合ではないのだという事気付いた。そこは分けて考えなければいけなかったのだ。思いこみは怖いものである。


 そこに思い至れば、彼女の言動も確かに分からないでもない。


 大前提が私と真逆なのだから私達の思想嗜好は反発しても仕方がない。まったくもって仕方がない。彼女が具体的に何故百合に走っているのかに関しては分からず仕舞いではあったものの、それはさておいても私たちは平行線を辿るだけである。


 だからといって普段の彼女と仲が悪いかというとそういう事はない。


 私自身、ふたなり百合などというのはファンタジーの産物であり現実的なものではない事を割り切っているし、分かり切っている。現実と非現実を一緒にするなという話は全くそうであり、私に関して言えば全く混同していない。いうなれば日本語と英語を一緒にするなと言われているようなものである。


 だから現実世界においては彼女とは趣味がわりと一致していたりもする。もっとも彼女自身現実への対応は慣れているようではない。ここに僅か不思議さを覚える。二次元ならば良いが三次元は慎重にという風な。


 私は同性愛者でも異性愛者でもなく生命ですらないゆえに、自分を客観的な存在として三次元を見ている。彼女はそれが出来あがいているという感じだろうか。何か思う所があり、巧くやれていないという感じでもあるか。


 分かりかねる。


 そう。分かりかねる。


 彼女もいつだったか言っていたが、人間は他人の心を分かったつもりになれるだけであり、分かる事はできない。経験からの反射行動でしかない。きっとこういう行動をしている、こういう風な事を言っている、だから今そういう精神状態であると予想される、といった所。


 だから、その経験が増えれば分かるものが増えてくるのかもしれない。特に知りたいと思う相手の事を詳しく、じっくり見つめていれば分かってくる事もあるのかもしれない。


 だから、きっと。


 そのおかげだったのだろう。


 彼女が珍しくも口を滑らせたタイミングにこの私が存在していた事は。


「産まれる前に戻って父を殺したい」 


 そんな物騒な台詞が彼女の口から出るとは思いもよらなかった。瞬間、彼女自身が手で口を覆い、絶望に包まれたかのような表情を示したのも彼女自身、そんな台詞を口にするつもりが毛頭なかった事の照査であろう。


 それは即ち、産まれたくなかったという事なのだから。


 私が見ている範疇において、彼女がそのようなそぶりを見せた事はない。いいや、違うか。死にたいわけではないのだ。産まれたくないというのは死にたいという意味ではないのだから。今現在、存在している事自体が許せないとそういう事。自分がこの世界に与えてきた影響を消し去りたいという事。


 意味が分からない。


 彼女のような比較的恵まれた、もちろん私の知らない所でそうではない可能性もあるし、記憶を失っているという点で恵まれているとは思えないが、能力、容姿、交友関係等を思えば何故そういう発想が産まれてくるのかが全く分からない。それに、それにである。


 彼女と彼女の父親の友好関係が悪いとは思えないのだ。事実彼女から、いなほさんからは記憶喪失後の方が仲が良いという話も聞いている。だから尚更私には分かりかねる。


 彼女は最初に言ったように比較的口数が少ない。


 それは間違える事を心配しているのと、知っている事をさも知らない物のように語るのも、聞くのも嫌いだからだとか彼女自身が言っていた。だからこそ彼女は常に思慮している。口を開く事はなくても脳の内では常々何かを考えているのだ。だから、きっとその言葉を常に考えていたからこそ出てきた言葉なのだろう。


 付き合いの短い人であればこの人はこんなアホな事をいう人なんだ。もう付き合いを辞めようなんて思う事もあるだろう。けれど、私に関して言えば確かに付き合いは短いもののそういう風には思わなかった。むしろ私は何故この人はこういう事を口にしたのだろうかという事に疑問が行った。この人がこのような事を言うには何か理由があるのだろう。理由が。それは私には分からない事なのかもしれない。


 けれど、私は、知りたいと思った。


 私は、今、こんなにも他人に興味を持っている。


「あぁ、そういえば蓮花のブログ」


 ベッドに横になったままはたと気付いたのは彼女のブログへの私を装った書き込み。私が三日三晩とは言わないけれども悩みに悩んだ末に考えたハンドルネームである†蒼月闇裏†を騙るなんて酷い話もあったものだ。


 けれど、正直今の私にとってその事に対する優先順位は低い。非常に、欠片もないと言って良い。


「明日ちゃんと学校くるんでしょうね……」


 嘆息する。


 天井のシミの数を数える遊びをしながら思考は彼女の事ばかり。


 失言をした後の彼女は酷く歪んだ表情で呆としていた。いつにもまして不機嫌そうな表情にけれど茶々を入れる事もできず、ただなるがまま、時が過ぎるがままに私たちはそれぞれ帰宅。茅原みずきさんは気付かないだろうけれど、いなほさんは気付くだろう。蓮花の泣き喚くのを理性で抑えきろうとして失敗している酷い表情を見ればすぐにでも。


 そんな事を気にしていたからだろうか。


 フルフルとガラステーブルの上を震える旧態然とした携帯に目を向ける。いい加減新しいWebブラウザを搭載したスマートフォンが欲しいものではあるが、家庭状況を思えば致し方ない。バイトをやるぐらいであれば私は家の事をやらねばならない立場だ。まぁそれは今は良い。


 震える携帯を手に、画面を見れば。『鞍月いなほ』の名前。


「はい。月浦です」


「うわっ。真面目だ……あ。いなほです。ちょっと今大丈夫かな?ちょっと話があるんだけれど」


「はい。大丈夫ですよ」


「えっとさ。今週末、一緒に御買物にでもいかない?」


 


「ほら。湖陽さんこういうのも良いんじゃない?」


「……ちょっとアグレッシブ過ぎる気がするのですけれども」


 どう?と挑戦的な視線を向けるいなほさんが手にしているのはホットパンツだった。


 本日開口一番に『服が地味。勿体ない。人類の損失。もっと可愛く綺麗に着飾りましょう?ね?いいわよね?うん。コーディネーターいなほに任せてちょうだい』とか何とか云われて駅前の映画館や食事処洋服屋などが入った複合ビルの中をあっちへいったりこっちへいったり、アップダウンを繰り返した結果、今に至る。もっとも、結果を言えば荷物が増える事はなくショップを見て回り会話を楽しんでいるという所。


「いやいや、湖陽さん。今時の女の子には当たり前だって。それにほら、湖陽さん足も長いし映えるって!寧ろそれは武器なんだから見せびらかさないと。うん。制服のスカートももっと短くしなさい」


「学校で誰に見せびらかすと言うのですか……あぁ、いえそういう話でもなく、恥ずかしさの問題ですわ」


 私も伊達や酔狂で制服のスカートの丈を長くしているわけではない。


「えー?さっき下着売り場で凄いのばっかり見てたくせに今更恥ずかしいとか言われても信じられないんだけど」


 視線が痛い。


「どこが凄いというのですか。中学生男子でもあるまいし……単に色が黒い奴を見て回っていただけじゃありませんか」


「いやいやご謙遜を。あんなエッチな感じの下着なんて私には到底無理だよねという意味で凄いなーと。あーゆーのを私が着けた所想像してみてよ。なんというか無理して化粧して失敗したみたいな感じだよきっと」


 ちなみに言えば、黒地に赤い刺繍の入ったハーフカップブラである。もっとも私のサイズでは少々心許ないのだけれども。


「それこそご謙遜ですわ。まぁでもいなほさんにはカラフルな方が似合うと思います。はい。えぇ。もうそれはそれは素晴らしい光景になりそうですわね」


 頭の中でいなほさんをコーディネート。確かに本人が言うようにいなほさんの華奢な体躯で黒というのはあざと過ぎというかミスマッチな感があるのは否めない。水色とか薄い黄色とかそういう系統の色が似合いそうだった。ちなみにみずきさんには白とかピンクとか淡い系統が良いと思ったり。


 あぁ、パジャマパーティならぬ下着パーティを催したい。


「ちょっと湖陽さん。目がどっか逝ってる」


 とんとんと肩を叩かれて妄想の世界から帰還。


「ま。そういう事なら良いかなぁ。似合いそうなのに。それに……お姉ちゃん好きそうなんだけどなぁ」


「いえ、別に私は蓮花のために着飾るつもりはないのですが」


「ん……あー……ま、今はいいか。まだまだ時間はあるんだし。よーし、湖陽さん。とりあえず全部のお店見回るまで今日は帰さないからねー」


 結局、前半戦が終わりを迎えたのは昼前だった。




 複合ビル一階のコーヒーショップで一時休憩というよりも本日の目的はどちらかといえばそっちだ。多分に雑音が混じる中で真面目な話というのも難しいものではあるのだけれど、雑音に紛れて他人に聞かれないという点では良い場所だった。


 それに、コーヒーを片手に真面目な話をするのも悪くは無い。


 カタ、とコーヒーカップを鳴らしながらテーブルへ置くと、いなほさんがそのタイミングに合わせたように手提げバッグの中から一冊の飾り気のない日記帳を取り出してテーブルに置く。


「はい。というわけで持って参りましたお姉ちゃんの日記第三段……あ、いや第一弾になるのかな?」


 軽い感じで持ってきましたと笑顔で言われると怖い。家族間とはいえ普通に盗難だしプライバシーの侵害にも程がある。


「ん。心配しなくても大丈夫だよ。お姉ちゃん今日は検査で一日中病院に監禁だし。付け加えて、ほら。私のプライベート情報をずけずけと調べた挙句にあんな事するんだから。あんな風に他人みたいに、他人事みたいにやっちゃうんだから。他人事のようにお節介な事されたんだから、私も他人のように振る舞っても良いでしょ」


 言っている事は悪態だが、口元が緩んでいた。


「やっぱりいなほさんはツンデレサドですわね」


「湖陽さんまでそんな事いうんだ。酷い。そんな酷い事いうんだから御昼は私のお勧めでいいってことだよね。魚介とんこつラーメンね。うん。まだ時間的には大丈夫だし。一緒ににんにく臭い女子高生になりましょう」


「なんですかその女子高生に似つかわしくないチョイスは」


 それが美味しいんだよーとB級グルメ談義に持ち込まれそうだった所を強引に引き戻しながら日記を手に取る。


 使い古された感じのその日記。いなほさん曰く記憶喪失前からの物との事。その日記をゆっくりと慎重開けて行く。途中、ごくり、と喉を鳴らし、喉の渇きを覚え一旦日記を閉じ、片手でカップを取り、口を潤し、再度カタと音を鳴らした後に漸く……漸く日記を、他人の日記を開く。他人の秘密を見るような得難い背徳感を覚える。『xxxx/xx/xx 以後、この私がこの日記を記述する。』始まりはそんな文章だった。これより以前が記憶喪失前だそうだ。


 一枚ページをめくる。


『xxxx/xx/xx 鞍月蓮花について。


 物静かなインドア系の少女であったらしいと家族から聞く。しかし、いわゆる文学少女であったというわけではなさそうなのは部屋に残された本などからも窺える。どちらかといえば秋葉系だろうか。BL趣味も多少あったらしい。とりあえず焼却処分を決定。こういうのは見て見ぬふりをするのが情というものだろう。しかし、男同士の絡みの何が楽しいというのだろう。そいえば、昔BL趣味は自分に一番関係ないから、すなわち性愛的な意味で女子から一番離れた所にあるから怖くないという理由で是であると判断していた女の子が同級生にいた。そういう意味で引っ込み思案の子は脳内で一番怖くないものを求めるのだろうかと決めつけるのは早計であり、エゴイスティックである。やはりこの手の物は人それぞれだろう。この私がそうであるように』


 不思議な文章だった。それこそそれ以前の物と同じくフィクションを描いているかのような。これは?と視線でいなほさんを窺えばカップを持った手とは反対の手で先を即す。話はそれからだ、と。


『xxxx/xx/xx そういえば、携帯のメモリーを消去した。


 件の生徒会長に関しても同様。あの時あの場所で私と彼女は初対面であると言い合ったのだから初対面の人間がプライベート情報を知っている事は変であろう。そもそもあの子とは仲良くするつもりは今の所ない。それがお互いのためだとこの私は思う。私自身腫れ物に触るように声を掛けられるのは嫌だし、相手も相手で私に対して声を掛けそれを知らないと言われるのは苦だろう。故に、あまり彼女とは関わり合いにならないでおこうと思う。


 鞍月蓮花の交友関係はあまりなかったのだろうか。教室の片隅で延々と本を読んでいる生徒というのは確かに同級生にもいたけれども。ともあれ携帯のメモリから察すると交友関係は殆どなかったといって差し支えない。同じ中学校卒業の子に話を聞くのも良いかもしれないが藪蛇である。』


『xxxx/xx/xx 女として生きる上で大事な事は何かと問われれば、何なのだろうか。物腰や服装その他に関してはあまりたいした事ではないと思う。羞恥的な意味合いは多分にたいしたことではあるが。下着の付け方とかは入院中いなほに教えてもらったので恥しがる暇もなく苦労もなかったが、御風呂などは未だに慣れない。あと、スカートを履いた時の座り方。気を抜くと駄目である。あと、そういえば、女性特有の痛み。あれは何というか憂鬱と称せば良いのだろうか。体の中で突貫工事をされているかのような違和感と痛みが延々と続いて思考回路を停止させる。これが毎月あるのかと思うとそりゃあ憂鬱である。』


『xxxx/xx/xx 世界考察。多世界解釈等、量子論に見られる解釈を用いる必要性はあるのかもしれないが、まず日記からの類推。培養層の中の私の存在証明。実際問題取り組むまでもなく証明は不可能である。他の論であっても同様。今現在の科学においてそれが証明されているのならば、私と同じ立場にある存在は多々発見されているだろう。それが成っていないというのならば存在しないと考えた方がモアベター。


 とはいえ考えてみるのも面白いと考え、以下、単なる妄想。私が培養層の中にいるという事を証明するために必要な物といえば、人間の脳の中身を読み取れる悪魔の機械である。これがあれば、これの複写機能で私を他者へ転送できるだろうか。もっともそんなものが存在した所で私に使う必然性はない。自分で書いて自分で覆すようだが、そもそもにしてこの私と私の世界は違う。少なくとも旭丘が女子校という形で存在している点で全く明確に違う世界だ』


「これはフィクションなの……ですよね?」


 とりあえず以後数ページにわたる日記と言えない日記、ただの戯言に目を通し、面をあげる。


「んまぁそうなんだけどねぇ。あまり関わり合いがなかったとはいえ、記憶喪失以前のお姉ちゃんを知っている身からすると、あれを記憶喪失というのは難しいんだよねぇ。明らかに知識量増えてるし、日記?にも書いてあるように脳自体を入れ替えられる機械があったとしか思えないよ」


「そういう妄想は昔私もしたことありますけれど。高校生にもなってまでする妄想でもないと思います。彼女自身書いているように仮に悪魔の機械とやらが存在したとして蓮花に使う理由がありませんわね。しかし、妄想だと断じるには割と具体的ですわよね。昔同級生が、とか。女として生きるには云々、旭丘が女子校云々。妄想であるなら彼女の性癖からすれば旭丘が共学やら男子校と言う風な形にするとは思いませんし」


「まぁ真面目に考えるだけ馬鹿馬鹿しい話ではあるんだけれど、最近のお姉ちゃんのなんともいえない表情を察するに何かあるのかなーと思わなくもないわけで」


 あの日以来、表面上は繕ってはいるものの以前に増して他者と距離を取っているように思う。ブログの更新も殆どないし。まったく、私の楽しみを奪わないでほしい。


「そうですね。ここは彼女の昔を良く知ってるであろう生徒会長さんのご意見でも聞かせてもらうのも良いのではありませんか?」


「それもありかもしれないけど……私あの人苦手」


「あら、そうなのですか?」


「だってあの人ストーカーっぽいんだもん。お姉ちゃんの妹になった私を目の敵にしてるしさー。私の所為でお姉ちゃんがストレス溜め込んで記憶を飛ばしたと思ってる節もあったし。あんまり会いたくないんだよねぇ」


「あらまぁ。それはそれは。そのような風には見えませんでしたけれど人は見かけによらないという事でしょうか。では、それは最後の手段と致しましょう。もっとも、今の彼女と昔の彼女は違う人と考えて差し支えないようですから、生徒会長さんにお聞きした所で何が分かるというわけでもないのかもしれませんね。私達だけで解決できるのならばそれはそれで何よりです」


「乗り気だねぇ。まぁ不機嫌そうなペンギンを見ているのは気に入らないんでさっさとなおってくれると嬉しいね。あ、続き一応読んでおいてね……うふ」


「そのうふ、は何なのでしょう……?」


『xxxx/xx/xx 頭で整理していない事を延々と書き綴る事に意味があるのだろうかと昨日の日記を見直して思う。消したい所だけれどいつか何かの役に立つと思って残しておくとしよう。


 そういえば今日は得難い情報を得た。調べ物のついでに別の調べ物の答えが見つかる事はままあるが、それが功を奏したと言う事だろう。運は手繰り寄せる物だとはいうが、興味、すなわちセンサーを張っておかないと偶々見つかったとしてもそれがそれの答えだと分からないものである。


 閑話休題。


 件の人の名前は調べればすぐに判明した。茅原泉というらしい。いつか話をしてみたいものである。』


「この茅原いずみ…?という方はどなたなのでしょう?」


「放蕩爺。一代で茅原を世界企業にまで持って行った世間的には凄い爺様。けどまぁ、妾が何人いるかわかんないくらいのエロ爺。その割に子供は糞親父だけなのは管理が行き届いているというか何というか。もう何年も会ってないけど、何だかんだで会うと優しくしてくれるわね。やっぱり孫は孫みたいわ。今度呼び出されたら代理って事でお姉ちゃんに行って貰おうかな」


「ハーレムですわね」


「男のロマンらしいけど、汚らわしい事この上ない。いつか天罰が下る事を期待してるんだけど中々天罰はおきないわねぇ」


 ぷんすかぷんすかと頬を膨らませるいなほさんはリスのようで可愛らしい。ペンギンの妹がリスというのも何だか面白くて、つい笑みを浮かべてしまう。その私に、何?と頬を膨らませたまま首をかしげるものだから尚更可笑しくてつい声が出てしまった。そんな私に、再びうふ、と笑いひとつ。怪しい。


 そんないなほさんを見ていても仕方がないので、私は視線を降ろし続きに目を通す。ここに至り他人のプライバシーを覗き見ている罪悪感など吹き飛んでいた。彼女がどういう意図でこの日記らしきものを書いているのかは分からないけれど、これが彼女の一部だと思えば、どこかわくわくしていた。


『xxxx/xx/xx 全く酷い解決方法だった。いなほは何も悪い事をしていないのにあれではいなほを責めただけのようなものだ。しかし、あれで少しは他人を頼る事を覚えてくれれば良いのだが、と他人を頼れない私がいっても仕方のない事。しかし、いなほの母親であり私の義母は大変な労苦を味わってきたのだという事を知り、幸せになってほしいと思うに至る。それは勿論父親もである。二人とも真面目な人であり何故互いに一度離婚しているのかが分からないくらいに真摯な人達である。まぁ、相手が悪かったとしか言いようがないのだけれども。ともあれ、そんな両親だからこそ幸せになってほしい。心の底から。他人のような存在である私であっても彼、彼女は幸せになって欲しく思う。そういえば、この私の産みの母親とは一体どのような人物なのだろうか。父親に聞くわけにもいかず……まぁ、詮無い事か』


『xxxx/xx/xx 鞍月いなほについて。茅原家の長女として誕生。数年後、両親の離婚と共に母に引き取られ山科いなほになる。昨年というよりも今年、母親が再婚し鞍月家の二女となる。性格は極めて物騒。ただし家族限定。内弁慶である。もっとも照れ隠しであり、非常に優しい子である。強くあらねばならないと自分に課しすぎている気はする。もっともそれは彼女の腹違いの妹である茅原みずきの存在によるものである。お姉ちゃんは強くあらねばならないというもの。産まれながらにして父親から捨てられた彼女は他者に頼るという事を本能から拒否している。最も信頼すべき存在である父親から裏切られたのだ。致し方ないと思う。少なくとも彼女が辛くならないように存在していこうと思う。私には彼女を助けるなどという事は言い切れない。私自身他者を理解できていないのだから。


 現状を記載。


 クラスメートからというよりも茅原みずきを崇める(この表現は書いていておかしいと思う)輩に虐めを受けていた。クラス内に限定すれば月浦湖陽の御蔭で彼女が視界にある内には事を起こす事はないようだった。ありがたい話である。このお礼はその内何かの形で出来ればと思う。特にここ数日に関して言えばいなほとみずき嬢が仲良くというと語弊はあるがそれなりに会話が成り立っている所を見て、一部の者はいじめ行動を停止、情報収集中のようである。暁湊嬢に教えてもらった裏サイトの該当スレッドより。こういう時の行動は速いのだなとある意味感心する。もっともだからこそ、ではあるのか。ジャンク情報を少し流してみるのもありかと現在考え中。』


「な、なによ湖陽さん」


「良いお姉ちゃんですねと思いまして……ね?」


「あんなペンギン面のお姉ちゃんのどこかが良いお姉ちゃんなのよ。ほんと勝手よ勝手。だから私なんかがこうやって勝手な事をしなきゃならなくなるんだよ。もう本当に足元が見えてないんだから。ペンギンだけに。ま、それは良いとしてお待ちかねだね湖陽さん」


 その台詞と共に、私の掴んでいた日記のページをいなほさんがめくり、めくった瞬間、視界に入って来た単語に絶句というか、嫌な汗が湧いてくる。


『xxxx/xx/xx 月浦湖陽について。容姿端麗。二次元的という言葉が褒め言葉になるのかは些か疑問ではあるが、二次元にいてもおかしくない美少女である。性格も一部を除いて文句なく良い。いなほの件では大変お世話になった。


 もっともその一部の御蔭でかなり残念な美少女である。世間体を気にする多重人格ふたなり百合厨であり、†蒼月暗裏†の中の人。ネットワーク上では大変うざいかまってちゃんキャラを演じている。二次元でも三次元でも萌える事のできる変態淑女である。彼女がふたなりを好きでなければ心の底から百合美少女として満を持して絶賛したい所ではあるが、中々世の中巧く出来ていない物である。もっとも、私同様なにがしか理由がある形での百合好きな気がしてならない。』


 焦る。焦る。冷や汗というのはこういう時にわっさわっさと出てくるもので、ニヤニヤされてますよ。えぇ。ほんと。


「なんかいつみても荒らされているというか厄介なかまってちゃんに捕まっちゃってお姉ちゃんも大変だねぇ。まぁ、あんな日記書いてるんだから自業自得。ペンギンざまぁ!とか思ってたんだけど、あれって湖陽さんだったんだね。凄い偶然もあったものだよ。うん」


「……か、かまってちゃん」


 なんというか暴露された事よりも何よりもそういう認識だったのが大変切ない。しかも演じているとか書かれているし。あれが私の素だというのに蓮花は酷い奴だ。


「ちょ、ちょっと湖陽さん。いや、別に誰かに言うつもりなんてないから安心して。ね。ほら。大丈夫だから。ごめんって。そんなに凹むとは思ってなかったのよ。というかこれお姉ちゃんの日記だからね。お姉ちゃんが不用心に机の中に鍵かけて入れてた日記なんだから」


 鍵かけている所を開けてきたのかこの子。


「はぁ、もう蓮花め。今度あったら覚えてなさいよ……はぁ。別にお嬢様風に喋ってる方が偽物とかそういうわけじゃないから勘違いしないでね。単に外向きの喋り方というだけで」


「わーお。格好良い。いいじゃない湖陽さんその喋り方。格好良い。普段からそうしていれば女の子が寄ってくるよ。間違いないね!」


「女の子が寄ってくるって……変な反応してくれるわね。はぁ。まぁ確かにこちらの方が楽なのだけれどね。真面目な話はやっぱりお嬢様風に話をしてた方が楽だからそうさせてもらうけど……っていうかいなほさん。貴方、それ先に読んだんだったら私がああいうのを書きこむ人間だって知ってて今までの態度なわけ?」


「そりゃもちろん。可愛らしく振る舞う湖陽さんが面白くて面白くてついつい」


「私じゃなければ今この瞬間にコーヒーを顔面にぶちまける所だわ。まったく、蓮花の言うようにほんとにサディストなのね。いなほさんは」


「お姉ちゃんもそういうけどさー、私のどこがサディストなのよ。こんな可愛らしいサディストなんているわけないじゃない。ただちょっと御友達の慌てる姿が見たかっただけだよ。ごめんね。そこまで凹むとも思わなかったんだよ」


 突然、しゅん、とするいなほさんは可愛らしい。このギャップというか可愛らしさは反則である。おにゃんにゃんが生えていればいいのに。


 さておき。


 愛情を知らずに育った少女である鞍月いなほは相手の愛情を信頼しきれない。だから無意識的に相手を痛めつける事により相手がどこまで自分を信じていてくれるかを測っているとでもいうのだろうか。


「はぁ、もう話を戻しましょう。別にクラスにぶちまける何て事をしてくれなければ何でも良いわ」


「それはしないよ。した所で……ねぇ?」


「まぁそうね」


 クラスにいなほさんの言葉を信じる子はいない。全く、度し難いクラスメートである。


「それで、この日記なんだけどどう思う?なんか所々事実を書いていたりもするしさー。あぁそういえばお姉ちゃんの母親に関して書いてあるじゃん?これね、これ」


 ページをめくり、指で示す。その華奢な指先が柔らかそうだった。素の自分をさらけ出された所為だろう。思考が妙に百合百合してきた。


「お姉ちゃんの記憶喪失の原因は何だろうって考えた時にさ、私よりもお姉ちゃんの産みのお母さんの所為だと私は思うんだよ。責任転嫁じゃなくてさ。私はこういう性格だからね。嫌われているのが分かってても別に気にしてないんだけど。ほら、これの最初の方のファンタジー日記。これこれ。筆記も全然違ってるのはさておいてだけど。『あいつが部屋にきたー』ってこれ前の母親の事なのよね。再婚してる旦那が不愉快だ!とかいう理由でさ。怖かったよ。真面目に。そりゃお姉ちゃんが精神的に病んだのも仕方ないってくらいにね。とりあえず警察呼んだり色々やって今は近寄ってこないんだけどね。だからお姉ちゃんがお姉ちゃんの母親の事を知る事はないかな」


「お父さんでは……ないのよね」


「義父さん?ないない。騙されやすそうって意味では駄目な人だけど、それはうちのお母さんもそうなんだよねぇ。騙されやすそうな者同士一緒になれて良かったんじゃない。収まりが良くってさ。お姉ちゃんも書いてるでしょ幸せになってほしいって。私も、本当にそう思うよ」


 父親を殺したいと言った彼女が何故父親の幸せを願うのか。記憶を失った原因であるといなほのいう母親の方を殺したいと願うのならばまだしも、何故父親なのだろうか。


 この日記らしきものに記述されているものが全て真であると仮定すれば、彼女はきっと男であり、違う世界の存在である鞍月蓮花という少女の中に入り日々を過ごしているという事になる。そしてその男時代に父親を殺したい何かがあったのだろうか。


 そういえば彼女はしきりに魔法使いという呼称は止めろと言っていたか……。いや、まさかね。


「……ちなみにいなほさんはタイムマシーンがあったら何がしたい?」


「んーと。そうだね……ロト当てて全都道府県のB級グルメツアーしたいなぁ」


「欲が無いと言うか……将来的に自分で稼いでそれで行けば良いじゃないってのは不躾な突っ込みなのかしら」


「確かにねぇ。あぁそうか。タイムマシーンだったらもうちょっと凄い事もできるよねぇ……うーん。じゃああれだ。中学時代の湖陽さんを見に行くとか」


「それも欲がないというか、中学時代の私なんて今と早々変わらないわよ?しいていえば制服が変わったぐらいなのだから」


「いやいや。美少女の成長日誌は見てみたいじゃない。美少女を見るのは私も嫌いじゃないからね。っていうかまぁ、男の人って苦手なのよね。ぶっちゃけると。恥ずかしい話だけどさ。やっぱりその……」


「……百合少女キタコレ」


 これはもう調教するしかないと言わざるを得ない。もはや私の本性もばれているのだから好き勝手やって良いに違いない。このツンデレサドっ子をツンデレサド百合娘に進化させるしかない。がんばれ私。


「え?」


「いえ、何でも。あぁ……いや、しかし」


 彼女が言った父が誰なのかは分からないけれど、殺したい程憎い、それは男性的な意味でなのだろうか。彼女は遺伝子を残したくないとも言っていた。彼女が潔癖なまでに性愛に関する話題を拒絶するのはそこにそういった理由があるのだと考えれば……何かあるのだろう。何か。何か……例えば……


「そういえば湖陽さんってなんでそうお姉ちゃんに興味津々なの?いつもお姉ちゃんの事を目で追ってるよね。もしかしなくてもそっち系の人だからなのかな?あ、大丈夫だよ。私そういうのに偏見は持ってないから。あの学校意外とそういう人多いよね。まだ入学して少ししか経ってないけど、何回か目撃もしたし」


 私まだ見た事ない……羨ましいお話です。


「なんですかその生温かい視線は」


「寧ろそっちの方の話の方が好きだったりするんだけれどね。今さっきも言ったけど男は苦手だからさ。あはは。だからお姉ちゃんのブログも何だかんだとみてるともいうんだけどねぇ……あ、これはオフレコでお願い。私も秘密にしておくからさっ」


「……?」


「あれ?むむ……むむ……そうか。そういう事もあるか。んーと。ぶっちゃけお姉ちゃんの事好きでしょ湖陽さん」


「……え?」


「むむ。実は恋愛初心者?そっか。それならこのいなほさんに任せなさい!えぇ。もうばっちりお任せ下さいお嬢様」


 以後のいなほさんの言葉はいまいち理解できなかった。私に理解できたのは、帰り際になぜか買い物袋が2つほど増えていた事だろう。ホットパンツとこれまた私にすれば相当にアグレッシブな感のあるタンクトップの入った買い物袋が。




 自宅の扉を開けると飼い猫……だと思う。猫のユリシーズが私に駆け寄ってくる。もそもそもそもそと走る姿はクリーチャーのようであったが、私の言っている言葉も理解してくれる賢い良い子である。


「ただいま、ユリシーズ。残念だけれど今日は御土産はないのよ。また今度一緒に釣りにでも行きましょう?」


 両手に持った買い物袋を持ちあげてごめんねと口にする。


 しばし残念そうな表情を見せた後にわしわしと上下運動を開始するクリーチャー然とはしているが彼?は猫である。たまにギニャーとけたたましい奇声を発するが猫である。


 お気に入りのブーツを脱ぎ、階段をとつとつ上がり二階へと。


 袋を片手に持ち、部屋のノブを回す。回し、そのまま体で扉を開けばその隙間からユリシーズが中へと。


「あぁもう。駄目よユリシーズ。貴方、また私の部屋を毛だらけにするつもり?」


 その言葉にはた、と足を止めこちらを向いてはいるものの本当にそれ顔なの?と飼い主である私とて言いたくなる顔を向け、すげすげと入口まで戻ってくる。この従順な感じが可愛い。もっともいたずらっ子なので三歩歩けば忘れてしまうのが玉に瑕である。


「そうよ。いい子ね」


 部屋から出て、そのまま階下へと転がるように走っていくクリーチャー、もとい猫。


 ユリシーズが階下へと行ったのを確認した後、部屋へと入り扉を閉める。ついで、カタンと鍵を掛ける。


「はぁもう割と痛い出費だったわ」


 とはいうものの。いそいそと姿見の前に行き買い物袋からホットパンツとタンクトップを取り出しているのだから口だけだ。


 着ていた服を脱ぎ、お店でやったのと同じように合わせてみる。やはり、少しアグレッシブ過ぎるだろう。鏡に映る自分が恥ずかしさに赤面しているのが見える。これを彼女が見た時なんと言うだろうか。似合わないと言うだろうか。似合っているよと言ってくれるだろうか。


 そんな事を考えていればさらに頬が紅色に染まる。ほんと隠し事が出来ない体質だこと。


「まったくいなほさんったら……あんな事言われたら意識せざるをえないじゃないの」


 この私が、鞍月蓮花を好き?


 『いつもお姉ちゃんと一緒にいる』『三人とか四人でいてもいつもお姉ちゃんの傍から離れない』『何だかんだでお姉ちゃんの方ばっかり見てる』『お姉ちゃんといないと笑い方が甘い』などなど聞いていればいなほさんのお姉ちゃん大好き宣言に聞こえなくもないのだが、淡々と事実だけを挙げられてしまうと弱い。


 何故だろう。


 確かに彼女への興味は尽きない。彼女の事をもっと知りたいという自分がいるのも確か。彼女とのやりとりを思い出せば胸が熱くなる。初めてブログに書き込んだ時は感情的で、けれどそれに返って来た言葉は酷く冷静で、だからついまたちょっかいをかけてしまった。その人がその人物が同じ学校だと知り、顔を知る人物が書く妄想に取り付かれたかのように愛読者へと。


 それから毎日のように話をし、昼を共にし、いなほさんの事を一緒に。それからも一緒に。お互いの重要視する主張は全然違うのに、それでも喧嘩することもなく。


 大人に見える。


 大人なのだなと思う。思えば思うほどに私は子供っぽくて、だから着飾った所で馬子にも衣装だろう。けれど、そう。確かに私は彼女に着飾った私を褒めてほしいとそう思う。


「……恥ずかしい」


 誰かに私を認めてもらいたいと、褒めてほしいと思ったのは初めてだった。どんなに格好良くてもどんなに綺麗でも、それでもそれは客観的な存在でどこか醒めた想いで見ていた。この世界はテレビ画面の向こう側の世界で、きっと私は取り残された存在なのだと、遺伝子という名の船に取り残された客人なのだと醒めた想いを頂いていた。


 でも、今、私の胸の中はこんなにも熱い。


「これを……恋と称するの?私は、あの人と繋がりたいと思っているというの?鏡よ鏡よ鏡さん。教えて頂戴?この私が、こんな私が他人を好きになるなんてそんな事あるわけないわよね?ねぇ、鏡さん。私の想いを教えて頂戴」


 部屋の中でお伽噺に興じる高校一年生。全く恥ずかしい話。この年になってそれでもまだお伽噺に傾倒するのか?そんな物語存在するわけないじゃないか。そんなファンタジー何てこの世界に存在するわけないじゃない。物語じゃあるまいし、とそう思った私に、鏡は、何の変哲もないひとつ数千円の姿見が、鏡が私に、私が欲していた答えを、くれた。


「蓮花の言う通りね。他人の感情を把握するのには視線と表情と動きの把握がベター。……顔真っ赤ね私」


 どこか震えるような声になったのは緊張からだろうか。そうじゃない。きっとそうじゃない。嬉しいからだと、そう思う。


 きっと私は心の底から嬉しいからだと、そう思う。


 諦めていた。


 遺伝子が残せないから何て理由で何もかもを諦めていた。自分を客観的な存在に置き傍観者のようにこの世界を作品のように見つめていた。けれど、私もその世界に入って一緒になりたかったのだ。


 だから、きっとこれは嬉しさから。


 私はそこにいても良いのだという事を理解できたことへの嬉しさ。


 下着姿の私。白い肌のその全てが全身が紅色に染まり、熱を帯びている。両手で自分自身を抱きしめる。暖かい。自分の腕がこんなに暖かいものだったなんて思いもしなかった。


「私……人……なんだよ。例え子供を残せなくても例え遺伝子を後世に残せなくても、他人を好きになれる普通の人だったんだ。良かった…本当に」


 でも。


 あの人はこんな私を受け入れてくれるのだろうか。


 だから……怖いけれど、でも。思い立ったが吉日と、そういうじゃない。つらそうだった、辛そうな彼女を助けたい。この私が、この私で何かできるというのならば、どうか……




「……は?」


 久しぶりに素の蓮花の声を聞いた気がする。もっとも、何それ?といった類の『は?』であったのは僅かに寂しい物であるのだけれど。


「いえ、だから自分たちで部活動を作るというのはどうかしら?と思ったのよ。最近のラノベじゃ良くあるパターンじゃないの。部活という狭い世界で狭い人間関係を濃くしていくのよ。テンプレート的ではあるけれどもやはり部活動というのは青春を過ごす時間として有意義な場所になるのではなかろうかと思うのよ」


 いつもの図書館の隅。


 窓辺に佇む蓮花の姿は別に格好良くも可愛くもない、全く普通だった。しいていえば大変だるそうだった。きっと何かを悩んでいるのだろうと、そう思う。


「確かにその通りだとは思うけれども、作るのが目的なの?何を目的としているのかちょっと気になるんだけれど」


「そう、そこよそこ。園芸部と称して百合の花を眺めるのは如何かしら?いなほさん曰く、時折校舎内で百合の花が咲くそうよ。それを放課後一緒に鑑賞するの。いやだわ、放課後の校舎でとかとてもエロいわね」


「今すぐ園芸部に謝れ。……ん。でもどちらにせよ私は不参加になりそうだねぇ」


「あらあら何を仰るペンギンさん。貴方がいなければ何の意味もないじゃないのよ。私は言ったわよね。皆で、と。そこでのっけから一人欠けたら意味がないじゃない」


「またそんな恥ずかしい台詞を……確かに皆で一緒になって何かを作りあげるという行為は楽しいのは事実か……。何か思いついたら提案するよ」


「ふふ、お願いするわ。放課後の空いた教室で出来るような素敵な事を思いついて頂戴。貴方が私にしたい事でも良いわよ」


「そんな事は良いとして」


「そんな事って何よ。酷い人ねほんと。私にしたい事なんてないっていうのかしら?私に興味ないのかしら?」


「興味津々だからご遠慮願いたいだけだよ。知れば知るほどド壺にはまるってね」


「あら、珍しいわね素直で。しかし、壺って卑猥よね。壺っていうのは中に液体を入れるものなのよ?蜜が一杯入っている状態とかエロさしか感じられないわ。是非、私の壺に嵌って頂戴な」


「断固拒否」


「釣れないわね。釣れない。本当に釣れない人よね貴方は。なので、釣りに行きましょう。えぇ、釣りに。ちょうど良い頃合いだと思うのよ」


「また唐突な?」


「えぇ、人生は突発的なのよ。偶然を積み重ねて必然になるのがこの世界だわ」


「確率論的に私は釣りに行く事になったわけですか」


「えぇ、その通りよ。では今週末に決定ね。集合場所や時間は追って知らせるわ。前日ぐらいには」




 そして再び週末。


 待ち遠しければ待ち遠しいほど長く感じるのが時間というものだと、思った。それぐらい、楽しみにしていたという事だろう。彼女にとってはそうでなくても私にとっては一大決心の結果である。とはいえ、物々しさを醸し出してもいけないとユリシーズを連れて移動。


 格好は勿論先週購入した例の服。


 正直、恥ずかしいと言わざるを得ない。何度も言うが伊達や酔狂でスカートを長くしているわけではないのだ。キャップを目深にかぶり、偏光グラスを掛けて表情を隠しながらユリシーズと一緒に出発をしようとして。はてさてどうして行ったら良いものかと今更ながらに悩んだりしつつ結局久しぶりに自転車でレッツゴーである。カゴの中にユリシーズとユムシの大量に入った餌箱と仕掛けを入れてのんびり出発。




「女子らしくない餌を使おうとしているお前様に絶望した」


「何よ。いきなり失礼ね。貴方にはユムシの良さが分からないと言うの?生が良いのよ生が。疑似餌なんて器物なんてもっての他よ。分かるでしょう?」


「いや、分かりたくない」


 うねうねと動くユムシ達を見て蓮花が止まっていた。青虫がオーケーでユムシがノーな理由が分からない。あぁ、百合原理主義者だからユムシの良さが分からないんだと納得したのは暫く経ってからだった。まったく、ユムシが食われている姿なんて興奮物だと思うのだけれど。


「しかし、またアングラーにしては珍しい格好だね……いやなんというか目の毒というか。なんというか。うん、悪い意味じゃなくてね」


 その言葉が嬉しかった。


 嬉しくてついつい顔を逸らしてしまう。この紅色に染まった頬を見られないように。


 そして。


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