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義理の妹はツンデレサド可愛い

4.



『夢の続きです。


 そういえば、妹の事を紹介していませんでした。


 夢の中の私には妹がいました。とてもとても優しくて、とてもとても不器用なダイヤモンドのような輝きを持った子です。夢の中の私はきっと姉馬鹿なのでしょう。妹の事をダイヤモンドと表現するなんて。


 可愛くて優しくて不器用な子でした。だから私は妹を応援してあげたいと思ったのです。精一杯がんばるあの子を私は陰から応援したいのです。えいえいおーって言ってあげたいんです。私はいつだって味方だよってそう言ってあげるんです。そうしたらきっとあの子は恥ずかしがって、もう!って頬を膨らませて怒るんです。


 そんな照れ隠しもまた可愛いんだってことをあの子は分かっていません。


 そういえば、妹にはファンがいました。


 その子もまたとっても可愛らしい子で、アンティークドールのような綺麗な子でした。とてもとても優しそうで、とてもとても不器用な、けれどサファイアような輝きを持った子でした。


 その子と一緒にいる時の妹はとっても嬉しそうでした。大好きな子と一緒に遊んでいるようなそんな印象を私は受けました。でも、その事を指摘すると妹は、もう!って頬を膨らませて怒るんです。


 そんな照れ隠しもまた可愛いんだってことをあの子は分かっていません。


 そういえば、妹には……』




 自分を客観として存在させる事でこの私は百合を楽しめるのだと自分に言い聞かせながら行動してもいつのまにか自分がその輪に混ざりたくなってしまっている事に気付き愕然とする。それは私の求めたものではないのだと何度言い繕っても無駄な行為。私がこの私として生きている以上それは避けられない事なのだろう、そんな言い訳めいた事を考えている自分に更に愕然とする。男の時でも矛盾した存在だと思っていた。百合空間に男というファクターが混ざる事は論外である。にも関わらずその百合空間に交わりたいとそう思う自分は矛盾した存在だった。それが今となっては更に矛盾だ。百合空間に位置しながらも私という精神はその空間とは別位相にいなければならないのだから。だからこそ、この私は彼女を憎く思ってしまうのだろう。私と同じ性質でありながら異なるベクトルに向かう彼女は、百合空間に存在していたとしても何の違和感もなく、寧ろこの私からすればその本質はさておいて、『百合が大好きな美少女』として彼女を見てしまう以上、好意的にならざるをえなかった。


 ネットワーク越しならば議論相手という風にだけ見られたものを、しかし目の前に現れてしまった以上、この子は私にとって肯定すべき百合少女でありながらも憎らしい存在という矛盾した認識を頂かざるをえない相手だった。私がいられないその場所に何の気なしにいられる彼女。加えて、そんな彼女が男性的な要素を認めているという事がこの私にさらなる愛憎を抱かせる。


「そういう意味では私はどちらでもいける性質なのよ。例えばほら、こういう感じで指を絡ませて顔を近づけるとか……」


 言いながら私の手を取り、指先を絡ませてくる。


 柔らかく、少し体温の高いその指先から伝わる彼女の熱、客観視では決して得られないその熱に一瞬感動し、次の瞬間絶望する。これは私が体験して良いものではないのだ。反射的に手を放そうとしても絡まった指先が離れる事はない。放してと伝えるように視線を向けてそんな私の視線など何処吹く風、むしろ彼女はずいと近づき至近距離でまじまじと私を見つめてくる。私よりは少し背の低い彼女が心持ち首を上に向け、上目遣いで私を見つめるその仕草に見惚れる。見惚れてしまう。淡く薫る香水の香りもまた私の鼻腔を擽り、私の脳裏に響き渡る。このまま私は流されてしまっても良いのではないか?そんな悪魔の如き誘惑に駆られてしまう。神はいないのだから、悪魔に誘われても……いいや、けれど、それだけは認められない。


「私は見る専門なんだよ。やめてくれると嬉しいんだけれど」


「ふふ……照れないでよ、魔法使いさん」


 言いながら顔が離れて行き、ついでゆっくりと指先が離れて行く。一本、一本。伝わる熱量が減っていく。閉じてはいない系(私達)がなす熱量は霧散するのが現代熱力学の常識。決して私の内に彼女の熱量が保存され続ける事はない。けれど、全ての指が私から離れたと同時に、体が勝手に名残惜しさを覚えて指を擦り合わせている事に気付く。


 誘惑に負けそうになり、加えてその誘惑を名残惜しそうにする自分に辟易する。そんな辟易の解消のためにも、と彼女に向かい告げる。


「その魔法使いってのは辞めてもらえるかなっていうか何で私が魔法使いなの」


「あらじゃあ純情純粋純潔な処女ということで妖精さんと呼びましょうか?でも年齢が倍程足りないわね」


 くすくす、と笑みを浮かべている彼女の白い肌は僅かに紅が刺していた。その姿に再三、見惚れてしまう。


「そういう発想から離れろという話だよ、分かってて言ってるだろうお前は」


「お前って。そんな嬉しい呼び方してくれたら、今後はあ・な・たと呼ぶしか無くなるじゃないのよ。もう、酷い人ね、あ・な・た」


「キモイから止めて」


 嘘である。


 そんなわけがない。彼女のそれが可愛くないわけがない。むしろ可愛くて仕方ない。その対象が私でなければどれだけ悶えられるか分かったものではないぐらいに可愛いのは反則だと思います。はい。


「そういう返答もわりと私好みなのよ。実は」


「はいはい。頼むからこれ以上話を脱線させないで頂けるとありがたいわけだが。えーっと、仕切り直すけど……」


「近代ラノベにおける百合の少なさについてだったわね。まぁ、私の一番好きなジャンルである所のふたなりというファクターを最大限生かすためにはどうしても性愛が考慮されている話になるわけだから、ティーンネイジャー相手の商売だと少ないというか見たことないのだけれども……仕方ないわよね。えぇ、そこはもう諦めの境地だわ。なので私はネット巡りが趣味になっているのよ。素人の小説というのも思いの外捨てたものじゃないわ。えぇ、あ・な・たも見て回るべきよ。もちろん、貴方の妄想日記はしっかり拝見してるわよ。知り合いに読まれている事を知ってても書き続けるとか貴方マゾヒストの才能あるわよ」


「書いたら書いたで文句言うのな……それと確かに二次創作とかオリジナル小説とか色々読んだこともあるのは事実だけれど、今はそんな話してなかったよね?」


「だから今しているじゃない」


「とりあえずお前が百合談義が大好きなのは十分に分かった。私も大好きなのは認めよう。けれど、今はその口にチャックしておきなさい」


「おくちにちゃっくなんでできないですぅ。あなたのこころのおにゃんにゃんでうめつくしてくださいぃぃ」


 甘えるような声音が大変可愛い。が、台詞がドン引きなので「キモイから止めてね」と返すのが紳士の嗜み。


「今のは自分でもやり過ぎたと思うわ。神聖な校舎でなんてこと言わせるのよ。ひ・ど・い・ひ・と」


「そろそろ黙れ男根主義者ファロクラシー


 などと言う無意味で有意義な会話を延々と繰り返し、漸く話が進んだのはそれから三十分程経過し、辺りが暗くなってきた頃だった。


 人の姿が疎らになった夕暮れの図書館ほど雰囲気のあるポイントは学内には他にないのかもしれない、そんな風な事を考える自分に苦笑する。


 そんな私に対し、僅か眉を寄せた後に、


「私もある意味仲間外れにされているようなものですから、正直良く分からない所もあるのですが、それでも確かにクラスのちょっとした行事などでもいなほさんが阻害されているのは分かってまいりましたわ。手を出せる範疇では手は出させてもらっていますけれども、一つ一つがこまごまとしていて中々難しいですわ」


と。傍から見れば多重人格者にしか思えないが、まじめな話はこういう口調の方がやりやすいらしい。


 多重人格ふたなり百合女†蒼月闇裏†とか痛いです。ちなみに『蒼』=湖が陽で輝いている感じ+『月闇裏』=ダークサイドオブザムーン=月浦、以上より月浦湖陽の別名なのだと言いたいらしい。加えて、ちなみに読み方は『そうげつあんり』だそうである。聖とか天だとかが入っている物に比べるとまだましだが、割と布団に包まって悶えるレベルにしか思えない。余談だがブルームーン(蒼月)は『稀有』を意味する例えである。確かにあんたみたいな人は稀だわと納得した私であった。


「それには感謝してるよ。ありがとうね。まぁ、いなほからすると余計なおせっかいになるのかもしれないけれど」


 いなほの現状をどうにか打破させてあげたいなどという恩着せがましい事をいうつもりはないのだが、あまりにいなほが応えない所為か状況が悪化しているのが問題だった。


 いくら他人事だと言っても、私は、延々といじめを見続ける事を楽しめるマゾヒストではない。特に何の感情もなくテンプレート化した虐めに興味などない。好きな子を虐めてしまうとかなら大好物です。だから尚更、解決できるものなら解決したい。まぁ、つまり今こうやって話し合っているのも自己都合に過ぎないわけだ。虐めが悪いとかそんな正義感など私にはない。ただ単に見ていて不愉快というだけだ。


「夏に飛ぶ蚊を潰した所で余計な御世話とは言われないのではないでしょうか?もっともまだ夏には早いですけれども。そういえば、夏といえば、ペンギンのような方はやはり夏は不得意なのでしょうか?御辛そうに見えるのは、やはり氷水に浸かっていないと逆上せてしまうからなのでしょうね。私がしっかり御世話させて頂きますからご安心して頂いて結構ですわ」


「態々回りくどい言い方を。目付きが悪いのは生まれつきだって」


 結局、こうやって彼女と話を脱線させながら話す程度の話題という認識しかない。そもそもこの話題を出すのも一、二週間ぶりだ。


 いいや、寧ろだからこそ、話題に出したともいえる。


 やられている事は前と変わらない。物を隠されたり捨てられたり閉じ込められたり水をかけられたり椅子や靴の中に画鋲が置いてあったりなど。フィクションやテレビに登場するような暴力的で直接的で悲劇的で過激な虐めは一切ない。客観的に見て一番酷いといえるのがこの間のトイレの中に閉じ込められた件だろう。あの一件はやった側もまずいと思ったのか二度目は今の所ない。だが、傍から見て軽度だから大したことがないなどという類の話ではない。


 既に虐めは組織化され、もはやそれが当たり前になっている状況に至り、故に誰か一人を止めた所で改善される事もない。当然、教師達には見えないような形で行われている。そんな軽度ないじめを延々と繰り返せばどうなるか。簡単だ。至極簡単だ。金属が疲労で破壊する事よりも自明なことだ。繰り返される軽度のいじめに心が疲弊していく。延々と繰り返されるストレスに心の歪みが蓄積していき果てには壊れる。それはもはや運命のように決まり切った事だ。


 これの問題点はやっている方が酷く気楽だという事だろう。自分は大した事はしていない、そんな認識で事を行っているのだから。だから私一人が少しぐらいやった所で、そう思えるの組織だったいじめの問題点だ。


 塵が積った所で山になる事はない。けれど、塵が積もれば生きていけなくなるのは事実だ。それが目に見えないほどに小さな心の亀裂だとしても、耐えられるからといって、いいや、耐えられるからこそ壊れるのは一瞬。物理的にもそんな事は自明なのだ。たった一つの亀裂で最硬度のダイヤモンドが砕けるように。


 稲のように強くあれと言われて育った子は頑なになってしまった。それこそダイヤモンドの如く。その硬度を持った理由は私には分からない。その頑ななまでの美しさを持った理由を私は知らない。けれど、いなほは弱々しくあれば良かった。誰かに頼れる性格であれば良かったのだ。もっとも、それが出来ないからこその今の状況だから言っても詮無い事だ。


「そういえば、いなほさんはどうしてあの方、茅原みずきさんが苦手なのでしょう?確かに見た感じちょっとアクティブ過ぎるという点はありますが、それ以外に関しては噂に聞くに素敵な方だという話ですが。それにあの、最初にお会いした時のいなほさんの様子見ると別に嫌ってはいませんよね?」


「そうなんだよね。あんなに露骨に醜態というよりも他人に可愛らしい姿を見せる程度には理由はあるとは思うのだけれども、聞いてもはぐらかされるしねぇ。何もかも忘れて北極へ帰れ!と言われたよ。ペンギンは南極だってのにね。一人寂しく野垂れ死ねと言われた気分でした」


「北極に行く際には御声を御掛けになってくださいまし。貴方一人ぐらい私が養ってあげますわ。餌はそうね、アジやイワシぐらいなら私が釣ってまいりますわよ」


「あれ?釣りするんだ。意外だねぇ」


 アングラー姿が全く、想像できない。どちらかといえば、魚は刺身姿で海の中を泳いでいると思ってくれていた方がそれっぽい。


「意外でしょうか?人を見た目で判断するのはいけないことですわよ。私、前にも言いましたがこう見えても極々普通の一般家庭の出ですのよ。嗜む程度には色々やっておりますわ」


「ちなみに?」


「秘密ですわ。というよりも、そういう事は無理に言おうとしても出て来ないものです。私にとっては当たり前の日常ですからね。それと……そういう話はまた今度にしましょう。この口調だと疲れますもの」


 口調を止めれば良いだけだという話ではあるが、脱線気味だったので私も異論はなく、話を進める。


「いなほの話を聞いた感じだと入学前に親交はなさそうだし、入学後と考えるのが妥当なんだけれども、その時期は私病院だし、何で茅原嬢にいなほが目を付けられた、というかアタックされているのかはちょっと分かりかねるわ」


「そういえば蓮花は厨二病罹患者が喜びそうな記憶喪失者でしたわね。私としてはそれに関しても色々知りたいのですけれども……流石に出会って間もない人に教える事でもないですものね」


「湖陽、頼むから丁寧口調で厨二病とか言わないで。酷く違和感を覚える」


 茶の席でコーヒーが出てきたような違和感だった。


 ちなみに、お互い呼び捨てで呼び合うようになったのは湖陽のカミングアウト後すぐだった。つまり、気を使う必要性皆無だなとお互いが認識しただけである。


「まぁ、別に隠す事じゃないんだけどね。エピソード記憶、自伝的記憶が軒並み全部やられているから私は高校入学前後で全く別人になっていると思えば良いのかな?だから高校入学後に出会った人からすると私はこの私のままといった認識でいいんじゃないかと思うんだよ。例外は家族といなほと、あとは生徒会長さんぐらい。他は知らないや。中学生時代の同級生とかに至ってはさっぱり把握してない」


「生徒会長といいますと……此花咲夜姫?」


「いえす。その柚木此花さん」


「人の名前にけちをつけるわけではないですし、私がいう台詞ではないとは思いますが、珍しい御名前ですわよね……それはどうでも良い話でしたわね。失礼致しました。それなら、生徒会長さんは何かご存知かもしれませんし、聞いてみませんか?」


 それはどうだろうと思うが、聞いてみる事に異論はない。それにそういえば学校に来てからまだ一度も顔を見せていない。何度も言うが、別に彼女自身も私に会いたい事もないだろう。けれど、病室にも見舞いに来てもらったというのに薄情な奴である。まぁ、事実、情は薄いのだけれども。


「じゃあ、ちょっと行ってみますか生徒会室に」




 略称、旭丘女子は普通の進学校であり、特別大した特徴のある学校ではない。そういう意味では他の学校の偏差値が上がっていけば特色のなさに追いやられてしまうのだろうか、などと考えていればそういえば女子高という点が特色だった事を思い出す。男子共は一体どこの学校に通っているのだろう……気になる。そんなどうでも良い事を考えながら湖陽と二人、雑談を交わしながら校舎を歩く。


 まだ人通りのある廊下を横並びで二人して歩く。


 大きな窓から射し込む西日が僅か目に痛い。手で光をさえぎりながら、窓に目を向ければ校門には多くの人。皆それぞれに楽しそうで友人同士仲良く並んで和気藹々話し合いながら歩く姿が酷く眩しい。そんな中、楽器を肩に掛ける子達の姿が一際目立っていた。仲よさげに指さしあったり、かと思えば突然走りだしたり、そんな彼女たちと一緒に肩に担いだギターかベースが揺れる。それがその姿とてもとても眩しくて、だから私は手の平で目を覆う。


「蓮花?どうしたのですか?」


 心配そうに小首を傾げて私を覗き込む湖陽の姿は、酷く優しげだった。


「いや、何でもないよ。友達同士仲良く和気藹々で帰る子達を見てたらちょっとノスタルジックになっただけ」


「感傷的になる程の年齢でもないでしょうに。何、年寄りくさい事を言っているのですか。貴方も、私も青春はこれからなのですよ?そんな枯れ切った感じに言わないでくださいな。私もしんみりしてしまうじゃありませんか」


 しかりつけるようなその台詞がいつかの後輩のようで、苦笑する。『だから貴方は魔法使い見習いなんですよ』って。


「何かおかしい事でも?」


「いいや、その通りだよ。君の言っている事は正しい。そうだ、ちょっと質問」


「何でしょう?」


 だから、きっとそれを聞いたのは単にそんな気分になっただけだろう。他意なんてきっとない。


「タイムマシーンがあったら何がしたい?」


「何を突然改まったかと思えば。……ん、そうですわね。そんな事を突然言われましても常識人である所の私には即座にお答えできかねますので、考えておきますわ」


 指先が髪を弄りながら恥ずかしそうな表情で湖陽はそう口にした。


「そこまで真面目に受け取らなくても良かったのに。別に大した理由で聞いたわけでもないしさ。んでも湖陽ががんばって考えてくれるっていうなら楽しみにしておくとするよ」


「えぇ、楽しみにしていらっしゃいな。貴方が喜ぶような素敵な返答を考えておきますわ」


 それもまた、聞いたような台詞だった。


「……お願いするよ」


 そんな事を話していれば、渡り廊下へとさしかかる。


 生徒会室は先ほどまでいた図書館から廊下をまっすぐ進んだ所にある。この渡り廊下を超えて、二年生の教室が並ぶ区域を抜ければすぐだ。もっとも高校生にとって上級生というのは未知を通り越して恐怖に近いものである。だからそんな領域に踏み込む事ができればという前提条件はあるのだが、私達二人に関して言えばそんな事は気にするファクターではない。


 湖陽は学校のパソコンを使って人のサイトに罵詈雑言を書き込んでいけしゃあしゃあとできる子なので、二年生だろうが三年生の前だろうが教師の前だろうが余裕綽々な子である。私は私でどうしても全員子供に思えてしまうので何とも思わない。


 だから、私たちは結局そのまま真っすぐ二年生の教室の前を歩く。時折通る生徒がこちらに視線を向けたりするのも無視して私たちは歩きながら会話を続ける。


「二年生の教室辺りって初めて来たよ。大して何も変わらないのは当たり前か。一々学年ごとに奇抜な変化をさせる必要なんてないわな。あぁそういえば、てっきり私は生徒会室が最上階にあるものだと思ってたよ」


「なんですかその偏見は?馬鹿と何とやらの皮肉のおつもりですか?酷い人ですわね、貴方」


「いや、だってほら、漫画とかアニメとか小説とか映画とかドラマとかまぁつまり諸々の表現媒体ね。それだと最上階とか、校舎についてる時計の真下とかにあったりするじゃない。もっともまともな学校自体が少ないけれど」


「分からないでもありませんが、その認識はどうかと思いますよ。ここは現実なのですから二次元と一緒にしてはいけませんわ」


「ごもっとも。それにしても二階というのも中途半端な」


 今時期の生徒会のメンバーは基本的に三年生であり、三年生は三階にいるのだから尚更だった。自意識の高い人が一、二年生の内から生徒会に参加して欲しいという意味だろうか。はてさて。


「どうでしょうね。私には分かりかねます。単純に文科系の部活動に部屋をあてがった後に生徒会室の場所を決めたら空いているのが二階だけになったのかもしれませんわね」


 そんなとりとめもない話をしていれば生徒会室の前にたどり着く。


 二次元のようにライバルが現れるでもなく何のハプニングもなくたどり着いたそこは、想像していた重厚な扉もなく普通の教室と同じ安っぽい扉が一つ。その安っぽくて薄っぺらの扉を通して中から話し声が聞こえるのを確認した後に、ノックする。


 コンコンと叩けば立て付けが悪いのか扉がガタガタと揺れ、思いの外大きな音が出た事に驚いていれば、中から『は~い』という気だるそうな声と共に足音が近づいてくる。


 がらり、と横にスライドした扉から


「あ、ペンギンがいるっ!此花ちゃん!ペンギンさんが遊びに来たよ!」


 アホの子と似た顔でサイドポニーがアホの子とは逆の子が現れた。どう見てもクラスメート暁湊の親族だった。


「ペンギンて何それ?南ったら。……いえ。もしかして……入ってもらって頂戴」


 扉を開けてすぐ中が見えないようにという配慮だろうか。置いてある衝立のその更に奥の方から聞こえる声は間違いなく柚木此花その人なのだが、ペンギンだけで『もしかして』というのは止めてほしいです正直。なお、月浦湖陽は私の後ろで爆笑したいのを必死に抑えているせいで微妙に表情が歪んでいた。流石、世間体を気にして自覚的に多重人格をやっているだけある。


「通行許可おめでとー!どうぞいらっしゃいませー。ご新規二名様はいりまーす!今は私と此花ちゃんしかいないけど許してね!」


「どこのお店ですか」


 嘆息する。


 そういえば最近湊ちゃんとはあまり話しをする機会がないのでこのテンションも久しぶりだった。


「私は二年の暁南っていうんだよ!漢字二文字の格好良い奴って覚えてくれると嬉しいな!」


 妹よりもポジティブシンキングだった。姉妹二人並べばプラマイ零になるのだろうか。いや、きっとサラウンドでハイテンションだろう。うん、容易に想像が付く。


 さておき。


 衝立を迂回する必要もなく、生徒会室が思った程大きい部屋ではない事が分かる。壁際にガラス戸の付いた奥行のある書棚が置いてあるのが更にそう感じさせる原因だろう。ぱっと目に入る物でいえば生徒会議事録などだった事を思えば、電子化してしまえば綺麗さっぱりもう少し優雅な生活ができるだろうが、生徒会などは慣例に習うだろうから難しいかもしれない。


 そんな書棚に囲まれた中央に位置するのは長方形に並べられたテーブルと椅子。教室の机の方がまだましだという程度の古びたものだった。その一番奥、窓際のテーブルに備え付けられた椅子にメガネ姿の柚木此花が座っていた。


「やっぱり、蓮花さんだったのね。お久しぶりね。最近の調子は……あらお友達?」


 何がどう認識された『やっぱり』なのかは私には分かりかねる、と突っ込まないのが大人の嗜みだよね、と考えていれば、此花さんが視線を私から、湖陽へと移動させ、ほんの一瞬だけ眉間を狭め、狭めた所為でメガネがずれる。ドジっ子ですね、わかります。


 そんな此花さんの視線を察して湖陽が私の横に歩み出る。


「一年の月浦湖陽と申します。みずうみに太陽の陽でコヨウと読みます。変わった名前だとは思いますが、宜しくお願い致しますわ」


「生徒会長をやっております、柚木此花です。私も変わった名前ですけれど宜しくね。月浦さん。それと、改めて。蓮花さん御久し振り」


「はい、御久し振りです。見舞いに来て頂いていたのに退院後のご挨拶が大変遅れてしまい申し訳御座いませんでした。今日はそれも兼ねてのご挨拶という事で生徒会室に参らせて頂いた次第です」


「また、そんな堅苦しい話し方しなくて良いわよ。今日はこの子しかいないから気にしないで」


 その台詞に、暁南嬢が椅子に座って何かを始めようとしていた所で顔を上げ、一言。


「ほい!何にも気にしなくていいからね!私の事なんて動物園にいるオケラくらいに思ってくれていいからねっ。何言われても忘れてると思うからっ!三日歩けば棒に当たるんだよ!」


 酷い返答もあったものだった。


 そんな彼女に苦笑しながら此花さんが席を即す。


「汚い所で恐縮だけれど、折角だし座ってちょだい。お茶の一つも出せれば良いのだけれど生憎切らしていてね」


 湖陽と二人並んで座る。


 案の定ぼろい椅子だったのはさておいても、机の上に山ほど書類が載っている所為であまり落ち着かないのが正直な感想だった。この数の書類を片付けるのは大変だろう。少なくとも私はやりたいと思わない。


「あまりこういう所で話すものではないとは思うのだけれど、お元気そうで何よりだわ。生徒会は生徒に開かれた場所だから、いつでもいらっしゃってくださいね。もっとも、見ての通りの汚い狭い部屋だし、何の楽しみもないのだけれど」


「生徒会というと広い部屋で和気藹々、楽しそうに過ごしているイメージだったけれど、そうでもないんですね」


「どういう想像しているかは分からないけれど、基本常に書類仕事よ。ボランティアにも程があると自分でも思うわ。そして……ふふふ……常に人員不足なのよねぇ」


 疲れたような表情で、というか実際目の下にクマが出来ている所を見れば相当に大変なのだろう。メガネをキランと輝かせるという大変二次元的な行為をしつつ私と湖陽をロックオン。が、当然の如く、


「断固拒否させて頂きます」


「申し訳御座いませんが家庭の事情がありまして……」


 二人して即レスに決まっている。


 ちなみに湖陽の家庭の事情=個人都合である。この容姿で家庭の事情が、と伝えると大概みんな『あぁ、ご親族の会合でもあるのね』と勝手に納得してくれるので多用しているそうだ。酷い話もあったものである。


「もう、二人してそんな嫌がらなくても良いじゃない。場を和ますための冗談に決まっているじゃないの。人が足りないのは事実だけれど、常に足りないわけじゃないしね」


 一見すると後輩が緊張しないようにと和ませために、態とらしく頬を膨らませて拗ねているように見える。そんな姿がお茶目な人だ、優しい人だと思う人もいるだろうけれど、痛ましいというのが私の正直な感想だった。


 今の姿からは生徒会長が病院で泣いていたなどとは想像も付かない。元の私を想い泣いていた此花さんが、今はこうやって笑みを浮かべている。割り切れたのか?割り切れるわけがないものを割り切れたのか?いいや、この私がこの場に現れる事は正直な所かなりの苦痛だろう。私が訪れる事は即ち思い出の中の彼女の像を消す事に相違ないのだから。


 諦めと共に訪れた病室での一幕、それ以上、彼女が私と接触する必要はない。


 もっとも、それに同情しているのならば最初からこの場には現れないし、その無理をして笑みを浮かべているその表情にも私は喜びを感じるだけだ。


 彼女は一体どれだけ深い想いを『私』に与えていたのだろう。それこそ私がストレスで記憶を飛ばすぐらいの想いなのだろうか。あぁ、酷くたまらない。いなほの事などこの時、この瞬間私は確かに忘れていた。そしてその忘れていたいなほの事を思い出させたのはまさに此花さんだった。


「そういえば、今日はいなほさんはいらっしゃらないの?先日は病院で案内とかしてくれたからまた日を改めてお礼を言わなくちゃと思ってたのだけれど。それもまた忙しい事を言い訳にして伸ばしのばしになってるわね。駄目ね、ほんと」


「今日はいませんね。旅行にいってた両親が帰ってくるので颯爽と姉を置いてさっさと帰りましたよ。夕食の準備をするそうです。あれであの子料理が巧いんですよ。B級グルメ好きなのに。というか私的B級グルメの作成をがんばっていたら料理が巧くなったみたいですけどね」


「そう……」


「いなほが何かありました?此花さんのご迷惑になるような事はしていないと思うのですけれども」


「あぁいえ、この場で……話す事でもないわね」


 思わせぶりに此花さんが暁さんと湖陽に視線を向けるその姿に苦笑する。思いの外感情を隠すのが苦手のようだった。もっとも感受性は強いのだろう。少なくとも私やいなほよりは。


 そんな風に冷静に分析しながらも昔の私に絡む話か、と納得する。それはそれでこちらとしては当初の目的通りであるし、此花さんという人の想いが垣間見える話題であり、一挙両得な都合が良い話題だった。


「いえ、構いませんよ。湖陽は知ってますし、南さんは右から左へ流してくれるようですし……というかヘッドフォン付けて自分の世界に入ってらっしゃいますね」


「あ……そうなんだ。えっと……つかぬ事を聞いて良い?」


 姿勢を正し、淡々と。


「えぇ、いくらでも」


「いなほちゃんと巧くやっていけている?」


「巧くというのが良く分かりかねますけれど、円満ですよ?特に諍いもなく、憂いもなく仲良くやっているつもりです。まぁ、あのB級グルメ狂いはどうかと思いますけどね。隙あらば私にギョーザを食べさせようとしますし。湖陽も犠牲者ですよ……」


 視線を向ければ湖陽が思い出したのか大変、嫌そうな表情をしていた。


 出会ったその日の豚バラ定食は湖陽も彼女が豚バラ定食を食べるというシーンが大変違和感を醸し出すものだったけれども、彼女自信美味しそうにしていたので良かったのだ。が、翌日のギョーザが湖陽的にはアウトだったようだ。いなほがうきうき気分でお勧めするのを無碍にしては悪いと少し涙目になりながらも一生懸命食べていたのを思い出して笑みが零れる。そんな私に湖陽はきっ!と視線で怒りをぶつけてくる。


 ちなみに、そのまた翌日の昼休み。もの凄い勢いで私を図書館まで拉致って涙目になっていた湖陽は正直可愛らしかったが、『無理よ、無理。あれは女子高生の食べ物ではないわ。別に美味しくないとかそういう事じゃなくて、大きいのよ。でかいのよ。私の口に入らないのよ……あら、私ったら卑猥な発言を……いいえ、今はいいわ。卑猥でもWi-Fiでもいいわ。えぇ、良いのよ。あぁでもWi-Fiには有線接続の卑猥さが足りないのが問題よね。有線に勝るものはないわ』などと意味不明な供述をし始めたのは全然可愛くなかった。


 閑話休題。


 そんな私達の視線のやり取りは華麗にスルーしていたが、安心したのか何なのか此花さんは何やらほっと一息ついていた。


「そうなんだ。そうなんだよね……病院で会った時も仲よさそうだったし……なら良かったわ。余計な御世話だったわね。ごめんなさいね。前みたいな事があったらと思って……」


 メガネの奥の瞳が揺れ動く。元の私がいなほを苦手としていた事を当然のようにこの人は知っているという事。そうでもなければこのような質問はしない。


「前みたいな事……ですか?」


「えぇ、蓮花さんは覚えておられないでしょうけれども、あまり仲が宜しくないというよりも。いえ。いなほさんもいなほさんで状況が状況でしたからね、蓮花さんと仲良くされるのは難しかったのだと思います……」


 彼女はきっといなほの存在が『蓮花』という少女を記憶喪失に追いやったと思っているのだなとその瞬間、理解した。表面を取り繕ったその表情、けれど瞳の奥に見える煌々と輝くそれは憎みである。まったく、感情豊かな子だと思う。もっとも、それもまた私にとっては心地良い。


 いなほの虐めの主犯が此花さんであれば私は完全に傍観者になっていたかもしれない。けれど、この子がやるならもっと直接的に違いない。


「あぁなるほど。思春期の女の子ですものね。多感な時期に両親が再婚していきなり姉が出来たらそんなものでしょうね。もっとも、私自身もそうだったみたいですけれども、今はもう何の問題もありませんよ。ご安心くださいな」


 そんな彼女の想いなど一つも理解していないとばかりに返す私の言葉に、此花さんが僅か落胆したのが分かる。


 私は貴方の知ってる鞍月蓮花じゃない。


 そう言ってやりたかった。


 そんな私達の会話を湖陽は意味が良く分かりませんと表情を歪めながら聞いていた。


「蓮花、ちょっと御待ちになってくださいまし。私には話がさっぱり見えないのですが、その、再婚というのは初耳なのですけれども」


「あれ?湖陽には言ってないっけ?いなほが義理の妹だってこと。……あぁ、そうか。記憶がどうのとしか言ってなかったっけ」


「知りませんわね。私、衝撃的過ぎて吃驚しておりますわ。いえ、確かに同じ年齢で双子にしてもあまりに容姿が違うとは思っておりましたけれども、納得いたしましたわ。しかし、なぜ貴方はこうも衝撃的な事を淡々と語るのですか」


「大事な事は笑ってちゃちゃっと伝えるのが良いらしいんだよ、昔読んだ本によると。一方で大事な事は二回言う必要があるらしいから、きっと笑って二回言えば良いんだと思うんだよ」


「大事なものは目に見えないとも言いますけれどもね。しかし、またすぐそんな戯言を仰って話を反らすのですから、酷い人ですわね」


 確かに、何処かの王子様はそう言った。けれど、目に見えない物を理解できる人なんていないのさ。他人が他人の心を推測で図るように、目に見えない世界の物理を想像して推測して論理を組み立てて理論立てている。ただそれだけ。だから、目に見える事の方が大事に思える人が大半だ。例えば、今の柚木此花のように。


「私が話しかけてばかりでごめんなさいね。それで、今日は本当の所は何の用があったのかしら?本当に挨拶だけって事じゃないのよね?」


「ですね。まぁ、いなほの事なんですけれど……茅原みずきという一年生がいるんですけど、ご存知ですか?」


「茅原?……あぁ、もしかして市議会だったか県議会議員だったかの御子さんだっていう人かしら」


「え、そうなの?」


 アホウドリのように聞き返し、湖陽の方に視線を向けてみてもつい、とそんな事も知らないんですの貴方、と視線を逸らされる。が、お嬢様キャラのレッテルを張られているのにそういう情報も知らないとか思われたくないからこその行動であり、彼女自身は知らないに違いなかった。世間体気にしすぎ。


「えぇ、確かそうよ。……ほら、南。ヘッドフォンちょっと外して」


「折角良い所だったのにね!此花ちゃんったら超サディスティック!で、何かな?何かな?南の出番なのかな!?」


「一年生の茅原みずきさんって方、議員さんの娘さんよね?」


「あのブロンドの子ね!うん!そうだよ!しかも御爺さんがこの学校作るのを色々御手助けしたとかなんとかそんな話もあったりしないでもないんだよ!ほんとは共学だったのに女子校になったのはその人の意見とかいう噂も!」


 何故この子がそんな事を知っているかは、さておいて。


 なるほど、その爺さんが何を思ったのか女子高にしたわけね。


 思いもよらない素敵な情報をありがとう、暁南嬢。


 その事実は、きっと私以外には疑問に思わないだろうけれども、私には大変貴重な情報だった。エビで鯛を釣った気分だった。


 つまり、この学校が女子高に変化したのはその人の意思が入っているというわけだ。素晴らしい。その人はもしかするとこの世界の住人ではないのかもしれないと思えば、昂ってくる。百合厨としてでなく研究者としての私が昂ってくる。あぁ、今すぐその人にあって話を聞きたい。


 貴方はもしかすると一度死んでいますね?と。聞いてみたい。そのためにもいなほとみずきちゃんの関係を良好にしてあわよくば的に私もみずきちゃんの家に赴いて御爺さんと話がしたい。


「ですって。それで、その子といなほさんに何か関係があるの?」


「あぁ……いえ、分からないのならそれで良いんです。何か関係あるのかないのかと思っただけですから。どうもいなほがえらくアタックされてましてねぇ、姉としては気になるんですが、教えてくれないものでついつい此花さんを頼ってしまったんですよ」


 もはやここに用はない。


 そして、いなほとみずきちゃんの関係も興味は二の次だ。私の興味はそちらにシフトしてしまったのだから。と、思っていれば、再三の南嬢の発言に、皆が一様にあら、まぁ、と目を点にした。


「話に出ているいなほちゃんっていう子はきっと菊川中学校出身の山科やましないなほちゃんだよね。うん、だったら……山科ちゃんのお母さんはここの卒業生だね!んで、茅原ちゃんの御父さんは元々ここの先生から議員さんになったんだよ!」




 事件が起こったのはその会談から数日経った後だった。


 もっとも事件というと他の人達からすればかなり大げさな言い方だ。他者からすればクラスメートが一人、私たちからすればいなほが学校を休んだだけなのだから。


 案の定、弱いいじめの持続はいなほの精神を病ませていたようだった。日に日に滅入っていくいなほは、けれど、それでも懸命に学校へ行こうとしていたのだから、私にそれを止める権利などなかった。だが、体力的精神的な疲れから免疫力が低下し、熱が出ていて朦朧としている状況となれば話は別だ。


 けれどそれでもいなほは学校へ行こうとしていた。あの子が心配するといけないからと朦朧とする意識で呟くその様は酷くつらそうで、けれど優しげだった。まったく、このツンデレめ。


 その日の昼の事だった。


 最近は何だかんだといなほか湖陽と一緒に昼を取っている私だがその日はいなほはいないし、さてどうしようかと思っていた矢先だった。


「あの、お姉さん……い、いなほさんは一体どうしたのでしょう?あのいなほさんが簡単に風邪をひくとは思いもしませんわっ」


 普段は欠片も私の存在を認めていない茅原みずきが態々私の教室に乗り込んで来た。その事に一瞬安堵する。彼女はやっぱり言葉尻は変だけど、優しい子なのだと。


 そして漸く、いなほの馬鹿な行為を止める事ができるのかと、安心する。あぁ、全く度し難い。今の今まで何も対応してこなかった人間が何を偉そうに。


「ま、とりあえず落ち着いてよ、茅原さん。それよりも大事な事があってね。いくつかお聞きしたことがあるんだ……って」


「いなほさんは大丈夫なのですか?そうじゃないのですか?それをお聞きしているのです。さっさとわたくしに教えなさい」


 ブロンドの髪を振り乱し、たわわに実るそれを揺らし、私の肩を掴んで前後に揺すりながら、さっさと白状しろと告げるお嬢様。そんなお嬢様の行為に頭が揺らされぐわんぐわんと視界が揺れている事に気持ち悪くなりながらも大事な、大事な質問を口にする。


「き、君といなほとの出会いはどこになるのかな?」


「質問の意図が分かりませんし、お姉さんが知る必要が……いえ、そこに何か、意味があるのですわね。そんな露骨にプライベートな質問をされるという事は」


 聡い、そう感じる。


 ようやく茅原みずきが大人しく私の話に耳を傾ける。そうして、そのまま席を立ち、周囲のクラスメートの注目を浴びながら教室を連れだって出て行く。


 日常から離れた行為というのは注目を浴びる。特に茅原みずきのような有名人と私のようなペンギン風情が並んで歩いているのだ。気になる人は気になるだろう。特に私がいなほの姉だと分かっている人達にとっては。


 僅かばかり、嫉妬や妬みの視線を感じる。これもまた百合厨的には大いに結構なのだけれども今は置いてこう。残念だけれども。今は急ぎなのだ。だから、私はそっと茅原みずきの手を取り急かす。瞬間、ぶすっとした表情で『いなほさんにも触られた事ないのに失礼な人ですわねっ』という台詞を口にしたみずき嬢の可愛さには悶えたくなった。


 閑話休題。


 向っている先はいつもの通り、図書館である。


「ご質問というのはプライベートなことなのですね。別に隠す事もありませんが……高校に入ってからですわ。より正確に言いますと入学式ですわね。いなほさんをお見かけしたあの日からわたくしはあの方に絶賛胸キュン中ですわ」


 言っている台詞はさておいて、落ち着いた感じの喋り方だった。湖陽辺りでは出しきれない滲み出るお嬢様然とした口調だった。初めて彼女の落ち着いた声を聞いた気がする。


「胸キュン……あ、うん。それについてはまた詳しく聞かせてくれるとお姉さんは大変嬉しいので是非お願いします。けれど今日はちょっとシリアスに行かせてもらうよ。あんなに素気無くされているのに何故いなほにそこまで執拗に絡むんだい?」


「わたくしの趣味嗜好にばっちりなのですものいなほさん。華奢で可愛らしくて、それと特にいなほさんのお声がわたくし、大好きなのですわ」


 煌々と輝くブルーアイズ。


 嬉しそうに輝く彼女の瞳はまさにマリア様の心の如くだ。しかし、やはりいなほ以外が相手だと普通にデレ発言するのね、とちょっと心が躍る。おかげでつい聞かなくて良い事まで聞いてしまう始末だ。


「君は同性愛者なのか?」


「そういうわけではないのですけれど、いなほさんならわたくしは構いません。子供もいりません。一生二人で過ごす気もありますわ。もちろん、いなほさんがわたくしの事を好きでいてくれたら……ですけれど、そんな事ありえませんものね……はぁ」


 冷静に返しながらもがっくりと肩を落とす。本当にハイテンションな彼女しか見た事のない私とすれば全く別人のようだった。そしてこの強い思いが私の心にびんびん響く。大量の熱エネルギーがばしばし私に伝わってきてもう溜まりません。


「まぁ、きっとそんな事はないさね。ほら、あの日……えーっと夜遅かった日ね、あの時のいなほ優しかったでしょ」


「あぁ、あの日ですか。覚えておりますわよ。もちろん、覚えておりますわよ。あの日は嬉しくて嬉しくて夜眠れませんでした。次の日もう目のくまが酷くて酷くて。クラスメイトに心配されましたわ。でも、あの日のいなほさんはいつもと様子が御違いでした。いつかお聞きしようと思っていたのですけれども、あの日、何があったのですか?わたくしも馬鹿ではありませんので少しは気付いているのですよ?見つけたら懲らしめてやろうと思っているのですが……見つかりませんね」


「あぁ、そうか。分かってるのか。分かってての行動か。なるほど。確かに君が見てくれている範囲にいればいなほも安全か……うん、考えている通りだよ。何があったかはいなほに直接聞いてよ。きっと、その内話してくれるよ」


「わかりましたわっ。それで……」


 そこで図書館にたどり着いた。図書館の奥、いつのまにか指定席になっている本棚の影。そこで月浦湖陽がお弁当をつついていた。


 窓枠に小柄なお弁当箱を載せ、その隣に腰だけ掛けて箸でちまちま。行儀が悪い事この上なかった。が、絵になる奴だ。


「あら、いなほさんが御休みだから何事かとお聞きしようと思っていたのですが、先客が居られたようですね。……私はお邪魔のようですから席を外しますわ」


 普段は変態発言ばかりなのにお優しい事だ。昼になって食事を取る前にここまで来て待っていてくれたようだ。食べかけの弁当箱を片付けそそくさと立ち去ろうとする私の耳元にふぅっと息を吹きかけるように、『見張りはお任せときなさい』と。まったく、まったく……格好良い女だった。


「その内返す」


「それはそれは楽しみにしておりますわ」


 告げ、移動する。見えない位置へ。聞こえない位置へと。


「今のは、月浦さんでよろしかったでしょうか?成績トップの……。そういえば、あの時も月浦さんが居られましたね。いなほさんと仲よろしいのでしょうか。やはり同じクラスというのは良いですね……」


「彼女のおかげで多少緩和しているというのは事実だろうね。おかげで彼女にまで多少の迷惑はかかってそうだけれども……まぁそれは良いや」


 向かい直り、ブロンド少女を見つめる。


 改めてみると確かに、と納得する所もある。


「君は鞍月いなほが私の義理の妹だと言う事を知っているかい?」


「そうだったのですか……。確かに御顔の方は月とペンギンですけれども」


「あぁいやそれ以上は言わなくて良い。そうか。徹底されているね、徹底されていたんだね。けれど、無知は罪だよ茅原みずき嬢。君は知らなければならない。いなほが何故君を避けるのかを」


「それは是非、教えて下さいまし。その理由があるというのならば、是非」


 強い瞳だ。強い子だ。


 この子なら大丈夫。だから私はそれを告げる。勝手に、他人事のようにそれを告げる。いいや、他人事だからこそそれを言えるのだ。この私は。他人だからこそ、勝手気ままに行動できるというものだよいなほ。


 そろそろ、君はそろそろ甘えても良い頃だ。




 その日の帰宅はいつもよりも遅かった。


 帰り道の途中でスーパーによって栄養の付くものでもと思い、思ったものの今は両親が旅行に行っているわけでもなく母がいたかと思いなおし、それならばとギョーザ屋に向かったのが原因だった。


 我ながら緊張感が足りないと思う。もっとも、緊張感などいらない。大事な事は笑って伝えるべきなのだから。


「いなほ、お邪魔するよー」


 いなほの自室に入るのはこれが初めてだった。清潔感溢れる部屋だった。寧ろ几帳面を通り越して神経質な感も漂っている。気が抜けている所といえば、化粧台に並んでいる化粧品だけが多少雑然と並べられている事と、ベッドに寝転がっているいなほ自身ぐらいだった。


 ぱっと見で疲れているのが見て取れる。


「あぁ……お姉ちゃんか何か用?」


 ベッドから顔だけを挙げ、私の方を向いたいなほの目にはクマが出来ていた。あぁ、それを隠すための化粧品か。


「世間では、心に秘めてそれを表にださないのは美徳だと言われている。けれど、それは物語の中だからだ。神様の視点の視聴者が、読者がいるから報われる。現実は冷酷だよ。そんな優しい神様なんていない」


「何いきなり意味不明な事言いだしてるのよ。キモイわよ。寝かせてよ。大人しくさせてよ。それと頼んでたギョーザ買ってきたわよね?あとで食べるから冷蔵庫入れておいて」


 モゾモゾと布団の中から顔を出して言いたい事だけ言ってモゾモゾと布団の中へ。


 こんな時でも強がる子にはそろそろ休息を与えるべきだ。


「だから、現実なら表に出すべきなんだよいなほ。それでも何も言わないというのならね、この私が私のために告げるとしよう」


 布団の中に隠れる少女を、自分の殻に隠れて何もかもを隠す少女を、今解き放とう。私のために、自分のために。他人のようにこの妹を扱おう。


「茅原いなほ、さっさと布団から出てこい」


「っ!?」


 瞬間跳ね上がる。いなほが跳ね上がり、私に掴みかかってくる。小さな背で、それでも目いっぱい体を伸ばし、私の首を絞めようと腕を伸ばしてくる。憎しみに満ちた目で、憎悪に満ちた目で、私を睨む。睨み続ける。声は出ない。声を出そうと必死に口を動かしているが、けれど想いが強烈過ぎて、呼吸さえままならないそんな状況で、彼女は……それでも、それでも唇を噛み締め無理やりに口腔を開く。


「その名前で呼ぶんじゃない。その名前で呼ばないでっ。私は鞍月いなほなのよっ。茅原なんかじゃ、ない。茅原なんかじゃないのよ。だからっそのくちばしみたいな口を閉じろっ」


「妹想いの良いお姉さんじゃないか、いなほ。お姉ちゃん吃驚だよ」


「そんなわけないじゃないのっ。私に妹なんかいるわけがない。いるわけがないのよ。何をいってるのよお姉ちゃん。もうふざけないでよ。記憶飛ばして頭までいかれちゃったの?ねぇ、そんな事、そんなわけないじゃない。私に妹なんか、いるわけないじゃない。ねぇ」


 口腔から流れる赤い血がいなほを彩る。綺麗な表情だった。無関心無感動を売りにしているようないなほの憎しみに満ちた乱れた表情が溜まらなく素敵だった。露出した感情が酷く私の心に響いてくる。今この時であっても、ここまで追い詰めてもそれでもまだ、この子は隠すのだ。


「茅原いなほとして産まれて山科となり、そして鞍月に至ったお前はもう私の妹なんだよ。もう何も抱える必要なんてないのさ。御終いさ。これ以上はきっとない。そうさ。お姉ちゃんはお節介だからな。だから無理やり捻り出してあげる……茅原みずきには伝えたよ。お前の事」


「っ!!……ふざけろ!このっこのっ。なんで、なんでそんな事するんだよ!ねぇ!」


 茅原みずき、茅原いなほの父親は同じ。母親が違う。同じ年に産まれたという事は、どちらか一方が最初から捨てられる運命だった。何故それがいなほだったのかは分からない。けれど、確かにいなほはみずきのために辛い思いをしてきたのだろう。妹のために。妹のために。


「私にとってはお前の事は他人事だからな。何の感情もなくできるんだよそういう事。自分の都合のためにね」


 ただ、淡々と。


「っ…………ははっ。前のお姉ちゃんだったら絶対触れて来なかったのにね……しくじったなぁ。どこで知ったのその情報?」


「最初はみずきちゃんに優しくしたお前がおかしいと思った。苦手なのにそれでも振り払ってないのもそうだわな。後は……学校の歴史に詳しい奴がいてね。後は義母に鎌かけ」


「お母さんにそういう事いうのもう止めてね……お願いだから」


 そっか、とため息を吐き。私から手を放す。そのまま崩れ落ち、フローリングの床にべたり、と座り、いなほがもういいや、疲れたんだ、と口を開く。


「最初はさ、単に御母さんが青春を過ごした場所に来たかったから旭丘にしたんだよ。だから、あの子がいるとは思っていなかったんだよね。茅原の娘だからもっと良い所行ってるんだと思ってた。あの子、可愛い子だよね」


 くすり、と笑みを零す。


「私が物心が付いてついて暫くだった。母さんが捨てられたのは」


 それまでは妻として母は茅原家にいた。が、しかし海外から子連れのみずきの母が来て暫く一緒に気まずいまま暮らしてその後に離婚。酷い話もあったものだ。


「父を恨んだことはない。父は流されるだけの存在だったから。あれはもはや茅原のシステムでしかないんだ。哀れだよ。人ではない。人として扱われていない。ただの生殖器でしかないんだよあの父親は。精子提供者というのが妥当なんだろうね。それでも、父が母さんを愛していたのは間違いない。それが人として出来た最後なのかもしれないね。嘘。そんな風に思えるわけないじゃない。あの人は徹頭徹尾機械なのよ。惚れた母さんが悪いのよ。尊敬してるけどね。大好きだけどね。でも、あの父を選んでしまったのは間違いだったんだと思う。凋落した家のお嬢様だったみたいだからなおさらかもね。でも、それからの母さんは凄かったんだ。茅原からの資金提供はあったのかもしれない。けれど、一人で私を育ててくれたのは事実なの……ううん、そんな話どうでも良いわよね」


 軽く笑い。続ける。


「単に私が認められないだけ。


 あの子は私の妹。間違いなく、私の腹違いの妹。可愛い妹なの。でもね、私とあの子が仲良くすると母さんが惨めだわ。親は親、子は子というけれど、それでも……もういや、もういや。何も考えたくない。もう何も感じたくない。


 あの子はたった一人の妹。大事にしたいけれど母さんも私も捨てられたの。愛してくれなかったの。そんな私達と愛されて育ったあの子が一緒にいられるわけがないじゃない。でも、あの子は私の妹なの。大事な大事な妹なの。でも、私の全部を奪ったのよあの子は。そんなあん子をどうして愛せるというの?母さんの幸せを奪ったあの子を私は許せないのよ。あの子が原因なんかじゃない。あの子は何も悪くない。悪くないのよ。けれど、私と同じ年齢なのよあの子。私を、母さんを最初から裏切っていたと言う事なのよ。何なの。私達が何をしたというの。ふざけないでよ。


 けれど、私は妹が大好きなんです。妹なんですから。妹なんですから、愛してあげないといけないんです。あの可愛いみずきが泣かないように。一緒に暮らした数カ月の間は姉妹だったんです。子供だったんです。お姉ちゃんだよっ仲良くしようねって……そう言ってあげた事もあるんですよ。馬鹿ですよね。間抜けですよね。


 でも、それでも私は妹が大事なんです。あの子には知られてはいけないんです。あの子は愛されて育ったんです。それで良いのです。過去にそんな事があったなんて知る必要がなかった。知る必要なんてないのよ。だから、だから……」


 まるで壊れた時計のように、狂った時計のように喋り方を忘れ、口調を忘れただの子供のように叫んでいる。泣いている。今までどれだけ虐められても泣かなかった彼女が泣いている。母を思って、妹を思って。自分のためには決して泣かなかった強い妹が泣いている。固ければ硬いほど壊れる時は一瞬。覆水は盆には返らない。返らないならば誰かが掬ってやらなければならない。


 彼女が泣くことは他人事だ。他人事だけれど……この泡沫のような世界で出来た唯一の妹なのだ。救ってあげる理由はそれだけで十分だ。それにこの私はこの妹の姉であり、


「もう気を張る必要なんてないんだよいなほ。お姉ちゃん(お兄ちゃん)が守ってやるからな。甘えればいいんだよ。お前は私の妹なんだからな」


 兄でもあるのだから。


 二人分、助けてやらないとな。


 いなほの頭を撫でる。


「あほ……あほ……お姉ちゃんのあほっ……あんたがあんたが前みたいだったら良かったんだ。あれだったら何も、何もなかったんだ。けど、どうして今のお姉ちゃんはそんなに強いの?ねぇ?どうして。私は弱くなった。弱くなった。お前が、お姉ちゃんがいるから。うっ……あぁぁぁ」


「こんな時まで悪態付けるのはさすがだよ。いなほ。でも、もう無理をする必要はないのさ。痛い時は私に言えば良いのだ。どんな事でも受け止める事はできる。大した返答が出来る程人生経験を積んでいるわけではないけれども、それでも妹の事ぐらいは受け止めてやる事はできるさ。何せ、私はお姉ちゃん(お兄ちゃん)だからな。それと、それでもみずきちゃんはお前が大好きだそうだ。良かったな、お姉ちゃん」


「……そう」


 涙の跡の残ったいなほの表情はそれはそれはとても綺麗なものだった。今まで見た事ないような晴れやかな笑みを浮かべていた。


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