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永遠のライバルがファロス可愛い

3.



『夢の続きです。


 夢の中の退屈な日々は終わりました。そうです。私は夢の中で病院にいたのです。だから、退院です。退院したらどうなるか?といえば私は高校生ですから高校に通うようになりました。


 そこでまた別の子に出会いました。


 その子はとてもとても可愛らしい子でした。 けれど、その子は勘違いされていたのです。この可愛らしい子はとても良い子だという事を皆分からずにいたのです。レッテルというのは怖い物です。とてもとても怖い物です。けれど、それを剥がすのもまた簡単なのです。貼られてすぐなのですからノリはまだ乾いてません。だから、剥がそうと思います。きっとその子も周りの子達も分かり合えると思います。だって、その子はとっても可愛らしい子なのですから。だから、私はレッテルを剥がす為にレッテルを張ろうと思います。私のような人相手でも優しく手を掴んでくれました。その優しさを胸にがんばろうと思います。


 その子以外に他にも何人かの子に会いました。


 皆、綺麗で素敵な子達でした。またいつか一人一人について書きたいと思います。


 幸先は不安でしたけど、今は幸せです』




「鞍月蓮花です。遅くなりましたが、よろしくお願い申し上げます」


 この世界での第一声とは異なり、高校での第一声はまじめだった。


 うん、最初が肝心である。これ見よがしに腰を低く、笑みを浮かべて告げたそれは思いの外、好印象だったらしい。とは後に聞いた話である。


 桜の花びらも散り、ようやく新入生同士仲良くなってきた所に、私というワンアクセント。五月半ばというアンニュイな季節に転校生のような存在は中々清々しい風をこのクラスに提供したようで、じろじろと私を眺める視線の数々。


 好意的なものものあれば挑戦的なもの、興味のなさそうな視線、諸々だった。その彼女達に向けて一通り視線を送っていれば担任からあそこの席な?とほぼ教室のど真ん中という席を示される。


 なにその罰ゲーム。


 三百六十度どこからでも見やすいようにという担任の優しさだろうか?おせっかいな事この上ない優しさだった。


「何かに似ていると思ったら、皇帝ペンギンに似てるんだね!」


「自分でもそう思う」


 仕方なく教室のど真ん中の座席に座り、さて、今日の授業はなんじゃらほい?と事前に頂いていた資料に目を向けていれば、目の前に座っていた元気そうな、事実元気な子が振り返って私に告げた第一声がそれだった。ついで、視線をあっちにやったりこっちにやったり私という存在を観察しながら納得した顔で第二声。


「そっかー、思うよねー。思っちゃうよねぇ。その顔だと。うんうん。あ、そうそう私、暁湊。漢字二文字の切ない名前の奴だと覚えてくれればうれしいな!」


 あぁ、この子はアホな子か。


 サイドテールの元気なアホの子。こういうあほな子が『何々ちゃん大好きー!』と駆け寄って背中からむぎゅーっと抱きつくシーンは嫌いじゃない。


 そして、きっとクラスメートたちの印象もその通りなのだろう。またあいつが、みたいな呆れたような笑みを浮かべているのが多数。うち数人は爆笑していた。


「背おっきいねぇ。足ながいねー。羨ましい!あ、でもおっぱいは私の勝ちかなっ!」


 制服の上からもにゅもにゅと手のひらで歪むおっぱいの形の素晴らしさよ。というか初日からなんというサプライズ。でもそういう露骨なのは魔法使い見習いだった身としてはちょっと過激である。というか、やっぱりこの子はアホの子なのだと認識した。


「よろしくねー。分からない事があったら私か……。うん、私が面倒みるよ!蓮花ちゃんの面倒は私が見るから分からない事あったらすぐ聞いてね!」


「ありがとう。後でお手洗いの場所だけ教えて」


 いや、別にそういう趣味があるわけじゃないのだよ?ないのだよ。けれど、当たり障りのない分からない事といえばそれくらいしか思いつかなかっただけなのだ。などと挙動不審になっている私をよそに彼女の表情がぱぁっと明るくなり、嬉しそうに口を開く。


「じゃあ、一緒に行こう!案内するよ!あと、保健室と屋上も案内してあげる!」


 そんな会話をしている私達を見る視線が後を絶たない。


 まぁ転校生みたいなものに加えて病気で入院していたと聞かされているのだから触り辛いのは事実だろうけれども……遠巻きに見すぎているようにさえ思える。


 最初に感じた呆れた笑みと爆笑というのはそういう事なのだろうか?と考えていればガラリと教室の扉が開き教師が入ってきた瞬間、彼女は前を向き同時に教室全体も静まり返る。


 まさに皆一斉に静まり返るその様は訓練された兵隊のようにも思えて、そういえば私も昔はそうだったのかな?と懐かくなる。


 その皆の様子に気を良くしたのかは分からないが教卓の前に立った教師は皮肉気な表情だった。籠の中の鳥を見て、元気にしてるなこいつらという印象だろうか。その嫌味な態度はあまり気にならなかったが、その態度のわりにおろし立てのスーツが妙に私の笑いを誘い、つい、くすりと声に出して笑ってしまう。


 瞬間、睨まれ、見たことのない顔だなお前という不思議そうな顔をされ暫くして思い立ったのか私の方を向いて口を開く。


「お前が鞍月か。担任の先生から話は聞いてる。まぁ、精々がんばって皆との差を埋めるんだ。高校の数学は中学みたいな優しいもんじゃないからな。特にうちの学校のカリキュラムは生半可じゃないぞ」


 その台詞に、意図せず更に笑いがこみ上げてくる。


 別に馬鹿にするわけじゃないのだがどうにも私の笑いのツボを突く台詞だった。


 中学にしろ高校にしろ受験用に答え用意されている問題を優しくないと称すのが今の私には笑える台詞だっただけだ。この世界は答えのない事ばかり。答えが存在する事が決まった問題に対して優しくないなんて私には言えない。


 もちろん、この彼、歳の若い以前の私と大差のない新任だと思しき先生が態と言っている可能性もある。あるが、県内でも有名な進学校だから多少なりと楽しめるかなとは思っていたがこの分だと単なる受験数学にしかなりそうにない。とりあえず今年一年は残念なことになりそうだ。


 まぁ、私の趣向で授業内容が変わるわけもないので大人しくしていようと思う。


 息を吐き、気分を落ち着け、周囲を見渡す。


 当然受験勉強のために、という事もあるが幾人かの態度が妙に良い子ちゃんなのが気に掛かる。講義をした事のある人なら分かると思うが、興味のない人や別の事をしている人などの行動というのは教卓から見ると良く分かる。そういう視点から物事を見るのになれると生徒側に座っていても何となく人の動きが分かるというものだ。


 体の中心線を先生の方に向け、少し肩肘が張った感じ、やたらと前髪が気になるのか視線を前髪に送り指先で前髪をチェックなどなど。


 まぁ、つまり、新任で年上の男でインテリでそれでいて見た目も結構良いそんな先生の授業を受けるのは楽しいだろう。いろんな意味で。


 私には関係ない話だな、と可愛らしさの欠片もない大学ノートを一応開いて時を待つ。


「では、はじめる」




 案の定、授業を聞いていたらいつのまにかウツラウツラと眠ってしまい、大学ノートがびりびりになった辺りで、叩き起こされた。


 で、黒板に書いてある問題がどうのとか言われて寝ている所を起こされたイラツキもあって慣れた手付きで板書しつつ、言われてもいないのに解説を始めた段階で、皆が呆然と私を見ている所で漸く気付いた。あ、ここ研究室じゃないじゃん、と。


 やっぱり私には隠し事は向かないのだ。物語の主人公のように自分の存在をひた隠しにしながら入れ替わり人生を送るなんて土台無理だったんだ。あぁ、困ったものである。


 ともあれ、おかげさまで私の教室での立位置は決まったも同然だった。何あいつ突然現れて生意気じゃね?だろう。うん。特にあの先生が素敵!とか思ってるであろう幾人かには刺されるかもしれない。


 あぁ、大人しく教室の片隅で本を読む生活をしながら女の子達のキャッキャウフフだけを見つめながら生きて行こうと思っていたのに初日でパーだよ!もっとも教室のど真ん中という時点であれだけど。


 ともあれ、授業の終わりと同時に再び暁湊ちゃんが私に振り返りきょろきょろ私の顔を眺めた後、口を開く。


「何言ってたかわかんないけど、すごいねー。蓮花ちゃんはすごいねー。先生もびっくりしてたね!背も高くて足も長くて、おっぱいは控えめだけど頭も良くて皇帝ペンギンみたいなきりっとしたおめめの蓮花ちゃんと出会えて私はうれしいよ!」


「それはどうもありがとう」


 ペンギンみたいというのは割と余計だと思うけれども彼女にとっては良いステータスなのだろう。ともあれ、暁湊ちゃんの私の扱いは変わらないようである。


「あ、蓮花ちゃん。おトイレの場所知りたがってたよね!一緒に行こう!」


 嬉しそうに立ち上がって私の手を掴む彼女の手は暖かかった。その暖かさにほっこりしていたらば急に彼女が手を離す。


「あ、ごめんね。その迷惑だったりした?ごめんね、ごめんね。私、お馬鹿さんだからっ」


「いや、むしろその小さなお手々が暖かくて堪能してただけだし何の迷惑もないよ。じゃあ案内してちょうだいな」


 立ち上がり、今度は私から彼女の手を掴み連れ立って教室を出て行く。その際、こちらを見ていたクラスメートの冷たい視線が、私ではなく湊ちゃんの方だったのに気付き、そういう事?と私に納得させたのであった。


 入学して一カ月ちょいで早くも仲間外れか。


 全く、酷い人達もいたものだ。こんなに可愛らしいアホの子に何故優しくしてあげられないのだ。テンション高すぎで鬱陶しい?いいや、何を仰るこれが良いのじゃないか。まぁ、もっともクラスメイトの視線の理由に鬱屈とした想いや葛藤があったりするとこれはまた別だけれども。


「気を遣ってくれてありがとうね。さっきは言ってなかったね。湊ちゃんでいいかな?今後ともよろしく。仲良くしましょう」


「あ、ありがとう!蓮花ちゃん。ありがとうね!」


「何を感謝されてるのか分からないけど受け取っておきますよ、と。さぁ休み時間がなくなっちゃうからお手洗いの案内お願い湊ちゃん」


「うん、蓮花ちゃん!」


 てとてと、私の手を取って前を行く。小さな体で飛び跳ねる様に歩くたびにふわふわと跳ねる彼女のサイドテールが大変素敵である。別に背が低いわけでもないけれど歩くその姿は子供のように思えてなんとも微笑ましい。


 そんな彼女の姿に自然と笑みが浮かんでくる。


 手を引かれ笑みを浮かべるこの私。


 歩くたびにカツンカツンと鳴る白い廊下。短いながら休憩時間という事もあって人影は多い。当たり前のように、もちろんこの私もそうだが、制服姿で人によってはいくらかスカートが短かった。ちなみに私はといえばいなほの所為でそこそこ短くなっている。


 スカートといえば最初に履いた時の股間を通過する風というか頼りなさがたまらなく嫌だった。暫くすれば慣れたもののそれでもジーンズばかりを履く生活をしていた所へのこの頼りなさはなんとも言えなくなる。


 ともあれ、そんなこんなの結果スカートは短く!といなほに説教され短く履いてみたものの座り方が分からず中身が見えそうになる事多々あり。そのたびにいなほに指摘されていた。もっとも、そのおかげで体が覚えてくれたのは良い事だ。怒られるのが嫌だから体が覚えてしまったというのはいかにも調教的だが。いなほはきっとサディストだと思う。


 閑話休題。


 そんな風に制服と一重に言っても皆やはり個性を出したいのか、あぁいいや、きっと限定された状態だからこそだろう、個性を出すためにスカートの丈を短くしたりソックスを思い思いの物にしてみたり上着の袖、スカーフの結び方、髪形、飾りなどなどそれこそ十人十色だった。


 当然それは目の前の湊ちゃんもである。


 髪をサイドテールにして元気さを表しながらもその結び目には女の子らしくピンク色のゴム。上着の袖の中にはブレスレットというにはほど遠いが昔はやったミサンガみたいなものが巻かれていた。


 そういう女の子の姿を見ていると百合百合言っているだけじゃ分からない所が一杯だと思う。百合が好きだからといって女の子自身をすべて知る必要はないけれど、それでもこうやって今私は女の子になったという機会が与えられたのだからそういう方面の勉強をしてみるのも良いかもしれない。


 そんな風に周囲の子や湊ちゃんの身に付けている物や服装をチェックしていれば漸く御手洗い。


 その御手洗いからちょうどすれ違いでいなほが出てきた。


 髪をちょいちょいといじりながらどこを見るでもなくふらふらといなほが出てきたおかげでぶつかりそうになる。


「おっと……ごめんなさい……あら?」


 小さい体がふらふら揺れてると倒れそうでお姉ちゃんは心配です。


 さておき。クラスは違えど同学年で同じ階層にいれば御手洗いで遭遇する事もあろうけど初日で最初の休憩時間とは血は繋がってなかれどなんとやら。というものだろうか。


「お姉ちゃん。さっそく可愛らしい子引っかけてるの?本当にしょうがない人だね。気を付けてね。この人見境ないからさ。貴方みたいな小さい子は食べられちゃうわよ」


 お前の方が小さいけどな、とは言わぬが花である。


「た、食べる!?そ、そんな。あ!や、やっぱり蓮花ちゃんはこ、これ狙ってるんだ。狙ってたんだね!だめだよ!私の最後の砦なんだよ。これがなくなったら私は私じゃなくなっちゃうんだからー」


 おっぱい掴みながら言うんじゃない、というのも言わぬが花である。


 そんな反応をする湊ちゃんに冷たい視線を向ける知的生命体がいた。どう見てもいなほだった。


「お姉ちゃん、何、この面白い生物」


「私の前の席の子でね」


「あぁ、それはそれはなんて不幸な子なのでしょう。常に後ろから貴方のそれは狙われているのよ!それを自覚しながら生きて行きなさい。辛くても泣いては駄目よ……いつか、いつか報われる日が来ることを信じてがんばりなさい」


「うん。がんばるよ!私頑張っちゃうよ!フロントホックにしておけば大丈夫だよね!取られたりしないよね!?」


 共謀して苛められている気がする。


 でも、それが楽しいので良い。寧ろ、私をネタにして二人で掛けあってくれているこのシーンは良い。女の子同士の戯れ合いみたいな感じでたまりません。いなほありがとう、湊ちゃんありがとう。


 ここに私という存在がいなければさらにパーフェクトではあるのだが、それでも勝手に顔の筋肉が緩むのがわかる。


 そして、そんな表情をしていれば案の定「何キモイ顔してるの。止めてよね」と言われる始末。いなほ酷い。でも、好物です。


「鞍月いなほ、この人の妹ね。そこそこほどほどによろしく」


「あ!いなほちゃんだね!よろしくね!ほっちゃんて呼んでいい?あ、ごめん。ごめんなさい。あの、私は暁湊!漢字二文字の切ない子って覚えてね!」


「何をいうのよ素敵な御名前よ。切ないというのはこの姉のような名前の事よ。分かる?分からないなら貴方はまだまだね」


「え、いなほ酷い」


 何その厨二病に罹患した患者が付けそうな名前だと言いたそうな台詞。今すぐ全国の蓮花さんに謝れ。というか寧ろ名前だけいえば貴方の方が、と思った瞬間睨まれた。その冷たい視線は怖いよいなほ。でも、好物です。


「それと、私の事は好きに呼んでくれて良いわ。ほっちゃんでもいっちゃんでもなっちゃんでも、くらちゃんでもつきちゃんでもなんでも」


 協議の末というのも変な話だが当初予定通りほっちゃんで落ち着いたらしい。休憩時間も半ばを過ぎいい加減トイレに入りたいとしてはさっさと決まってくれて嬉しい限りである。そうしていなほがまた、と手をあげ自分の教室の方へと向かおうとした瞬間である。


 視界に違和感を覚えた。


 それは誰かの視線。見られている事への違和感。じっと見つめていたそれをいなほが振り向くと同時に反らしたからこそ覚えた違和感だった。それがどこからだったのかは既に分からない。だが、確かに誰かがこちらを見ていたという事だけは事実だった。


「まったく、退屈しない学校だねぇ……」


 それが気の所為であれば良いが気の所為ではないのだろう。面倒な話だ。学校に初めて来て初日で目を付けられる理由もないし、きっといなほの事を見ていたのだろうが、はてさて面倒な事にならなければ良いのだが。


「退屈しないよー!毎日楽しいよ!でも、私は部活入ってないんだけどね!」


「なんで部活なの。まぁいいけど、そういえば部活かぁ」


 懐かしい響きだった。


 とてもとても懐かしい響きだった。


 フラッシュバックするように一度だけ皆の前、体育館にステージを組んでライブをやった記憶がふつふつとよみがえってくる。今となっては当時そこそこがんばっていたギターもお気に入りのフレーズが聞くに堪えないレベルで弾けるぐらいだろう。


 苦笑する。


 若かったなぁという想いとそれは遠い昔の話である事の再認識のための苦笑。昔と今で同じ人生を歩む必要はない。それこそ未来が分かった人生を歩むようなものだ。


「れんちゃんは何か部活やったりするの!?背高いし、すらっとしてるし陸上とかかな!」


「今の所はどこも考えてないというか、どんな部活があるかすら分かっていないからなんともね」


 と、呼び方については絶賛スルーしながらレスポンスすれば湊ちゃんがきらきらと目を輝かせ始める。わくわくドキドキといった感じだった。その様子を見れば次に何を言おうとしているかは大変良く分かる。が、そろそろいい加減私はトイレに入りたい。


「れんちゃんれんちゃん部活見学一緒に行こう!もう見学シーズンは終わってるけどきっと大丈夫!れんちゃんと一緒なら私も見れると思うし!」


「はいはい。とりあえずトイレねトイレ」


「うん!トイレね!トイレの中も部活も案内するから一緒に行こうね!」




 流石に中まで案内されても困る!と脱兎のごとく逃げた個室内に洋式便器が置いてある事に感動と安心を覚えたのはもう数時間も前の事だった。


 その後の授業もあまり面白くないなぁと感じながらもそういえばそんな事もあったなという思い出すという意味で新しい発見があったのは事実。


 原子の手が、とか。


 正直、あの説明は未だに解せない。手じゃないだろう、手じゃ。不思議なパワーで繋がっていますとかの方がまだ話が分かる。しかも物によって手が複数本生えていますとかもはや狂気の沙汰である。


 それと同時にあぁ、高校って授業の種類多いのね、と愕然とする。めんどくささに発狂しそうになる。けれど、知識は知らないより知っている事の方が得だ。何の役に立つかもわからないし、発想が広がるという点で無知は罪だ。だから、思い出しながら色々考えるとしよう。そう考えれば、数学の授業も楽しめるかもしれない。先生の話を聞いて、違う事を考えても別に良いのだから。


 というわけで授業を聞きながら私は別の事を考えていた。


 男時代にやっていた研究について三割と女の子同士のゆりんゆりんを見るためにはどうすれば良いのかというのが残りの七割。


 ノートに図を書きながら脳内会議。


 私は客体であるのが前提。私自身が舞台に立つわけにはいかない。その点で部活動というのは良い可能性を秘めている。運動部、文化部、どちらもそれなりにゆりんゆりんな光景を楽しめる可能性はあるのだから。だからといって興味のない運動部だとか文化部に入るのも時間と人生の無駄だ。


 ライトノベルの主人公のように、自分のやりたい事をやるための部活動を作るというのも良いとは思うが……結局人集めも勧誘も自分でやる事になるわけでそれは私という歪んだ存在のいる百合になってしまいそうなので却下。


 悩ましい。


 目的ははっきりとしているのだがその目的自体が曖昧なものであるためそれに対する対策を考えるのが難しいのだ。そもそもにして男であった時には二次元も三次元も女の子の世界はファンタジーな世界だったのが、今の私にとっては三次元の女の子世界はリアルワールドなわけである。その世界の違いをも考慮する必要があるのだから早々簡単ではないのは確かだ。女子高だからといって何の努力もなしにゆりんゆりんとした光景を簡単に見れると思ったら大間違いなのだ。


 確かに女同士であるから触れ合いは多そうである。まだ入学したてという事もあってそれほど触れ合いというのは見られない。けれど、湊ちゃんに代表される……して良いのだろうかあの子を……ように、女の子は手を繋ぎ合う事にあまり憂いを覚えない存在である。男同士だときめぇと一言で終わるが、女の子同士ならあの子達仲良いね!となる可能性が高い。けれど、そこには恥じらいもなければ憂いもない。


 次第、思考と同じく頭の中がぐちゃぐちゃとカオスになっていく。整理整頓された部屋が次第にエントロピーを拡大していくようにぐちゃぐちゃになっていく。


 その脳みそのぐちゃぐちゃを取り除くようにノートに大きくバツ印を書いて、思考を仕切り直し、次のページに新たな項目を書く。


 自分がしたいことは百合を見る事。


 今できる事はといえば自分に慣れる事、この世界について調べる事、この高校自体について知る事、知り合いを増やす事。


 部活動など後でも良い。寧ろまだ女の生活にすら慣れていない状況下でスポーツにしろ文芸にしろを取り組む事で失敗してしまっては目も当てられない。


 だから、最初は調べる事から始めよう。


 元々研究者だ。調べる事は得意だし好きだ。


 この世界と前の世界との明確な違いが分かればまたそこから発見があるかもしれない。それはこの人生を楽しくする事かもしれない事だ。


 したり顔でわかったふりをして夢がないと斜に構える人生はつまらない。


 ノートに丸印を書き決定と記述する。


 では、どうやって調べるのかと言えばスマートフォンとやらがあるというのがまず一点。細かなこの学校の歴史などについては先生方に伺えば良いだろう。誰も自分の学校について知ろうとする生徒を邪見にはしないだろうし。


 というわけで、本日最後の授業中にスマートフォンを取り出そうとしてふいに気付いて手を止める。先生が気の毒という理由ではない。純粋に家に置いてきただけだ。


 となると、調べようと思ったら図書館ぐらいしかない。そうなると授業が終わるまではお預け。


 ノートから顔を挙げ、教室を見回せば女の子、女の子、女の子。


 そういえば、結局、湊ちゃんとしか話をしていない。他の人らは結局、遠巻きに私を見ていただけだった。私も私で誰に声を掛けるわけでもなく、湊ちゃんと話をしていたから尚更だろう。


 そして、遠巻きに聞こえる声を聞いていればこんな早々になんというかクラスのグループリーダーみたいなのが誰か分かった。まったく、女の子はグループを作りたがるとはいえ早すぎるだろう。そんなに自分の立場をさっさと確保したかったのかね、と嘆息しながらその子の方を見る。


 一見して幼い感じにさえ思える童顔な子。私の趣味ではないが、いわゆる男にもてそうなタイプという奴だ。受験が終わり高校になった解放感で恋したいという子もいるだろう。それの斡旋で自分の地位を瞬く間に築いたっぽい。なるほど、まだ皆が皆を良く分かっていない段階でこれを行う事で良く分かっていない同士が牽制し出すという事だろうか。この流れに乗らないと除け者にされるってなもんである。そんな中でわっほーいと自分の世界にいる湊ちゃんはそれが分からなかったから今こんな状況にあるのだろう。まぁ、それも今暫くだ。皆がどういう人間かがもう少し分かってくれば自然と変わるだろう。きっと。


 だから、それに関して私が何かをする事はない。その童顔な子の湊ちゃんに向ける冷たい視線は面白いが。


 と、そんな事を考えていれば、目の前の湊ちゃんから後ろ手に手紙が届く。あぁ、こんなの昔やったなぁ……感慨深く思いながら手紙を見れば、はてさて面白いもので、達筆だった。


『部活動どこみたい!?私のお勧めは弓道部と茶道部!』しかも意外と趣味が渋かった。何このギャップ萌えキャラ。


 時期外れに入学して来て目の前に座ってた子が村八分状態にされている萌えキャラとか何という幸運。まさにそれなんてエロゲという奴である。男だったらな。


 こういうキャラクターの持ち主と誰かが絡んでいるシーンが見たいのだ。それをやはり、私は傍から見たいと思う。そういう点で、自分で部活動を作るのが最適か?などと思考が再びそちらに巡る。いいや、見るだけならば……『パソコン的な部活を一つ』そう手紙に書いて返す。


 「ほへ」と空気の抜けたような音が聞こえたと思えば、しゃりしゃりと鉛筆……これもまた渋い……で書いている音が続く。『れんちゃんは秋葉系だね!パソコンは図書館にはあるけどそんな感じの部活はないんだよ!あ、でもゲーム部みたいなのはあったかも!』


 秋葉原が、あの二・五次元が変わらないようで何より。


 ともあれ、知りたい事は知れた。パソコンが図書館にあるのであればそれで良い。うん。それでがんばるとしよう。サイト作成をっ!




 思いの外、図書館は広かった。


 座席数でいえば四、五十人が同時に使えるぐらいだろう。今もぽつぽつと利用者が思い思いの席に座って思い思いに本を読んだり勉強をしていた。


 蔵書に関しても大学や市立の図書館に比べると蔵書は流石に少ないがそれでも壁に貼られた館内図を見ればそこそこ程々に学術書もあるようで、ありがたかった。勝手知ったる大学の図書館は流石に遠い。別に片道一時間を掛ければ山の上にあるキャンパスまで自転車でゆったり行くことはできるがどうせ借りられるならば近いに越したことはない。


 案内してくれた湊ちゃんは用事ができたのか、それとも館内は静かにという注意書きが気になるのか、単に図書館という存在自体が嫌いなのか入口まで案内してくれてそのままUターンして帰宅していった。本日最後の手紙である所の『図書館!?あそこは大変な所だよ!』という達筆な文字からも窺えるようにきっと嫌いな上に苦手なのだろう。


 そんな彼女を見送って中に入った私は蔵書の多さにありがたがりながらも今日の用事はそちらではないと生徒に解放されているパソコンを探す。


 きっとスマートフォンとやらで全部同じ事ができるのだろうけれども勝手を知っている方が楽だから最初の一歩だけはパソコンでやってしまおうというのが今回の作戦である。


 今回の作戦とは百合情報を集めるためにもサイト、まぁ手っ取り早くブログを作ってしまおうと思うのだ。元の私のような妄想日記ではなくちゃんとした日記。手で書くのは面倒なのでブログにゆりんゆりんな体験をしたものを延々と書きつづる事で同好の士を探し、お互いの体験で盛り上がりたいのだ。そしてそういう輪ができればまた色々と取れる作戦も増えてくると思うのだ。三人寄れば文殊の知恵というではないか。万人がいれば人類が進化してもおかしくなかろう。うん。もっとも本当はSNSを作りたい所ではあるのだけれども人集めが先決になる以上、今回はブログでそれはその後の予定だ。仲間が増えてからのお楽しみという奴である。直接顔を合わさない事で私という存在がまぎれづらくなり、私の求めるゆりんゆりんに近くなるであろう。うん。そうなってくれると嬉しいなぁ……。


 そんな妄想をしながらパソコンはどこじゃろな?と探していれば視界の中できょろきょろしている不審人物を物珍しく思ったのか図書委員が声を掛けてくる。


「あの………その……な、なに」


 俯き加減だった。


 声を掛けてくるポジティブさとは対照的に喋り声は小さくブツ切れだった。


 正直これならば大人しく何もしなくても結構と言わざるを得ない感じだった。


「……か……探し物がある……のですか?」


 ぽかーんとしていれば喋り終わった。瞬間、さらに俯き加減になる。これで顔が真っ赤だったりすれば私の好物である。


 なお、容姿に関していえば私の第二の人生は花のように短いのではないだろうか、こんな幸運が続くわけがないと言わんばかりだった。……とどのつまり、可愛らしい子でした。好きな人はかなり好きな容姿だと思う。うん。


 顎に手をあて、ふむ……と一息吐き。


 これはどう返したものかと悩み、悩んだ末に出てきた言葉が、


「君のようなおしとやかで可愛らしいお嬢さんがいないものかと……」


 気持ち悪い台詞だった。


 いなほがいれば睨みながら腹を殴ってきそうなレベルの気持ち悪い発言だった。


「あ……え……その……な、なに……」


 わたわたと手を振るおなごの可愛さよ。


「を……言ってるんです……か」


 彼女が慌てれば慌てる程私としては嗜虐的な思考にかられるものの……はぁ、とため息を吐く。


 これが自分でなければなぁ。


 気取った台詞を口にする女の子と、そしてその台詞に照れる少女。


 あぁ、その片方が私でなければなぁ。


「ごめんなさい冗談です。ここを初めて使うので勝手が分からず、申し訳御座いませんが、パソコンのある場所を教えて頂けませんか?」


「え……あ……はい」


 正面より少し入った所、私からは死角になっていた位置にあっただけだった。


 台数は四台。その内一台が黒ロングの女の子によって使用済み。それ以外はがらんとしていた。一応すべて液晶ディスプレイな辺りブログを作成するだけならスペックに問題はないだろう。三次元可視化プログラミングでもするなら話は別だが、そんな事する必要も今は無い。この場で研究するわけでもないのだから。


「あぁ、あれか。ありがとうございます。使用するのに何か必要なものってあります?IDとか」


「あの……利用申請書に……名前を」


 古風だった。


 中途半端に前時代的だなぁ。紙とインクの無駄遣いではないのかどうなのか。はてさて。今度生徒会長にあったら伝えてみよう。無駄は削減すべきです、とか。それでもって浮いたお金で新設の部活を作って!などと妄想していれば、図書委員が利用申請書を持って来てくれた。


 渡された利用申請書に名前を書き、それを手渡す。


「はい。あとは好きにして良いんですよね?」


「え……はい。その、注意事項はそちらに」


 ラミネート仕様の利用手引発見。


「ありがとうございます」


 告げると同時に一礼。


 そして、彼女が立ち去るのを待ってからパソコンの前に座る。使われているパソコンと二つ……まぁ、つまり両端になるように座る。もっとも、そのパソコンを使っている少女は私と図書委員が来た事にも気付いていなかったが。


 さて。


 ともあれ、である。


 ブログ作成といこうかしら。




 案の定というと悪い事のようであるので、やっぱりと言いかえておこう。


 クラスのというか主に暁湊に関しては、私と延々馬鹿馬鹿しい話をしていた所為か、しばらくすれば暁湊は悪い子でも空気が読めない子でもなく、単なるパーフェクトにアホの子なのだという認識が皆に浸透していき話し掛ける子達が増えていった。おかげで最近は寧ろ私がひとりぼっちになっていた。


 私は彼女達が仲良くしているのを見ていれば良いのだから。うん、全然悲しくないもんねというのは別に強がりでも何でもなく事実である。


 彼女達との趣味嗜好と思考形態があまりにも違い過ぎていて話が合わない。今の所話の合う人間といえばいなほぐらいである。あれも相当に精神年齢が高く論理的な人間だからだろう。


 御蔭様で今の私はお勉強ができる人だからそういう感じの時に話掛けるのが良いと思われている節のある人間に相成りましたとさ。たまに授業で分からない事があったから聞かれる感じ。


 御蔭様で先生方の評価は鰻昇りである。


 そういえば、数学のあのハンサムぽい先生にもなぜか気に入られてしまった。あの人は本当の数学大好きっ子だったらしく、『オイラーとラグランジュのどっちが好みか?』『やっぱテイラーは偉大ですよ』『リーマンの凄さは異常』とか数学談義をしていたら楽しくて楽しくてついつい仲良くなってしまった。おかげで彼が、院に行こうとしていたが家庭環境の問題もあり進学できなかったことも知った。


 相手の事も知らないのに勝手に色々想像するのは駄目だなと反省する。それもあり仲良くなった後に『授業ぶちこわしてごめんね』と初日の行動や態度を謝ってみたら、あれの御蔭で私の事を気に入ったそうだった。『正直にいってその年齢でそこまでの事を理解できている子がいるとは思わなかった。斜に構えていたのはむしろ俺の方だよ。どうせ受験数学しか興味ないんだとばっかり思っていたけど、お前みたいなのがいるならもっとがんばってみるさ』と良い笑顔で笑っていた。その後、まるでタイムリープする小説の登場人物みたいだなお前とまで言われる始末。おおぅ、先生ニアピン。ともあれ、御蔭で一部の子には睨まれている始末である。なお、実は恋人もいるそうで結婚間近だそうだ。


 大人だなぁと思った。


 私はまだまだどうやら大人になれない子供なのだろう。ちょっと知識があるからといって調子に乗りすぎだ。所詮、私の知識なんて甲子園の砂粒の中の一つにも満たないのだと改めて自覚した次第である。


 そんな私のティル・ナ・ノーグ。


「今日も今日とて日記を書き書き」


 最初は、ブログ名を適当なゆるい感じの名前にするつもりだったけど、結局、自戒の意味も込めて『大人になれない私のティル・ナ・ノーグ』に変更。絶妙な痛々しさがたまらないネーミングだ。


 これじゃあ、元の私が四月一日が来ないと延々と書きつづっていたのと同じだなとも思う。そういう意味で私と彼女は似ていたのかもしれない。今となっては分からない事だが。


 嘆息する。


 このあたりが大人になり切れない所なのだろうな。


「あぁ、やっぱまだいたか。良かった。ほら、そこのスマホいじってるお姉ちゃん。ペンギンが苦虫噛み潰したみたいな顔してないでさっさと帰ろうよ。お母さんもお父さんも旅行でいないんだしなんか食べて帰ろ」


「デフォ顔でも苦虫なん?」


 いなほの辛辣な言葉集を是非まとめてコンテンツとしてアップしたい所ではあるが、私の胸の内にとどめておいた方が良いだろう。うん。


 ともあれ、別にいなほを待っていたわけではないが、教室でブログ更新のためと日記を書いていれば辺りは既に薄暗くなりにけり、と。


「褒めてるのよ、ペンギンって可愛いじゃない」


「デフォルメされてりゃね。じゃなかったら凶悪極まりない面してると思う」


「その凶悪極まりない面が可愛いんじゃないの。いつもなんか悩んでるお姉ちゃんみたいでさ」


 そんな会話をしながら玄関へと向かう。しかし、いなほ酷い。でも、好物です。


「それで何食べて帰るのよ、いなほ?またあそこのギョーザ?」


 男時代に通っていた大学付近のギョーザ屋さんである。大学は山の上だけれど、ギョーザ屋さんは平地なのでここからだと遠いは遠いがまぁ程々の時間でいける所にある。


「また?またですって?あそこのギョーザは三食全部食べてても『また』とは言い難い所なんだぞ?ふざけんなよこのペンギン面」


 下から思いっきり睨まれた。


 ちょっと前までペンギン可愛いよねとか言ってたのにどういう事なの?と思うもののそれなりに共同生活をしていればいなほの嗜好も行動様式も多少は分かるというものだ。


 とどのつまり、この子はB級グルメが大好きなのだ。私が百合を好きなように彼女はB級グルメと呼ばれるものが大層お好きなのだ。特に地方ローカルなのが好みらしい。


 そんな会話を,靴を履きかえながら校門付近でしていれば見た事がない……というと嘘になる。


 金髪碧眼のお嬢さんが現れた。


 噂に聞くに日本人とヨーロッパのどこかの国とのハーフだそうだ。


 ただ、どちらかといえば北欧系にも関わらず日本人向けにテイストされたかのような美少女顔である。現実とごっちゃにするなと言わざるを得ないが、私が今まで見た女の子の中で最も二次元の美少女に近い子だった。


 それを更に彩るのが染めたようなくすんだ色ではない光り輝くような綺麗なブロンド。この子が入学した御蔭で髪を金色に染めていた子や染めようとした子は一切合財染めるのを止めたという噂がまことしやかに聞こえていた。事実この学校では色を抜いて茶色にする子は結構いるが、金髪は彼女以外見かけない。まぁ、確かにこれだけ綺麗なブロンドを見れば分からなくもない。


 スタイルも日本人離れしたわがままボディである。なんというか彼女専用の制服でも用意してあげないと目の毒だろうと言いたくなるぐらいだった。


 その割に名前は、意外にも純粋に日本名。


確か、茅原みずき。


 その彼女が、いなほに向かって口を開く。


「この私の耳にギョーザなんて庶民的単語が聞こえたものですからついついお声を掛けてしまいましたわ。確かこの間もそうでしたわね。言って下されば、この私がもっと良いものをプレゼントしてあげますのに」


 やたら高慢なわけでもなく、強気なわけでもなく純粋に何故そんなものを食べてらっしゃいますの貴方は?といった天然ブルジョアジの発言だった。


 どうやら相当にお金持ちの家の子らしいという事が今までの会話の中で分かっている。この世界の神様はきっと八百万でただ単に私の担当の神様がいなくなったり死んだだけなんじゃないのだろうかと思わなければならないぐらいだった。きっと位の高い素晴らしい神様が担当されてるんだろうこのお嬢さんは。


 そんな彼女の台詞に疲れたようにため息を吐くいなほ。またかという何処か疲れが滲む表情を見せ、


「…………はぁ。帰ろう?」


 と、華麗なスルーを見せつける。


「あら、いなほさんお待ちになってくださいまし。なんでしたら送迎させて頂いてもよろしくてよ?お食事はまだなのでしょう?そんな庶民的なものよりももっと良いものを食べに参りません?あぁでもお口に合わないかもしれませんねぇ?」


 何度も言うように台詞は厭味ったらしいが喋り口は天然な感じである。御蔭でいなほのイライラ度が急上昇である。


「今すぐ私の目の前から消えてくれない?目触りなの。そこのペンギンと同じような目付きになっちゃうわよ、このままだと」


 こちらを向くいなほの瞳は怒りに溢れていた。大好きなギョーザが貶められているのが許せないのかはたまた別の理由か。でも、とりあえず私に矛先を向けるのは止めて欲しいです。


「あら、それはいけません。では、ご自宅に帰られる前に眼科の方に参りますか?とりあえず、送迎させて頂きますね。こちらへどうぞ。あぁ、そこのペンギンさんは置いてきて下さいましね。動物臭がついては困りますもの」


 一瞬だけ私の方を向いてまたいなほの方に向く。前々から気付いていたけれどこの子は私には全く興味がないようである。


「あんた本当に良い性格してるわね……」


「あら、いなほさんからお褒めの言葉を頂戴できるなんて感無量ですわ」


 この子がいなほに絡み始めたのがいつかは知らないが、正直他人事な私から言わせて頂ければ面白い。


 私はただ二人のやりとりと事の成り行きを傍観者の如く眺めるだけ。


 傍観者の立場から好意的な解釈をすればこのお嬢さん茅原みずき嬢はいなほと一緒に遊びたいだけのように思える。が、当の本人には全く伝わっていない。


 もう少し素直な物言いをすれば変わるかもしれないけれども……難しいだろうねぇと笑みを浮かべれば、それをいなほに見咎められ後で覚えてろよという怨嗟が含まれた視線が届く。


「いい加減その口閉じないとその無駄に実った西瓜をもぎ取るわよ」


 小さな手を茅原みずきに向け、脅すように睨みつけても肝心のみずきはどこ吹く風というとこれは語弊があるだろう。傍から見ているから気付くこともある。


 僅か後ずさり、次の瞬間思いなおしたかのように靴先を前に。


「残念ですが、まだ収穫の時期ではございませんので遠慮させて頂きますわ。あぁ、そういえばいなほさんの収穫時期はまだなのでしょうか?……あ、ごめんなさい。実ってもないのに収穫もありませんでしたわね、失礼致しましたわ。失礼ついでに今日はそろそろ私も失礼させて頂きます。いつでも、送迎させていただきますのでお声を掛けてくださいね、いなほさん」


 先を行く少女の背中が物悲しい。


「さようなら、茅原みずき。もう二度と会わない事を祈るわ」


 その言葉に一瞬体を揺らし何事もなかったかのように装いながらも、しかし私の目には確かに一瞬前より足取りが軽やかに映っている。


 あぁ、良い。


 いなほが嫌っていようと私からするとあの子はとても良い素材だ。


「ほら、行くわよ。ペンギン」


 あぁ、ほんとこの可愛い妹の口から飛び出る言葉は罵詈と雑言と戯言しかないのだろうか。


「私はこれでもれっきとした人間だよ。しっかり人間扱いしておくれ」


「だからちゃんと魚じゃなくて私の大好物である所のギョーザを一緒に食べましょうと誘ってるじゃない」


「あぁ、結局ギョーザなのね」


 女子高生姉妹が二人して学校からの帰りにギョーザとはこれ如何に。いや、それなりに美味しいのは確かなんだけれども何だかなぁというのが私の感想だ。香水よりもニラの香りを醸し出す女子高生とかはんぱないです。


「そういえば日記は良いの?お姉ちゃん」


「もちろん、書くよ。まぁとりあえずバス待ちながらやるよ」


 一応いつもならば自転車通学なのだけれども今日は特別だ……いや、まぁ単に昨日自転車がパンクしたからに過ぎないのだけれども。それに付き合っていなほもバス通学。


「良く飽きないね。そろそろ一カ月くらいだっけ?続いてるのは」


「どうだろ」


 いなほと話しながらバス停へと向かう。といっても校門から少しいけばすぐにバス停があるのが県立高校の強みだ。


 ちなみに、いなほのいう日記とはまじめな日記ではなくゆりんゆりんした日記である。女子高にいるからとはいえ毎日そんな出来事に遭遇するわけもないので目撃したことに関して書く日と妄想を書く日の二つがある。今日はもちろん前者である。


 ようやく操作の慣れてきたスマートフォンを出しテキストエディタを開き文字を入力していく。その様を横からいなほが見つめていた。


 一応横から見てもこの画面は書いている内容が分からないのだが思いの外ドキドキである。いなほに監視されながらいなほの事を書いているのだから。なんて思っていたら、いなほが距離を詰めて来てぼそぼそと小声で告げる。


「ごめんね、迷惑掛けて。あの子だけは駄目なんだ」


「ん……?まぁ彼女に虐められてるとかなら話は別だけれど、そうじゃないならねぇ」


「だろうと思った。うん、お姉ちゃんはそのままでいて。それが一番楽だからさ……ごめんね。感謝してるよ、お姉ちゃん」


 珍しく飛び出すその言葉が弱々しくて、一瞬、本当に守ってあげたいと思ってしまった。


 そんな事を思う権利などあるわけがないのに。


 いなほとみずきの事を他人事だと楽しんでいた私にそんな権利などあるわけがない。神様が許してもこの私が許しはしない。


「ま。好きなもの食べて元気だしなね……ってあぁ!?」


「ふん、こんなことだろうと思ったよ。何が花を眺めるのが好きだよ。なにを書いてるのかなぁお姉ちゃん?」


 私のスマホを奪い取り、それに表示されるものを見ながらいなほが笑みを浮かべていた。


 そして勝手気ままに操作していけばいく程に笑みが濃くなっていく。あぁ、過去ログというかブログ見られている予感っ。


 あぁ、これが女というものか。


 産まれながらにしての舞台役者。


 一瞬前までの寂しそうな笑みも悲しそうな表情も何もかもが演技だと言うのかっ!


 沈む夕日に照らされるいなほの表情は稀に見る良い笑顔だった。


 楽しそうなとてもとても楽しい物を見つけたとそう言わんばかりの笑みだった。


「大丈夫だよ。お姉ちゃんがどんな趣味を持っててどんな性癖を持っていても私は気にしないから安心して。でも、私もお姉ちゃんの事が知りたいんだよ。だからさ何書こうとしたのか私に詳しく教えてくれないかなぁ?」


「な、何をといえば日記に決まってるじゃないかいなほ。うん。ただの日記だよ。日々あったことを書いてるだけだよ。たまたま。たまたまだからね。ほら、今日は特に何もなかったからさ、いなほの事を書こうかなと思っただけだよ。だから決してそういうつもりだったわけじゃないんだよ」


「饒舌だねぇ。そんなに舌が回るなら少し短くしても大丈夫だよねぇ?あぁ。その前にその長い舌で読み上げてくれないかなぁ?何を書こうとしていたのか。ちゃんと私にも教えてちょうだいよ、蓮花お姉ちゃん」


 目が真剣極まりないけど笑っているというのは怖い。うん。恐ろしい。恐ろしいので書いてあることを大声で言ってみる。恐怖に負けて、なのだから私の責任じゃない。きっと。


「『わーい今日も今日とていなほちゃんとみずきちゃんがラブラブなんだよーっ!』」


「ふざけろこのペンギン顔っ!誰があの子とラブラブだっての?人生やり直したら?あぁ、ごめんね。記憶すっ飛ばして二度目の人生だものね。きっと死んでも治らないんだろうね。うん。ごめんね。無理言っちゃった。だから、今矯正しないとどうしようもないよね。猿ぐつわでもつけたら大人しくなってくれるのかなぁ?オットセイの目の前にでも連れて行けばいいのかなぁ?」


「でも、でもだよ。可愛い子達がキャッキャウフフしてるならそれを記憶して記録するのが私の役目だろう!?そんな可愛い子達がいる事を全世界に知らしめなくて何故この私は生きていられるというのかっ」


「何哲学者ぶって格好つけてるのよ。そんな格好良いもんじゃないでしょあんた」


「何を仰るいなほさん。人は皆哲学者だよ。考える葦だよ!学問の徒とは哲学者だよ。知っているかい?海外では博士号をドクターオブフィロソフィーというのだよ。学問の徒とは総じて哲学者なのだよ。だからこそこの私も哲学者だと言って差し支えないのさっ!」


「あぁいえばこういう。誰だこの姉に知識を与えた奴はっ」


「この世界に決まっているじゃないかいなほ君。そして知識は与えられるものではなく求めるものだよ。知識とは深淵だよ、いなほ。自ら潜っていかねば端にすらたどり着けないものなのだよ。けれど、求めれば求めるほど深く深くなっていくのさ。さながら底なしの泥沼だ。けれど我々はそれを求めずにはいられないっ」


 総じて私の謝罪になるはずだったにも関わらずいつのまにか私の独壇場になっていた。どうしてこうなったとばかりに頭いてぇと頭に手を当てているいなほは地味に可愛い。


「本当に記憶喪失なのお姉ちゃん。絶対前より知識増えてるよね!?なんのファンタジーなのよ。違う人間だって言われた方がまだ理解できるわよ。厨二なの?ニートなの?魔法使いにでもなったの?」


「ま、ま、魔法使いちゃうわっ!」


「何でそこでドモるのよ……まぁでもこれは、というか私に関する事は削除ね。ブログに乗ってるのも全部。駄目よ私の事を載せたら……全くもうこれだから」


「りょーかい。圧力に屈しないのがジャーナリストだけれども、ジャーナリストではないので屈する事に致します」


「はいはい……っと。あれ?お姉ちゃん。これって」


 私のスマホを勝手気ままに操作して、おや?と顔を傾ける。


「荒らされてるように見えるんだけど、気の所為?あぁ、何?もしかして炎上マーケティングって奴?知名度増やすためだからって個人ブログでって、マゾ過ぎるよお姉ちゃん」


 ゆりんゆりんした日記よりもそっちの方がいなほにとっては気持ち悪い事らしく、非常にどん引きした表情でまるで汚物でも触るかのようにしてスマホを指先でつまみぽいっと私へと投げ返す。


「……男根主義者ファロクラシーめっ」


 キャッチし、開いているブログの画面を見た私の発言がそれだった。




 ペンギン面のお姉ちゃんざまぁといういなほの台詞が耳から離れない。


 いや、まぁ実際にはもうちょっと優しい台詞だったけど似たようなものだ。ふたりでギョーザを食べて家に辿り着いたのが八時頃。洗濯やらお風呂の準備をしたりとか色々していれば十時近く。いなほが先にお風呂に入り、その合間に部屋へ戻ってベッドの上にごろんと横になりながらブログを見る。


 ブログだから更新すれば新着情報に乗るので更新頻度が高ければ高いほど人目には付くとはいえ、こんなまだ出来て一カ月くらいの閑散としたブログに対して何故荒らしなど発生するよ。いなほも馬鹿だなぁとか現実逃避しながら見てみれば、やっぱり荒らされていた。


 しかも割とねちっこい感じの荒らし方だった。


 ただ単にコピペしているだけならまだましだろう。そのまま放置していれば興味も失せるだろうし。あまりに酷ければ運営に報告すれば良いだけの話。もっとも、一切合財消してそのIPごとアクセス拒否すれば良いのだから対処は簡単だ。


 けれど、この荒らしはちょっと違った。


 閑散としたブログをつぶす事で鬱憤を晴らしているわけでもなく、内容に目を通す事もなくただ否定するだけではない。特に最初の方に記載されている意見は議論の余地ありだった。


『男根による繋がりは少女同士であっても必要。相手の体温を体内に迎え入れてこそ、相手の心を感じられるってものよ。ファンダメンタリズムなんて時代遅れね』


『指先の触れあう瞬間が良いのは確かに認めなくもない。けれど、妄想の中では暴力的な嗜虐を求める女の子が多いのも事実よ。性愛の対象に女を求めながらもその女に対し男根の存在を妄想してしまっていやいやと自分の妄想を否定しながらもある種精神的な浮気に身を委ねる女の子は萌えよ』


『同性同士という安心感の中の男根であるふたなりを認められないなんて貴方人生一度やり直した方が良いわ。男というもの、未知への恐怖の中に見つけた優しさなのよ。それを認められない貴方は百合厨失格よ』


 などなど。


 私には認められない事ばかりだけれど、相反する意見を持つ物との議論は楽しいものである。だから、これだけならばありがたい意見として承っただろう。もっとも認める気は皆無だが。


 が、ご丁寧に私の日記に全レスしている最中に面倒になってきたのか『男根のない百合とか馬鹿じゃね?』『ふたなりを認められない奴は頭がおかしい』『ふたなりは至上』『原理主義者なんて時代遅れ』『妄想日記乙。チラシの裏にでも書いてろ』『何このブログ名。厨二病拗らせ過ぎ』とかもはや呟きとしか思えないぐらいの発言がそれこそ十や二十ではない。


 ちなみにハンドルネームは『†蒼月闇裏†』……読めません。


「最初だけならなぁ……とりあえず……」


 『そのハンドルネームが痛すぎて発狂しそうです』とは流石に書かないのが大人の対応である。ちなみに私のハンドルネームはGLペンギン。GLは当然ガールズラブ。


『多数の書き込みありがとうございます。


 まだ全てには目を通しておりませんが、取り急ぎ。


 残念ですが、貴方の主張はこの私には認められません。


 百合を語る上で男女性愛と少女性愛の比較は大事かと思いますが、しかし、少女同士の恋愛に何故男根が必要だというのでしょう?


 局部に男性器を当て嵌めて挿入を行う事に何の意義があるのでしょう。


 心を感じられる?


 人間は他人の心を理解できるようには作られていません。


 それを理解できるというのならばただの錯覚です。


 人間は人間の細かな動きや表情の動きで相手の想いを想像しているだけに過ぎません。


 それを、男根を受け入れることで心が感じられるなどとは錯覚を通り越してただの男性主義的な思考です。


 もちろん、自分の体内に他人を受け入れる事に意義がないとは言いません。


 そこに至るまでにはお互いの信頼、心の開き合いなどありましょう。そこに至る経緯には私も萌えを感じます。加えて、自分自身の体でそれを行うならば私も何も異論はありません。


 しかし、それをわざわざ別の性の象徴である男根を用いる必要性は皆無です。特に射精させる理由が全く意味不明です。できればご教授頂きたい所ですが、何故子孫繁栄のためのそれをそこに求めるのでしょう。


 未知への恐怖に対する光、その表現は確かに分かりやすいですが、その思考は一足飛びすぎませんでしょうか。その恐怖がなくなった時には男女愛に行きつくのではないでしょうか?


 大事な人だから同性であっても子供が欲しいというには些か矛盾があるご意見ではありませんか?


 この私は、遺伝子、子孫繁栄、性欲、性愛を超えた先にある互いを求める姿にこそ少女愛の尊敬に値する意義があるのだと思っております』


 一言一句考えながら丁寧に返すのがここでの嗜み。


 冷静に。


 議論は熱くなった方が負けなのだから。


 ひたすら頭を冷やし、自己を客観視しながら自分の論を組み立てて行く。


 相手の認められる所は認め、しかし認められない所は論を交わす。それが研究者というものだ。


「百合博士の資格はないものか」


 ベッドに横になり天井のシミの数を数えながらスマホをぺたぺたと操作。


 再三見直し、主張がおかしくないかをチェックして一部修正して送信。


「はてさて、どいうご返答に相成りましょうやね」


 そして、それを待つ間というわけでもないが、いなほがお風呂に入っている間に今日の日記を書き綴るとしよう。


『○月○日


 妄想日記を書こうとしていた時に妹のIに呼ばれて一緒に下校。


 帰りに夕食を食べて帰ろうと話をしていた所、Iの学友であるMちゃんが現れた。


 前にも書いたけどMちゃんは私には興味がないのでまったく無視されて二人で会話。


 その会話を聞いているとMちゃんがIにご執心らしいという事が良く分かる。


 Mちゃんは丁寧口調なのだけれど口下手なのか言葉を選んでいないからなのか、かなり誤解を招く発言ばかりなのが問題だと思う。こういうのは私がちょっかい出しても悪い方向に行くだけだから終始黙っていた私。


 機会があったらMちゃんには話し方について教授してみるとしよう。そうすればIも少しは振り向いてあげるんじゃないかなぁと思ったりする姉なのでした。


 さて。


 今日一番萌えたシーンの発表です。


 MちゃんがIに振られて寂しそうに帰る途中に、Iが『Mなんかもう二度と見たくないわ』なんて辛辣な事を口にした時、内容はさておき名前を呼んでくれたのが嬉しかったのかうきうきしながら帰って行った所。』


 と。


 そちらはあまり何も考えずにさくっと更新。


 ごめんねいなほ。私は百合の伝道者。嘘を吐こうとも何をしようとも貴方達のゆりんゆりん情報は世界に流すの。実はジャーナリストだったんだよ私はっ。


 ごろん、ごろんとベッドの上を行き来しつつ二人の行く先を妄想しながらほくほくしていれば眠気に誘われ、お風呂に入る前についつい寝てしまった。




 自分が夢を見ているという事を理解している夢程面白くないものもない。


 それと同じく何を行ったとしても泡沫の如く消えて行く事を理解しながら生きて行く人生程詰まらないものはない。次の人生があるという願いは希望だ。けれど、実際に次の人生に出会う事は絶望だ。


 私のこの人生はまた夢幻の如く消えて行くのだろうかという不安は常に私を侵している。


 そんな人生での安らぎといえば、既に過ぎ去った過去を思い出す事だったのだろう。夢の中で私は、自然と浮かび上がる懐かしい日々の想い出をまるで他人事のように鑑賞していた。甘酸っぱい青春の想い出なんて言葉で飾ればとても綺麗な想い出のようにさえ思えるそれの中で一際異彩を放つのは死んだ日の想い出だった。


 あの日は特別何もない日だった。


 いつものようにいつもの如く研究を延々と続け日が暮れて、もう遅い時間で雨も降っている。だから、自転車で来ていた後輩を車で送ろうと思ったのだ。ただそれだけ。普段から気の合うようで合わないその後輩の名前は何と言っただろうか……。思いだせない。けれど、その後輩とした最後の会話は覚えている。


「タイムマシーンがあったら何がしたい?」


 ふいにそんな事が頭に浮かんだのを覚えている。特に大して何の意図があったわけでもない。だから、後輩が「先輩、なんか変なもんでも食べた予感?」なんて聞いてくるのも仕方がない事だろう。


「いや、ふと思っただけ。なんか最近その手のアニメとか映画が多かったからつい」


「相変わらず二次元女子にしか興味ねーんすか。まぁ、タイムマシーンすよねぇ。チートプレイしてメイドハーレムつくってキャッキャウフフしたいです」


 欲望にまみれた願いだった。けれど、それが後輩らしいとも思った。


「期待通りの反応ありがとう。けれど金で集まってくる女の子でお前は満足なのか」


「なん……ですって。流石魔法使い見習い。潔癖症ですね。メイドがメイド足り得るのはそれが仕事だからですよ。そりゃ当然、御金のために働いてるんですから。生きるためには金を稼がないといけない。金を稼ぐためには働かないといけない。人生経験の末にメイドという仕事を選んだ子達を囲ってキャッキャウフフするのの何が悪いと言うのですか。まったく。恋愛経験を積んだからこそ、その人生を歩んできたからこそ人間には魅力があるんだって事を理解できないのは魔法使い見習いの駄目な所ですよ」


「妖精見習いのお前に言われる筋合いはない」


「なんですかその妖精見習いって?」


「魔法使い見習い女版」


「先輩。私の事しっかり女だって認めてくれてたんですか。それはそれはちょっと照れますね……って、なんで知ってるんですかっ!」


 軽く頭に載せていたハンチング帽が落ちるくらいの勢いでこちらを向く後輩は女である。女の子同士の恋愛を見るのが好きな普通とはちょっと違う女だったけれど、優秀な奴だった。私よりも何倍も万倍も優秀な奴で、だから私は後輩の行きつく先が見られなかったのが残念でならない。


「お前が私と同じ百合厨だからというのは建前で、今知った」


「おっと誘導尋問とはやりますね先輩……魔法使いのトラップにひっかかっちゃったぜ……そうですよ、恋の一つも知らないですよ。ふん、だ。まぁいいです。別に先輩に知られた所で困る事はないんですから。うん。そうですよ。別にいいんですよ。えぇ。で、んじゃ、先輩は何がしたいんすかタイムマシーンがあったら」


 その言葉に私は言葉に詰まる。適当に吐き出した言葉だったのだから自分の意見なんてそもそも持っていなかった。だから、しばらくの間、車中は無言。タイヤが水を切る音、ワイパーの動く音と車を打つ雨の音だけに支配される。けれど後輩はいつものことだ、と私の言葉を待ってくれている。


 その時間が私は嫌いではなかった。


 信号で停止し、ウィンカーの音を追加し、漸く私は口にする。


「戸籍もなく金もない状態でそんな所いっても何もできないしなぁ」


「自分で話を振っておいて夢がなさすぎですよ先輩。だから魔法使い見習いなんですよ。それにタイムマシーンが一度限りしか使えないって条件もないんですから、戻ってこればいいんですよって……それは未来が変わっているから駄目かぁ。昔あった映画みたいな感じになりそうですね」


「うん。それだよ。タイムマシーンを使った結果、自分以外の誰かが幸福になることもあれば不幸になる事もある。まるで神様のような所業だと思うのよ。気分次第で誰かを不幸にできるし、誰かを幸福にできる。私はその責任の重さに耐える自信はないなぁ。ほら、いうじゃないか、魔法使いは臆病なぐらいがちょうど良いって。物語の主人公でもない魔法使いはそれに耐える体力がないんだよ」


「ヒロインは別に強くなくても、体力なくてもいいんですよ。タイムマシーン使ってチート使って世界を滅ぼした過去があったとしても、ヒーローに慰められてわんわん泣いてればそれでいいんですよ。んで、泣き終わったら笑顔で甘えてごめんねとか言っておけばそれでいいんです。それで許されるんです」


「なにその性悪ヒロイン」


「そりゃ、ヒロインですもの。ヒーローを手に入れるためなら何のそのですよ。ヒーローなんてどうあがいてもモテるんですからヒロインががんばらないと駄目なんですよ。少しくらいあざといのが良いんです。優秀な遺伝子と結びついて自己を保持する。生命として大変妥当な行動だと思いますよ」


「男根主義にも程があるし、百合好きのおまえが遺伝子を残すって言われてもね。というかだ。一番の問題は何故私がヒロイン扱いだという話ですよ」


「一気に聞かないでくださいよ。せっかちは嫌われますよ?えーっと男根主義万歳。それと、まぁ私百合厨っていっても恋愛対象は男ですよ?ってそれはおいといて。えーっと先輩がヒロインなのはその……」


 その次の瞬間、私はアクセルから離した足をブレーキに添え、車を止める。


「はい到着。その続きの台詞は明日にでも聞くとしよう。素敵な台詞だと期待したいね」


「はは。考えておきますよ。先輩が喜びそうな感じのを」


 車を止め、雨の中で車から自転車を降ろすのは難しいので傘をさして貰って彼女の自転車を降ろす。


 弱まる気配のない雨が酷く鬱陶しい。自転車を降ろすのも一苦労だ。


「送ってくれてありがとうございます。また、明日ですね。おやすみなさい」


「ん。お疲れ様」


 それが私の人生で最後に交わした会話。


 男だった私が交わした最後の台詞。


 だから、後輩が私に用意してくれているであろう素敵な台詞を私はこの先も知ることはできない。永遠に。


 だから、『私がヒーローだからですよ』なんて言葉が突然脳裏に浮かんだのは、今の自分の不安を解消するために自分が作り出した台詞。


「馬鹿馬鹿しい。そんなことあるわけがない」


 口にした言葉はぶっきらぼうで、いつまでたっても大人になれない私にはちょうど良い台詞だった。


「死んだ先の未来を想って憂いながら生きるなんて、過去に安寧を求め続ける人生なんて何の意味もない人生だ。それこそ無為な事だ。だから……」


 だからせめて、この人生を楽しく生きて行こうと思う。


 泡沫に消えゆく夢ではない確かなものを求めて私はこの人生を楽しんでいこうと、そう思う。




 目が覚めれば翌朝だった。


 スマートフォンを枕元に置き、ばたりと倒れた姿勢のまま目を覚ました私は夢見ていた事を思い起こし苦笑する。


「今ならヒロインになれるかもしれんね」


 そんな事を呟いた後、いつものようにシャワーを浴び朝食の準備を整え制服に着替えてテーブルでいなほを待っていた。


 待っている最中にスマートフォンでブログを確認する。残念なことに荒らしさんからのレスポンスは無く、単なる一過性の荒らしだったのかと僅かに寂しさを覚えていればいなほ登場。そのまま二人で朝食を取り学校へと向かう。


 あぁ、そういえば自転車修理するのを忘れていたよと思い出したのがその時だった。仕方なく今日も今日とてバスで登校。


「そういえば、忘れてると思うけれどもね」


「なんぞ?」


「今日は試験順位発表だからね」


「ほー。そんな事やるんだ」


「え、何その反応。信じられない」


 などという会話をしながら学校へと向かう。


 やはり高校生ともなると試験の点数などが世界の価値基準の一つであるのは間違いなく、だからいなほでもやっぱり気になるのだろう。うん。ごめん。全然興味ない。


 元々学問の徒を目指していたのだから勉強はそれなりにやっている。それが授業に関係があるかどうかは別として。いろんな知識を得る事は苦ではない。苦手な科目というのも確かにあるが。しかし、勉強方法というのは一度覚えると中々忘れないものでとりあえず思い出しがてらに全教科分からない所はないぐらいには教科書を読み込んでいる。


 別に教師達も間違わせようと思って問題を出しているわけではない以上、問題は教科書に書かれている事がすべてである。その内容を範囲内で全部理解しておけばそれで十分。それ以上の応用は試験と名の付くものでは必要ない。とりあえず、全問埋めて特別間違いはないだろうなぁといった所である。


「聞いたことなかったけど、いなほって勉強とかってどうなん?」


「出来るように見える?」


「見える見える」


「だよねぇ。見えるのよねぇ。国語と英語はまぁそこそこいけてると思うけど。でも数学物理と化学はあんまりねー。何あの記号」


「言語だよ。物理を語るために人間が作った言語が数学。国語と英語と同じ。文法がやたら多いだけの言語だよ」


「はー。今度教えてよお姉ちゃん」


「りょーかい。二年後には点数取れるくらいには教えられるから安心しておいなさいな」


「え、二年後限定なの?」


「受験に間に合えばオーケーじゃない?」


「いやまぁそうなんだけど。なんかこうぱっと覚えられないものかなと」


「ギョーザは一日にしてならずだよ。何事も順序ってのがありましてね」


「あ、はい。納得しました。ギョーザなら仕方ない。うん。仕方ない……ねぇ、お姉ちゃん物は相談なんだけど」


 その後の相談というのは案の定今日の夕食の話だった。当然却下である。が、しかしお姉ちゃんも頼まれると断れない性格なので妥協案として別のB級グルメのご紹介と相成った。


「え、何それ豚バラ定食?」「ネット社会なのに知らないとか情弱」などと会話を続けていれば高校前のバス停に到着である。うん、バス便利。もう自転車では通えないとは言わないが夏になったら全面的にバス利用したい。定期券の購入を求む!


 そしていなほと並んで校舎へと向かえばこれは予想通り人が並んでいた。一年生、二年生、そして三年生。皆が皆下駄箱付近にうろちょろしている。


 いなほの言っていた順位発表とやらだろう。


 三年生が下駄箱からすぐの所で一年生はかなり離れた所だった。というか今更ではあるのだが今の時代にこういう発表して良いのか?と心配になる私。


「はー。やっぱり生徒会長は流石だよ。お姉ちゃん。此花先輩一位だってさ」


「そりゃ凄い。全部が全部良い点ってのは凄いねぇ。努力の賜物だ」


 二人並んで『一位 柚木此花』という名が載っている紙を見ながらほっこりする。一位から五十位までが一望できる。やはり時代的に点数はまずいのか記してなかった。なるほどこういう対処方法か、と納得しきり。ともあれ、知っている人が一位だと鼻が高い。当の本人はいないのかと探してもいなかった。今度あったら称賛するとしよう。もっとも彼女が私に会いたいかといえばノーだろうけれども。


 で。


 肝心の一年生。


「おい、こらペンギン面」


「え?何よ」


「そりゃ確かに勉強できるとは思ってたよ記憶失ってからは。けど、これは流石に無いんじゃない?ねぇ、何。これから私は鞍月の馬鹿な方って言われるんじゃないの?ねぇ。おい。こら黙ってないで何とか言え」


「大丈夫。いなほは可愛い」


「違うっ」


 一年の成績が記されている所まで二人で移動すれば一年で溢れていた。今回が入学して最初の試験なのだから尚更だろう。自分の名前があるのか?とかあいつの名前はあるのか?とかそんな物見遊山の人も一杯いるのだろう。そんな中、私たち二人もその集まりの後ろの方に並び順位表を見れば、『二位 鞍月蓮花』。


 妥当かどうかは分からないが、高校一年の最初の試験だからまぁそんなものだろう。理系科目と英語で間違いを侵した記憶はないのできっと国語だろうなぁ。


 そんな事を考えつつ、いなほにちくちく指で刺されつつも順位表を眺めていると面白い事に気付く。


「あらまぁ、しかしなんか珍しい名前のオンパレードだねぇ」


 『一位 月浦湖陽』『二位 鞍月蓮花』『三位 月影御影』……上位3位がすべて月混じりの名前とはこれ如何に。


「一位の子の名前が読めない……みずひ?こひ?こうよう?」


「あぁ、月浦さんね。確かコヨウだったと思うよ。あの人なら一位も納得できるわ。むしろやっぱりって感じかな」


「ん?あれ、いなほ、知り合い?」


「クラスメート。あんまり話したことないんだけどね、月浦さんこう何て言うの?近寄りがたい感じでさ。んー、見たことない?背は私とお姉ちゃんの間ぐらいで超色白で、黒ロングのお嬢様みたいな子」


「お嬢様って……黒ロングも言っても一杯いるし、いなほもお嬢様っぽいっていえばそんな感じじゃん」


「私のは似非。あの人のは本物。一回見に来たら?可愛い子好きでしょ?」


 美少女コレクターではないけれど、まぁそれも良いかもしれない。暇ができたら見に行くとしよう。うん。


「考えとく。で、三位はツキカゲミカゲで読みは良いのかな?」


「そっちは知らないなぁ。でもどっかで聞いた名前だから見たことあるとは思うんだけど……どこだったかなぁ」


 そんなやりとりをしていれば当然の如く時間は勝手に過ぎ去っていくものでお互い教室へと向かい、向かった先で超ハイテンション少女暁湊に捕まった私。


「おはよう!凄いね!れんちゃん凄い!びっくりだよ!私真ん前にいるのにきっと下から数えた方が早い方だよ!凄い!びっくり!万歳!クラス委員に推薦してあげるね!」


 誰に対してもどんな時でもこのテンションを貫き通すこの子は正直凄い。私には出来かねるよほんと。というか、クラス委員への推薦は止めてほしい。せめて来年まで待ってくださいお願いします。


「やっぱりあれなの!?図書館で勉強すると成績あっぷするのかな!?そ、それなら私が、がんばって図書館に……やぁぁぁぁだめ。駄目だよ。図書館は駄目なんだよ私」


 がくがくぶるぶる勝手に震えだす湊ちゃんが面白い。その面白い生命体の横を抜けて自分の席へと向かえばその生命体も一緒になって付いてくるから面白い。というかまぁ、湊ちゃんは相変わらず私の席の前なのだから当然だが。


「あのね。あのね。図書館にはね。こわーい人がいるんだよ。こわーい人」


「怖い人ねぇ……」


 正直このクラスのリーダーの子の方が私は怖いと思います。最近はなりを潜めているというか何があったのかわからないけれど何か私好みの方向に走っているみたいでたまりません。あぁまんじゅう怖い。


「あのね。あのね。ほら、れんちゃんの隣に名前があったあのあれ。あれ」


「あれって言われてもどっちよ。というか駄目だぞ湊ちゃん。人をアレ呼ばわりしたら」


 という事は図書館にいけばどっちかに会えるという事か。


「あ……ごめんなさい。えっと、あの子なの。あの子……えっと、本の場所聞いても下向いてぼそぼそ言われてとっても怖いんだよ!?」


「あぁ、図書委員の子?」


「そう!さすがれんちゃん!そうだよ。図書委員の子!あの子も頭いいんだってね!なんかクラスの人が言ってたよ!だかられんちゃんも凄いのかなって!」


 それであの時案内してくれた時、逃げて行ったのね。なるほど、漸く理解できましたとさ。


 しかし、まぁ結局、図書館はあれ以来一度も行っていないのであんまり関係ないのであった。


「という事はそっちが月影御影かぁ。なるほど」


「あ!そうそうそんな感じで名前に月が入ってたよ確か!」


 うろ覚えにも程があった。さすが湊ちゃんだった。萌える。




 さて。そんな情報を手に入れたからといって私が生活スタイルを変えるわけもないのだけれど、放課後いなほを待つ間図書館に行くのも良いなと思い立ち、メールで連絡を入れて図書館へと。


 相変わらず閑散としているようでしていない図書館の中へと入れば図書委員は件の子ではなく別の子だった。


 まぁ、そんなもんだろう。


 そんな呟きと共に本を見て回る。


 やはり自然と足が向くのは数学や物理のコーナー。あの数学の先生が着任早々幾つか本を入れたそうだから……と見ていれば、一瞬呆として次の瞬間、苦笑する。


 尊敬する先生で、すでにお亡くなりになっている先生の数学と物理について書かれた学問書。お悔やみのお言葉を送ったのももう数年前かとしんみりしながらその本を手に取る。


「懐かしいなぁ……」


 それは数年前必死で勉強した本。問題を解く事だけが勉強だと思っていた私にそうではないと教えてくれた本。毎日夜が明けるまで内容を理解しようとしてがんばっていた。御蔭で今の自分があると間違いなく言える一冊だった。人生を変えた本が何かと問われれば私はこの本をまず最初に挙げるだろう。それぐらい私にとって重要な本だった。


 けれどそれを書いた先生ももういない。


 この世界はどうやら男の私がおらず、年月でいえば私が死んだ時から一年程先の世界。そこから予測が付く事といえば死ぬまでに一年程植物人間などだったのではないかという事だが今の私にとっては詮無い事。


 閑話休題。


 ぽっと渡されたスマートフォンとやらの操作が分からなかったのはこの一年の差の所為。情報化社会の進化速度は速すぎて困る。


 それ以外では、やはりこの学校が女子高だというのは昔からというもの。他には今の所違った所は見られない。元の私の存在とこの学校に何の因果関係があるのやら。男の時の高校時代にはここに通える頭は持ち合わせていなかったのだしね。


「はてさて、何があったのやら。仮説だけは立てておくかなぁ。つてもバタフライエフェクトとしか思えないけど」


 今の自分の状況を把握する必要性は殆ど皆無ではあるのだけれど、夢に見る程不安らしいので何か仮説ぐらいは立てておいた方がストレスはたまらないだろう。うん。きっと。それに考えるのは面白いし。


 そんな事を考えつつ、久しぶりに先生の本を読んでみるかと本を手に移動しようとした所で声を掛けられる。


「ん?鞍月か」


 数学の先生だった。ちなみに名前を若宮という。下の名前は知らない。


「お疲れ様です、若宮先生」


 言った瞬間、またやってしまった、と口に手を当てる。そんな私を見て若宮先生が苦笑する。


「だからお疲れ様はやめろというのに……まぁいいか。何か探し物か?」


「いえ、特に何を探しているというわけではなかったのですけれども……まぁ、良い本はありましたよ。先生でしょう?これを置いたのは」


「当然」


 鼻を鳴す。大変嬉しそうだった。自分のメッセージを受け取ってくれる子が一人でもいてくれれば、何て事を夢見て置かれた先生の宝物みたいなものなのだろう。


「先生はお仕事ですか?図書館というのも珍しいのでは?」


「文芸部の顧問の関連で図書館の管理もしているんだが、ちょっと頼まれごとをしてな。それがネットワークに関する話なんだが参考図書でもないかとな」


 似合わない。文芸部とか似合わない。


「鞍月。似合わないのは自覚しているからその引いた顔は止めろ」


「先生までペンギン面と仰る!?」


 酷い迫害もあったものである。パワハラですね。アカハラですね。ハイスクールハラスメントですねっ。


「誰がそんな事を言ったという。まぁ、それで本を探している所なのだが、やはり高校の図書館となると中々無いもんだな。小説とかは別にして、受験に関係ないジャンルは中々」


「それはそうでしょうね。先生みたいな方がいない限りはこの本もなかったでしょうし。あぁ、ネットワークでしたら私少しは分かりますけどお手伝いしましょうか?」


「本当に、お前は未来から来た時をかける少女とかではないんだな?」


「理系の先生が何の戯言ですか。そんなわけありませんよ」


「おいおい。戯言を語るのは総じて理系だよ。未知を発見するためには未知が未知である事を説明する必要があるからな。総じて未知なことってのは戯言だよ」


「確かに。仰る通りでした。失礼致しました。でも、時をかけてはいませんよ」


「それは残念だ。ま、しかし仕事を手伝ってもらうわけにもいかんのでね。結構だよ。それに久しぶりに大学の図書館にも行きたいしな」


「あら、振られてしまいました」


 瞬間、くすくすと互いに笑い合う。


 傍から見れば大変仲良く見えるだろう。そう、傍から見れば。


「と、としょ………館では……その……お静かに」


「これは失礼。私としたことが。すまんな、月影。手伝って貰っていたのに悪い」


 いくつか本を手にした図書委員がそこにいた。


「あ……いえ。その……」


 照れる図書委員がそこにいた。


 やはり彼女が月影御影か。名は体を表すと言うが……うん。そのまんまだった。暗いというのとはまた違う影のある感じ。前髪が長くさらに表情を伏せているので更に分かり辛い感じが影っぽい。


「先生も隅に置けませんね。私には手伝わせないのにそこの可愛い子には手伝わせるんですね」


「分かっていて言っているだろうお前は」


「もちろん分かってて言っておりますが、理系ですからね」


 互いに苦笑。


 ネットワーク関連という事になればサーバー管理にもなろう。そうなってくると一介の生徒に触らせて情報流出した日には大変な事になるのは想像に難くない。手伝って貰えるレベルに無かっただけだ。


「あの……先生」


 そんな私達に対し月影御影が口を挟む。まぁ、面白くないだろう。うん。私からすると若宮先生は男同士という印象でしかないのだ。けれど、傍から見れば格好良い男とペンギン面の女が仲良く談笑しているようにみえて、先生のファンにとっては許しがたいものであろう。


 うん。きっとこの月影御影は若宮先生のファンだろう。どの程度のファンなのかは分からないけれど。


「こっちは鞍月だ。お前と同じ一年生だ」


「あ…………鞍月……蓮花……さん?」


「はい。鞍月蓮花です。鞍月のペンギン担当の方と覚えてくれれば結構ですよ。貴方は……月影御影さんでよろしかった?」


 その台詞に若宮先生の表情が笑いを抑えるために歪んだのを私は絶対に忘れない。ちなみにいなほは『鞍月の可愛い担当』だ。


「はい……あの、その、私の名前……」


「今朝、あれ……えっと成績一覧表?違うか。順位表かな?を見て知ったんだけどね。どんな人かと思ってたけど、前に図書館でお世話になった人ですね。あの時はありがとう」


「あ……え?」


 覚えられてなかった。


 まったくもって覚えられてなかった。え、誰貴方?みたいな顔されています。驚いて顔をあげたおかげで表情がもろに見えました。


「君のようなおしとやかで可愛らしいお嬢さんに忘れられるとはね……私、悲しいわ」


 瞬間、若宮先生が吹き出しそうだったのを私は絶対に忘れない。意外と笑い上戸なのかこの先生。


「あ!……あの変なひ………あ、いえ……その年上かと」


 絶対変って言った。変って言ったよこの子。


「残念だけど同い年だよ。できたらよろしくね。ちなみに私はこの先生には全く興味がないので」


 ちゃんと後半部分は若宮先生には伝わらないように小声です。


 というか、先生に恋人がいて結婚間近だという事を伝えない私は悪い奴だった。うん。だって百合じゃないんだもの。


「それでは、私はそろそろ退散しますね。ではでは、ごきげんよう」


 言いっぱなしで去っていく私に一言文句を言いたそうな若宮先生と月影御影さんを置いて私はてとてとと図書館の反対側まで適当に書架を眺めがら移動し、たどり着いたその場所に……


 少女が二人、窓の手すりに腰を掛け並んでいた。


 話をするわけでもなく、二人は静かに目を閉じ、お互いに肩を寄せ合っているだけ。よくまぁこんな誰かが来そうな所で、そんな思いと同時に二人の邪魔をしてはいけないと、静かに二人の姿を眺めつつ本を探すふりをする。


 音を立てずに本を抜き去り、音を立てずに指を立てタイトルをなぞる。そうしながら意識は少女達の方へ。


 そして、こういう露骨に三次元な百合は初めて見たのではなかろうかと気付く。ゆりんゆりんと言っているわりに実際に百合体験を目撃したことはなかったのだ。すべてはファンタジーだったのだ。それが今現実として目の前に存在する。この事実に私は衝撃を受けざるを得なかった。


 初物。


 良い響きである。初々しさと背徳感に包まれた響きだ。この二度と味わう事のできないこの胸の震えを心行くまで堪能したい。あぁ、心臓が勝手に高鳴っていく。この音が聞かれ、彼女達の安らぎの時を壊してしまうのではないかなどという想いに駆られ、胸の高鳴りよ収まれと胸に手を置けば、ふにと歪む乳房に赤面する。それ程大きいわけではないが男にはない柔らかさがそこにはある。


 正直、自分の体にまだ慣れていない。魔法使い見習いの弱点は早々克服できないのであるとかなんとか。閑話休題。


「……ん」


 もぞもぞと動く片方と、その動きがくすぐったいのかもう片方も揺れ動く。


 あぁ良いなぁ。こういう柔らかいのんびりしたのは良いなぁ。確かに二次元の考え込まれた百合にはない自然体の穏やかさ。現実という奥行を持った百合の素晴らしさを誰かに声を大にして伝えたい。伝えたいと思ったらこの時代には良いものがある。


 静かにスマホを取り出し……ブログを開き、今のこの思いを伝えようして……


「……お…?」


 っと、声を出そうとした自分の口を咄嗟に止められた自分を褒めてあげたい。が、


「だ、だれ!」


 そうだよね。そんな都合良くないよね、と目を閉じていた二人が目を開き私を見て止まっていた。蛇に睨まれた蛙のような……もとい、オットセイを目の前にしたペンギンのようだった。


「あは、あはは……その結構な物を見させていただきましてありがとうございました」


 一礼と共に捨て台詞を吐きその場から逃げる。


 とはいえ、である。


 捨て台詞を捨てて逃げ出したとしてもいなほが来るまで図書館から逃げられない私は巡り巡って、パソコンの所で時間を潰そうと思い来てみればそこは満員御礼だった。


 残念。


 先ほどの彼女らに見つからないように机には背を向けて窓の方に向き直りながら、大人しくスマホに目を向ける。


「テンション高けぇ……」


『人間が、他者の想いを想像から理解できるようにしか出来ていないというのは納得したわ。確かに貴方の言う通りね。感情を把握するのには視線と表情と動きの把握がベターだものね。その通りだわ。慧眼ね。慧眼よ。認めるわ。認めてあげる。


 けれど、それ以外は全部魔法使いの戯言ね。


 普段隠している肉を全て曝け出して体内で繋がり合う。そこで見せる羞恥に悶える姿、快感に震える姿、相手を求めてやまない獣のような姿、そこから伝わる感情が理解できないというのならばそれこそ今すぐ人間辞めてしまいなさい。人である価値がないわ。


 あと、ひとつ誤解があるようね。ふたなりと言っても男に女性器が付いている場合と、女に男性器が付いている場合の二通りが考えられるわね。ふたなりだけに。これに関して私は後者意外を認めていないわ。ゆえに、射精に伴うのは遺伝子でも子孫繁栄のためのものでもない。純粋なる性愛のためのもの。ならば無機物で良いという意見もあるわね。言語道断よ。熱のない男性器に意味は無いの。体温のないそれに意味は全くないのよ。分かるでしょう?分からないの?特に私好みの思春期の少女達の中に性愛への興味がないわけがないのよ。寧ろ現実的にいえば男女性愛への興味の方が高いわ。けれど、異性という恐怖の対象の持つそれに興味は持っても実際に試せる者はそこまでいないわ。だからこそ、その怖いけど興味深い存在への精神的な妥協案、逃避を起点として百合に目覚める子もいるのよ!だからそれを起点とした子達は当然、男根にも興味があるし性愛がない関係なんて嘘なのよっ!寧ろそうでない作品もあるけれどあんなものは枯れているといっても過言ではないわ。瑞々しい体を持った少女達が抱き合わないで何のための若さだというのよ。馬鹿なの?ねぇ、それとも枯れてるのかしらね貴方は。勿体ない。勿体ないわよ。高校生なのに何で興味持たないのよ。おかしいじゃない。


 それと貴方の腐った妄想垂れ流しの自慰日記なんてのはどうでも良いから、貴方の妹ちゃんの話をもっと書きなさい。ヲチしてあげるからさっさと続きを書くのよ。妹ちゃんとMちゃんがどうなったのかさっさと書きなさい。現実ではふたなりというのは難しいから器物でも我慢してあげる。だからプレゼントしてあげないと駄目よ。読んでいる限りツンツンした性格の妹ちゃんかもしれないけれど、そういった方面に興味がないわけないわ。えぇ。


 あと貴方、近親物というのも私の中では萌えなのよ。ネカマじゃないわよね?この文体。ネカマならさっさと白状しなさいね。迷惑よ。そうじゃないならこのまま黙っておいていいわ。そして、是非、姉妹百合に落ちて行きなさい。堕落していきなさい。えぇ、そうよ。是非そうすべきよ。相談ならいくらでも乗ってあげるからさっさと行動を開始しなさい!それで報告するのよ。というか妄想日記なんて良いから妹ちゃんとの会話ログでも張り付けなさいよ。その方が私が萌えられるのだから。


 いいわね。さっさと更新するのよ!私のために。私のためになってこその人生よ。』


 声が漏れたのはこれの所為だった。


 ハンドルネーム†蒼月闇裏†のレスだった。


「面白いのは良いのだけれど対応に困る……て、あぁもう」


 ブログの表示を更新すれば『さっさとしなさい』だとかコメントが増えている。昨晩レスポンスがなかったのが嘘のような連投だった。今現在、この時間に漸く起床したのか何なのか。それとも学校の終わった学生さんか。


 ともあれ、この手の輩は反応すると荒らしては来るが放置プレイしていればその内飽きて何処かに行ってしまう類の者。別にこの相手も放置していても私は一切差し支えないのだが、やはり勿体ないというのが正直なところだった。


 正直に言えば、面白い。


 短文連投を行うのは玉に瑕なのだが論理的な所は面白さを覚えるし、何より日記をしっかり読んでくれてなおかつ書き込みをしてくれる稀有なユーザなのだ。加えてきっと百合好きな女の子だ。ネット上の書き込みで書いている中の人の性別は分かりはしないが、私の勘が告げるのだ。この子は女の子だと。私も女の体を持っている以上勘は働くに違いない。


「加えて割と奥手と見た。昨今の女子は彼氏がなんだのと騒いでる方が多いって話ですよ」


 ふいに笑みが零れる。


 暁湊が仲間外れにされていた原因である所の少女がクラスメートを釣ったのはその手の物だ。それを思えば、恐れを抱いていない子の方が多いと言わざるを得ない。まぁ統計的な所でいえば母集団は少ないが。


『コメントありがとうございます。


 仰る通り、思春期の性への興味。異性への興味を発端とした形であれば安心感のある同性へと向かう可能性も否定はできません。体の中に受け入れるという点から安心感というものは非常に大事なファクターだと思います。


 しかし、恐怖の象徴である男根が、相手が女の体だからといって受け入れられるというのでしたら母体となる体が男であろうと女であろうと関係なく、精神さえ女であれば良いという事になりませんでしょうか?それは男女性愛の拡張に過ぎないと思います。言うまでもなく肉体的に女であり、精神的に男である場合もまた男女性愛の拡張に過ぎません。性愛に関しては許容できたとしても男性的な要素はやはり私には認められません。』


 故に、私と言う存在は百合ではありえない。


『さて、日記の方読んで頂いて誠に嬉しく思います。妹に関してですが続報が入り次第報告したいと思います。とはいえ、妹も私がこういった所に自分の事を書いていると僅かながら気付いているようなのでこそこそと書くばかりです。続報をお待ちくださいませ』


 ここまで書いて一旦息を吐く。


 夢中になって返信を考えていれば窓の外では陽が沈んでいた。日が長くなったとはいえまだまだ夏は遠いという事か……一人納得しながら時計を確認する。


 六時半。


「はて……さて」


 いなほが遅い。


 約束の時間はというか特に用がなければ授業が終わって直ぐなのだから正直かなり遅いといえる。


 またぞろ茅原みずきちゃんに捕まっているのだろうか?という考えがよぎったが、そうではなかった。


「あそこのあれは彼女よなぁ……?」


 窓の外、街灯が照らす校門付近でそわそわと人を待っている姿は茅原みずきその人である。あのブロンドは見間違えようがない。待ち人はきっといなほなのだろう。


「という事はどういう事だろう」


 仲が悪いわけではないので遅れるなら連絡ぐらい入れてくれる。というかB級グルメを食べに行こうと一緒に話をしていてこない事などあり得ない。加えて、茅原みずきが延々と待っている以上、校門から出た気配もない。もっとも茅原みずきが別の人を待っているとすれば検討違いも甚だしい。が、女になった私の勘はそこそこ当たるのだ。きっとな。


 形だけ電話を掛けてみても案の定携帯に出る様子はない。


 何があったのやら。


「教室いってみるかね……はぁ。つか、いなほの教室って何組だっけ?」


 呟きつつ、人気のなくなった図書館を歩く。若宮先生もその手伝いをしていた月影御影さんももういないようだった。というかそろそろ閉館だった。


 外は暗く中が明るい図書館、それは思いの外寂しさを覚える。人がいなくなればきっと寂しくなった図書達が遊びまわっているに違いない、とそこで漸く本を借りようとしていた事を思い出す。尊敬する先生の本だとてそんな扱いか。全く……度し難い。


「すみません、申し訳ないんですが、今から図書館の利用手続きは可能ですか?」


 さっそくカウンターへと向かい、片付け作業をしている子に尋ねれば露骨に面倒そうな表情をされた。


「クラスと名前は?」


 私仕事に徹しますと言った嫌そうな表情をするカウンターの子。さっさと言いやがれと言わんばかりであった。そこまで嫌なら断れば良いのにと思うのは言ってる側の論理である。さておき。


「鞍月です」


「名前」


「蓮花……です」


 瞬間、嫌そうな表情が何とも言えない苦虫を潰したかのような表情に変わるのと、


「あら、貴方がいなほさんのお姉さん?」


 私の真後ろから凛と響く渡る声がしたのは全く同じタイミングだった。




 その少女の印象といえば、たおやかだった。今のご時世たおやかという表現が似合う少女というのは稀有な存在である。


 長く艶やかな髪はまるでおとぎ話に出てきそうなというと流石に大げさだが、枝毛の一つもない瑞々しさは十分物語的だ。スカートの丈は変えず、一見野暮ったさを覚える制服も彼女にはひどく似合っていた。特別スタイルが良いとはいえないが、しかし十二分に女性らしい柔らかさに溢れていた。物腰は柔らかく歩く姿は静々と衣擦れ音すら聞こえないが、それでいて遅いという印象を受けない。


「お恥ずかしい。少々調べ物がありましてパソコンを使わせて頂いていたのです」


 そんな少女が遅くまで図書館でパソコンのキーボードを叩いている姿を想像して笑みを浮かべれば、恥ずかしそうに指先で髪を弄りながら少女は頬を染める。病的にすら思える程白く白磁の如きその肌に刺す紅は可憐の一言。さながら大きな家のテラスで一人静々と紅茶を飲みながら優雅に一時を過ごしている、そんな古い大衆認識のお嬢様。それが彼女だった。


「月浦湖陽と申します。何卒よろしくお願い申し上げます」


「鞍月蓮花です。ご丁寧なご挨拶痛み入ります。妹いなほ共々良しなに」


 そんな挨拶を交わしたのは数分前の事だった。


 彼女が一年生の成績トップ、月浦湖陽だった。


いなほがお嬢様と言っていたのが良く分かる。もっとも、触れたら壊れてしまいそうな儚さはどちらかといえば私には小さな瓶に詰められた妖精のように思えたが。


「いなほさんから御話は伺っております。大変素晴らしい御姉様だと」


「それはそれは……間違いなくペンギン面的な意味な気がしてなりませんが……って目を逸らさないでください」


「そ、そんな事ありませんよ。えぇ、ペンギンさんはとても可愛らしくてよろしいと思います」


 フォローにならないフォローを受け、苦笑する。


 その私の仕草に僅か慌て、すみません、と指先で髪を弄る姿は正直あざといと言いたくなるぐらい可憐だった。


 なにこの可愛い生物。


 そうか、いなほのクラスメートにはこんな素敵な素材がいるのか、と感動しきりである。いなほとはそこそこコミュニケーションを取っている……いなほはそう言っていなかったが……仲が悪いわけではないのだろう。であれば、である。いなほと月浦湖陽と茅原みずきの三角関係がその内勃発するのではなかろうかと妄想すれば正直たまりません。事実は小説より奇なりなのである、この三角関係が勃発すれば私は悶えられるだろう。うん、きっと。


 ともあれ、このいなほのクラスメートと会えたのは幸運だった。これで教室をしらみつぶしに探す必要がなくなって手間が省けるというものである。


「いつも御二人で帰られているのですか?仲が良くて良いですね。私は一人っ子なので羨ましい限りです。あ、すみません、愚痴っぽくなってしまって」


「いえ、お気になさらず。色々と面白い妹ですので宜しくしてやってください。B級グルメ好きなのが玉に瑕なのですが、B級グルメを食べている時のいなほは何かこう小動物みたいで可愛らしいんですよ……っと姉馬鹿ですね」


 『やっぱり仲が良いんですね』そう言って笑みを浮かべた少女は窓から射し込む月明かりに照らされ、まるで月の女神アルテミスが現代に現れたかのようなそんな錯覚さえ覚える程に美しかった。


 まるで世界が彼女を輝かせるための舞台装置なのではないか、この世界は実はこの少女を輝かせるための装置でしかなく、私はその舞台を見る事が出来る運の良いキャラクターとして存在しているのではないか、そんな奇天烈な考えが思い浮かぶほどにこの光景は幻想的だった。


 しかし、そんな幻想的な時間も長くは続かなかった。


 すぅ、と滑るように彼女が前に出て廊下を、扉を開き中へと入る。


 そして次の瞬間パチン、パチンというプラスチックが動く音と共に教室の電気がともされ幻想は現実へと移り変わる。


「こちらが私達のクラスです。……あら、いなほさんの荷物はまだ…………」


 視線でこちらですよ、と私を誘導し、瞬間、苦虫をこれでもかと潰した表情をして、言葉を詰まらせる。美人にこんな表情をさせるなんて罪だよいなほ。


まったく。


「ありますね。しかし、いなほは一番後ろなんですか。背が低いのに……黒板見えるのかなぁ?あんまり目も良くないって聞いてるし。はぁ、自己主張はすべきだよ……ほんとに」


 一番奥の一番隅、その机の上にぶちまけられたカバンが一つ。


 学校だとはいえ整理整頓くらいはしないと等と戯れるのもいい加減疲れてくる。


 どこも同じか。全く。


「月浦さん、心当たりはありませんか?」


「……申し訳御座いません、私には分かりません……同じクラスですのに」


「あぁいえ、別に責めてるわけではないのであしからず。……ネットの煽りと違って無視していれば離れていくような物でもなしって事かね」


 いなほが私にそういうそぶりを見せた事がない事を思えばいなほ自身、気にせず日々を過ごしていたのだろう。無視していればサイト荒らしの如く興味を失っていくとそう思っていたのだろうけれども、残念なことにエスカレートしてしまったという事か。


「つまり戻ってこられない所にいるという事だから……トイレか体育館倉庫とかがテンプレート的だけれど、いなほが安易に、しかも携帯置いて行く可能性があるとすればトイレぐらいよねぇ……他に何か閉じ込められそうな所ってご存知ないですか?月浦さん」


「存じ上げません……。あの、失礼ですが、お姉さんは虐めがあると分かっておられても、いなほさんが何処かに閉じ込められて辛い思いをしていると分かっていても……冷静なのですね」


「騒げば物事が解決するのならば騒ぎます。感情的に物事を進めた所で解決する事はないと思いますので。まぁ、冷たい奴なんですよ。ほら、ペンギンって冷たい所にいないと生きていけないでしょう?」


 結局、理性を超える感情が湧き立たないだけだ。会ってまだ僅か数ヶ月。家族のふりは出来たとしても、友人のふりはできたとしても感情が追い付いてこない。この学校にも虐めはあるのだなとテレビの画面を見ているかのようなそんな程度の認識しか今の私にはない。


 机に向かい、いなほの荷物を片付け、それを手に教室を出る。


「あら、怖い顔……ふふ……低温火傷しそうですわ」




 たどり着いたのは、というと大げさである。


一学年の使用するトイレなどひとつしかないのだから。もはやトリヴィアルな場所である。ここ以外にいなほがいる場所は無い。


 大学のトイレなら人が動けばセンサーで勝手に電気が付くのにと悪態を吐きながら中へと進み、電気を入れれば音を立てて電灯に光が灯る。瞬間、息を飲む声が耳朶に響き渡る。


 あぁ、いなほだ。


「いなほ、返事よろ」


「お姉ちゃん……か。待ち合わせに遅れてごめんね。B級グルメはお預けか……残念。まったく忌々しい扉よねこいつ。背足りないし、扉をぶち壊すにはちょっと力が足りなかったよ」


 そんな台詞を吐けるようなら十分元気だろう。空元気も元気の内。


 天井近くまで届く個室のセパレート、扉は天井より低い位置までしかないが、いなほが小さいからといっても抜け出る隙間はないし、いなほの身長だと扉のてっぺんに手は付かない。そうとなれば、外から閉じ込められれば出るのは難しい。閉じ込めた相手はそんな想像力すらなかったのだろうか。いや、あるからこそか。


「大丈夫。夜までやってるから」


「あ、そうなんだ。良かった。じゃあ、帰りに寄って行こう。話聞いた時から食べてみたくてさ。豚バラ定食。はぁ、お腹すいた。あ、約束通りお姉ちゃんの奢りだからね?」


「ういうい。ごはん大盛りダブルでも可」


栄養は付けないと駄目だものな、と苦笑していれば、状況を弁えない阿呆な姉妹会話に溜まりかねた月浦さんが口を開く。


「いなほさん……だ、大丈夫なのですか?」


「え?……もしかしてその声、月浦さん?……あぁもうこのド低能ペンギンお姉ちゃん!うちのクラスのお姫様まで籠絡してんじゃないわよ。ほら、さっさとここ開けなさい。今すぐ代りにぶち込んでやるから」


 横暴だった。相変わらずだった。けれど、そんな元気ないなほは大好きだ。


「はいはい。今開けるから大人しくしてなさい。にしてもいなほ。もうちょっと巧く立ち回らないと面倒じゃないの?無視するのも良いとは思うけどさ。エスカレートしたら大変だよ。手伝おうか?」


 がちゃがちゃと取っ手に付けられた紐やら何やらを使って強引に括りつけられた木の棒などなどを取り外しながら一応言ってみる。が、余計な台詞だったのだろう。


「んー。根本的な原因は分かってるし、解決策も分かってるんだけど、私にとってはどうにも妥協しかねる事なのよねぇ。こればかりはお姉ちゃんみたいに記憶飛ばさないと無理って……あぁ、ごめん。なんだかんだで安心して気が抜けてたみたい……あはは」


 やっちゃった、とばかりにドア越しに響くいなほの軽い笑い。


 別に隠すつもりはないのだけれども、わざわざ知らせるような話でもなく、ついさっき出会った初対面の人にそんな重い内容を伝える必要性はない。言われた方が困るだろう。


「あの、その記憶が無くなっておられるのですか?……あ、申し訳御座いません。良く知りもしない私が聞いて良い事ではありませんでした」


 喋っている最中にはたと気付き、失敗したと顔を俯け髪先を指で弄る姿もまた可憐だった。好物だ。


「いえ、こちらこそ不快な話をしてしまい申し訳御座いません。確かにこの私は記憶を無くしております。その所為で入学が少々遅れてしまいましたが、特に何の問題もありませんので気にしないで頂けると嬉しいです」


 はっはっは、と軽く笑う私に何とも言えない表情を向ける月浦さんが可愛らしくて溜まりません。その可愛らしさにほくほくと心を温かくしていれば、ガタンと音を立てて扉が開く。


「ほんと、ごめんなさいね。月浦さんにまで迷惑掛けてしまって。はぁ、自分が情けない」


 出て早々、月浦さんに謝るいなほ。他人に迷惑を掛ける事が苦手な性格なのだ。私もその性質だから良く分かる。迷惑を掛けてくれても良いと言われても出来ないのがこの手の人間なのだ。


 ともあれ、少し憔悴してはいるが元気そうで何より。


 頭から水をぶちまけられるとかそういった事はないようだった。トイレであった事も不幸中の幸いだったのだろう。排泄に伴う自尊心の崩壊を目指すならトイレは不適切である。それこそ体育館倉庫や何処かの部室にでも閉じ込めておいた方がベターだ。


「いなほさんは何の迷惑もかけておられません。寧ろ私の方こそクラスでこのような事があった事実を今まで知らずにいた事、大変申し訳なく思います」


「そりゃまぁ月浦さんとかには基本的に知られないように事を行っている人達だもの。分かるわけがないのよ。この馬鹿ペンギンが巻き込まない限りは絶対に知ることはなかったと思うよ」


 ぎろりと睨まれる私。いや、偶然だって。


「どういう意味でしょうかそれは?もしかしていなほさんがこういった事をされる原因は私にあるのでしょうか?もはや知らなかったでは済まされません。無知は罪です。どうか教えて頂けませんか?」


「無知は罪とかお姉ちゃんみたいな事言わないでよ。というか今のも私のせいか。口滑らせ過ぎねほんとに。緩んでるなぁ」


 ゆるいなほ。何ともいえないこの語感にエロティシズムを覚えるのは私だけではないと思いたい。


「にやけるなペンギン面。気持ち悪い。……あれよ。美少女の取り巻きになって自分の地位を高めたい群がりたい盛りの狐達って言えば分かる?あぁ、ごめん。狐さんに悪い表現だったわ」


「虎の威を借る狐。んでその内に虎の胃を狩ってしまうわけね。なるほど、とは思うけれども……いなほも十分美少女な件について」


「えぇ、いなほさんは大変御可愛いですわ」


「どうもありがと。んで、ランキングがあるのよランキング」


 美少女と言われて否定しない辺りが流石だった。言われ慣れてるよこの子。将来が怖いっ。


「まぁ、そういうランキングが誰によって作られているのかは分からないし、多数による投票で決まったのかもしれないけれども、そこに……あの子がいるのよ」


「あぁ、なるほど。いなほよりあの子の方が順位が高いと。合点がいったよ。つてもそれならいなほに投票してる人はいなほの味方にならないの?」


「んー。目的が威を借る事だから、あの子にああいう態度を取る私は同じくランカーだからって言っても淘汰されるというか。次のランキングが更新される時には私の名前は消えるんでしょうねぇきっと」


 あの子?と頭がハテナになっている月浦さんに向かって、「校門にいけば見られると思う」と伝えれば、いなほが予想通り嫌そうな表情をする。


「まだいるの?はぁ、全く……こういう事されるよりあの子の方が苦手よほんと…もうっ」


「落ち着きなさいな。にしてもそんな事良く知ってるなぁ」


 『情弱』という台詞と共にいなほが説明してくれた所によれば一時期流行った裏サイトみたいなものだった。会員制サイトと言えば言葉は良いが結局は恨み辛み妬みを書き綴った便所の落書きだ。時代の進化とともに画像やら動画をアップする機能も搭載されているようだった。ただ、皆が皆知っているわけではないらしく、知る人ぞ知るといった所みたいである。


 いなほ自身は図書館でそれを見ていた子が愚かにもブラウザにパス保存して去って行ったのを使って偶々見ただけだそうだ。見ても何の得も得られないとすぐに閉じようとしたのだが、自分の名前があって興味をそそられて見てみればランキング情報まとめが載せられていたのを発見と相成った。


 いやはや、オンラインにそんな情報を置いてどうするんだという話ですよ全く。と思っていれば、「一応学内サーバ内みたい。灯台下暗し」との事だった。


「若宮君がネットワークについて調べていたのはそういう理由なのかな。生徒が学内サーバーにそんないじめの証拠を残しているのがばれたら大変だものなぁ。管理者権限でさくっと削除できそうなもんだけど、なんでしないんだろう」


「それは知らないけど……っていうか何よその若宮君て」


「え、数学の若宮君」


「えっと……蓮花さん、でよろしいですか?いなほさんが言いたいのは誰という意味ではなく、呼び方の事だと思いますよ」


「いえ、もちろん分かってて言ってますよ。んで、蓮花でもれんちゃんでも何でも可です。鞍月のペンギン担当というのもあり。折角なので私も湖陽さんって呼ばせてもらって良いかな?」


「何抜け駆けしてるのよペンギン面。私もそうするからね、湖陽さん」


「えぇ、もちろんです♪」


 嬉しそうだった。出会ってから一番の笑顔だった。そして一番の問題はここがまだトイレの中だという事だった。とりあえず、持って来ていたカバンをいなほに渡して三人してトイレを出て、電気を消す。


 てと、てとと音を立てる暗い廊下を歩きながら校門へと向かう。


「あ、それでお姉ちゃん。若宮先生人気あるからそんな言い方してたらいつか刺されてペンギン刺しだよ。いくら私でもテレビ越しにお姉ちゃんの顔はみたくないよ」


「えぇ、そうですよ。それは私でも知っておりますわ。クラスにも数人そういう方がおられるみたいですし」


「二人して大げさな。まぁ他では言わないようにします。っと、そういえば湖陽さんもご一緒にいかが?……あぁ、夕食は家ですよね、普通」


 大学生とかだと一人暮らしが多いので外食する時はつい声を掛ける癖が抜けない。


「先ほど仰っておられたB級グルメですか?誘っていただけるのでしたら是非ご一緒したく思いますわ。今週はずっと両親がいないもので、食事を考えるのがそろそろ億劫になってきておりましたの。日頃の母の苦労の一旦が見えましたわ……あら、また愚痴っぽくなってしまったわ」


「のーぷろぶれむ。じゃあ決まりだね。うちも両親旅行中なのよ。今週ずっとなら明日はギョーザいこう、ギョーザ。私の大好物なのよ。是非湖陽さんにも知ってもらいたいわ。いいわよね?ね?」


「ギョ、ギョーザですか……あ、いえ。お誘い頂きありがとうございます。いなほさん。是非ご一緒させて頂ければと思いますわ。それにしてもギョーザのお店というのはどういったものなのでしょう。ギョーザしかメニューにないのでしょうか?」


「そういうわけじゃないよ。ま、明日のお楽しみにしておいてよ!よっし、そうと決まれば今日のB級グルメツアーにさっさと行くわよっ!」


「……『明日はまたギョーザになりましたなう』……そういえば日記途中だった」


 スカートのポケットからスマホを取り出し、話す二人を余所にして先ほどまで書いていた文章を見直し……おや、増えてない。荒らしさんが立ち去った事を確認して続きを書く。


『私の人生に清楚系大和撫子登場。


 清楚な大和撫子とか半端ない。リアルでお目にかかれるとは思いませんでした。スタイルはそこそこだけれどシミ一つない白い肌とか何なの。触ったらすべすべしそうだし。あの瑞々しい艶やかな髪は半端ないですよ本当に。この学校美少女多いけどその中でもかなり上位に位置する子なのは間違いない。あぁ、上位といえばその子は学年一位の才媛なんですよ。もう物語の登場人物としか思えません。この子とうちの妹が絡んでくれてなおかつMちゃんと三角関係にでもなってくれれば言う事ないのだけれど、どうすれば良いでしょうか。是非お知恵を貸していただける方が居られれば!』


 そこまで書いて、どうせこの後、茅原みずきちゃんといなほのやり取りが追加されるだろうからと一旦保存作業をしていたら、視界からスマホが消える。


「いなほ、人のスマホを取っちゃ駄目だって言われなかった?」


「人だったらね」


「いなほさん、姉妹間の問題にお節介かもしれませんが、やはり親しき仲にも礼儀ありだと思いますよ?」


 ペンギン扱いしかしてくれないいなほとは違って湖陽ちゃんは味方だった。今時珍しいよこんな良い子。本文に追記するしかない。


「湖陽さん、このペンギンを甘く見たら駄目なのよ。このペンギンは人の皮を被った変態なのよ。人の生態を観察して日記に書いてアップする変態なんだから気を許したら駄目よ。ほら、やっぱり。今だってこっそり湖陽さんの事を書いてるんだから」


 いなほから渡されたスマホを慣れた手付きで操作して本文を読む湖陽さん。私のような中身二十数歳という魔法使い見習いではなく、現代っ子なのだから当たり前なのだろうけれど、やはりちょっと違和感を覚える大和撫子だった。


「あら?……あら?……お恥ずかしい。私を褒めても何もありませんよ。それと、折角ですけれども私はどちらかといえば蓮花さんの方に興味がありますわね。是非他の日記の方も拝見さえて頂きたく思いますわ」


 鷹のように鋭い視線と柔らかく笑みを含んだ口元。流し目とはこういう物を言うのだろうか。瞬間、心臓を鷲掴みにされたかのような苦しさを覚える。


「湖陽さん駄目よ、初対面だからって気を使ってこれを甘やかしたら。私達みたいな美少女が一緒に歩いて声を掛けてあげているだけでこのペンギンには十分すぎる程飴なのよ」


「ふふ、もう。いなほさんたら。ごめんなさいましね、大事なお姉さんを取ってしまって。もう少し自分に正直になった方がよろしいのではないでしょうか?うかうかしておられましたら、私が取ってしまいますわよ?」


「ち、ちがっ!?まったく、湖陽さんってこういう人だったんだ。嬉しい発見っていえばそうなんだけど、何だか釈然としない。というかお姉ちゃんの味方する時点で何か色々おかしいって!……はぁ。やっぱ印象は印象よね。話してみないと分からないってのは確かだわ。教室でも静かに本を読んでたりするからなおさらかも」


「あら、私だって思春期の女の子ですよ。いろんな事に興味があってもおかしくなくありませんか?確かにコミュニケーション能力が低いのは理解していますけれどね。それと教室で読んでいるのも期待に答えられなくて申し訳御座いませんが、純文学とかではありませんよ。大衆向けの娯楽小説です。恥ずかしながら雑食系活字中毒なんですよ私」


 何気にノリが良い子だった。


 きゃっきゃと目の前で言い合う二人がたまらなく良い。たまらなく良いのだけれども、しかしそれを見て不愉快に思う人がいる事も確かであった。特に自分が仲良くしたい相手が別の誰かと仲良くしているシーンを見せつけられた人にとっては大層、不愉快な事だろう。


「あら、いなほさん。こんなに遅くまで何をしていらっしゃったのかしら?先生方に怒られてでもいらしたのでしょうかね?まったく、こんな遅くまで大変ですわね。何でしたらご自宅までお送りしてもよろしいですわよ?」


 自分の事を棚に上げるブロンド少女が校門にいた。


 暗がりに電灯の下にブロンドのわがままボディの少女がいるというのが何ともこう、犯罪の温床になりそうだった。頼むからもう少し自分のレアリティさを自覚して欲しいと思わないでもない。が、そこまでしていなほの事を待てる情熱が本気で凄いと思います。加えて、微妙に声が震えているのは寒かったからだろう。それでも待っていたこの少女の想いが、正直たまらなく私を震わせます。メモメモ。


 そんなテンションマックスな少女と、目が爛々になっているこの私とは対照的にいなほといえばテンションミニマムな表情へと落ちて行く。


 けれど、


「はぁ。まったく、何でそこまで私に構うのよ貴方は。こんな寒い所で長々と私なんか待たなくても良いじゃない。もうちょっと自分の事考えて行動しなさいよ。もう遅いし、今日は貴方の相手はしてられないのよ。それにこんな遅くに帰ったらご両親が心配するでしょう?ほら、早く帰りなさい。また今度ね、みずき」


 告げる言葉はどこか優しさが見え隠れしていた。


 それは受けた側も挙動不審になるぐらいで、私もあれ?と不思議に思うぐらいだった。当然、初対面な湖陽さんからすればハテナマークが大量噴出だろう。


「あれ?あら……名前を?あら……えぇ、はい。その……えぇ、分かりましたわ。そう仰られるなら仕方ありませんわね。今日の所は先に帰らせていただくとしますわ。えぇ、また今度ですわ、いなほさん」


 何だか調子がおかしいな?とひとつ首を傾げてとつとつと歩いていく。


 声を掛ける側もそんな風にいなほが対応してくるとは思っても見なかったからだろう。消化不慮だけれどもそれでも色々得るものはあったと判断し、西洋風の妖精の如くひらひらふらふらと退散したようである。意外といさぎがよいというわけではなく、いなほに名前を呼ばれてスタックオーバーフローと言った所だった。アニメだったら頭から煙がぷしゅーっと出ているに違いない。


「よろしいのですか?あの方、茅原みずきさんですわよね?……折角ですから彼女も御誘いすれば」


「ごめんね、湖陽さん。それはちょっと出来ないのよ。あの子は良い所の子だからね。B級グルメなんてそんな物食べた事がご両親に知られたら怒られる……って、何で私があの子の心配してるのよ。もう!今日は駄目っ!あーもう忘れてよ二人とも。今日の私は私じゃないの。明日からの私が本いなほよ。今日の私は偽いなほだからね」


「はいはい。メモメモ」


「おいこら鞍月ペンギン。お前はもう一回記憶喪失になって何もかも忘れとけ」


「何その皇帝ペンギンみたいな響き、ちょっと可愛い。鞍月のペンギンの方とか言われるより良い」


「くそっ。今日の私は何なの?馬鹿なの?裏目裏目行きすぎじゃない?もーっ!先行くからっ!」


 道分かるのかよ、という突っ込みはあえて入れないのが大人の嗜み。きっと道が分からなくなったら戻ってくるだろう。


 暗がりを一人ずいずいと先に進むいなほの様子を見て湖陽さんはくすくすと笑みを浮かべていた。楽しそうに目を細め、手のひらで口元を押さえながら笑っていた。


 美人には笑顔が似合う。やはり、彼女は月明かりに照らされた女神と称すのが相応しい。神話の時代より連綿と伝わる美の女神。透き通るような白い肌はまさに宝石の如く。あぁ、こんな綺麗な子がいなほと百合百合してくれたらなと思う。そうすれば私はきっとこの人生を楽しめる。それはそれは楽しい人生を送れるだろう。


 けれど、女神はただ美しいだけは女神足り得ない。嫉妬に、愛欲に、性欲に、恋愛に、殺戮に、狂気に、享楽に、溺れるのが女神だ。


 だから、そんな楽しい人生の幻想なんて、綺麗なだけの女神様の存在なんて、夢見る前に崩れるのだった。そう、崩れるのは一瞬だった。


「まったく、折角ブロンドの美少女とご一緒できるチャンスだったのに。


 いなほさんは意外といけずだわ。まぁでも、彼女にすればいなほさんのそういう所も良いのかもね。ツンデレというよりもマゾヒスティック?……いなほさんも別に本気で嫌っているわけじゃないみたいだからその内仲が良くなったら二人が並んでいる姿見られるかもしれないし。二人で手を繋いでデートする事もあるかもね。その時が来たら是非声を掛けて頂戴ね。一緒に後を追って観察しましょう。ちっこい美少女とブロンド美少女の絡み合いとか是非見たいわ。えぇ、もう永久保存版ね。動画必須よ。撮影はお願いするわね。


 しかし、貴方ももうちょっとがんばらないと。だらしないってわけじゃないけれど、ほら、いなほちゃとみずきゃんの仲を取り持つ気満々なんでしょ?私も協力するからさっさとやるわよ。


 えぇ、ほんと、別に貴方の趣味を理解する気は毛頭ないのだけれども現実だったらそんなものないものね、えぇ。分かってるのよ。この世界にそういうものはない。現実に存在するものはもっと違ったものだからね。私が求めているようなものはないのよ。そんな事分かり切っているわ。それでも私はそれを求めずにはいられないのよ。分かる?分かるわよね貴方なら。私とは別の意味で貴方の目指すものもあり得ないのだから。そうでしょう?そんな心が綺麗な少女達がこの世界にいると思っているの?本当に思っているとしたら、今すぐ首を切りなさい。見取ってあげるわ。


 あら、だんまり?もう。察しなさいよ。というか同じ学校の同級生だとは思わなかったわ。いなほさんにスマホ見せられた時はどう取り繕うかと思ったわよ。全く、この私を動揺させるとかやるわね貴方。これでも私、優等生なんだから変な趣味がある奴だと思われたら困るじゃない。あぁ、いえ、別に隠す気はないのだけれども、世間体と言う物もあるのよ。もっとも作られた世間体という奴だけれどね。私本当はお嬢様でも何でもないのよ。普通の一般宅に住む一般人。容姿の所為か子供のころからお嬢様扱いされてそれが板に着き過ぎてしまったって奴よ。実は単なるふたなり好きっ子なのだけどね。だから喋り方とかも気を使ってるのよ、疲れるのよあの喋り方。こっちの方が相当に楽だわ。はぁ、外でこの喋り方するの何年ぶりかしら?ありがとう。感謝してる。


 しかしあれね。ヲチしてるブログの管理人が同級生で女の子とか、私萌えまくりよ。あぁ、サイトでは妄想日記なんか辞めて妹日記を!とか書いた記憶があるけど今後は応援する事にするわね。貴方の垂れ流した妄想を私もっと見たいわ。顔を知ってる相手の妄想日記とか溜まらないもの。貴方があんな事を妄想しているとか想像するだけで昂るわ。酷い人ね貴方。私をこんなに興奮させるなんて。ほら、頬が熱くなって火照ってきたわ。分かる?褒めてくれてたけど肌白いから興奮するとすぐばれちゃうのよ。ほら、見て。どう?赤いでしょう?貴方の所為よ。責任とって頂戴ね?


 はぁ、素敵な日、今日は。こんな偶然ってあるのね。いいえ、きっと必然に違いないわ。えぇ、この必然を大事にするためには貴方にふたなりの良さを教えてあげるしかないわね。さぁ、ほら早く行きましょう。一緒に語り合いながら夜の道を行きましょう。さぁさぁ。」


 突然口調を変えて喋りまくる湖陽さんへ私が返せる台詞があるとすれば、だ。


「いい加減黙っとけ、男根主義者ファロクラシー



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