「あなたはしっかりしてるから」と言われ続けた私は、実家の鍵を返しました
「みずき、悪いんだけど、お父さんの入院の手続き、お願いできる?」
母からの電話は、いつもこの言い方で始まる。
お願いできる?と聞かれているのに、断るための隙間が、どこにも空いていない。
「あかりは仕事が忙しいから。……ほら、あなたはしっかりしてるから」
私は三十四歳。妹のあかりは二十九歳。父が玄関の上がりかまちで足をすべらせて、太ももの付け根を折ったのは、六月十六日のことだった。
その日から今日まで、病院に行ったのは私だ。書類を書いたのも私だ。
あかりは一度だけ来た。母は一度も来ていない。腰が痛いから、というのが理由だった。
◇
病院の入退院支援センターは、平日の午後でも椅子が全部埋まっている。
私は膝の上でバインダーを支えて、入院申込書の保証人欄に自分の名前を書いた。続柄、長女。二枚目は限度額適用認定証の申請の控え。三枚目は入院中の持ち物の一覧。バスタオル六枚、フェイスタオル六枚、蓋つきのコップ、吸い飲み、前開きの寝間着を三組、名前は全部にマジックで。
四枚目は転院先の希望を書く紙だった。五枚目には、退院したあとどこで生活するのかを書く欄があった。まだ何も決まっていません、と書きたかったけれど、そういう選択肢はなかった。自宅、施設、その他。私は「自宅(要相談)」と書いた。
「ご家族の方、ほかにいらっしゃいますか」
窓口の人が言った。悪気はない。ただの手続きの確認だ。
「母がいます。あと、妹が」
「じゃあ転院先のご相談は、みなさんで一度……」
「私が来ます」
言ってから、自分の声のなめらかさに少し驚いた。練習した覚えもないのに、私はこの台詞をもう何十回も言っている。
◇
四階の病室に寄った。父は窓のほうを向いて横になっていた。
「お父さん、来たよ」
父は首だけこちらに向けて、「おう」と言った。それだけだった。折れたのは足なのに、この二か月で、父はずいぶん喋らなくなった。
ベッドの脇の棚に、私が持ってきたコップとタオルが積んである。マジックで書いた名前は、全部私の字だ。
「リハビリ、どう」
「まあな」
「転院の話、来週決めるね」
「そうか」
看護師さんが体温計を持って入ってきて、私を見て「今日もいらしてるんですね」と言った。岡西さんだ。この二か月で、私はこの階の看護師さんの名前をほとんど覚えてしまった。あかりは一人も知らない。
帰りぎわ、父が「あかりは」と聞いた。
「仕事」
「そうか」
父はそれ以上、何も言わなかった。父はあかりのことを、いつも一度だけ聞く。私が来ていることには、何も聞かない。来ているのが、見えているからだ。
◇
鞄の中でスマホが震えた。あかりだった。
『お姉ちゃんごめん! 今日どうしても抜けられなくて』
『ほんと無理そう』
『お姉ちゃんいるから助かる~』
うさぎが手を合わせているスタンプが、続けて二つ。
私は「大丈夫」と打って送った。三文字。打つのに十秒もかからない。
この十秒を、私はもう二十年やっている。
駅のホームで、今度は母から電話がかかってきた。今日で三度目だった。
「みずき? あのね、お父さんのパジャマ、あれ、洗濯どうしたらいいのかしら」
「病院で借りてるやつだから、洗濯はいらないよ。前に説明したでしょ」
「そうだったかしら。……あかりに聞いても、分からないって言うのよ」
聞いていないのだと思う。あかりは「分からない」と言えば、母がそれ以上聞かないことを知っている。
「じゃあ、お願いね。あなたはしっかりしてるから」
電車が入ってきた。風で前髪が持ち上がった。私は「うん」と言って、電話を切った。
◇
私の仕事は、住宅地図の校正だ。
一軒ずつ、表札の名前と、番地と、アパートの部屋数を、前の版と突き合わせる。表札が「渡辺」から「渡邊」に変わっていれば直す。角の家が更地になっていれば、駐車場になるのか、まだ何も決まっていないのかを、外業の担当に確認する。
地味な仕事ですね、とよく言われる。実際、地味だ。
でも、この地図を持って走る人がいる。郵便も、宅配も、訪問看護も、救急車も。番地がひとつずれていれば、誰かの家の前を通り過ぎる。
去年、消防から問い合わせが来たことがあった。現場の表示と地図が合わない、という話だった。調べたら、うちの地図のほうが正しくて、現場の街区表示板が古いままだった。私のミスではなかった。それでも私は三日間、眠りが浅かった。
就職が決まったとき、母は「みずきらしいね」と言った。ほめ言葉のつもりだったと思う。
たしかに私は、間違いを見つけるのが得意だ。
どこで身についたのかも、知っている。
◇
実家の二階には、部屋が二つあった。
南向きの、日の入る六畳がぜんぶあかりの部屋で、北側の四畳半が私の部屋だった。あかりは寒がりだから、というのが理由だった。冬の朝、私の部屋の窓は内側が白く曇って、指で押すと水になって落ちた。
高校を選ぶとき、私は自分から近くの県立を選んだ。学費がかからないほうがいいでしょ、と言ったのは私だ。大学にも行かず、卒業してすぐ働きはじめた。五年後、あかりは私立の高校に入り、そのまま私立の専門学校に進んだ。母は「あかりは手に職をつけないと不安だから」と言った。
ピアノは、あかりが「やりたい」と言って始めて、一年半でやめた。私は最初から習っていない。習いたいと言わなかったからだ。言わなかったのは、うちにそんな余裕がないことを、私は知っていたからだった。
成人式の振袖も、あかりのは呉服屋で誂えた。私のときは、母の従姉が昔着たものを直して着た。写真を撮るとき、母は「みずきは背が高いから、こういう古典柄が似合うのよ」と言った。似合っていたと思う。それは本当だ。
ただ、あかりのときに「似合う」という言葉が使われなかったことを、私は覚えている。誂えるのに、理由はいらないからだ。
そのたびに母は言った。
「みずきはしっかりしてるから、分かってくれるよね」
私は分かる子だった。だから分かるふりを続けた。分かるふりを二十年続けると、それはもう、ふりではなくなる。
◇
一度だけ、言ったことがある。
二十三の年だった。働きはじめて五度目の冬に母から電話が来て、あかりの専門学校の入学金が足りない、と言われた。私は「なんで私に言うの」と聞いた。自分の声が震えているのが、自分でも分かった。
母は泣いた。電話口で、子どもみたいに泣いた。
「みずきまで、そんなこと言うの」
その日から、私は言わなくなった。
私が何かを言うと、この家では誰かが泣く。泣かれるくらいなら、自分でやったほうが早い。
私がこの家で身につけたのは、たぶんそれだ。
◇
父が足を折ってからの二か月で、私がやったこと。
介護保険の申請。要介護認定の訪問調査の立ち会い(平日の午前十時。有給)。主治医との面談(平日の午後三時。有給)。回復期のリハビリ病院の見学が三か所(一か所は土曜、あとは有給)。父の年金の振込先の確認。実家の電気とガスと水道が父の口座からの引き落としだったので、止まる前に母の口座へ変更。庭の水やり。入院着のレンタル契約。おむつの追加注文。親戚への連絡が十一人。それから、母から日に三回か四回かかってくる電話の対応。
有給は今年の分を使い切って、去年の繰り越しに入った。チーフには「家の事情で」としか言っていない。詳しく話せば同情されるし、同情されると、次に休むときに言い出しにくくなる。休む理由を説明する体力も、そのころにはもう残っていなかった。
母からの電話は、たいてい用件が一つで、その一つが五分ではすまない。テレビでやっていた保険の話。隣の家に新しく停まっている車の話。あかりが最近元気がないという話。私は洗濯物を畳みながら聞いて、最後に「で、どうすればいい?」と聞く。すると母は決まってこう言う。
「あなたが決めてちょうだい」
あかりは一度だけ病院に来た。父の手を握って、泣いて、写真を撮って、一時間で帰った。
母はその日のことを、いまでも親戚に話す。
「あかりが来てくれてね。お父さん、ほんとに嬉しそうで」
私が来た日のことは、話さない。話すようなことが、何も起きないからだ。私が来ると、書類が減る。それだけだ。
一度だけ、母に「私、毎週来てるよ」と言ってみたことがある。母は「知ってるわよ」と言った。
知っていて、話さないのだ。話すほどのことでは、ないから。
久美子おばさんは父の妹で、電話をかけてくるとこう言う。
「みずきちゃん、あかりちゃんのぶんまで頼むわね。あの子、昔から要領が悪いから」
私は「はい」と言う。
「はい」は、いちばん短く電話を切れる言葉だ。
◇
その週、私は仕事で初めて大きなミスをした。
北のはずれに新しくできた分譲地の住居表示が、六月に一斉に変わっていた。外業の久保さんが上げてくれた報告書は、ちゃんと私の机の上にあった。私はそれを開いて、確認済みの印まで押していた。
なのに、直していなかった。
十七軒。丸ごと、古い番地のまま刷り上がった。
チーフは怒らなかった。それがいちばんこたえた。
「みずきさんが見落とすとは思わなかったから、二次校正、軽くしちゃった。こっちのミスだよ」
違います、と言うべきだった。でも喉の奥が詰まって、声にならなかった。
その日、私は会社のトイレで、声を出さずに泣いた。
間違いを見つけること。それが私の、たったひとつの取り柄だった。
その取り柄まで削って、私はいったい、何を守っているんだろう。
◇
土曜日、私は実家へ行った。電車で一時間半。
抱えていったのは、A4のファイルが一冊。厚さは五センチ近くあって、鞄のファスナーが閉まらなかった。
台所のテーブルに置くと、ごとん、と鈍い音がした。
「なに、それ」
母がお茶を淹れる手を止めた。あかりはソファでスマホを見ていて、顔だけこっちに向けた。
冷蔵庫には、私が書いた予定表が貼ってあった。面会の時間、リハビリの曜日、支払いの日。マグネットで四隅を留めてある。
この家のなかで私の字が残っているのは、たぶんこれだけだ。
「お父さんのこと、ぜんぶ」
私はファイルを開いた。インデックスが二十二枚立っている。
「一番が保険証と限度額適用認定証。認定証は八月三十一日までだから、更新の申請がいる。二番が介護保険。要介護二で認定が下りてるけど、退院してリハビリが進んだら区分変更をかけたほうがいい。三番が転院先。三か所の資料と、それぞれの空きの状況。今のところ第一候補が二十日までに返事をくれって言ってる。四番が年金。五番が光熱費。名義はお母さんに変えたけど、口座の残高は毎月見ておいて。六番が親戚の連絡先。誰にどこまで話したか、日付を書いてある。七番が入院費の明細。十番までが病院からもらった説明の紙で、十一番が――」
「ちょっと待って」
母がさえぎった。
「なんでそんな、言い方するの」
私は手を止めた。ここから先は、何度も頭のなかで言った台詞だった。声に出すのは初めてだ。
「私、もう、しません」
台所が静かになった。冷蔵庫の音だけがしていた。
「……お父さんを、見捨てるの」
「見捨てません。私がやるのを、やめるだけです」
「同じことでしょう」
「同じじゃないです。私がやめたら、お母さんとあかりがやる。それだけです。誰も見捨てられません」
「私、六十四よ」
「私は三十四です」
言ってしまってから、少し息が上がった。こんなに短い文で人と言い合うのは、生まれて初めてだった。
あかりが立ち上がった。
「お姉ちゃん、そういうとこだよ」
「そういうとこ、って」
「なんか、怖いんだよ。全部きっちりしてて。私、そういうの、ムリだから。ほんとにムリだから」
ムリだから。
その言葉を、私は数えきれないほど聞いてきた。ムリだから、が言えるということは、代わりにやる人がいるということだ。私はそれを言ったことがない。言ったら、誰もやらないからだ。
「お姉ちゃんはさ」
あかりが、床のほうを見たまま言った。
「私のこと、ずっと馬鹿にしてたでしょ」
「してないよ」
「してたよ。何にも言わないで、全部やって、ため息ついて。あれ、いちばんきついんだからね」
そうかもしれない、と思った。ため息をついていない、とは言えない。
でも、ため息をつかずにやる方法を、私は知らなかった。やめるには、やめるしかなかったのだ。
母がテーブルに手をついた。
「だってあなたは、頼まなくてもできる子だったじゃない」
そこで初めて、母の声が震えた。
「あかりは、言ってあげないと何もできないの。私はずっとあの子が心配で、心配で。……あなたのことは、心配しなくてよかったの。それって、いいことでしょう」
ああ、そうか、と思った。
母は手をかけることを愛情だと思っていて、手をかけなくていいことを、安心だと思っていた。母のなかで筋は通っている。通っているけれど、その筋の下に私が敷かれていた。二十年ぶん、私はきれいに安心されていた。
「お母さん」
「なに」
「私、心配されたことなかったよ」
母は何か言いかけて、やめた。
私は鞄から鍵を出して、ファイルの上に置いた。かちり、と、思ったより小さな音がした。
「合鍵、返します。何かあったら電話してください。出られるときは出ます」
母は鍵を見て、それから私を見た。手は動かなかった。
「みずき」
「はい」
「……気をつけて帰って」
玄関を出るとき、あかりが追いかけてきた。何か言うのかと思ったら、「お姉ちゃん、傘」とだけ言って、傘立てから私のビニール傘を出してくれた。三年前に置いていったものだった。
私はそれを受け取って、頭を下げて、歩きだした。
◇
帰りの電車で、窓に映る自分の顔を見ていた。
私は見捨てたのかもしれない、と思った。父は六十八歳で、まだ自分では歩けない。母は六十四歳で、スマホの通知の消し方が分からない。あの家は、私が抜けたら回らない。
回らないことは、知っている。
知っていて、抜けた。
乗り換えの駅で、私はホームのベンチに座って、電車を二本見送った。膝の上に何もないのが、変な感じだった。この一年、実家からの帰りはいつも、鞄のなかに持ち帰る書類が入っていた。
三日後、母から電話が来た。取らなかった。次の日も来た。取らなかった。夜、留守番電話に「あのね」とだけ入っていて、その先は何も入っていなかった。何を言えばいいのか、母にも分からなかったのだと思う。
一週間後に一度だけ出た。母は転院先の書類の場所を聞いてきた。私は「ファイルの三番です」と言った。母は「あなた、冷たくなったね」と言って切った。
この二か月、夕飯は駅で買って帰るおにぎりか、立ったまま食べるパンだった。その夜、私は久しぶりに台所に立った。しめじと豚肉を炒めただけのものを、テレビもつけずに食べた。おいしいとも、まずいとも思わなかった。ただ、明日の朝までに片づけないといけない用事が、ひとつもなかった。
そのことに気づいて、皿を持ったまま、しばらく動けなかった。
食べ終わってからスマホを見た。通知はゼロだった。ゼロの画面を、私はしばらく眺めていた。この二か月、この画面にはいつも赤い丸がついていた。
◇
三週間が過ぎた。
あかりから、長いLINEが来た。
『お姉ちゃん、限度額のやつって何?』
『市役所から茶色い封筒きてる』
『介護保険の区分変更って期限あるの?』
『あと転院、二十日までに返事しないと部屋なくなるって言われた』
『ていうかこれ、全部お姉ちゃんがやってたの?』
私は「ファイルの一番と三番に全部入ってる。日付も窓口の名前も電話番号も書いてある」とだけ返した。
既読がついて、それきり返事は来なかった。
母は、市役所に行ったらしい。あかりが後から教えてくれた。
高齢者福祉の窓口で、母が申請書の書き方が分からずに手が止まっていたら、職員の人がこう言ったそうだ。
「これまでのお手続き、ずいぶんきちんとされてますね。どなたがされてたんですか」
母はそれに答えられなくて、しばらく黙っていたという。
「それで、お母さんなんて言ったの」
「なんも言えんかったって。悔しかったんじゃない、たぶん」
あかりはそう言って、少しだけ笑った。庇っているのが私なのか母なのか、私には分からなかった。
◇
久美子おばさんは、今度はあかりに電話をかけるようになった。
あかりから電話が来たのは、九月の終わりだった。
「おばさんに言われた。『あかりちゃんはしっかりしてるんだから、お母さんのぶんまで頼むわね』って」
「そう」
「……お姉ちゃん、あれ、ずっと言われてたの」
「うん」
あかりは、少し黙った。
「重いね、あれ」
「うん」
それだけだった。あかりは謝らなかったし、私も許すとは言わなかった。ただ、あかりは今月、要介護認定の区分変更の申請を自分で出した。書き方はファイルの二番を見たそうだ。二回書き直したと言っていた。
私は「そう」と言った。すごいね、とも、やっとだね、とも言わなかった。
言うと、また私が採点する側になってしまう。私はもう、あの家の採点係を辞めたのだ。
◇
父から電話が来たのは、十月に入ってからだった。
転院先のリハビリ病院の、談話室からかけているらしかった。テレビの音が遠くに入っていた。
「みずきか」
「うん」
「……書類の字な。あれ、ぜんぶお前だったんだな」
私は返事をしなかった。
「入院してから、俺の名前がいろんな紙に書いてあるのを、ぼんやり見とった。字がきれいだな、と思っとった。あれ、お前の字だったんだな」
「うん」
「悪かったな」
父はそれだけ言って、じゃあ、と切った。
ありがとう、ではなかった。私は、ありがとうよりも、そっちのほうがずっとよかった。
母から電話が来たのは、その週の日曜だった。身構えて出たら、用件がなかった。
「みずき。ごはん、ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
「そう。……そう」
用件のない電話を、母からもらったのは、たぶん初めてだった。
私は実家には戻らない。手続きも代わらない。あの家の鍵も、もう持っていない。
でも、電話には出ようと思った。それくらいなら、私の生活はへこまない。
◇
十一月に出た新しい版の地図には、あの十七軒の番地が正しく入っている。
自分で直した。外業の久保さんに現地をもう一度回ってもらって、表札まで一軒ずつ確かめた。
地図の奥付には、小さい字で校正担当の欄がある。今度の版から、そこに私の名前が載った。自分のやったことの隣に自分の名前があるのを、私はずいぶん久しぶりに見た。
刷り上がりを見ていたら、久保さんが後ろから覗きこんできた。
「みずきさん、今度の土曜、空いてます?」
「空いてます」
即答してしまってから、少し恥ずかしくなった。土曜が空いているというのは、私にとってはまだ新しくて、うまく扱えない。二十年ぶんまとめて返ってきた休みの日は、思っていたよりずっと長い。
「地図に載ってない道、歩きに行きませんか。西の谷のほう。畦道みたいなのがいくつかあって、あれ、載せるかどうか毎回もめるんですよ」
「お仕事ですか」
「違います」と久保さんは笑った。「載せるかどうかで悩むのは、月曜の私です。土曜は、ただ歩くだけです」
地図に載っていない道は、歩いてみるまで、どこへ続いているか分からない。
私は、行きます、と返事をした。
(了)




