第6話:【急展開】王都がピカピカすぎて住めない!? リト、城を丸洗いする
宿場町での騒動から数日。
リトとアルテミスは、帝国の心臓部である帝都『グラン・ゼニス』の正門前に立っていた。
アルテミスが所属する帝国騎士団の本部があり、さらには皇帝の親書を携えた使者が「聖者様をぜひ我が都へ」と血相を変えて迎えに来たためである。
「ここが、帝都……」
リトは、巨大な城壁を見上げてポツリと呟いた。
かつて彼が所属していたSランクパーティ『暁の牙』の拠点もここにあったが、雑用係だった彼は、いつも裏通りのドブ掃除や、排気口の煤払いに追われていた。こうして正門から、しかも部隊長クラスの護衛を伴って入るのは初めてのことだった。
だが、リトの表情は晴れない。
「……汚いな」
その一言に、周囲の出迎えの騎士たちがギクリと肩を揺らした。
帝都グラン・ゼニス。人口百万を抱え、魔法文明の粋を集めた黄金の都。だが、リトの『清掃眼』には、その虚飾の下に溜まった「淀み」が透けて見えていた。
立ち並ぶ工場の煙突から吐き出される黒い煙(魔導煤塵)。数世代にわたって蓄積され、石畳の隙間にこびりついた不浄の油。そして、人々が抱えるストレスや悪意が物理的な「空気の濁り」となって、都全体を重苦しく覆っている。
「申し訳ありません、リト様。私たちが当たり前だと思っていたこの景色も、貴公の目には耐え難い不潔さに映るのですね」
アルテミスが、恥を忍ぶように顔を伏せた。
彼女の全身は、今やリトの「毎日の洗浄」によって、陽光を跳ね返すほどに白く輝いている。この不透明な空気の中にいること自体が、彼女にとっても苦痛になりつつあった。リトの清らかさを知ってしまった彼女の魂は、もはや「中途半端な清潔」では満足できない体質になっていたのだ。
「いいよ、アルテミスさん。……仕事、見つけちゃったから」
リトは、背中のバケツをぎゅっと背負い直した。
「案内された客室で大人しくしてるつもりだったけど、予定変更だ。まずはこの、どんよりした空から洗わせてもらうよ」
「は……? 空を、洗う……?」
騎士たちが呆然とする中、リトは都の中心にある、最も高い時計塔へと向かって歩き出した。
帝都中央時計塔、最上階。
地上数百メートル、帝都を一望できるその場所で、リトは深く息を吸い込んだ。
「あー……やっぱり肺がムズムズする。よし、やるぞ」
リトが両手を広げる。
彼が意識を集中させると、その周囲に、かつてない規模の魔力の渦が発生した。
それは破壊の予兆ではない。ただひたすらに、純粋で、透き通った、水よりも清らかな波動。
「【超広域展開:全自動・大気洗浄結界】――起動」
カランッ。
何かが弾けるような、清涼感あふれる音が帝都全体に響き渡った。
次の瞬間、リトを起点として、青白い光の波紋が全方位へと爆発的に広がった。
光の波が帝都の空を舐めるように走る。
すると、どうだろうか。
それまで空を覆っていたどんよりとした煤煙が、まるで消しゴムで消したかのように消滅した。黒かった煙は、光に触れた瞬間に純白の「芳香を含んだミスト」へと変わり、人々の頭上に降り注ぐ。
「な、なんだ!? 息が……息がしやすいぞ!」
「見てくれ! 空が……空があんなに青かったなんて!」
帝都の住民たちが一斉に空を見上げた。
数百年もの間、魔法工業の発展の影で失われていた「本当の空」がそこにあった。
だが、リトの掃除はそれだけでは終わらない。
「上だけ綺麗にしても、下に汚れが落ちてたら意味ないよね。……二度手間は嫌だから、一気に仕上げちゃうよ」
リトが指をパチンと鳴らすと、空から降るミストが「洗浄液」としての性質を帯びた。
都のあらゆる建物、石畳、そして下水に至るまで、その光の雫が染み込んでいく。
シュゥゥゥ……ッ!
帝都全域から、心地よい蒸気が立ち上った。
数十年分の煤に汚れた城壁は、瞬時に大理石の本来の白さを取り戻し、ドブ川だった運河は、川底の砂利の一粒一粒が見えるほどの透明な水へと浄化された。
さらに驚くべきは、人々の反応だった。
「腰の痛みが……消えた!?」
「長年患っていた肺の病が、このミストを吸い込んだだけで……治っちまった!」
リトにとっては「空気の汚れを落とした」だけだが、その汚れには人々に害をなす病原菌や、魔導汚染物質が含まれていた。それらが一掃されたことで、帝都百万の民が、同時に健康を取り戻したのだ。
帝都の中心、グラン・ゼニス城。
そのバルコニーで、時の皇帝・ゼノス十二世は、震える手で自身の髭を触っていた。
「……信じられん。わしの、この黄ばんでいた髭までが、シルクのような輝きを……。都が、都が光っておる……!」
皇帝が見下ろす帝都は、もはや別の国だった。
あまりにピカピカに磨き上げられた屋根瓦が夕日を反射し、都全体が黄金色に発光している。
鑑定官たちが走り込んでくる。
「陛下! 緊急報告です! 都全域の魔導濃度が安定し、犯罪発生率が……負の感情の消失により、ほぼゼロになりました! さらには、放置されていたスラム街までが、現在、高級住宅街のような清潔さを保っております!」
「何者だ……。一体、誰がこのような奇跡を……」
「……リト様です」
バルコニーに、一人の女騎士が降り立った。
アルテミスだ。
彼女は跪きながら、誇らしげに、しかし少しだけ複雑な表情で言った。
「私の主、掃除屋のリト様が……『ちょっと空気が汚かったから』と。ただ、それだけの理由で、この都を洗浄されました」
皇帝は絶句した。
一国のインフラと公衆衛生、さらには国民の健康までを「ついで」で完璧にしてしまった男。
もはや「聖者」という言葉ですら生ぬるい。
「その男を……そのリトという御方を、何としても我が帝国の『終身名誉清掃局長』……いや、『清浄の守護神』として遇せよ! 決して、決して他国へ渡してはならんぞ!」
その頃、リトは豪華な客室で、大きな悩みに直面していた。
「……困ったな。アルテミスさん」
「はい、リト様。いかがなさいましたか? 部屋の装飾が気に入らないのであれば、私が即座に叩き壊して……」
「違うよ。……床を磨きすぎちゃって。さっきから、歩こうとすると滑って一歩も進めないんだ」
リトが磨きすぎた床は、もはや摩擦係数がゼロに等しかった。
一歩踏み出すたびに、氷の上のように「おっとっと」と滑るリト。
それを見たアルテミスの瞳が、怪しく、そして熱く輝いた。
「……ならば、リト様。私が貴公を抱えて歩きましょう。いえ、いっそ私が貴公の『椅子』となり、『足』となりましょう。……さあ、私の腕の中へ」
「え、いいよ悪いよそんなの」
「遠慮はいりません。これは、都を救ってくださった聖者様への、当然の報いです……っ!」
アルテミスは、リトを「お姫様抱っこ」で回収すると、その香しい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
ピカピカになりすぎた帝都で、二人の距離は、物理的にも精神的にも、さらに「密」になっていく。
だが、この輝きすぎる都を、快く思わない者もいた。
光が強ければ強いほど、影は濃くなる。
帝都の第一王女、冷徹なる潔癖症・フラウレルム。彼女は自室の窓から、リトによって「完璧に洗われた」都を見つめ、静かに、しかし激しく独占欲の炎を燃やしていた。
「……私の求めていた『清浄』が、あそこにあるわ。……あの男、絶対に私のものにしてみせる」
リトの掃除が、今度は帝国の後継者争いにまで波紋を広げようとしていた。




