第31話:海が黒いのは「汚れ」のせい? リト、バケツ一杯の洗剤で船出する。
聖都ルミナリスを文字通り「真っ白」に洗い上げたリト一行は、今、大陸の南端に位置する港町『アズール』にいた。
かつては「紺碧の真珠」と称えられた美しい港町。しかし、リトの目の前に広がるのは、どす黒いヘドロのような波が打ち寄せ、魚の死骸すら浮かない「死の海」だった。
「……うわぁ。これは、想像以上にやりがいがありそうだな」
リトは防波堤に立ち、愛用のバケツをコト、と置いた。
風に乗って漂ってくるのは、潮の香りではない。魔物の腐敗臭と、数百年分の「呪いの油脂」が混ざり合った、鼻を突くような悪臭だ。
「リト様、お気をつけください。この海に触れた者は、その瞬間に皮膚が腐り、魂まで汚染されると言われています。……我が聖剣ですら、この海水を斬れば刃が曇るでしょう」
アルテミスが眉をひそめ、リトの前に立ちはだかる。彼女の鎧はリトによって「超低摩擦コーティング」が施されているため、汚れを弾きはするが、それでもこの汚染の濃度には警戒を隠せない。
「大丈夫だよ、アルテミスさん。……海が黒いのは、呪いとかそういう難しいことじゃなくて、ただの『油膜』と『水質汚濁』が原因だから。……要は、巨大な洗い場だと思えばいいんだ」
リトは事もなげに言うと、懐から一つの小瓶を取り出した。
中に入っているのは、聖都の地下で採取した「原初なる不浄」を逆手に取って精製した、リト特製の『高浸透・魔力界面活性剤:オーシャン・ブルー』だ。
「リト様! まさか、その小さな一瓶で、この広大な海を洗おうというのですか!?」
掃除弟子を自称する聖女エルナが、目を丸くして叫ぶ。
「一瓶じゃ足りないけど、これは『呼び水』なんだ。……エルナさん、ネフィリムさん。二人は海の両端で、僕の魔力を増幅する『泡の防波堤』を作ってくれるかな?」
「了解。……ふふ、リトに洗われる海なんて、ちょっと贅沢すぎて嫉妬しちゃうわね」
白くなったネフィリムが、不敵に笑いながら影の力を展開する。
リトは小瓶の蓋を開けると、真っ黒な波間に、一滴の青い液体を落とした。
シュワァァァァァァァッ!!
次の瞬間、奇跡が起きた。
リトが落とした一滴を中心に、真っ白な、キメの細かい泡が爆発的に増殖を開始したのだ。その泡は、海面にこびりついていた黒い油膜を次々と「乳化」し、分解していく。
「【全自動・大規模洗浄:深海循環モード】!!」
リトが海に向かって両手を広げると、海域全体に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
通常、海を浄化するには膨大な魔力が必要だが、リトのやり方は合理的だ。彼は「潮の満ち引き」という自然の力を利用し、洗浄成分を海の深層まで効率よく循環させる。
「すご……い。黒い海が、どんどん白く……そして、透き通っていく……」
フラウレルム王女が、防波堤の上で呆然と立ち尽くす。
数分後、リトが立っている周囲数百メートルの海域は、底に沈む小石の一つ一つが見えるほど、クリスタルに輝く透明な水へと姿を変えていた。
すると、その透明な海の中から、驚きに目を見開いた美しい影がいくつも浮上してきた。
「あ……。人間が、私たちの海を……洗っている……?」
それは、汚染によって滅亡の危機に瀕していた人魚族たちだった。
彼女たちの鱗は煤けてボロボロだったが、リトの洗浄液に触れた瞬間、真珠のような輝きを取り戻していく。
「こんにちは。……あ、君たちの髪、海藻が絡まって傷んでるね。……よかったら、僕の特製トリートメント、使ってみる?」
リトの無自覚なナンパ(清掃提案)に、人魚の姫君は顔を真っ赤にして、泡の中に沈んでいった。
リトの「魔海大掃除」は、まだ最初の一拭きを終えたばかりである。




