第3話:鑑定不能。この掃除屋、規格外につき
魔獣の脅威が去り、リトとアルテミスは人里を目指して歩き始めた。
辿り着いたのは、国境付近の宿場町。帝国の玄関口として栄えるこの町には、世界中から腕利きの冒険者や商人が集まる。
二人が町門を潜った瞬間、道ゆく人々が波を打つように道を開けた。
「おい、見ろよ。あの騎士様……なんだあれ、女神の化身か?」
「装備が眩しすぎて直視できねえ。それに、あの漂ってくる香りはなんだ……? 嗅いでるだけで長年の鼻炎が治りそうだぞ」
アルテミスの全身からは、リトの洗浄によって「神性」にまで昇華された魔力が、清涼な風となって吹き抜けていた。対照的に、隣を歩くリトはバケツと箒を背負い、「やっぱり町は埃っぽいなぁ」と落ち着かない様子でキョロキョロしている。
二人は真っ先に冒険者ギルドへと向かった。
アルテミスが、変わり果てた(美しくなりすぎた)聖剣の状態を公的に確認するためである。
ギルドの重厚な扉を開けると、酒の匂いと汗臭い男たちの喧騒が広がっていた……はずだった。
だが、リトが一歩足を踏み入れた瞬間、その「不純な空気」が凍りついた。
「……ッ!?」
リトが無意識に展開している常駐型『微弱洗浄結界』が、ギルド内の悪臭や浮遊する煤塵を一瞬で分解したのだ。一瞬にして森林の奥深くのような清浄な空気に塗り替えられた室内で、荒くれ者たちは呆然とリトたちを見つめる。
「鑑定を頼みたい。この剣だ」
アルテミスが受付の奥に座る、ギルド随一の老鑑定士・ボルコスに聖剣を差し出した。
「ふむ……帝国騎士団の白銀剣か。私を誰だと思っている。数多の国宝を鑑定してきたこの目には……」
ボルコスが鼻眼鏡をクイと上げ、自信満々に特級の鑑定魔道具――万物の真理を覗くと言われる『真眼の水晶レンズ』を構えた。
そして、レンズ越しに剣を覗き込んだ、その瞬間。
パリンッ!!
凄まじい衝撃音と共に、ギルドの家宝であるはずのレンズが、内側からの圧力に耐えきれず粉々に砕け散った。
「ば、馬鹿な……!? 私の鑑定眼を跳ね返しただと……!?」
「ボルコス殿、どうした!?」
「計測不能だ! 数値が……不純物含有率の数値が、マイナスを示していた! 意味がわからん! 不純物含有率がゼロどころか、周囲の不純物を取り込んで『存在そのものを浄化』するエネルギー体になっている!」
ボルコスは震える手で、レンズの破片を無視して剣を直視した。
「伝説の神金オリハルコンですら、天然物である以上はコンマ数%の混じり物がある。だがこれは……不純物が一分子も存在しない、完全なる『概念の結晶』だ。おい騎士様、誰だこれを研いだのは! 伝説のドワーフ王か? それとも天界の鍛冶神が降臨したのか!?」
「あ、僕です。ちょっと汚れが酷かったので、掃除のついでに磨きました」
リトがひょいと手を挙げた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、ギルド中がどよめきに包まれた。
「掃除のついでだと!? 貴様、このボルコスを愚弄するか! この剣の純度は、もはやこの世界の理を超えている。研磨などという次元ではない、これは世界の再構築だぞ!」
「ええ……でも、本当に掃除しただけなんですけど。あ、そんなことよりボルコスさん」
リトは詰め寄る老鑑定士を軽くかわすと、ギルドのカウンターの下を指差した。
「そこ、ワックスの塗り方が甘いですよ。古いワックスが酸化して、黒ずみが層になってます。……気になって集中できないので、ちょっとだけ広めに結界かけますね」
「え? おい、何を――」
リトが足元でパチンと指を鳴らした。
次の瞬間、リトの足元から波紋のような青い光が広がり、ギルドの床、壁、天井、そして居合わせた冒険者たちを飲み込んだ。
「うわあああ!?」
「なんだこの光は!?」
光が通り過ぎた後、ギルド内は一変していた。
築五十年の古びた木造建築だったはずのギルドが、まるで新築……いや、建材の木材そのものが瑞々しさを取り戻し、大樹の息吹を感じさせるほどに輝いている。床は鏡のように磨き上げられ、通りかかった冒険者が自分の顔が映るほどピカピカな床に滑って転んだ。
「お、おい! 床だけじゃねえ! 俺の、五年前の戦いで失ったはずの指の感覚が……戻ってる!? 古傷が消えたぞ!」
「私の『呪いの装備』が! 外れなかった暗黒の籠手が、勝手に浄化されて純金聖騎士の防具に変わってる!?」
「酒が……俺の飲んでた安酒が、最高級の蒸留酒みたいに透き通ってやがる!」
阿鼻叫喚の、しかしどこか幸福なパニック。
リトが「掃除」をしただけで、その空間に存在していた「不条理(汚れ・呪い・傷)」がすべてリセットされたのだ。
「ふぅ。やっぱり床が綺麗だと気持ちいいですね」
満足げに微笑むリト。
しかし、その背後ではアルテミスが、先ほどからずっと震えていた。
彼女は見てしまったのだ。リトが結界を放った瞬間、ギルドにいた男たちの顔色が良くなり、肌がツヤツヤになっていくのを。
(……汚らわしい。リト様の『洗浄』を、あんな無骨な男たちが勝手に享受するなど……)
アルテミスの中で、冷たい独占欲が鎌首をもたげる。
彼女にとって、リトの掃除は至高の福音であり、自分だけが受けるべき秘跡であるはずだった。それなのに、この無防備な青年は、歩く先々で「奇跡」を無造作にばら撒いてしまう。
「リト様……。もう、ここには用はありません。早く、二人きりになれる場所へ行きましょう」
アルテミスはリトの腕を強く引き、半ば強引にギルドを後にした。
残された鑑定士ボルコスは、砕け散ったレンズを見つめながら、震える声で呟いた。
「掃除屋……だと? あれは掃除屋などではない。この世界の淀みをすべて消し去ってしまう……文字通りの『聖者』だ」
こうして、リトの預かり知らないところで、「最強の掃除屋」の噂は風に乗って帝国全土へと広がり始める。
一方のリトは、アルテミスに腕を引かれながら、「あ、あそこの看板も汚れてるなぁ」と、やはり掃除のことばかり考えていた。




