第2話:【衝撃】磨きすぎた聖剣の末路
「なっ……なんだ、この輝きは……!?」
帝国騎士団・第三部隊長、アルテミスは、自身の右手に握られた「モノ」が信じられず、戦慄していた。
先ほどまで、死毒大足の猛毒に侵され、どす黒く変色して根元から折れ曲がっていた家宝『白銀の聖剣』。父から受け継ぎ、数多の戦場を共にしてきた誇り高き剣は、もはや鉄屑も同然の無惨な姿だったはずだ。
だが、今、彼女の手の中にあるのは――。
刀身そのものが透き通った蒼い輝きを放ち、周囲の光を吸い込んでは、神々しいまでのプリズムを周囲に撒き散らす、超常の武具だった。
「リト……貴公、本当にこれを『洗った』だけなのか?」
掠れた声で問うアルテミス。対する青年・リトは、空になったバケツの水を「えいっ」と景気よく捨てながら、ごく自然な調子で答えた。
「ん? うん。ひどいサビと汚れだったからね。まずは酸性の洗剤で毒を中和して、研磨剤で表面を磨き直したんだ。そのあと、構造の歪みがちょっと気になったから、魔力の通り道を整えるついでに叩き直しておいたよ。……あ、あと、またすぐ汚れると掃除が大変だから、表面の保護に『撥水・防汚・多重魔法障壁コーティング』もしておいたから」
コーティング。本来なら住宅の壁や、高級馬車の車輪に使うような言葉だ。
だが、リトがさらりと言ってのけたそれは、現代の魔法学でいうところの「神の加護」や「永久付与(永久アーティファクト化)」に等しい代物だった。
「ひ、構造の歪みを叩き直しただと? 魔法銀と聖鉄の合金であるこの剣を、魔力炉もなしに、素手で……?」
アルテミスが絶句していると、不気味な音が静寂を破った。
「ギチギチギチッ!」
全自動・洗浄結界の圏外にいた死毒大足の生き残りが、仲間の死を恐れることもなく、背後からアルテミスへと襲いかかった。
その数、およそ五十。どれもが一国の騎士を数秒で溶かす毒を持つ個体だ。
「しまっ――!」
まだリトの「洗浄」による恍惚感から回復しきっていないアルテミスは、反射的に手にした『新生・聖剣』を横一文字に振るった。
彼女としては、ただ迎撃のために軽く払っただけのつもりだった。全盛期の三割程度の力しか込めていない。
しかし――。
ズドォォォォォン!!
次の瞬間、轟音と共に世界が揺れた。
剣先から放たれたのは、ただの斬撃ではない。純白の閃光が扇状に広がり、前方数百メートルに渡る大地を「洗浄」という名の衝撃波が蹂躙したのだ。
襲いかかってきた魔獣の群れは、悲鳴を上げる暇すらなかった。
それは物理的な破壊というよりは、因果の消去に近い。光に触れた瞬間、魔獣の肉体も、骨も、そして邪悪な魔力さえもが「この清浄な空間における不純物」として判定され、分子レベルで分解・霧散した。
光が収まったあと、そこには何も残っていなかった。
鬱蒼と茂っていた毒の森は、リトの剣筋に沿って綺麗に切り取られ、そこには塵一つ落ちていない、鏡のように滑らかな「更地」が地平線の先まで続いていた。
「…………は?」
アルテミスは、自分の手と、消えた森を交互に見た。
「私の知っている聖剣より、一万倍は鋭いのだが……っ!? そもそも、これほどの威力。本来なら使い手の魔力を根こそぎ持っていくはず……なのに、魔力が全く減らない! 逆に、溢れてくる……!」
「えっ、そりゃあ。魔力回路の目詰まりも掃除しておいたからね」
リトは、まるで「換気扇の油汚れを落とした」くらいの感覚で人差し指を立てる。
「魔力って、流れる回路が汚れてると抵抗が生まれて、燃費が悪くなるんだよ。ドロドロの魔力の残りカスがこびりついてたから、芯まで徹底的にピーリングして通りを良くしておいたんだ。これで、いくら振っても新品同様の使い心地だよ。使い手の健康にもいいしね」
健康にもいい。そんなレベルの話ではない。
アルテミスは理解した。この男、リト。
彼は単なる掃除屋ではない。彼にとっての「汚れ」とは、この世界の理を歪める「魔」そのものであり、彼の「掃除」とは、世界を神が創りたもうた本来の純粋な姿へと回帰させる聖域化の儀式なのだ。
「貴公……貴公は一体……」
アルテミスが震える足でリトに歩み寄ろうとした、その時だ。
「あ、待って。アルテミスさん。まだ少し、足元に『返り血』の拭き残しがある」
リトがひょいと手を伸ばし、彼女の膝元に触れた。
その瞬間、アルテミスの全身を、脳を焼くような衝撃が駆け抜けた。
「ひ、あぁっ……!?」
リトの手から流れ込む、圧倒的に純粋な「洗浄」の波動。
それは彼女の防具に付着した血を消し飛ばすだけでなく、皮膚の毛穴の奥の汚れ、毛細血管に溜まった老廃物、さらには長年の修練で蓄積された精神的な疲弊までもを一気に「洗い流して」いく。
極上の湯船に浸かったような多幸感と、全身の細胞が新しく生まれ変わるような全能感。
あまりの「清々しさ」に、アルテミスの視界が白く染まる。
これまで鉄の女と呼ばれ、禁欲的に生きてきた彼女にとって、魂の芯まで暴かれるようなこの感覚は、あまりにも刺激が強すぎた。
「ふぅ、これで完璧かな。ピカピカだね」
満足そうに頷くリト。
一方、アルテミスはその場にへなへなと座り込み、荒い吐息を漏らしていた。頬は火照り、潤んだ瞳でリトを見上げている。
「あ、あぁ……なんという……。汚れを落とされるのが、これほどまでに、恐ろしくも……愛おしいものだとは……」
彼女の中で、一つの確信が生まれた。
この男を、決して手放してはならない。
彼こそが、泥濘に満ちたこの世界を救う唯一の光であり、そして……。
(この『洗浄』を、私以外の誰かに受けさせるなど……絶対に、許さない……!)
聖女と勘違いされた掃除屋と、その清らかさの毒気に当てられ、ドロドロの独占欲に目覚め始めた女騎士。
二人の旅は、まだ始まったばかりである。




