第14話:【逆襲】『暁の牙』の卑劣な罠。リト、初めて「汚物(元仲間)」と対峙する。
聖都ルミナリスが、リトのステンドグラス清掃によって放たれた「神の光」の余韻に包まれていた頃。華やかな大通りから外れた、湿り気と悪臭の漂う地下水道の入り口に、数人の影が潜んでいた。
「……見たかよ。あの野郎、聖女どころか神の使いにまで愛想を振りまいてやがった」
忌々しげに吐き捨てたのは、かつてリトを「無能なゴミ掃除係」として追放したSランクパーティ『暁の牙』のリーダー、カイルだった。
彼の背負う大剣は、手入れを怠ったせいで刃こぼれし、かつての輝きは見る影もない。横に立つ魔導師のリンネも、聖女エルナに完敗したショックと装備の劣化により、美しかった顔には隠しきれない隈が浮き出ていた。
「カイル、もういい加減にして……。リトを連れ戻すなんて無理よ。あそこには帝国の騎士団長も、第一王女もついているのよ?」
「うるせえ! あいつは元々、俺が拾ってやった所有物だ! あいつがいなくなってから、俺たちの生活がどれだけ『汚染』されたか分かってるのか!? 飯は不味い、寝床は痒い、装備は錆びる……! あいつを、あの『万能洗濯機』を、俺たちの手に取り戻すんだよ!」
カイルの瞳は、どす黒い執着(不純物)で完全に濁りきっていた。彼は懐から、教会の反主流派(リトの台頭を快く思わない一派)から渡された禁忌の魔道具――『万魔の煤』を取り出した。
「これを使えば、どんな聖域も一瞬で腐ったヘドロに変わる。……あいつが『掃除』に夢中になっている隙に、後ろから首輪をはめてやる」
翌朝。リトは、聖都のメイン広場にある「慈愛の噴水」を掃除していた。
アルテミスとフラウレルムは、リトが生成する「高純度の泡」をどちらがバケツで受け止めるかを巡って早朝から火花を散らしていたが、リトの「あ、虹が見えるね」という一言で、二人仲良く虹を眺めるという奇妙な平和を保っていた。
その時。
突如として、広場の空が不気味な紫色の雲に覆われた。
「……? 天気予報では晴れだったのに。あ、この雲、粒子が荒くて不衛生だ」
リトが顔を上げた瞬間。
バシャッ! という嫌な音と共に、噴水の中にどす黒い油状の液体が投げ込まれた。
「ヒャハハハハ! 久しぶりだな、リト! せっかく綺麗にした噴水が、一瞬で台無しだぜ!」
広場の中央に、カイルたち『暁の牙』が姿を現した。
彼らが撒き散らした『万魔の煤』は、水に触れると爆発的に増殖し、噴水から溢れ出して石畳を汚していく。それは単なる泥ではない。触れた者の魔力を吸い取り、精神を腐敗させる「概念的な汚れ」だった。
「カイル……? なんで君たちがここに……」
リトは驚き、そして悲しげに目を細めた。
「決まってんだろ! 迎えに来てやったぜ。お前にはやっぱり、俺たちの靴の裏を舐めながら磨く生活がお似合いなんだよ。さあ、その女たちを捨ててこっちに来い!」
「貴様……ッ!」
アルテミスが激昂し、剣を抜こうとした。だが、カイルがニヤリと笑い、起爆スイッチのような魔道具を掲げる。
「動くなよ騎士様! この広場には、至る所にこの『煤』を仕掛けてある。俺が合図すれば、聖都の半分が腐った肥溜めに逆戻りだ。……リト、お前、掃除が大好きなんだろ? この街が汚されるのが嫌なら、大人しく首輪をつけろ」
カイルが投げ捨てたのは、装着者の自由を奪う奴隷の首輪。
フラウレルム王女は怒りで体が震え、指先から極大魔法を放とうとしたが、リトがそれを手で制した。
「……王女様、アルテミスさん。大丈夫だよ」
リトの声は、驚くほど静かだった。
「カイル。君たちは、僕が掃除をしてる間、いつも『やりがいがあっていいだろ』って笑ってたよね。……でも、一つだけ間違ってるよ」
リトが一歩、前に踏み出す。
彼が足を乗せた瞬間、広場を侵食していた黒いヘドロが、シュゥゥゥ……と音を立てて消滅した。
「な……!? なんだと!? 『万魔の煤』が効かないのか!?」
「僕が掃除を好きなのは、綺麗になるのが気持ちいいからじゃない。……『汚れてちゃいけない場所』が汚されるのが、許せないだけなんだ」
リトの周囲に、これまでにないほど冷たく、鋭い洗浄波動が渦巻いた。
彼は右手をカイルの方へ向けた。
「君たちの装備、君たちの心……。ずっと見て見ぬふりをしてきたけど、もう限界だ。……君たちは、僕が見てきた中で一番『頑固なシミ』だよ」
「【深層・高圧洗浄:極】!!」
ドォォォォォォォン!!
リトの指先から放たれたのは、光の奔流。
しかしそれは、ただの光ではない。不純物を一分子も許さない、究極の「高圧洗浄水(魔力体)」だった。
「ギャァァァァァァァッ!!」
カイルたちは、その圧倒的な圧力に飲み込まれた。
彼らが長年溜め込んできた傲慢、怠惰、不潔な欲望。さらには数週間洗っていなかった鎧の裏側の垢に至るまで、リトの容赦ない洗浄が「魂の奥底」まで抉り取るように通り抜ける。
「あ、あああぁぁぁ! 剥がれる! 俺の……俺の『選ばれし強者』というプライドが、皮ごと剥がされていくぅぅぅっ!!」
「汚れ……私の心の汚れが、無理やり掻き出されるぅっ! 助けて、気持ちいい……いや、怖いぃぃっ!」
カイルたちは光の中で、自分の醜さを物理的に「視覚化」され、それをリトに丁寧にスクラブされるという、精神的・肉体的な極限体験を味わった。
数分後。
光が収まると、そこには――。
ボロボロだった装備が新品(むしろ神聖武器)のように輝き、肌は赤子のようにツヤツヤになり、そして瞳が完全に「虚脱」してしまったカイルたちが転がっていた。
「……ふぅ。これで、とりあえず『除菌』は完了だね」
リトがパチンと指を鳴らすと、広場に仕掛けられていた『万魔の煤』は、一滴残らず消去され、代わりに花の香りが漂った。
「カイル。君たちはもう、冒険者をやるには『純粋』になりすぎちゃったよ。……これからは、どこか田舎で土いじりでもして、心を汚さないように生きてね」
リトの洗浄によって「悪意」を完全に抽出されてしまったカイルたちは、「……はい。明日から、ひなぎくを育てます……」と涙を流して、這うようにして去っていった。
「……流石です、リト様」
アルテミスが、感動のあまり膝をついた。
「敵を殺すのではなく、敵が敵である理由(汚れ)を消し去ってしまうとは……。これこそ究極の勝利、究極の慈悲です!」
「リト……。今のあなたの姿、最高にクールで、最高に『清潔』だったわ……。ああ、もう、今すぐ私のことも、その高圧洗浄でめちゃくちゃにして……っ!」
フラウレルム王女の独占欲が、また一歩、危険な領域へと踏み込んだ。
リトは、ピカピカになった噴水を見つめながら、「やっぱり、元パーティのメンバーを洗うのは、ちょっとだけ心が痛むなぁ。……あ、でも、あのバケツも少し錆びてたから、後で回収して磨いてあげればよかったかな」と、どこまでも掃除のことばかり考えていた。




