第12話:【漂白】教皇、激怒? それとも感銘? リト、聖都の「総大掃除」に招待される。
「聖女エルナが……陥落しただと?」
至高浄化教会の聖都『ルミナリス』。その中央にそびえ立つ大聖堂の最奥で、教皇インノケンティウス三世は、届けられた報告書を手に絶句していた。
報告書には、エルナがリトの別邸で「魂を洗われて腰を抜かした」こと、そして現在は「リト様の掃除こそが真の福音である」と、教会の教えを二の次にしてリトの手伝い(主に雑巾の除菌)に勤しんでいるという衝撃の内容が記されていた。
「神から授かった聖杖を、あろうことか『かき混ぜ棒』で磨かせたというのか……! なんという不敬、なんという冒涜!」
教皇の怒りに呼応し、大聖堂内のロウソクの火が激しく揺れる。
だが、教皇の側近である枢機卿が、震える声で補足した。
「閣下、それだけではございません。エルナ様が持ち帰った『リト殿が淹れた茶』を鑑定したところ……不純物が完全にゼロであることはおろか、飲んだ者の『原罪』すらも一時的に中和する、伝説の聖水以上の効能が確認されました」
「……何だと?」
「我が教会の浄化魔法は、罪を『封じる』もの。しかし彼の掃除は、罪を『分解し、無へと帰す』。……原理そのものが、我々の理解を超えているのです」
教皇は沈黙した。
怒りは消えていない。だが、それ以上に「その力を教会の管理下に置かねば、我々の権威は霧散する」という強烈な危機感、そして……彼自身が長年抱えている「教会の腐敗」という名の澱みに対する、無意識の救いを求める心が疼いた。
「よろしい。その掃除屋リトを、聖都へ招け。……断罪するためではない。聖都の建立千年祭を前に、街の『大掃除』を依頼する形を取るのだ」
それは、教会の全戦力と全権威を以て、リトを「聖下」の軍門に降らせるための罠であった。
数日後。リトは、アルテミス、フラウレルム王女、そして「リト様のバケツ持ち」を自称し始めた聖女エルナと共に、聖都ルミナリスへ到着していた。
「うわぁ……。真っ白な街だね。さすが聖都だ」
リトは、白亜の建物が並ぶ街並みに感心した声を上げた。
しかし、一歩街に足を踏み入れるなり、リトの鼻がピクピクと動く。
「……でも、これ。表面に『白いペンキ』を塗りすぎて、下の方でカビが熟成されてる匂いがするよ。アルテミスさん、これじゃ建物が呼吸できてない」
「流石はリト様。教会の欺瞞を、匂いだけで見抜かれるとは」
アルテミスが、新生・聖剣の柄に手をかけ、周囲の聖騎士たちを威圧する。
「リト、不快なら私がこの街ごと買い取って、更地にしてから貴方に洗い直させましょうか?」
フラウレルム王女が事もなげに恐ろしいことを提案する。
「いいよ王女様、もったいないから。……僕が全部、剥がして洗い直してあげるよ」
リト一行が案内されたのは、教皇が待つ大聖堂。
そこには、教会の重鎮たちが居並び、リトを値踏みするように見つめていた。教皇インノケンティウスは、玉座から尊大な態度で見下ろす。
「掃除屋リトよ。貴殿の噂は聞いている。……我が聖都は神の光に守られた清浄なる地だが、千年の歳月は、人の目には見えぬ『霊的な煤』を溜めておる。貴殿の掃除とやらで、それを落としてみせよ。……もし失敗すれば、貴殿を聖地を汚した異端として処刑する」
周囲の聖騎士たちが一斉に槍を構える。一触即発の空気。
だが、リトはまったく動じなかった。それどころか、教皇の足元を見て、深く溜息をついた。
「……教皇様。処刑とか言う前に、その玉座の下、見てくださいよ。……前の教皇様たちの代から、一度も掃除してないでしょ? 欲望とか、権力欲とかが『黒いヘドロ』になって、教皇様の足首まで浸かってますよ」
「な……な、何をデタラメを!」
「デタラメじゃないよ。……ほら。アルテミスさん、ちょっと『換気』をお願い」
「御意!」
アルテミスが剣を抜き、空を裂く。
放たれた衝撃波が、大聖堂の分厚いカーテンを一気になぎ払い、日光を室内に叩き込んだ。
光が差し込んだ瞬間、リトが指を鳴らす。
「【全自動・洗浄結界:浸透・漂白モード】」
白光が波打ち、大聖堂の隅々まで行き渡った。
すると、どうだろうか。
教皇が座る玉座の下から、ゴボゴボと真っ黒な液体が湧き出してきたのだ。それは教会の歴史の中で隠蔽されてきた「不祥事、汚職、陰謀」といった負の感情が物理化した「歴史のシミ」だった。
「ひ、ひぃぃっ! 何だこの黒いものは!?」
教皇が悲鳴を上げる。黒いヘドロは教皇の豪華な法衣を汚そうと這い上がるが、リトの結界がそれを許さない。
「大丈夫。今、まとめて『漂白』しちゃうから」
リトが手をかざすと、黒いヘドロが白い泡へと変わり、シュワシュワと音を立てて消えていく。
それだけではない。
大聖堂の壁に刻まれた古い彫刻、歴代教皇の肖像画、そして参列している枢機卿たちの「腹黒い心」までもが、リトの無慈悲なまでの洗浄パワーに晒された。
「あ……あぁ……っ! 私の……私の裏帳簿の記憶が……消えていく……いや、洗われていくぅっ!」
「権力……金……そんなものより、今はただ……雑巾がけがしたい……っ!」
枢機卿たちが次々と崩れ落ち、涙を流して懺悔を始める。
そして、教皇自身も――。
「……おお……。わしの心の中にあった、あんなにもドロドロとした執着が……こんなに真っ白に……。わしは、わしはただ……神の前の、一人の『綺麗な老人』に戻りたかったのじゃ……」
リトの洗浄が完了したとき、大聖堂には静寂が訪れていた。
かつて権威と威圧感に満ちていた空間は、今や「生まれたての世界」のような瑞々しさと透明感に溢れている。
教皇は玉座から降り、リトの前で膝をついた。
「……聖者様。失礼、掃除屋リト殿。……貴殿こそが、真に世界を濯ぐ者。……どうか、我が教会の汚れを、これからも定期的に洗っていただきたい。……いや、いっそ私を弟子に……」
「え、教皇様が弟子? それはちょっと困るかな。……でも、教会の床磨きなら、コツを教えますよ」
リトは困り顔で笑った。
こうして、世界最強の宗教組織ですら、リトの「重曹(魔力)と真真心」の前に、あっさりと漂白されたのであった。
しかし、その光景を離れた場所から見つめる、一人の少女がいた。
彼女は、リトの洗浄によって「無」にされた空間に、ある種の危機感を感じていた。
「……やりすぎよ、掃除屋。この世から汚れが消えたら、私たちはどうやって自分を定義すればいいの?」
彼女こそが、リトを追う次なる「汚れ(ライバル)」となる存在であることを、リトはまだ知らない。




