第11話:教会の刺客。リトの「掃除」を偽物と呼ぶ聖女、現る。
帝都の「終焉の宝物庫」を文字通りピカピカに洗い上げ、数千年の呪いを神の祝福へと変えてしまったリト。その噂は、帝国の国境を越え、大陸全土に多大な影響力を持つ『至高浄化教会』の総本山へと届いていた。
教会にとって、「浄化」とは選ばれた聖職者のみが神から授かる秘跡である。
それを、名もなき「掃除屋」がバケツと重曹(のような魔力)で成し遂げているという事実は、彼らの権威を根底から揺るがす死活問題だった。
「……あり得ません。神の介在せぬ浄化など、それはただの『まやかし』。あるいは、魔族が仕掛けた甘い罠です」
ステンドグラスから差し込む光の下、静かに、しかし断固とした声が響いた。
そこにいたのは、教会の象徴であり、当代最高の浄化能力を持つとされる「聖女」エルナだった。彼女の髪は混じりけのないプラチナブロンドで、その瞳は澄み渡る青空のように透明だ。
「エルナよ。帝国はその掃除屋を『再来した聖者』と崇めている。このままでは民の信仰が、神ではなく『掃除用品』に向いてしまう。……直ちに向かい、その偽聖者を断罪せよ」
教皇の命を受け、エルナは数人の聖騎士を伴い、帝都へと派遣された。
その頃、リトは平和そのものだった。
皇帝から「好きなだけ使ってくれ」と与えられた最高級の別邸で、彼は朝から忙しく立ち働いていた。
「よし、今日はカーテンの『煮洗い』をしようかな。帝都の空気は綺麗になったけど、室内の布製品にはまだ先代の住人の『生活臭』が染み付いてるしね」
リトが巨大な鍋に魔力で生成した熱湯と、独自配合の「除菌洗浄液」を投入する。
その傍らでは、帝国騎士団の部隊長であるはずのアルテミスが、エプロン姿でリトの指示を待っていた。
「リト様、この『煮洗い』という儀式……。煮え滾る湯の中に、穢れた布を投じ、熱と光で不浄を滅するのですね。まさに煉獄の如き厳格な処置……感服いたしました」
「あはは、ただの洗濯だよ。……あ、アルテミスさん。そのカーテン、重いから無理しないでね?」
「いいえ! リト様の生活環境を整えることは、私の魂を磨くことと同義。……さあ、不浄なるカーテンよ、リト様の慈悲によって白く染まるがいい!」
アルテミスが気合と共に巨大なカーテンを鍋に放り込んでいた、その時だった。
別邸の門が、重々しく叩かれた。
「――偽りの浄化を広める不届き者よ、姿を現しなさい!」
凛とした声と共に、門を潜って現れたのは聖女エルナだった。
彼女は一歩踏み出すごとに足元に小さな光の紋章を咲かせ、神聖なオーラをこれでもかと振りまいている。
「え? 誰だろう。……あ、もしかしてハウスクリーニングの依頼?」
リトが鍋をかき混ぜる手を止め、ひょいと顔を出す。
「……っ!? あなたが、例の掃除屋リトですか?」
エルナは絶句した。
目の前に現れたのは、神々しい聖者でもなければ、邪悪な魔術師でもない。ただの、少しお節介そうな笑顔を浮かべ、手に大きな「かき混ぜ棒」を持った青年だった。
「そうだよ。君も掃除が必要なところがあるの? ……あ、その服、すごく綺麗だけど……襟元の裏側に少しだけ『霊力の黄ばみ』があるね。祈りすぎかな?」
「なっ……! 非礼な! 私を誰だと思っているのですか! 私は至高浄化教会の聖女エルナ。神の光を以て、世界の闇を払う者です!」
エルナはリトの言葉を遮り、手に持った聖杖を高く掲げた。
「帝国を騙し、呪いを洗剤で落とすなどという冒涜的な真似、これ以上は見過ごせません。あなたの力が本物か、それとも魔道の欺瞞か……この私が、神の試練(鑑定)で暴いてみせます!」
エルナが杖を振ると、リトの足元に巨大な「真実の裁壇」と呼ばれる魔方陣が展開された。
これは対象の魂の純度を測り、一欠片でも「嘘」や「不純物」があれば、その場をドロドロの泥沼に変えてしまうという強力な神聖魔法だ。
「……おや?」
リトは、自分の足元で光る魔法陣をじっと見つめた。
「どうしました? 恐ろしいのですか? あなたの魂に少しでも不純な動機があれば、その魔法陣があなたを泥へと変え――」
「いや、そうじゃなくて。……この魔法陣、線がちょっと歪んでるね。……それに、発動時の『火花』に余分な魔力のススが混じってる。……これじゃ、せっかくの綺麗な魔法が台無しだよ」
リトはため息をつくと、手に持っていたかき混ぜ棒(実はリトの魔力が凝縮された超高純度木材)で、足元の魔方陣を「キュッ」と軽くこすった。
パリィィィィィィィン!!
その瞬間、世界から音が消えた。
エルナが放った「真実の裁壇」が、リトが触れた部分から「洗浄」され、黄金色の光から、純白の……もはや透明に近いほどの純粋なエネルギー体へと変質したのだ。
「え……? 嘘……私の最上位魔法が……書き換えられた?」
それだけではない。
リトが「掃除」したことで、魔法陣の効率が極限まで跳ね上がり、漏れ出していた余剰魔力が一滴残らず結界内へと還元された。
結果として、別邸の庭に咲いていた萎れかけの花々が、一瞬で見たこともない神々しい大輪の花へと進化し、近隣の家の屋根までが「ついで」に磨き上げられた。
「よし、これで通りが良くなった。……ねえ、聖女様。君の『浄化』って、ちょっと無理やり汚れを焼き切ってる感じがするんだ。……それだと、後で『魔力の焼け跡』が残って、また汚れやすくなっちゃうよ?」
「な、何を……何を言っているのですか……! 私の浄化は、神から授かった完璧な……っ!」
「完璧じゃないよ。……ほら、君の杖の先端。小さなヒビに、古い『呪いの残りカス』が詰まってる。……貸してごらん。ついでに磨いてあげるから」
リトが自然な動作で一歩踏み出し、エルナの杖に手を触れた。
「や、やめて! 聖なる杖に気安く――……あ、あ、あぁぁぁぁっ!?」
杖を通じて、リトの「全自動・洗浄結界」の波動が、エルナの全身へと流れ込んだ。
彼女が聖女として、何万人もの人々から引き受けてきた「苦悩」や「汚れ」の残滓。聖女という重責ゆえに心の奥底に溜め込んでいた「義務感」という名の澱み。
それらが、リトの圧倒的に優しく、圧倒的に容赦ない洗浄パワーによって、一気に洗い流されていく。
「ひ、あ、ああ……っ! 脳が……魂が……洗われて……っ! 白くなる、私が、真っ白に……っ!」
エルナはその場に膝をつき、杖を抱えながら激しく喘いだ。
彼女の目から、浄化された涙が溢れ出す。
これまでの彼女の浄化は「削り取る作業」だった。だが、リトの掃除は「元の純粋さに戻す抱擁」だった。
「ふぅ。これで杖も、君の魔力回路もスッキリしたね。……お疲れ様。あ、お茶でも飲んでいく? ちょうど今、茶葉の『渋抜き』が終わったところなんだ」
リトが差し出したのは、不純物を一ミリも含まない、琥珀色に輝く究極の一杯だった。
エルナは、震える手でその茶を受け取った。
彼女はもう、リトを「偽物」と呼ぶことはできなかった。
むしろ、彼こそが「汚れ」を知る前の神に最も近い存在なのではないか。そう確信してしまった彼女の瞳には、アルテミスと同じ、危ういほどの「信仰」という名の熱が灯り始めていた。
「……リト、様。私は……今まで、何を洗ってきたのでしょうか……」
「え? 難しいことはわからないけど……。汚れてるなら、磨けばいい。それだけだよ、聖女様」
リトの屈託のない笑顔の横で、アルテミスが「ふん、また一人『リト様教』の犠牲者が増えたか……」と、カーテンを絞りながら舌打ちをした。
こうして、教会が送り込んだ最強の刺客は、リトの「一杯のお茶」と「ちょっとした磨き作業」によって、あっさりと陥落したのであった。




