第1話:掃除スキルの俺、戦場で全自動洗浄結界を展開したら聖女と勘違いされた
「ここまで、か……」
帝国騎士団・第三部隊長、アルテミスは絶望の中にいた。
かつて『白銀の閃光』と称えられた彼女の鎧は、今や見る影もない。魔獣が吐き出した腐食の毒液によって黒く焼け爛れ、父から受け継いだ家宝の聖剣は、根元から無惨に折れ曲がっている。
周囲を囲むのは、数百の『死毒大足』。
一太刀浴びれば肉が腐り落ちる。そんな化け物の群れを前に、アルテミスの体力は限界を迎えていた。
「汚らわしい……。せめて最後は、誇り高く……」
彼女が自決を覚悟し、折れた剣を自らの喉元に寄せた、その時だった。
「うわ、なんだここ。めちゃくちゃ汚いな」
戦場にはおよそ不似合いな、気の抜けた声が響いた。
アルテミスが顔を上げると、そこには一人の青年が立っていた。
簡素な麻の服を着た、どこにでもいるような平民の男。背中には、箒やバケツといった掃除道具を背負っている。
「き、貴公……逃げろ! ここは毒に満ちている……!」
「毒? ああ、この嫌な臭いのこと? 確かにこれは……大掃除が必要だね」
青年――リトは、困ったように眉を下げた。
彼は昨日、所属していたSランクパーティから「戦闘スキルがない掃除係は邪魔だ」と追放されたばかりだった。
「まあいいや。野宿の場所を探してたんだ。ここをキャンプ地にするために、まずは『除菌』から始めよう」
リトが、何でもないことのように指を鳴らす。
「【全自動・洗浄結界】、起動」
その瞬間、世界が塗り替えられた。
リトを中心に、透き通った青い光の波紋が広がっていく。
光が触れた瞬間、立ち込めていた紫色の毒霧が、まるで魔法のように霧散した。どす黒く腐っていた大地からは一瞬で汚れが消え去り、瑞々しい青草と可憐な白花が芽吹き始める。
「なっ……なんだ、これは……!?」
アルテミスの目が、これ以上ないほど見開かれた。
衝撃はそれだけでは終わらない。光の波紋が、彼女の体に触れた。
シュゥゥゥ……ッ!
心地よい蒸気のような音と共に、彼女の鎧にこびりついていた毒液が蒸発する。
ただの汚れだけではない。ひび割れていた装甲は瞬時に接合され、黒ずんだ鉄は、かつての白銀をも凌駕する、見たこともないほど白く、神々しい輝きを放ち始めた。
さらには、右手に握っていた折れた聖剣までもが光に包まれる。
失われたはずの剣先が、純粋な魔力の輝きによって再構築されていく。元の聖剣よりも遥かに純度が高く、鋭い――もはや神話の武具にしか見えない何かに。
「力が……身体に、満ちていく……?」
アルテミスは震えた。
体内に溜まっていた疲労物質や、過去の古傷の痛みまでが「洗浄」されている。
かつてないほどに研ぎ澄まされた感覚。
リトの結界の中にいるだけで、彼女の魂そのものが磨き上げられていくような、抗いがたい全能感。
「あ……あぁ……っ!」
あまりの心地よさに、アルテミスの頬が朱に染まる。
これまで厳格に生きてきた彼女にとって、これほど「心の中まで暴かれるような清涼感」は、淫らですらあった。
だが、リトはそんな彼女の様子に気づく様子もない。
「ギチギチッ!」
静寂を破り、空気を読まない魔獣たちがリトへ飛びかかる。
しかし。
「汚いよ。シッシッ」
リトがゴミを追い払うように手を振ると、結界の端に触れた魔獣たちが、悲鳴すら上げずに『パウダー状の塵』へと変わった。
それは殺戮というより、ただの「消臭」だった。
不純物として認識された魔獣は、この浄化された空間に存在することすら許されず、消し飛んだのだ。
「……信じられん。伝説の『聖域魔法』を、これほど無造作に……?」
アルテミスは呆然とリトを見上げた。
彼にとっては「掃除」かもしれない。だが、彼女から見れば、それは世界をあるべき姿に書き換える「神の御業」に他ならなかった。
リトはアルテミスの前でしゃがみ込むと、優しく微笑んだ。
「君、まだ鎧の裏側に少し返り血が残ってるよ。……もっと僕の近くに来て。隅々まで、徹底的に洗ってあげるから」
その言葉に、アルテミスは心臓が跳ね上がるのを感じた。
隅々まで。徹底的に。
本来なら不敬と怒るべき言葉だが、今の彼女には、それが至高の福音に聞こえた。
「は、はい……っ! どこまでも、どこまでも……お供させていただきます、聖者様……!」
こうして、世界一清潔な男と、彼に心酔しきった女騎士の旅が始まった。
リトがただ「掃除」をするたびに、世界から魔王の呪いが消え、伝説の装備が増殖していくことに、彼はまだ気づいていない。




