5話 五分咲き
彼女の使用していたデスクにはもう、人の痕跡は残ってない。
目の前の小さな段ボールで事足りてしまう私物に、眉を顰めた。周りと比べると働いた年数の割に、荷物が少ない。
(……次はもう少し持ってこよう)
溶け込むための努力はする。
荷物を手に抱えてデスクから目を逸らす。
少し躊躇って、一歩を踏み出した。
リフィエルは新プロジェクトの参加に伴い、暫くの間デスクを移動する事となった。
人工魔石は危険を孕んでいるから。故にリフィエルに賛否の権限はない。
ため息が一つ、知らぬ間に落ちる。
(……それにしても、)
思い出すのはここ数日間のこと。
リフィエルは既に何度もルーディスと会議を重ねている。人工魔石の器候補についてや、実験の流れ、最終合格ラインなど。
必要なことをあの狭い部屋の中、二人きりで話し合っていた。
(相変わらず、怖い人)
世間話もせず、言葉はいつも端的。
しかし魔術のこととなると彼は、真剣にリフィエルの話を聞く。途中で話を折ることもなく、彼の意見だけ押し倒すようなことも、決してしなかった。
魔術研究課メインフロアから出て、エレベーターに乗り込む。一階上を押し、扉を閉める。
エレベーターの魔術の気配に、安堵の息をこぼした。
(……でも。ボクの意見を突っぱねない。叱咤もしない)
この世の理不尽さはもう見飽きている。
けれど彼は、その恐ろしい雰囲気とは裏腹に筋が通っているようだった。
(無魔って聞いたけど、その割には魔術の知識も豊富だったし……)
エレベーターが止まる。
魔力が少し揺らぎを見せた。
エレベーター内に取り付けられた、魔力残量を示す光が、半分を切っている。
(あとで、魔力を補充しに来よう)
荷物を持ち直す。扉が開き、足を踏み出した。
ここは研究施設が立ち並ぶ実験区画だ。
長い廊下に点在する重厚な扉に、数字のプレートが一つずつ与えられている。
そのうちの一つ、扉の前に立つ。
足元に手荷物を置いた。
番号、実験室六号。
そのナンバーを確認してから、局員の証であるネームタグを取った。
魔力回路の彫られたネームタグに魔力を通し、扉に設置されているロック用魔道具に触れる。
認証する音と共に、カチ、と鍵が開く音がした。
扉を開く。
手荷物を持ち直して、中に入る。
わずかな埃の匂いが鼻を掠めた。
「ひろい」
思わず声が出た。
たった二人のプロジェクトの割には広く、機材が揃っている。
背後で大きく扉の閉まる音がした。
(そういえば、管理官権限を最大に利用したって言ってたっけ……。すごいな管理官)
いつかの会議で彼が言った言葉を思い出す。「研究室は良いものを用意する」と。
彼は確かにそう言っていた。
壁に取り付けられたスイッチを押すと、明かりが灯る。壁に設置された淡く緑がかるその光は、魔力灯であることを指していた。その光に胸を撫で下ろしながら、出入り口に近い一番小さなデスクに手荷物を置いた。
入り口近くの壁際にはシンクと休憩用の椅子とテーブルがある。
(実験室って休憩スペースまであるんだ)
順番に部屋を見渡していく。
魔力回路を刻む為の科学装置。
魔力の波形や数値を見るための機械。
部屋の中央だ。
魔力を内側へ完全に封じる、隔離された実験用小部屋。通称、防魔装置。
ガラス越しに見えるその中は手狭で、密閉されている。
息が詰まりそうな空間に右足がじくり痛んだ。
(………この中には、入りたくない)
あの日々を思い出しそうで、嫌だった。
幾重にも重ねられた防御魔術は、時折魔力揺れで淡い光を映していた。
そっと、視線を逸らす。
防魔装置を見ないように、次を見た。
用途の分からない機材や、棚に所狭しと仕舞われた実験用具たちが、久しぶりの光を受けて鈍く輝いている。
(……本気、なのかな)
ーー人工魔石を製造する。
ただの暇つぶしではなく、本気で取り組むべき事柄と彼は捉えている。
そう感じるほどに、整えられた設備。ここをたった二人のプロジェクトで使用するなんて。
そっと触れる。
機械達は未だ沈黙したままだが、いずれ動く日が来るだろう。
「……くしゅんっ」
鼻がムズムズして、くしゃみが出た。
手を見たら埃がついている。
「まずは、掃除かな……」
リフィエルの深い青には、少しだけ期待があった。
何かが、良い方向に変わるような。
不思議とそんな予感がする。
一通り掃除が終わる。
機械やデスクに被さっていた埃は拭き取られ、床は塵も残さずグレーの色に魔力灯を反射させている。
(まあ、ちょっとズルしたけど許容範囲)
古い掃除用魔道具がロッカーに仕舞い込んであったので、床はほとんど魔道具が勝手に掃除してくれた。魔道具の魔力は空だったが、彼女にとってその程度の補充は些細なものだ。
機械の上はリフィエルの身長ではどうしても届かなくて、魔法ではたきを使った。
けど、誰も見ていないのだから問題ない。
「ふ、……くしゅんっ」
またくしゃみだ。それも二回繰り返す。
見渡せば、光の一番強い部分で塵が動いていた。
(ああ、しまった。窓、開け忘れてる)
扉の反対側。シャッターで完全に閉じられた窓に向かう。
ガラガラと音を立てた。
ガラスから差し込む太陽の光がいやに眩しい。
遠くに見える桜の木は、だいぶ花を付けていた。
視線がピンクと青に奪われる。
(………この時代は自然が少ないけど)
素直に美しい。そう思う。
窓のロックを解除し、開く。
ほんの少し隙間が開いた瞬間、風が通り抜けた。
髪が乱れ、直風で息が止まる。
思わず両手で髪を押さえ込んだ。
(もう、これじゃ換気どころじゃないっ)
手がまた取っ手を持つ、その前だ。
バタンッ。
背後から大きな打撃音が聞こえて、顔を向けた。
強風に煽られて全開になった扉の向こうに、黒いコートの男が立っていた。
ルーディス・ヴェイル。
不意打ちを食らったように、赤い瞳がわずかに見開かれる。
魔力灯が一度、明滅する。
「なんだ、先に掃除を済ませていたか」
挨拶はなく、一言目がそれだった。
髪が風に煽られ、ルーディスの姿が掻き消える。
「だがまずは窓を閉めろ。風が喧しくて敵わん」
彼の言葉に頷いて、窓を閉じた。
ルーディスの手の中には大きな手荷物があった。彼はそれをデスクに置くと、一つずつ広げていく。
その中にはティーポットやカップ、蜂蜜などもあった。まるでここを休憩室にでもしそうな雰囲気だ。
(此処を根城にでもするつもりか?)
まあ、いい。
自分にはあまり関係のない話だ。
シャッターを閉めようと、手を伸ばした。
「ローベインも飲むだろう?」
「え?」
手が止まる。
振り返れば、彼はこちらを見ていて。
カップを二つ、持っていた。




