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恋はきっと、魔法だ  作者: そそで。
二章 波紋に揺れる光
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12話 自分のことも分からず




 リフィエルは少し前から、スマホをきちんと充電するようになった。

 理由は目の前にある。


《今日の予定は?》


 ついさっき送られてきた、たったそれだけのメッセージが、スマホ画面に表示されている。

 それを、青い瞳がただぼんやりと見つめていた。

 


 太陽の光がさんさんとリフィエルの部屋を照らしている。

 

 蒸し暑さに耐えきれず、魔法で冷やした室内は快適でリフィエルはまだ畳んでもいない布団の上でごろりと寝そべっていた。

 パジャマから着替えることもなく、髪はまだ乱れを残している。

 

(昨日、キアナと話して分かった)

 自分は、ルーディスのことを何も知らない。


 紅茶が好きなこと。

 不機嫌になると、口角が上がること。

 魔術が好きなこと。意外と自然が好きなこと。


 けれど根本的なものは、何も知らない。

 彼が何を思ってこの管理局に来たのか。今までどんな生活をしていたのか。

 どこに住んで、どんな友人がいて。


 ――些細なことさえ、何も。


 暫く画面を見続けていれば、ぽん、とスマホから音が鳴る。見ていた画面に、新しくメッセージが追加された。


《暇そうだな》


(あ、返事)

 忘れていた。

 辿々しい指先で、文字を打つ。ひやりと冷たい風が通り抜けていく。


 ほんの少し震える指先が、送信ボタンに触れた。


《体を休めてる》


 たった、それだけ。

 言いたいことも聞きたいことも何も送らず。

 

 画面を伏せて、床に置く。

 布擦れの音を耳にしながら、体を横に向けた。


 視線に映る部屋はこぢんまりとしている。

 カーテンが小さく揺れて、床にくっきりとした光の縁を形どった。


(……管理官は、ボクが何を言わなくても、ボクを理解し始めてる)


 なのに自分は、彼を理解できていない。

 カーテンの揺れが収まる。光が静かに消えていく。


 あの人は今、何を考えて、何をしてる?


(ボク、理解したい)

 彼のことを。

 

 ――ルーディス・ヴェイルのことを。



「……知りたいな」



 音が鳴る。振動が床を伝わってきていた。目線を向けず、探るような手がスマホを持った。


《なら、迎えに行く》


 たったそれだけ。

 けどそれだけで、リフィエルには十分だった。

 

 慌てて体を持ち上げると、乱れた髪を手が乱雑に直した。だらしのない古いパジャマが急に着心地を悪くさせる。


(むか、迎えに!?)


 スマホが手から滑って、布団の上に落ちた。







「ほ、本当にきた」

「冗談だとでも?」


 蝉の鳴き声と、揺れる空気が肌をじりじりと焦がす。たらり垂れた汗が、頬を伝った。


 アパートの前に、彼がいる。

 先程まで頭の中にずっと居座っていた彼が、まるで現実に侵食したように、そこに立っている。

 半袖のラフな姿の彼は、リフィエルを見て少し、目を細めた。

 

 その表情は仕事場で見る時よりもうんと柔らかくて、リフィエルの喉が鳴る。


(本当に、いる)

 しかも知りたいと思った、その次の日に。

(まるで頭の中を覗かれたみたい)

 そんなわけないのに。

 

「暑いな。今日は室内が良さそうだ」

「……? えっと、どこか行きたいところがあって、連絡くれたんじゃ、」


 リフィエルの言葉に、ルーディスは返事をしない。ただ眉尻を下げて視線を駅のある方角に移しただけだ。


「それは今から決める。行くぞ」


 背を向けて歩き出す。

 リフィエルはそれについて行く。


 全然遠ざからない背中を追い越し、隣に並んだ。






 電車に乗り込むと、けたたましい音とともにアナウンスが流れ、扉が閉まる。ほんの少しの冷気に、汗がじんわり溶けていくようだ。

 

 少しの間の後、ゆっくり動き始める。

 吊り革を持ったリフィエルの体が揺れる。


「――ここは、どうだ?」


 ルーディスが、スマホの画面を彼女に見せた。

 犬の写真が大量に載った、喫茶店のアカウント。

 可愛らしい犬たちが、スクロールするたびに次々と流れていく。


「ドッグカフェ……?」

「ああ。ここは一度行ったことがある。人懐こい犬たちが数頭いた」


(管理官って、ドッグカフェとか行くんだ)

 友人と、かな。そんなことを考えて、なんだか胸がすうと空気が抜けたような、小さな違和感が走る。

 けれどリフィエルはその違和感を無視した。今はそんなことよりも、ルーディスとの時間を無駄にしたくなかった。ぎゅうと吊り革を持つ手に力がこもる。

 

「犬、触ったことない」

「問題ない。噛まないよう訓練を受けている」

「そういう意味じゃないんだけど」


 ガタンッ。

 大きな音が響いた。


「わ、」


 体が大きく揺れて、すぐ近くで立っていた見知らぬ誰かに、触れそうになる。


 ひゅ、と息が鳴る。

 右足に痛みが走った、その直後。


「触れるぞ」


 低い声が耳に届いた瞬間に、腰に手が回った。

 他人に触れそうだった体がルーディスに支えられる。

 彼のまとう香水の香りが鼻を掠めた。

 

 その手は揺れがおさまるとすぐに、離れた。

 ひやりと冷房の風が彼の手の熱で熱くなった腰を撫でていく。


 ルーディスがリフィエルの顔を覗き込む。

 リフィエルもまた、彼の顔を見た。


 彼の瞳は、何かを探るような目をしていた。

 不安そうに眉が少し、下がっている。


「あ、りがと」

「……座れればよかったんだがな」


 ふいと、彼が視線を逸らす。

 

(触られ、ちゃった)

 しかも全然、平気だった。


 その視線の先に合わせるように、リフィエルも同じ方を見た。

  休日の電車は、混んでいる。そのほとんどが立っていて、みな個人の世界に入り込んでいる。

 人の多さに気が付くと、今更居心地の悪さが胸を満たして、少し身をすくめた。


 車体の動きに釣られて体が揺れる。

 様々な匂いが鼻を掠める中で、彼の香りだけが強く感じる。

 

(管理官、紅茶みたいな匂いがする)

 熱は去ったのに、腰がまだ触れられている気がする。胸が落ち着かなくて、そこから意識を遠ざけるように見渡した。


(なんでさっきまで、平気だったんだろ)

 いつもならきっと、吐き気を覚えているはずなのに。

 今だって居心地の悪さを覚えても、体調にひどく影響を及ぼさない。


 もう一度、彼を見る。

 ルーディスは、リフィエルの視線を受けて、彼女に赤い瞳を向けた。


(この人が、いるから?)

 

「なんだ?」

「……ううん。そのドッグカフェに、行ってみよう」

「ああ」


 端的な答え。

 けれどその声が、心地良い。



 いつの間にか右足は、痛みを忘れていた。

 

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