6話 雨粒が連れるもの
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また土日投稿に戻ります。
「ローベインが、何か?」
ルーディスの問い掛けが、彼女達に向く。
低く、それでいて威圧するような声色に喉が鳴る音がする。
遠くの窓から覗いていた光が陰った。
張り詰めた静寂が、布の擦れる音すら飲み込んでいくようだ。
なのに心が僅かにホッとしている。
彼が来てくれた。たったそれだけで。
「何故何も答えない。――もしや貴様ら、仕事を放棄してやましい事でもしていたのか」
鋭く、視線が突き刺さる。
彼の赤い瞳が向くたび、周囲の空気が薄く震えた。誰もが息を潜め、廊下のざわめきが遠のいていく。
けれど、その瞳はリフィエルには向かわない。
(なんで、ボクじゃない?)
怒るのは、自分にだろう。
あの赤い瞳に、自分が映らないのが納得いかない。
(ボクを、責めればいいのに)
しんと静まり返った廊下に、空調の音だけが低く唸っている。
一歩、足を進めた。
「……管理官。すぐ資料をお持ちしますから」
彼の瞳が、リフィエルに向く。
赤い光がわずかに揺らいだ。
その目には苛立ちが滲んでいる。
それでも、彼女は口を開いた。
ずっと背中にあったドアノブの冷たさが離れる。一歩だけ彼へ踏み込んだリフィエルに、ルーディスの怒気が静かに薄れていく。
「先輩方は……、ボクが仕事で困っていないか、心配してくださっただけで」
「………」
(なぜ、なにも言わない)
遅いと怒ればいいのに。
彼は口を閉ざしている。
「人工魔石プロジェクトは、段々と、期待され始めているのかもしれません」
沈黙。
暫くの後、彼がため息を吐き出した。
一度目を閉じ。
それから開く。
外の光が彼の影を揺らし、その表情の変化を淡く照らした。
その目の奥の苛立ちは、なくなっていた。
「……そうか。なら、信じよう」
彼の瞳がまた、彼女達を見た。
しかし、張り詰めた糸のような緊張感は、形を潜めている。
なのに、彼女たちの顔は強張ったままだ。
(もう管理官は、怒ってないのに?)
「プロジェクトに興味があるのは理解した。しかし、業務中の彼女を引き留めることは感心しない」
「は、はい」
「人工魔石について知りたくば、課長を通して正式に申し込みをしろ。プロジェクトの参加については、貴様らの能力次第だが」
「………はい。失礼、しました」
足音をたてて、彼女達が立ち去る。
その背中は早くて、あっという間に見えなくなった。
廊下にわずかに残る香水の匂いと、逃げるように早まる足音。
まるで蜘蛛の子を散らすような。
そんなことを思って、目を瞬かせる。
「ローベイン」
彼が名を呼ぶ。
それでまた、胸が変にざわつく。
「……はい」
彼を見た。
ルーディスは、呆れた顔を隠さない。
「本当に、何もされてないんだな?」
けれどその言葉は、どこか心配を含んでいる。
それが理解出来ないほど、リフィエルはルーディスを見ていなかった。
周囲にはもう人の姿はない。リフィエルは詰めた息を吐き出した。貼り付けていた笑みを剥がす。
「うん。別に。なんか、色々聞かれただけ」
「色々とはなんだ」
「人工魔石についてとか、君についてとか」
「……なるほどな。分かった」
彼が、リフィエルへ近付く。手が柔く「避けろ」と告げてきた。
足を横に動かして、場からずれる。
(なに?)
リフィエルが理解する前に、資料室を彼の手が開けた。空調の効いた冷たい空気が、部屋から流れ込んでくる。
彼は扉を開けたまま、誘導するようにリフィエルを見た。
その瞳は何を考えているか分からない。
(……やっぱり、この間から、なんか……変)
自分も、彼も。
一歩、足を進める。
彼の横を通り過ぎる。
彼の香りが鼻を抜けていく。
背後で扉が閉まった。
静かに、丁寧に。
「すまん、ローベイン。止まってくれ」
次の日の朝だ。
降り出した雨が、窓に水滴を垂らす頃。
魔術研究課の朝会が終わったその直後。バーナードがリフィエルを呼び止めた。随分くたびれた様子で、髪すら整える暇がなかったようだった。
珍しく、眼鏡をかけた課長に向き合う。
「なんでしょうか?」
「あー、いや……、研究は、順調か?」
言いにくそうに、言葉を濁す。
(昨日の今日だ。人工魔石プロジェクトの参加依頼でも舞い込んだのかな)
しかしそれなら、話はルーディスにすべきだ。妙なことだな、と考えながら視線をさげる。
「順調かと言われましたら……、あまり、というのが正直です」
(管理官が使い終えた魔石の使用許可を申請してるけど、その返事がまだ届いてないし……)
万が一それが使えない場合のことを考えて、別の素材も試してはいるものの、今のところ魔力に耐えられる物が見つかってはいない。
世の中の物はつくづく魔力に耐性がないらしい。
(だから魔術も廃れていくのかな)
それに。
(気持ちが焦りだすと、管理官がおもむろに紅茶を用意し始めるから……、進めにくい)
まるでこちらの気持ちが分かっているみたいに。
白い光に照らされて、自分の足元に影が落ちている。傷だらけの床は、自分の周囲だけ光沢を見せていなかった。
「管理官が動いている案件が成功すれば、飛躍的に進むとは思いますが、確信までは」
「そうか……。こんなこと、ローベインに言うのもなんだがな」
「はい」
彼はまた、言いにくそうに視線を彷徨わせた。
雨粒が窓を弾く音が強くなっていく。
談笑する職員が、隣を通り抜けた。
「ローベインが管理官の元にいってから、解析がなかなか進まなくてな」
「………はぁ、そう、なんですか?」
意外な言葉が、バーナードから飛び込んだ。
思わず驚いて、彼を見る。眼鏡が光を反射していて、バーナードの瞳がよく見えなかった。
(ボクがいなくても、業務は普通に回るだろうに)
おかしな話だ。
「だからもし、人手が必要になったら、いつでも声かけてくれ。そんで手が開いたらたまにこっちを手伝ってもらえると助かる。
管理官にも一言伝えてもらえるだろうか」
「それは、構いませんが」
バーナードはほんのすこし、ホッとした安堵をなじませて手を上げた。踵を返して去っていく足音に、リフィエルが首を軽く傾げる。
ーー最近、変なことばかり続くな。
そんな疑問がふと、頭をよぎった。




