表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋はきっと、魔法だ  作者: そそで。
一章 沈黙を破る光
2/18

1話 死刑宣告は声とともに



 春風が窓を打つ。

 雪に埋もれていた枯葉が、風に乗ってクルクルと回る。

 リフィエルは、枯葉から視線を逸らして窓際を通り、暖房の効いた部屋を通り過ぎる。

 

 ふと遠くで、小鳥の鳴き声が少し遅い朝を告げていた。


 

 『魔術士管理局 魔術研究課』


 滅んだ古代魔法と同じ道を辿り始めている現代魔術の最終墓場。

 そこが、リフィエルの勤務先だった。


 リフィエルの元には雑務がよく舞い込んでくる。

 深い青の瞳に嫌悪も否定も浮かべず、「分かりました」とやってしまう事もまた、影響しているのだろう。


 今朝もまた、書類整理を頼まれてさっき終えたところだ。紙束ばかりを扱っていた指先はカサカサに乾いている。リフィエルの「友」ーー手入れにうるさい彼女がこの手を見てどう騒ぐか、想像しただけで気が重くなった。


 彼女の口から、吐息が溢れ出す。


(面倒な事ばかり押し付けてくる……)

 その割に彼らは、廊下の隅で談笑しているのだから、タチが悪い。


 ふと。

 職員の持つ赤いコーヒーカップが、目に留まった。

 あの赤い瞳を思い出して、背筋が冷たくなる。

 頭の中にあの低い声が聞こえた気がして、思わず、避けてしまった。



 先日入社したルーディス・ヴェイルとは、接点がない。


 当然の事ではあるが、彼は全ての課を取りまとめる管理官だ。

 彼と直接やり取りするのは、彼女の部署でいえば魔術研究課の課長、バーナードぐらいだろう。


 彼女はホッと息を吐き出していた。

 赤いカップを避け室内に入る。彼らはみな己の仕事に夢中で、誰も彼女を気に留めない。


(……もう、会いたくない)

 苦手だった。

 特に、彼の赤い目が。


 血のような色を滲ませて、人を見下ろすようなあの雰囲気が。

 右足が、過去の傷を訴えた。今は何もないその足が、しくしくと泣いている。


 それがなんだか嫌な予感のようで、リフィエルの瞳は足を見なかった。








 彼女の目の前には資料が並んでいる。

 どれも、古い文献ばかりだ。


 古びた紙の香り。

 黄ばんだ、優しい色合い。


 これらは模造品だが、それでも十分、リフィエルの知識欲を掻き立てるのに相応しい品だ。彼女の瞳がまるで光を受けたかのように輝く。


(これは千二百年前、魔法が衰退し魔術になる頃の魔法の研究資料か。魔法と魔術の違いについて、よく考察されている)


 分析した事を書きまとめていく。

 ペンの音だけが、耳に残った。


 深い青に映るのは、目の前の紙束だけだった。

 蛍光灯の光も、春を思わせる麗らかな太陽も、同僚も。


 ーーー彼も。


「リフィエル・ローベインだな」


 リフィエルの口が、小さな息を吸って、止まった。

 ペンの音も時計の音も。

 全てが男の声に塗りつぶされる。


 ゆっくり顔を上げる。

 資料の並んだデスクの向こう側、その目に赤色を携えて、リフィエルを真っ直ぐ見つめる男がいる。


 力の抜けそうな足が無意識に距離を離そうと下がり、落ちていた書類に足を滑らせた。

 支えを失った身体が倒れ込むように落ちる。


 鈍い振動。


 不思議と痛みはない。

 ただ、目が向こうを見ていた。

 

 デスクの反対側だ。

 彼の手がこちらへ伸びている。まるで何かを掴もうとしたみたいに。けれどその指先はリフィエルに届くことはない。


 赤い瞳はずっとリフィエルを見ていた。

 


 なんでいるんだ、という言葉が喉元まで出かかって、閉ざす。


「………あ、ヴェイル、管理官……」


 男の手が下がっていく。

 いるはずのない人物の姿に、穏やかな日常の壊れる音が聞こえた気がした。




 ルーディスの目は、まるで観察するようだ。

 倒れた彼女を心配するような色はない。

 見下ろす彼の目線の先で、リフィエルは彼から視線を逸らした。


 震える右足を押さえてなんとか立ち上がる。

 顔に羞恥心はない。彼女の瞳にはただ恐怖が滲んでいる。


 

 それでも彼女は、笑みを作った。


「申し訳ありません。お見苦しいところを。確かにボ、……わたしが、リフィエル・ローベインです」


 蛍光灯が一瞬点滅した。

 男の睫毛の影が揺れる。


 口は閉ざされたままだった。


 喉の鳴る音。

 秒針が数回、時を告げた。



「ーーローベイン。貴様に話がある。執務室へ来い」


 その声は、処刑前の響きがあった。








 彼の執務室は重たく冷たい空気がある。

 時計の音もない静寂は、耳鳴りを呼んだ。


 主人を失った執務室は、まだ新たな主人を受け入れる準備が出来ていない。


 空白の多い棚。

 人の気配がないデスク。

 わずかに紙の匂いが漂っている。


 震えた息が誰の耳にも入らず消えていった。

 暖房の電源は入っていない。部屋の中は凍えそうだ。


 冷たく無音の室内で、男だけが生きているみたいだ。

 黒い髪がまるで生き物かのように揺れる。


 吊り上がった目と眉、不機嫌そうに下げられた口。人の顔の造形に興味のないリフィエルですら、綺麗なのだろうとなと理解出来る。

 まじまじとは見れず、目が合う前に視線を下げた。



 (何故、何も言わない)


 リフィエルの毒が僅かに表情に漏れ出した。



 ルーディスは、椅子に座らない。

 長身の体をわざわざ傾けてデスクに手を添えている。

 デスクの上は書類が丁寧に乗せられていた。


 彼の目が文字を追う。

 テーブルに爪先が幾度かの音を鳴らす。


 彼の背中を照らすように窓から光が伸びている。

 今の雰囲気に似つかわしくない、美しい青空が広がっていた。


「………まず」


 沈黙を破る。

 たったそれだけで、リフィエルの息が止まる。

 窓から差し込んでいた光が、影に隠れた。


「貴様の成績は優秀。その一言に尽きる」


 

 言葉だけを聞けば、褒められている。


(褒められても、嬉しくない)


 何を考えているのか分からない。

 褒めているくせに、男の声には熱も揺らぎもない。表情すら変わっていない。

 だから、その言葉の裏の意味ばかり想像してしまう。


 なのに。

 視線が彼から逸らせない。


「しかしその功績に見合う仕事を得られていない」


 彼の手が、書類を放り出した。

 その音が意識を連れ戻す。

 

(もしかして、見入ってた? 違う、そんなわけない)

 無意識に拳に力が入った。

 

 ルーディスが窓辺に向かう。

 足音を立てて、瞳は空を見た。

 彼の背中で、結ばれた黒い髪が揺れている。


「古代魔法の研究、文献の翻訳技術、魔術に対する高い知性。ーーそれが、ローベインの長所だ」


 心が音を立てた。

 しかし、喜びではない。

 

 彼の声は、まだ雪の冷たさを孕んでる。

 その冷たさに触れて、震えたのだ。

 ーー外はもう、春だというのに。


「……ありがとう、ございます」


 感謝には、心は乗っていない。

 当然だ。


(だって、この人、ボクを見てない)

 己の向こう側の何かを見ている。

 いや、『能力だけを見ている』。


 それが、少しだけ悔しかった。


「……ローベイン。配属先を変更する」


(配属先を……、嫌、嫌だ)

 やめてくれ。

 そう思った。


 顔を上げた。

 言葉にしてしまいそうだった口は、空気しかこぼせない。


 いつの間にか、男の目が自分を見ていた。

 見透かされるような目だ。


 靴が鳴る。

 彼の体が、リフィエルに向いた。


「配属先は、俺の下だ」


 管理官の下。

 昇進と言っても差し支えのない辞令。


 しかし、リフィエルの心にあるのは、否定だけだった。


(この男の下で働くのは嫌だ。)


(ボクは、魔術研究課でいい。研究だけ、させてくれ)



「本日付けだ。ーーよろしく、リフィエル・ローベイン」


 男の口角が、僅かに上がる。

 喉がカラカラに乾いて、もう言葉は出ない。



 この男に何か、自分の大切なものを奪われる。


 ーーーその予感は、きっと正しい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ