プロローグ
(魔石の件、相当無理してたみたいだ)
リフィエルは窓の外に広がる雨模様を見つめていた。ガラスに映る自分の姿が、情けなく眉を下げている。
慌てて、笑顔を貼り付けた。
視線を逸らし、足音を立てず廊下を歩く。
白い床に反射する蛍光灯が、少し眩しい。
ルーディスは、あの事件以降忙しそうにしている。
実験室に顔を出すことが減り、朝会でよく「管理官不在」の連絡をバーナードから耳にしていた。
その忙しさはきっと、魔石が原因だろうとは想像に難くない。
(俺が責任を持つって、そういうこと……)
手に持っていた書類の束が、音を立てずれていく。それを持ち直して、廊下の端を通り抜けた。
エレベーターに乗り込んで、ボタンを押す。扉が閉まり、階層を示す光が数字を照らしていく。
(こんなことなら大丈夫だなんて、言わなきゃ良かった)
自分に出来ることなど少ないが、それでも何か役立てたかもしれない。
後悔が胸の奥に噛みついて、離れない。
ちん。
軽やかな音が鳴る。
扉が開き、足を踏み出した。
長い廊下が続き、扉が間隔を空けて配置されている。
右側に点在する窓が廊下に等間隔に光を落としていた。
リフィエルの視線の先は、窓の光を追い越していた。
いつもの部屋、実験室六号の扉の前に黒い姿があって、足を止める。
「……管理官」
(今日も、不在って言ってなかった?)
バーナードの朝会での言葉を思い出しながら、足早に彼の元に駆け寄る。それが右足に負担をかけて、痛みをもたらした。靴の中で、足の指が縮こまる。
けれど今、彼女はそれどころじゃない。
「走るな」
ぴたり。リフィエルの足が一度止まる。それからゆったりと一歩を踏み出した。
ルーディスはリフィエルを見て、それからゆっくり近寄って来た彼女の手元の書類を見る。
彼女の持つ書類には『魔石の調査記録』と記されている。リフィエルが視線に気が付き、「これは、」と呟いた。
「資料室から借りてきました。かなり昔の記録ですが、魔石の調査をした資料が奥にありました」
「……実験室に入ってから話そう」
ルーディスが部屋のロックを開ける。それから、扉を大きく開いた。部屋に入ることなくリフィエルを見る彼と扉を交互に見る。
(入っていいって、こと?)
リフィエルが通れるほどの間を開けて扉を抑える彼は、何も言わない。
「あ、ありがとう、ございます……?」
そっと間を通り抜けると、微かに香るルーディスの香りが鼻を掠める。甘やかさの中にあるスパイスが妙に心臓を掻き立てた。
「それから」
扉の閉まる音。
リフィエルは書類をデスクに置く。緑色の天板に、白い紙はよく目立った。
「職場でも敬語は不要だ。ローベイン。特にこの部屋にいる時は、な」
「………なら、そう、させてもらう」
(ぎこちない)
自分の言葉の情けなさに、指先が書類の角を弄った。
それから一つ、ため息のような、長い長い息を吐き出して。
ゆっくり彼を見る。
ルーディスは扉の前に立ったまま、デスクのそばにいるリフィエルをただ見つめていた。
「その……全部後処理を任せちゃって、ごめん」
「なに、構わん」
ルーディスは笑う。
僅かに疲れた色を乗せて。
「これが俺の仕事だ。このプロジェクトをやりたいと言い始めたのも、お前を引き抜いたのも、俺が招いた事。
お前はただ、この実験室で研究を重ねていればいい。
無論、倒れない範囲で」
彼の手がポケットにしまわれる。
顔に影が落ちても、その赤い瞳だけは凛と前を見据えていた。
(……なんか少し、分かってきた)
リフィエルの口元に、僅かに笑みが浮かぶ。
デスクに置いた手がさらりとした紙を撫でた。
(この人は、たぶん、不器用なんだ)
自分と、同じで。
「さて、俺はこの後も会議がある。一人で実験するのは構わないが、勤務時間は守れ」
くるり。踵を返す彼の背中を見る。
黒い髪は少し乱れ、揺れていた。
彼の手がドアノブを握り、扉を開く。きい、と金属が擦れる音がした。
「何しに、ここへ?」
思わず問いかける。
彼は、答えない。
足音を立てて、部屋を出ていく。
ばたんと、扉が閉まった。
「………何しに、来たんだろ」
首を、傾げた。
デスクの上の魔石が、僅かに光を揺らがせていた。




