14話 沈黙を破る
膨れ上がる魔力。
魔石の中に“押し込まれていた”力が、魔術の揺らぎに釣られて外へ出ようとしている。
ピキッ。
リフィエルの目の前で、石に僅かなヒビが入る。
光が、その線をなぞるように走った。溢れ出す光が唸り、吐息のような音を吐き出す。
空気にこぼれ出した魔力が肌を刺し、景色を歪めていく。
目が回りそうな動きに眉が寄った。
ーー魔石から、魔力が溢れ始めている。
リフィエルは勢いよく振り向いた。
彼女の目はルーディスの瞳を真剣に見据えている。拳は固く閉ざされていた。
「早く避難を! 暴発まで時間がありませんっ!」
久しぶりに出す大声で、掠れる。
それでも絞り出したその声は壁を跳ねた。
異常を察知した魔術士達が、慌てて管理人の腕を掴み、外へと駆け出す。管理人は腰を抜かしたように、情けない声をただ上げていた。
ガツンと音がして、男の持っていたスマホが地面を跳ねた。
「中に人は!?」
ルーディスが、声を荒げる。
その瞳に確かな焦燥を浮かべて。
「い、いません!」
ルーディスは頷き、それから彼女を見た。
慌ただしく遠ざかる足音を聞きながら、リフィエルは魔石に背を向けた。
行くぞ、と暗に伝える表情に返事するより先に、彼女の足は一歩を踏み出していた。
その、瞬間だ。
広がる魔力圧が、足を拘束するように体に絡みつく。
締め付ける程の力で、息すら詰まった。
遠く、向こう側で男達の怒声と悲鳴が、耳鳴りに掻き消される。
ーーー共鳴が始まった。
地の底から響くような低音が、地面を揺らす。
魔石が、振動し始めたのだ。
(ダメだ、間に合わないっ)
足は倒れないよう支えるので、精一杯だ。
岩壁に手を置き、なんとか一歩、踏み出そうとする。
けれどこれでは、出口に辿り着く前に暴発に巻き込まれる。
なんとか逃げないと。
でも、どうやってーーー。
魔法を使えば、皆まとめて助けられる。
けどそれをしてしまったら、今まで隠してきた“異端”がーー。
ふっと、魔力圧が消えた。
(え?)
驚き振り向こうとした、その直後。大きな音が頭上から耳に響く。
「ローベイン!!」
どんと、背中に衝撃が走る。
体が前方に弾き飛ばされ、手が空を掴む。
体を捻った、その目の先。
天井から崩れてくる、大きな岩とーーー。
彼の、姿。
ルーディスは、目を見開いていた。
自分の行動が信じられないと、そう言わんばかりに。
あと少しで頭上の岩が、彼に当たる。
(ダメだ!!)
魔力が溢れ出て、空間に光を生んだ。
気が付いたらもうーー、どうしようもなかった。
彼の体を押し潰さんとばかりの大岩は、最初からそこにあったように、宙を浮く。大岩を支えるように光が煌めく。
大岩の下、大きな影が彼を包み込んでいた。
倒れ込みそうだったリフィエルの体は柔らかい魔法が包み込み、そっと岩肌に足をつける。
魔力暴発を起こしかけていた魔石は沈黙を守っている。
幾重にも張り巡らされた防御結界が、全てを飲み込んでいた。
結界が、大きく揺らぐ。それでも音さえ漏らさない。
呆然と、立つ彼の姿が目に入る。
リフィエルが彼の元に駆け寄った。
崩れた足のリズムがいやに響く。
「な、なにをっーー、何を君は考えてる!?」
考える間もなく、口が開いていた。
喉が焼けるような熱さ。
呆気に取られたような顔に、更に怒りが募る。
怒りか、恐怖か。わからない何かが、胸の奥で弾けた。
「馬鹿かっ!?」
情けなく震える喉から、引き裂くような音が出る。
岩の影に沈む赤い瞳が揺らぎを見せた。彼の手が震えていることすら、リフィエルは気が付かない。
あんな風に彼が自分を庇うなんて。
怖くて、腹が立って、カッと目の奥が熱くなる。
「死にたいのか!? 馬鹿だ! 何故庇った!!」
制御できない震えと声色が、耳にキンと響くようだ。
彼は何も言わない。
ただ見ている。
その瞳に、情けなく歪む、自分の姿が映っている。
ーーあんな、危ないことをしておいて!
あんな風に、死を悟った顔をして!!
「ボクは平気だった! どうとでもなる!! なのに、なのに何故君は……っ!」
息すら震える。
言いたい言葉は半分すら出ず、右足が崩れそうで、指先から感覚がなくなっていく。
かろうじて立っていた足が、急に重たくなった。
足から力が抜けて、座り込む。
岩肌に触れた下半身が、悲鳴を上げていた。
「ーーボクなんかを、庇うな……。馬鹿者……」
頭を下げた。
自分の影が、情けなく震えている。
彼が、目の前で生きている。
自分の犠牲になることなく。
(ああ、本当に、ほんとうに良かった……っ)
「……それが、本当の“お前”か」
耳を打つ穏やかな響き。
その声には、微かな笑いが含まれていた。
意味を掴めず顔を上げる。
何を言ってるんだと、そんな場合じゃないだろうと声を荒げようと思って。
なのに、彼は笑っていた。
面白そうに、楽しそうに、頬を緩めて。
まるで、子どもみたいに。
「その方がずっと“らしい”。そのままでいろ、リフィエル・ローベイン」
言葉の意味を飲み込むのに、時間がかかった。
くつくつと笑う声が、足の痛みも、後悔も、安堵も。全てを奪っていく。
赤い瞳に映る魔法が、光を瞬かせた。
「……意味、わかんない。なんなの、君」
呆然とした感情が、言葉に流れ込む。
「俺は俺だ。何者でもなく、別の者には成り得ない」
立つ彼が、手を差し出す。
その手は傷があって、自分のものよりもずっと大きくて、硬そうだ。
リフィエルは暫くその手を見て……、まだ痛む右足を奮い立たせ、自分の力で立ち上がった。
フラフラする視界は、未だ自分が生きている証だった。
「……君の手は借りないよ、管理官」
「そうか、残念だ」
それは、全然残念そうではなく、けれどどこか、見知らぬ感情が含まれている……、気がした。
宙に浮いた大岩が、ゆっくり、落ちていく。
自分たちの影を、踏むように。
最初から無かったかのように、魔力が溶けていく。
暴発で砕けた魔石が、結界の中で静かに光を放っていた。




