第13話 沈黙する光
水を含んだ土は、靴を沈ませる。
ぐしゃ、と音が鳴り土が跳ねる。
ズボンの裾には既に泥汚れがこびりついていた。
風が錆びついた鉄と油の匂いを運ぶ。
不愉快な匂いに、ルーディスの眉間に鋭い影が落ちた。
「今日は、わざわざ管理局の方からお越し頂いたようで」
背中の黒髪を風が撫でていく。
彼の赤い目は遠方の人影に向けられていた。
採掘場の管理人が、柔和な笑みを浮かべてルーディスに近寄って来る。しかし眉だけは下がっていない。
ルーディスは、足元を見ていた視線を男の顔に移し、口角を上げる。瞳はまるで獣のような光が浮かんでいた。
「まるで来てほしくないと言わんばかりの態度だ」
「そんな、とんでもない」
「そう言う割には、随分視線が多い」
管理人の心のこもっていない謝罪を聞き流し、周囲を見渡す。
岩壁の上、数人の作業員が手を止めてこちらを見ていた。
湿った風が吹き抜け衣服の裾を撫でる。
風に紛れて、背後から微かに震える吐息を耳にした。
吐息の先を確認するように、視線を後ろへ向ける。
後ろには、リフィエルがいる。
銀色の髪から見える淡い青が、風に揺られていた。
深い青の瞳は、空よりも深くて、どこか甘い。
ーーカメラが、欲しくなる。
思わず、視線を逸らした。
「それでは見学に入らせてもらう」
「はい。では、どうぞ」
ぬかるみに沈まぬよう、進んでいくその向こうで。
誰かが「偉そうに」と、つぶやく声がした。
反響する靴音が、空気を震わせる。安全靴は硬く、無機質だ。
冷たい空気は奥に行くにつれて濃厚に、重くなって行く。湿気を含んだ岩壁が、ほんのりと光を反射していた。
ーー魔力圧。
魔力の多い場所に起こる自然現象だ。
空気が重く澱み、肌がひりひりと焼け付く感覚が全身に伝う。
視界の端で管理人の喉が動く。
視線は忙しなく彷徨い、靴音にすらその体を揺らす。
手は不安げにヘルメットに触れていた。
それが普通の人間の反応だ。
けれどルーディスは、この圧が嫌いじゃない。
肌を刺す痛みも、尖る氷のようなひりつきも。
これは未だ、魔術がこの世に生きている証なのだから。
人知れず、笑いが溢れた。
「此処から先が、採掘現場となります。とは言いましても、もう此処ではあまり数が取れませんが」
安全灯の明かりがちらつく。白い光に照らされた自分の影が生き物のように揺らめいた。
管理人の近くに付き従う魔術士二人が、ルーディスを睨みつけるように立っている。
その視線を遮るように、一歩前に出た。
黙り込んだまま、魔石を見つめている彼女を隠すように。
「魔石を見たい。どれ程まで近寄れる?」
管理人と魔術士が目配せする。
魔術士二人が魔石に近寄り、胸元に指していたステッキを停止線のように持ち上げた。
彼らの影に沈んだ魔石はそれでも強い光を放っていた。その不気味な輝きに、暗闇すら避けている。
「あの者たちよりも近付けば危険になります」
「そうか。……ローベイン、向かうぞ」
「はい」
魔石は、光を放つ性質を持つ。
魔力の光を常に宿し、光は強く岩肌の影を揺らしている。
あの小さな石にどれだけ魔力が内包されているのか、今にも割って出てきそうだ。
顔に反射する淡い光に、ルーディスの睫毛が瞳に影を落とす。
魔石の複雑な色が、目の前にいる彼女の銀髪に淡く滲み込む。
彼女は魔石の近くでしゃがみ込み、ずっとそれを見ている。まるでメモを書くように指先が時折震えた。
視線を魔石に移す。
加工前の魔石は形も大きさもまばらだ。
含まれている魔力の量も質も異なるのだろう。光は石によって特徴があるように見える。
(石が手に入れば一番いいのだがな)
ーーせめてこれが、何かキッカケになればいい。
彼女の焦りを取り除く、何かに。
視界の隅でステッキが白い軌道を見せた。
意識せずとも、視線がそれを捉える。
その杖先に光が灯る。
男の足元から影が伸び、彼女の頭に微かに落ちた。魔石が僅かに脈動を見せる。
それはまるで鼓動を始めた心臓の如く。
『炎は、』
小さな魔術語が、男から溢れ始めている。
空気に、熱が帯びる。
舌打ちが溢れた。
空気を切り裂くように靴音が鋭く響く。
ルーディスの手がステッキを持つ腕を捻りあげた。
痛みを訴える男の悲鳴が、岩壁を伝って反響する。安全灯の光が明滅して、濃い影を落とした。ルーディスの顔に影が何度も落ちる。
「なんのつもりだ魔術士! 此処で魔術を使う気か!?」
鋭い声が奥まで響いた。
痛みを訴える男の声が響く。もう一人の魔術士がポケットからスマホを取り出していた。赤い瞳が一瞥してもなお、男は行動をやめない。
「管理官ともあろう方が、暴力沙汰とはっ」
その声はどこか演技くさい。魔術士の手に持ったスマホのカメラが、その様子を捉えていた。
ルーディスの口角が上がる。角ばった手に濃い影が写り込んだ。
「『炎は細鉄の諸刃となりて』、か?」
ぎくり、と肩をこわばらせた男が、一歩、下がる。
ルーディスは、手を離した。手を抑えて下がる魔術士の背が管理人にぶつかった。
「俺は無魔だが魔術語は履修してある。耳も、悪く無い方でな」
光が僅かに瞬く。
リフィエルの肩が震えた。
「挑発行為にしてはやり過ぎだ、」
ルーディスの言葉を待たずして、彼女が立ち上がった。
彼女を守るように立ち塞がっていたルーディスの背に、彼女が背中を合わせる。
「ーー管理官、暴発します」
早口のその声は、いつもよりもずっと震えを押し殺していた。




