第12話 雨上がりの一歩
人々の足音が通り過ぎる。
駅に吸い込まれていくように進む彼らから離れた場所で、リフィエルはその慌ただしい足音を聞いていた。
朝日は眩しく、目の前の石畳に水が溜まり、青空が映り込んでいる。
風が雨上がりの気怠げな匂いを運んで、水を揺らしていた。
(……魔石、か)
今日は、ルーディスと共に採掘場へ向かう日だ。
天然魔石を間近で見る機会は、今後二度と得られないかもしれない。仕事鞄を持つ手に力が籠る。いつもよりも少し軽いはずなのに、やけに重く感じた。
じくり、右足が痛む。
(魔石は自然生成の鉱石。だから、違う)
あの赤い光とは似ても似つかない、かけ離れた存在だと何度も言い聞かせて、自分を納得させる。
(もう二度と繰り返さない。そのためにも、人工魔石は完成させなくちゃ)
実用的で、安全な物を作るために。
そのためにきっと、ここにいるのだから。
駅前のロータリー、その前で待つこと、少し。
リフィエルの目の前で、一台の車が止まる。
白の車体は太陽光を浴びて、光を反射している。
ハザードが鳴り、チカチカと黄色の光が点滅する。
リフィエルはぼんやりそれを眺めていた。
運転席の扉が開く。
「ローベイン」
現れたのは、ルーディスだった。
驚き、目を見開く。
(え、迎えに来るとは言ってたけど、車?)
駅で待ち合わせだったので、電車で向かうものだとばかり思っていた。
しかし彼は後部座席の扉を開けて、リフィエルを見ている。
乗れ。
そう言わんばかりに。
「……おはよう、ございます。あの、移動は車、ですか?」
「ああ。採掘場は生活圏から離れた場所にある。車でないと厳しい」
「そう、なんですか」
一歩、足を進める。
扉を開けて待っている彼の横を通り過ぎて、そっと車に乗り込んだ。
芳香剤の匂いが鼻を掠める。
扉が、大きな音を立てて閉じた。
車内では、落ち着いた音量でラジオが流れている。アナウンサーの笑い声、時折挟まるコマーシャルの音。それを耳にしながら、流れる景色を眺めていた。
会話はない。
ラジオの声だけが、二人のあいだの空白をゆっくり満たしている。
ルームミラー越しにすら、目は合わない。
(でも、変だな。あんまり嫌じゃない)
沈黙はいつも気まずいものだった。
だというのに、理由はわからないが、彼との沈黙は“嫌いじゃない”のだ。
(なんでだろ……)
高速道路の入り口に辿り着く。
ETCの音声が鳴り、それから目の前のゲートが開いた。
「ここからは速度を上げる。車酔いがあれば、すぐ報告しろ」
「……はい」
考えてもよく分からなかった。
車は、ゆるやかな坂道を登っていく。
高速道路を降りて暫く。
窓の外には、街を抜けたばかりの丘陵地が広がっていた。
薄く霞んだ青が、遠くの空へと溶けていく。
時間がどれほど経ったのか、リフィエルは分からない。
時計を見ることもなく、ただ流れる景色を目で追っていた。
「そろそろ昼にしよう」
不意に、運転席から声がした。
その一言に現実へ引き戻される。
「この先に店がある。寄るぞ」
「……はい」
車が減速し、小さな看板の前で止まる。
木造の小さな食堂だった。
窓辺には鉢植えが並び、彩を添えている。
ルーディスが先に降り、リフィエルの側の扉を開けた。
その仕草があまりにも自然で、思わず視線を逸らす。
(わざわざ、開けなくたって……)
「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
靴音を鳴らして外に出る。
陽射しが思ったよりも強くて、目を細めた。
「食欲はあるな?」
ゆったりと流れる曲、人の話し声、チャイムの音。それらの中でも彼の声はよく届いた。
雨上がりの光が、木製のテーブルに淡い影を落としている。
リフィエルは少し考えてから、うなずく。
「ならいい」
ルーディスはメニューを開き、淡々とページをめくる。
リフィエルも、同じようにメニューを開いた。けれど、文字が頭に入らない。
(……お腹、減ってない)
そもそも、彼女は少食だ。普段だって小さなお弁当一つ、無理やり口に押し込んでいる。
上官と外食などしたことは勿論なく、こうやって店に入ることすらあまりない。
平日とはいえ客はいる。
笑い声、皿とカトラリーがぶつかる音、混ざり合う料理と人の匂い。
全てに、気が滅入る。
(疲れる……)
彼と二人きりの車内の方がマシだった。
「……この後もう少し走らせれば目的地だ」
ルーディスの声に、メニューから目を離す。
彼は硬質なメニュー表をめくっていた。視線は向けられていない。
「何度も言うが足場が悪い。無理矢理許可を取ったからな。現場の人間が“別の意味で”歓迎して来るだろう」
「………」
(別の意味って、それ歓迎と言わない)
何を言えばいいのか分からない。
黙ったリフィエルを気にせず、彼は続ける。
「現地に着いたら、俺から離れるな。手の届く範囲にいろ」
(それは、まるで)
赤い瞳とは、目が合わない。
自分の思考を否定したいのに、どうしても否定しきれない。
(まるで、ボクを守るって……、言ってるみたいだ……)
そんなわけがない。
相手は管理官だ。従業員の安全を守る立場にある。
ただ、それだけのこと。
なのにどうしてだろう。
心が、温かい。
まるでミルクティーを飲んだ、あの時のように。
「それが分かったなら、ちゃんと食え。体調不良で倒れでもしたら小一時間は説教だ」
ほんの一瞬、彼がリフィエルを見た。
店の外を走る車の音が、静かに通り過ぎていく。
彼女にはやはり、彼の感情は読み取れない。
それが心を微かに波立たせた。
(この人は、何を考えているんだろう)
知りたいと、ふと思った。




