英国学派の紹介(上) by Yannis Stivachtis
英国学派は、国際秩序の社会構造という観点から、国際史および世界史の研究の基礎を提供している。国際関係論における特定の分野を議論する多くの理論とは異なり、英国学派は世界を全体として捉えようとする包括的なアプローチを提供している。英国学派の理論は、国際システム、国際社会、そして世界社会という3つの主要概念を区別することを基盤としている。これにより、イギリス学派は国際関係論に新たな空間を開拓し、リアリズムとリベラリズムという対立する理論の中間地点を提示する。
1.The basics of the English school
英国学派は、国際システム、国際社会、世界社会という3つの主要概念を中心に構築している。ブルは、国際システムを「2つ以上の国家が十分な接触を持ち、互いの決定に十分な影響を与え、全体の一部として行動する場合」に形成されると定義した。この定義によると、国際システムとは主に、国際的な無政府状態の構造によって行動が条件付けられる国家間の権力政治といえるだろう。国際社会は、志を同じくする国家のグループが「互いの関係において共通の規則に拘束され、共通の制度の運営に携わっていると考える」ときに存在する(ブル1977、13)。言い換えれば、国際社会とは、共有の規範、規則、制度の創造と維持に関するものとも言えよう。最後に、世界社会は国際社会よりも根本的なものであろう。なぜならば、「全人類の偉大な社会の究極の単位は国家ではなく、個々の人間である」からである(ブル1977、21)。世界社会は国家システムを超越し、個人、非国家主体、そして最終的には世界人口を、地球規模の社会アイデンティティと体制の中心とみなしている。ここで重要なのは、英国学派において「institution(制度)」という用語は「organization(組織)」とは異なるということである。
英国学派の思想によれば、「制度」とは、国家間の長期的な慣行(外交、法律、戦争など)を指し、国家間の相互作用を促進するために設立される国際的な官僚機構(組織)を指すものではない。国際機関を指す場合、英国学派によるならば「疑似機関」または「二次機関」という用語を使用し、国際機関の有効性は国際社会における一次機関の機能に依存している。
国際システムと国際社会を区別することは、特定の国家間および国家グループ間の関係のパターンと特徴を区別するのに有用である。例としてはヨーロッパ諸国間の関係とオスマン帝国との関係には本質的な違いが存在していた。ヨーロッパ諸国間の関係はヨーロッパ国際社会の存在を反映しているものの、ヨーロッパ諸国とオスマン帝国の関係は国際システムの存在を反映していたと言える。同様に、欧州連合加盟国間の相互作用は国際社会の存在を反映しているが、欧州連合自体とトルコ(非加盟国)との相互作用は、より広範な国際システム内の相互作用を表している。その有用性にもかかわらず、国際システムと国際社会の区別は相当な批判を招くものであった。なぜならば、国際システムにおいても、何らかの規則の存在や何らかの制度の運用が見られるからである。この議論の結果、国際システムは国際社会の弱い、あるいは「薄い」形態を構成するという前提が受け入れられた。
歴史の大部分において、単一の国際システムや国際社会が存在するということはなかった。むしろ、それぞれが独自の規則と制度を持つ、複数の地域的な国際社会が存在していた。これらの社会は、それぞれ異なる宗教、異なる統治システム、異なる種類の法、そして異なる世界観を含む、精緻な文明の上に築かれていた。これは、異なる地域的国際社会に属する政治主体間の関係は、同一社会内の関係と同じ道徳的・法的基盤に基づいて運営することはできないことを意味していた。それぞれの地域的社会の規則は文化的に特殊かつ排他的だったからである。二つ以上の地域的国際社会の境界を越えて機能し、広範な国際社会を代表する単一の合意された規則や制度は存在しなかった。さらに、地域的国際社会間の交流は、地域的国際社会内の交流よりもはるかに限られていた。従って、真に普遍的な国際社会の出現は、いずれかの地域的国際社会が拡大し、他のすべての地域的国際社会を共通の規則と価値観に基づいて組織された単一の普遍的な社会に統合しない限り、不可能であったのである。
17世紀から18世紀にかけて、国際社会はヨーロッパ諸国および「文明」国家の特権的な連合体とみなされるようになり、国際法、外交、勢力均衡といった特定の制度にそれが顕著に表れていた。ヨーロッパ諸国は相互関係においては行動規範に縛られているものの、他の社会との関係においてはこの規範は適用されないという意識があった。19世紀の国際法学者たちは、ヨーロッパ人と非ヨーロッパ人、「文明」民族と「非文明」民族の文化的二重性を永続させた。「文明」民族と「野蛮」民族の区別は、どちらのカテゴリーに属する国家にも異なる段階の法的承認が与えられることを意味していた。ヨーロッパの国際社会が世界中に広がるにつれ、多くの非ヨーロッパ諸国が国際社会への加盟を模索した。そのため、ヨーロッパ諸国は、非ヨーロッパの政治的実体が加盟できる条件を定める必要があった。その結果、自由主義的なヨーロッパ文明の規範を反映した「文明」の基準が確立されたのである。
文明の基準には、基本的人権の保障や、すべての人に正義を保障する国内法制度の維持といった要素が含まれていた。そのため、定義上、個人の権利を保障する意志や能力のない国は「文明国」とはみなされなかった。結果として、非ヨーロッパ諸国の候補国は、外交関係のあり方だけでなく、自国の統治の仕方によって審判をくだされた。このプロセスは、二つの新しいカテゴリー、すなわち「文明化者」と「文明化される者」、言い換えれば「教師」と「生徒」の間に階層的な関係を生み出すことにもつながった。
第一次世界大戦(1914~1918年)の終結後、新たな国際社会が出現し、1920年の国際連盟設立がその象徴となった。連盟が構想した新たなグローバルな国際社会には、ヨーロッパ国際社会で発展してきたほぼすべての規則と慣行が取り入れられた。これには国際法と外交、そして社会の独立した構成員として認められる国家の主権と司法上の平等に関する基本的前提が含まれている。国際連盟設立の推進力はヨーロッパからではなく、アメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領からもたらされ、国際秩序の性質の変化を象徴するものであった。1939年の第二次世界大戦の勃発は国際連盟の機能を中断させ、結果としてこの国際社会の崩壊を招いた。1945年の国際連合(UN)設立は、また別の新たな国際社会の表出であった。実際、国際連盟に見出された多くの原則と構造が国連に踏襲された。一方、「文明」という基準は、非ヨーロッパ文明の代表者にとって侮辱的なものであった。ヨーロッパ諸国が自らに主張する特権的な法的地位は、世界を「文明国」と「非文明国」に分割するだけでなく、国家間の階層関係の維持も意味するものであったためである。その結果、非ヨーロッパ諸国と植民地化されたコミュニティは「文明の基準」に反対する運動を開始しました。そして、この基準は最終的に脱植民地化プロセスの開始とともに廃止され、帝国主義時代の終焉を告げた。二大超大国が世界をそれぞれの勢力圏に分割した冷戦(1947~1991年)という二極世界の出現は、比較的「薄い」新しいグローバルな国際社会を、米国と関係する国際社会とソビエト連邦と関係する国際社会という、サブグローバルな「厚い」国際社会へと分裂させた。 1991 年の冷戦の終結は、2 つのことを意味した。1 つ目は、グローバルな国際社会の分裂がなくなったこと、2 つ目は、より「薄い」グローバルな国際社会の範囲内で、さまざまな程度の「厚さ」を持つ一連の地域的な国際社会が徐々に出現したことである。
英国学派における主要な議論は、多元主義と連帯主義をめぐって展開される。多元主義とは、規範、ルール、制度の共有度が比較的低い国際社会を指す。連帯主義とは、規範、規則、制度の共有度が比較的高い国際社会を指す。多元主義/連帯主義の議論は、基本的に国際社会が世界社会、言い換えれば人々とどのように関係するかに関する。主要な問題は、国家の欲求と義務と人類の欲求と義務との間の緊張をいかに緩和するかである。これらは、現実世界の状況においても理論においても、常に衝突する。ほとんどのイギリス学派の学者はこの議論の範囲内で活動し、秩序と正義の義務との間の緊張を対処すべき中核的な問題と捉えている。
多元主義と連帯主義の論争において重要なのは、国際法に自然法を含めるべきか、それとも実定法を含めるべきかという問題です。自然法とは、特定の権利や価値は人間の本性によって内在し、人間の理性によって普遍的に理解できると主張する哲学です。言い換えれば、自然法とは、あらゆる人間の行動の基盤とみなされる不変の道徳原則の集合を指す。一方、実定法とは、特定の共同体、社会、または国家が人間によって制定した法を指す。この論争は、(多元主義に基づく)国家の主権主張と(連帯主義に基づく)普遍的権利は人々に付与されるという考え方との間で最も鋭く現れている。これを簡単に示す例として、シリアの事例を挙げてみよう。多元主義的な解釈では、2011年以降、残虐な内戦で国家が崩壊し、恐ろしい残虐行為が横行しているにもかかわらず、シリアは主権国家であり、自国の領土と国民に責任を負っている。連帯主義の立場は、人命を守るという最優先の義務を強調し、シリア内戦への介入を主張する。しかし、どちらの立場も全く異なるタイプの国際社会を示唆するものであろう。多元主義と連帯主義は一見相反するように見える一方、国際社会の限界と可能性に関する議論の枠組みとなる原則と言えよう。この議論は主に、人々と国家双方の欲求とニーズをいかに最善に調和させるかという点に問題を置いている。この意味で、英国学派は、国際社会における権力、利益、そして正義と責任の基準の適切なバランスを探ろうとする国際関係論において不可欠なツールである。
出典:Yannis Stivachtis,'Introducing the English School in International Relations Theory',2018




