英国学派における国際社会:国際関係を理解するための概念 by Silvia Travasoni
Travasoni, Silvia. The English School’s Theory of International Society: A Valuable Concept to Understand International Relations. Alcumena: Pismo Interdyscyplinarne / Interdisciplinary Journal, vol. 2, no. 10, 2022, pp. 6–11
1.The English School: A Brief Overview
英国学派(English School、以下ES)は、1950年代後半に「国際政治理論に関する英国委員会(the British Committee on the Theory of International Politics)」の設立とともに誕生した。この委員会は、イギリスの学者たちがアメリカの国際関係(IR)研究者とは異なる方法で国際関係を探求しようとしたものであった。ESの学者たちは、「現代的なものより歴史的なもの、科学的なものより規範的なもの、方法論的なものより哲学的なもの、政策より原則」に関心を寄せていた(Butterfield, Wight, 1966)。
ESは、国際関係(IR)理論においてネオリベラリズムとネオリベラリズムの中間に位置するものとしばしば考えられている(Dunne, 2011)。ネオリアリズムやネオリベラリズムと同様に、ESもまた国家が無政府的な国際社会における主要な行為主体であると捉える。しかし、ネオリアリズムやネオリベラリズムとは異なり、ESは国際関係という複雑な世界を理解するために、歴史的・解釈的・規範的なアプローチを採用する(Jackson, Sørensen, 2013)。
ESの学者たちは、国際関係の世界を国家間の物質的な能力に基づく競争によって説明できるとする新現実主義の前提を受け入れない。同時に、国際関係を不断に進化し永続的平和を追求する人類の進歩に基づく共同体と解釈する新自由主義の見解も支持しない(Jackson, Sørensen, 2013)。
ESの学者たちは「国際関係を国家の社会として見なし、主要な行為主体は国家統治の実務に専門化した国家の人々であると捉える。そして国家統治はきわめて重要な人間の活動である」と考える(Jackson, Sørensen, 2013, p. 134)。人間の活動への注目こそが、国際システムと国際社会を区別する点である。ESの代表的な学者であるバリー・ブザンは、この両者を次のように定義している。国際システムとは「国家間の権力政治」であり(Buzan, 2001, p. 474)、国際社会とは「国家間の共有された利益とアイデンティティの制度化」である(Buzan, 2001, p. 475)。
さらに「世界社会(world society)」もESの重要な概念である。これは「個人、非国家組織、そして最終的には地球規模の人口全体を、地球社会的アイデンティティの焦点として捉える」ものである(Buzan, 2001, p. 475)。国際システム、国際社会、世界社会は、それぞれ独立した別個の概念として理解されるべきではなく、相互依存的であり、合わせて国際関係の世界を構成する。特に、国際社会は国際関係を理解するうえでESが生み出した最も価値のある概念とされている。
2.What is International Society?
英国学派の著名な学者であるヘドリー・ブルは、国際社会について次のように述べている。すなわち国際社会とは「ある一群の国家が、一定の共通の利益や共通の価値を自覚し、互いの関係において共通の規則に拘束されていると認識し、共通の制度の運営に参与するという意味で、一つの社会を形成していると考えるときに存在する」ものである(Bull, 2012, p. 13)。
国際社会における主要な行為主体は国家である。国家が、他の国家と一定程度の価値・規範・アイデンティティ・利益を共有していると認識したとき、それらに基づいて国際社会を形成する可能性が高い。しかし、国際社会を創設するためには、国家同士が相互に承認し合うことが必要である。
この相互承認は、アイデンティティ関係を構築するために不可欠な社会的実践の一形態である。まさにこの社会的要素こそが、そもそも国家を結び付け、また時間を経てそれを強化していくのである。実際、ブザンの言葉を借りれば、国際社会は「国際関係理論の中心に、共有された規範・規則・制度の創設と維持を据える」ものである(Buzan, 2004, p. 7)。
国際社会は、共有された規範・規則・価値・制度による協力だけにとどまらない。ブザンは、国際社会が五つの主要な制度に基づいて構築されていると考える。それは、勢力均衡、国際法、外交、大国の管理、そして戦争である(Buzan, 2004)。
これら五つの制度は国際社会の柱ではあるが、そのすべてが協力に関わるものではない。したがって、国際社会とは必ずしも協力と共通の利益のみを意味するものではなく、対立や、最終的に国際秩序を形づくる異なる制度間の関係についても関わるのである。
3.Pluralist or Solidarist International Society?
「国際社会とは、限られた共通の規則の枠組みの中で、国家の独自性と独立性を保持するための制度なのか、それとも次第に調和や統合の度合いを強め、さらには介入までも可能とするものなのか?」とブザンは問いかける(Buzan, 2001)。この問いは、国際社会を多元主義的に理解するのか、それとも連帯主義的に理解するのかによって異なる答えが導かれる。
多元主義的国際社会は「より伝統的な国際関係の概念に従う」(Murray, 2016, p. 2)。そこでは主権国家が果たす役割が強調される。実際、多元主義的国際社会では、制度的基盤は国家が相互に秩序を維持するという前提に置かれている(Dunne, 2011)。国家は主権を有しており、「主権とは政治的差異と独自性を育成することに関わる」(Buzan, 2001)。このため、多元主義的国際社会においては、国家は不干渉の政策を採り、他の主権国家に干渉しない(Jackson, Sørensen, 2013)。この場合、国際社会の範囲はかなり限定的であり、無政府状態のもとで国際秩序に関心を共有することに中心が置かれる(Buzan, 2001, p. 478)。
これに対して、連帯主義的国際社会は異なる答えを提示する。ブザンは「国際社会の潜在的な範囲はやや広く、武力行使の制限や、国家と市民の関係(すなわち人権)に関する“文明の基準”のような共有された規範を含む可能性がある」と述べている(Buzan, 2001, p. 478)。
連帯主義的国際社会は「正義を優先するものと考えられていた」(Kaczmarska, 2017, p. 8)。なぜなら「国家は人類に対して義務を負っている」からである(Kaczmarska, 2017, p. 4)。実際、連帯主義的国際社会は、個人を国際社会における重要な行為主体と見なす。したがって、個人は自らの国家によって保護される権利を持つことになる。これは、もし市民が自国政府によって甚大な苦痛を受けている場合には、主権国家が他国に干渉することが正当化される可能性を意味する(Jackson, Sørensen, 2013)。
4.Order and Justice in the International Society
国家は主権を有しているため、互いを承認し合い、国際社会を形成することができる。しかし、まさに主権を持つがゆえに、国家は国際社会において起こることに責任を負うことにもなる。では、国際社会の射程は何であろうか。
ブルは、国家は国際秩序を保証すべきだと考えた(Bull, 2012)。実際、国際秩序、すなわち国家間の秩序を維持する責任は主権国家に委ねられている。国家は相互の関係を管理することによってそれを行うべきである。しかしブルが指摘するように(Bull, 2012)、この主張には規範的な性格がある。すなわち、国家は国際社会において秩序を保証すべきだが、それは必ずしも実際に国家がそうしていることを意味しない。ブルは「大国も小国も、しばしば秩序を促進するのではなく、むしろ無秩序を促進するように行動する」と指摘している(Bull, 2012, pp. 199–201)。
言い換えれば、国際社会の主要な目標は国際秩序の促進と維持である。国家間の秩序を持続させる責任は大国に属する(Jackson, Sørensen, 2013)。国際社会における主要な行為主体である国家が、国際社会の秩序を保証し維持する責任を持つという事実は、正義という概念とも結び付いている。
ブルは、正義とは「いかなる形においても、秩序という文脈においてのみ実現可能である」と述べている(Bull, 2012, p. 82)。したがって、「国際社会は、何らかの秩序の文脈を提供することによって、様々な種類の権利を平等に享受する道を開くものと見なすことができる。また、今日の国際社会は、国際連合やその専門機関といったほぼ普遍的な機関を通じて、単なる最低限の秩序や共存の維持をはるかに超えることに正式に取り組んでいる。すなわち、それは国際的あるいは国家間の正義、さらには個人または人間の正義という理念を支持している」のである(Bull, 2012, p. 82)。
5.Case Study: the United Nations Framework Convention on Climate Change & COP26
国際連合気候変動枠組条約(UNFCCC)は、国際社会が実際にどのように機能し得るかを理解する助けとなる一例である。UNFCCCは1992年5月に起草され、1994年3月に発効した。今日までに197の国家がこの条約を批准し、締約国として活動している。UNFCCCの主たる目標は、第2条に記されているとおり、「気候系への危険な人為的干渉を防ぐ水準で、大気中の温室効果ガス濃度を安定化させること」である(UN, 1992)。
国際連合によれば、これは歴史的に注目すべき瞬間であった。というのも、世界各国が、気候変動に関連する深刻な脅威が存在し、それが人間の活動によって引き起こされ、世界中の個人と国家に影響を及ぼしていることを認識したからである(What Is the United Nations Framework Convention on Climate Change? | UNFCCC, n.d.)。したがって、この条約は、主権国家が人類の安全のために行動することを拘束したのである。これはまさにブルが述べた正義という概念と結びつくものであった。
UNFCCCに盛り込まれた要素は、1997年12月に採択され2005年に発効した京都議定書において、さらに確認され、具体化された。京都議定書の主な目的は、「先進国を拘束し、彼らが大気中の温室効果ガスの高濃度に大きな責任を負っていることを認識して、『共通だが差異ある責任及び各国の能力』の原則の下で、より大きな負担を課すこと」である(What Is the Kyoto Protocol? | UNFCCC, n.d.)。
UNFCCCと京都議定書の結果として、締約国会議(COP)が1995年以来、毎年開催されてきた。直近のCOP26は2021年11月にグラスゴーで開催された。そこで各国は以下の目標を追求することに合意した。すなわち、世紀半ば(2030年頃)までに世界的なネットゼロを達成し、気温上昇を1.5度に抑えること、地域社会や自然生息地を保護するための適応、資金の動員、そして協力して目標を実現することである(COP26 Goals – UN Climate Change Conference (COP26) at the SEC – Glasgow 2021, n.d.)。
6.Conclusive remarks
なぜ世界のほとんどの国家は、気候変動に関して協力するのだろうか。なぜ主権国家が—それぞれ異なる価値・規範・アイデンティティを持ちながらも—地球の平均気温がさらに上昇し、不可逆的な被害をもたらすことを防ぐために必要だと考える共通の措置に合意するのだろうか。より一般的に言えば、なぜ国家の一定の行為を禁止し、あるいは特定の行動様式を取るよう国家に義務付けるような国際的な規範が存在するのだろうか。
新現実主義も新自由主義も、これらの問いに満足のいく答えを与えることはできない。ネオリアリズムは、国家が協力するのはそこから何らかの利益を得られる場合に限ると主張する。一方で、ネオリベラリズムもまた説得力ある答えを提供できない。なぜなら国家は必ずしも常に協力するわけではないからである。
これに対して国際社会の概念は、これらの問いに答える助けとなる。主権国家は国際社会の中で行動することにより、共通の問題が存在することを認識し、その問題に関する解釈や価値が異なっていたとしても、それを解決するためには協力して行動する必要があると理解するのである。
国際社会は「二者択一」の枠を超える。すなわち、国際社会には対立も協力も存在する。なぜなら国家は常に対立的あるいは協力的であるわけではないからだ。これこそが国際社会という概念の価値である。国際社会は、国際関係がどのように機能しているのかを、より包括的かつ総合的に理解するための堅固な枠組みを提供するのである。




