現実主義国際関係理論と軍事(一) by Brian C Schmidt
1.Introduction
政治学者ロバート・ギルピン(Robert Gilpin, 1996)はかつて「誰も政治的現実主義者を愛さない」と述べた。この言葉の意味の一つは、現実主義者はしばしば国際政治に対して悲観的かつ悲劇的な見方を提示する、ということであろう。提案がどのようなものであれ、現実主義者は、国際政治の実践を改革しようという最も高潔な意図さえも、しばしば阻む持続的な行動パターンが存在することを認識している。現実主義者は平和を価値ある目標として認めるが、それがしばしば達成困難であることも理解している。恒久的平和を追求するのは不可能であるため、現実主義者は戦争や暴力行使の発生頻度を減らすことを目指す。その過程で、国家行動を導くための一連の規範的格言を提示する。多くの人々が現実主義の原則を軽視し、無視しようとしてきたが、歴代の現実主義者は、それらを無視すれば往々にして悪い結果が生じると反論してきた。
現実主義の魅力の一部は、国際政治の実践について時代を超えた洞察を提供する、という主張にある。この「時代を超えた知恵」という考えは、現代の現実主義者が古代アテネの軍事官僚であったトゥキディデス(紀元前460~406年)の著作やペロポネソス戦争の記述まで遡る、古くからの一貫した思想伝統の一部である、という主張の上に成り立っている。例えば、今日の米中関係は「トゥキディデスの罠」に陥っているとされ、これはアテネとスパルタが直面した状況に類似している(Allison 2018)。第二次世界大戦後に支配的となった学術的現実主義理論は、しばしばそれ以前から存在した古典的伝統に基づくとされる。伝統の定義には諸説あるが、一般的には、似たような考え方、慣習、実践が世代を超えて受け継がれるという理解が共通している。現実主義者思想の伝統が存在するという信念は、現実主義者が共通して抱く一連の前提や理念の存在に基づいている。多くの現実主義者が合理性(Rationality)、国家主義(Statism)、生存(Survival)、自助(Self-help)という「三つのS」を共有することは確認できるが、同時に古典的現実主義、構造的現実主義、攻撃的現実主義など複数の異なる理論が存在することも指摘されている。この多様性は、統一的な現実主義の存在論(Ontology)、認識論(Epistemology)、方法論(Methodology)を確立することを困難にしている。加えて、科学哲学者の間でも、これらの用語の意味については一致していない。大まかに言えば、存在論は「何が存在し、現実を構成するのか」という問いを扱い、認識論は「何が知識を構成するのか」を問うものであり、方法論は「知識がどのように生成されるのか」を扱う(詳細は本書の第一部を参照)。
本章は、いわゆる現実主義の伝統に関する一般的な紹介から始まる。ここでは、国際政治の正式な理論として現実主義が成立する以前の著作や思想にも触れるが、この節の主な焦点は、1940年代後半から始まる現実主義理論の展開に置かれる。次の節では、「本質的現実主義」と呼べる主要な前提を特定し、説明する。第三の節では、古典的現実主義、構造的現実主義、攻撃的現実主義など、複数の異なる現実主義理論を提示する。最後の結論部分では、現実主義の「時代を超えた知恵」という考え方と、その現代への適用可能性を改めて検討する。
<解題>
「モーゲンソーは政治的リアリズムの六つの基本的原則 (Sixprinciples of Political Realism)なるものを述べている。
第一の原則,政治的リアリズムは,政治は社会一般と同じように,人間性に根ざした客観的法則によって支配されていて, これらの法則の作用は人間の意志のままに支配できないものである。政治の法則の客観性は,たとえ不完全で一面的であっても, これらの客観的法則を反映する合理的な理論は可能となる。
政治の理論が理論として可能となるには,合理性と経験性という二つのテストを受けなければならないし、リアリズムにとって理論とは、事実を確めること及び理性によって事実に意味を与えることにある。だが,事実を検討するだけでは十分ではない。ある状況の基で,対外政策のある種の問題にあたる政治家の立場に自己をおき、これらの状況の基では選択するかもしれないこの状況の合理的な対策とは何か。また、これらの状況の下で行動するこの特定の政治家は、合理的な対策のうちどれを選択しそうであるか、現実の事実、 とその成行きにたってこの合理的仮説をテストすることが、国際政治の事実に意味を与え、政治の理論を可能ならしめる 。
第二の原則、政治的リアリズムという名の国際政治の中心の概念は、パワーによって示される利益の概念である。この利益概念は,国際政治を理解しようとする理性と理解されるべき事実との間の絆である。この概念により、政治は経済、倫理、美学及び宗教の領域とは相異なる自律的な領域なのである。政治の理論は,国際政治であれ、国内政治であれ、利益の概念なしにはまったくなりたたない。すなわち、利益の概念なしには政治の事実と政治外の事実とを区別できないのである。パワーとして示された利益の概念は、知的な訓練を観察者に課し合理的な秩序を政治の素材につぎこみ、こうして政治の理論的な理解ができるのである。
リアリストの国際政治のある対外政策を理解するには、政治家の動機との関連やイデオロギーの好みとの関連では理解できない。対外政策の理解、知るべき重要なことは、政治家の知的能力であり、理解したものを政治行動に移しうる政治的能力でもある。したがって、政治の理論は、知性と意志と行動の政治的な質を判断しなければならない。リアリストの国際政治の理論は、政治家の対外政策を彼の哲学的な動機あるいは政治的な動機の識別が必要である。政治家はナショナル・インタレスト(国家的利益・国民的利益)を前提として行動する「公的義務」と、自己の道徳的価値や政治的原則を世界中に実現したいという「個人的希望Jとば識別しなければならない。特に,対外政策が民主的統制という条件下で処理されるところでは、大衆感情が対外政策を支持の方へ向けようとする必要性から、対外政策の合理性そのものを損うことになりかねない。政治的リアリズムは、理論的要素だけでなく規範的要素をも含んでいる。政治の現実が偶発事件で起ることが多く、これが対外政策に与える影響は大である。だが理論的な理解のためには,政治的な現実の合理的要素を強調することの必要があることは、他のあらゆる社会的理論と同じである。すなわち、これらの合理的要素こそが現実の理論として理解しうる。政治的リアリズムは,経験が十分に達成できないような合理的な対外政策の理論構成を現わすものである。と同時に,理論的に提示し得る合理的な対外政策は良い政策であるとみなされる。それは,合理的な対外政策のみが,危険を最少にして,利益を最大に上げるのであって,道徳的要請にも,政治的成功の要請にも応じ得るからである。
第 3の原則,政治的リアリズムは,パワーとして示された利益の内容と,パワーの内容自体ば可変的である。それらは歴史のある特定時期における政治行動を決定する利益の性質は,対外政策が形成される政治的,文化的な構成によって左右する。現代世界は極度の不安定と,常に存在する大規模な暴力の脅威とをともなった中で、の対外政策が機能をはたし得るのは,どのように変革されればよいかは重要な問題である。将来の世界は, これまでに過去を形成してきた永久的諸力のたくみな操作によって,始めてこの変革は達成されるのであって,抽象的な理想では変革は出来ないのである。
第 4の原則,政治的リアリズムは,政治行動において,道義は大きな意味を持ち,道徳的要求と政治行動の成功への要求との聞の対立的関係がみられる。リアリズムは,普遍的道義論で実際の国家行動に適用されるのではなく,具体的な時間と場所の情況によって再検討される。個人にしても,国家にしても,自由という普遍的道義論によって政治行動を判断ずる場合,個人の第一的道義は国民の生存を守るに有り,個人的道義とは区別されなければならない。国家の政治行動においてはいかなる政治道義も存在しない。この場合のリアリズムは,打算一選択的な諸政治行動の結果についての測量ーを政治における最高の実徳とみなす。抽象的な倫理は,行動を道義法則と一致しているかどうか判断する。政治の倫理は,行動をその政治的な結果によって判断する。
第 5の原則,政治的リアリズムは,ある特定の国民の道義的主張と普遍的妥当する道義を区別しなければならない。政治的リアリズムは,真理と意見を区別するように,真理と偶像拝崇とを区別する。どこの国民も自国の特殊な主張と行動に普遍性という道義目的という衣をつけがちであった。特定のナショナリズムと神意とを同一視することは政治的にも害がある。というのは,それは盲目的な熱狂にかられて,国民と文明とを破壊するという判断の誤りを生みだすおそれがある。他方,道義の過剰と政治の愚行とから救うものは,パワーとして示され利益の概念である。国際政治が一自国をも含めて全ての国家ーに示された利益の枠組で、行なわれるならば,公正に扱うことができるし利益の観点、からも判断することが可能となる。また,上述の方法で諸国家を判断すれば,他国家の利益を尊重する政治を追求する一方,自国の利益をも守り
促進する政策を追求できる。政策上の調整が,相互利益の尊重という考えも反映される。
第6の原則,政治的リアリズムは,他の学問から自律性を主張する。政治的リアリズムの理論がし、かに誤解されようとも,政治上の諸問題に対する知的,道義的な態度を否定するようなことはない。知識的な政治的リアリストは,経済学者や法律学者や倫理学者がそれぞれ自己の領域の独自性を主張するように,政治の領域の独自性を主張する。経済学者が富として示された利益という言葉で判断し,法律学者が,行動が法規則として一致しているかどうかで判断し倫理学者が,行動が倫理的原則と一致しているかどうかで判断しているように,政治的リアリストは,パワーとして示された利益という言葉で判断する。」(倉頭甫明,「モーゲンソーの研究一国際政治上のパワーについて一(1)」,1981)




