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第8話 異世界の扉、そして天使の配達人


霧島から『Another World』の概要と、地球とアストリア間の壮大な循環システムについて説明を受け、千尋の頭は興奮と情報過多でパンク寸前だった。まさか自分が、地球の、いや、二つの世界の命運を左右する「命の配達人」になるなんて、昨日までのOL生活では想像の欠片もなかったことだ。


「──と、いうわけです。理解できましたか、千尋さん?」


霧島の静かな声が、思考の海に深く沈んでいた千尋を現実へと引き戻した。モニターには、相変わらず禍々しい輝きを放つ魔石の画像が映し出されている。それはまるで、見る者の魂を吸い込むような、底知れない魅力を秘めているように見えた。


「は、はい! なんとなく!……いえ、頑張って理解します!」


千尋は勢いよく返事をしたものの、まだ頭の中は整理しきれていない。しかし、この非日常の状況が、なぜか彼女の好奇心を強く刺激していた。まるで、分厚いファンタジー小説のページを、今まさに自分で捲っているかのような、そんな不思議な高揚感が胸を満たす。


霧島はそんな千尋の様子を見て、ふっと小さく笑みをこぼした。その表情は、どこか諦めにも似たような、しかし温かい眼差しを含んでいる。彼の瞳の奥に広がるのは、この世界の真理を知る者だけが見ることを許される、深遠な風景なのだろうか。


「焦る必要はありません。まずは慣れることが肝心です。では、座学はここまでにして、早速ですが──適性試験へと移りましょう。」


適性試験。その言葉に、千尋の背筋がピンと伸びた。まるで、RPGの序盤で、初めてのダンジョンに挑む前の勇者のような、妙な緊張感が走る。


「適性試験、ですか? 何をするんですか?」


「ええ。千尋さんが『門』をくぐり、アストリアへと渡る能力があるかを試します。もちろん、今回はあくまで試験ですので、実際に回収業務を行うわけではありません。門をくぐり、アストリアの空気を感じ、すぐに戻ってきてもらいます。」


霧島はそう言うと、会議室の奥にある、三人の配達人たちが足早に消えていった、あの重厚な扉を指差した。あの扉の向こうに、本当にファンタジー世界が広がっているのだ。千尋の胸が高鳴る。


「では、準備をお願いします。千尋さんの愛車も、あちらに用意してあります。」


霧島が促す先に目をやると、そこには見慣れた千尋の愛車、原付スクーターの『マメ太』が、誇らしげに停められていた。いつも通り、少しばかり年季の入った可愛い相棒だ。千尋は、その姿にホッと安堵の息をついた。慣れない環境で、見知った存在が傍にいるというのは、これほどまでに心強いものだと、改めて感じた。


「マメ太!」


千尋は駆け寄り、マメ太のシートをポンと叩いた。どこか愛おしげなその仕草に、霧島は静かに目を細める。彼の表情は、まるで千尋の行動を見越していたかのように、一切の揺らぎがない。


「さて、千尋さん。一つ、重要な注意点があります。」


霧島は、それまでの穏やかな雰囲気から一転、真剣な眼差しで千尋を見つめた。その表情の急な変化に、千尋はゴクリと喉を鳴らす。


「アストリアでは、地球にいる時とは姿が変わります。これは、アストリアの魔力的な波動が、地球の生命体に影響を与えるためです。その変化は個体差が大きく、予測はできませんが、概ね若い姿になることが多いようです。場合によっては、動物の姿になることもあります。」


「え、えぇ!? 姿が、変わるんですか!?」


千尋は驚きで目を丸くした。まさか、そんな話は聞いていない。昨日、霧島は「コスプレのようなもの」と言っていたが、まさか本物の変身だとは。これはもう、コスプレの範疇を超えている。


「はい。ですが、ご安心ください。一時的なもので、地球に戻れば元の姿に戻ります。ただし──」


霧島はそこで言葉を区切ると、千尋の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥に、微かな懸念が揺れているように見えた。それは、まるで千尋の心の奥底を見透かすような、不思議な光だった。


「精神だけは、地球での千尋さん自身のままです。外見の変化に惑わされず、落ち着いて行動してください。特に、感情の揺れが外見に影響を与える場合があります。深呼吸をして、心を落ち着かせることが重要です。」


「精神はそのまま……ですか。は、はい、気をつけます……!」


千尋は、自分の体が突然子供や動物になったりする想像をして、思わずブルリと震えた。動物になったらマメ太に乗れないじゃないか、と現実的な心配も頭をよぎる。それに、もし変な姿になったら、あの如月さんや葵さんに笑われるかもしれない、などと、くだらないことも考えてしまう。


「では、準備ができましたら、その門の前に進んでください。」


霧島は、扉の前に立った千尋に指示を出した。千尋は深呼吸を一つ。


「よし、マメ太! 行くよ!」


千尋はマメ太に跨がり、エンジンのスイッチをひねった。キュルルルル……ブォン! と、いつもの頼もしい排気音が響く。千尋はハンドルを握りしめ、霧島の言葉を胸に、ゆっくりと扉へと向かってアクセルを開いた。


扉は、千尋とマメ太が近づくと、再び音もなく左右にスライドし、その奥に──漆黒の闇が口を開いた。そこはまるで、空間そのものがねじれているような、不気味な虚無だった。


(う、うわぁ……なんか、吸い込まれそう……!)


千尋は思わず身構えるが、それでも勇気を振り絞り、マメ太と共にその闇の中へと飛び込んだ。


一瞬、全身が泡立つような、奇妙な浮遊感に襲われる。耳鳴りのような高周波音が響き渡り、視界がぐにゃりと歪んだ。まるで、水中に深く潜り、圧力を感じるような感覚だ。その不快感はすぐに消え去り、次の瞬間、千尋の五感に飛び込んできたのは、ひんやりと澄んだ空気と、どこか懐かしい土の香り、そして小鳥のさえずりだった。


「……着いた?」


千尋は恐る恐る目を開けた。そこは、一面に広がる青々とした草原で、遠くには深い森と、見慣れない形の山々が連なっている。空には、地球と同じく太陽が輝いているが、その光はどこか柔らかく、神秘的に感じられた。


(わ、本当に異世界だ……!)


感動に震えながら、千尋はマメ太から降りようとした──その時だった。


ドスッ


と、予想外の衝撃が足元に走った。


「え……?」


千尋は、あまりの視界の低さに驚き、地面に足がつかないことに気づいた。そして、自分の手が、ずいぶんと小さいことに愕然とする。しかも、その肌は透き通るような白さで、まるで人形のように滑らかだ。慌てて手で自分の顔を触ると、頬の輪郭がひどく幼い。


「え、何これ!? 私、ちっちゃくなってる!? まさか、この私が、ロリに!? いやいや、待って、これって……!」


千尋は内心で絶叫した。鏡がないため、どんな顔になっているかは分からないが、この幼くて白い肌、そしてふわふわのドレス。これは、間違いなく可愛い少女の姿だ。まさかここまで若返るとは思わず、その変貌ぶりに思わずひっくり返りそうになる。混乱がピークに達し、頭が真っ白になりかけた、その時だった。


(霧島さんの言ってた『コスプレ』って、このことだったのね!? ていうか、これはもうコスプレってレベルじゃない! 変身よ、変身! しかも、このフリフリのドレスって……まるで天使みたいじゃない!? 私、天使ちゃんになっちゃった!?)


混乱のさなか、千尋は自分以外の気配を感じて、はっと振り返った。マメ太がいた場所に目をやると──


「キューン……!」


そこにいたのは、神話や異世界でよく出てくる、白銀の毛に覆われた、美しいフェンリルだった。まだ子供サイズではあるが、千尋が乗って走るには十分すぎるほどの大きさだ。その透き通るような水色の瞳が、不安げに千尋を見上げている。


「マメ太……!?」


千尋は驚きと同時に、その愛らしい姿に思わず駆け寄った。まさか、マメ太まで姿を変えているとは。いつもは少し汚れた原付バイクだが、今はその毛並みは驚くほどに白く輝き、神々しいほどに美しい。


フェンリルとなったマメ太は、千尋の姿を認めると、小さく鼻を鳴らし、甘えるように千尋の幼い体にすり寄ってきた。そのモフモフの毛並みが、千尋の頬に優しく触れる。


「マメ太ぁ……! 可愛い、可愛いよマメ太ぁぁぁ!!」


千尋のテンションは、一気に爆発した。愛車マメ太を溺愛してきた「親バカ」な千尋にとって、この白銀のフェンリルは、まさに至高の存在だった。普段からマメ太に話しかけ、愛情を注いできた千尋にとって、言葉こそ通じないものの、このフェンリルが間違いなくマメ太であると本能的に理解できた。フェンリルの瞳に映る自分の姿が、本当に天使のような少女に見えて、思わず顔がニヤける。


(私のマメ太が、こんなに可愛い神獣になっちゃうなんて……! しかも、私にべったりで、超懐いてるぅ! これはもう、推しでしかない! 私、頑張る! この姿のマメ太のために、異世界配達、頑張っちゃう!彼女にとって、この壮大な任務は、もはや「マメ太を愛でるための」最高の舞台へと変貌していたのだ。)


千尋は幼い手でフェンリルとなったマメ太の頭を撫でた。マメ太も気持ちよさそうに目を細め、千尋の手に頬を擦りつける。この愛らしさの前には、自分の姿が少女になったことなど、もはや些細な問題だった。千尋の心は、新たな使命感と、この愛らしい相棒への溺愛で満たされていく。



その頃、地球側の会議室では。


霧島は、モニターに映し出されたアストリアの草原で、大興奮している幼い少女──千尋の姿を見ていた。少女の隣には、可愛らしいフェンリルが寄り添い、甘えるように頭を擦りつけている。


「……なるほど。原付50ccだと、こうなるのか。」


霧島は小さく呟いた。彼の表情には、予想外の展開に驚きを隠せない様子が滲んでいた。千尋が若返ることは想定内だったが、まさかここまで幼い姿になるとは思わなかったのだ。これまでのどの適応者も、せいぜい10歳程度の若返りだった。しかし、目の前の少女は、どう見ても小学生低学年にしか見えない。


(見た目の可愛さは、元の容姿が良かったから想定内だったが……しかし、まさかここまで若い姿、いや、幼い姿になるとはな。まるで、天使のようだ。これでは、葵がこれを見たら、喜びのあまり会議室を破壊しかねない。ある意味、危険だな)


霧島は、口元に微かな笑みを浮かべた。今まで中型、大型バイクの配達員ばかり見てきたため、原付バイクが異世界でどのような姿になるのか、彼自身も知らなかった。これは、新しい発見だった。


モニターの中の千尋は、フェンリルと戯れながら、喜びを爆発させている。その無邪気な笑顔は、まさしく天使のようだった。霧島は、そんな千尋の姿に、どこか安堵したような表情を浮かべる。


(……これで、問題なく、アストリアへと馴染んでくれるだろう。彼女の適応力は、予想以上だ)


霧島は、モニターから目を離し、再びタブレット端末を操作し始めた。彼の瞳の奥には、千尋がこの新たな世界で、どのような未来を築いていくのか──その可能性を見据えるような、深い光が宿っていた。


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