39話 希望の共鳴、そして崩壊
「ディートリヒ!葵様!大泉様!」
レオンハルトの叫び声が、ダンジョン・コアの空間に響き渡る。疲れ果てた冒険者たちの目に、救世主のように映ったのは、葵、大泉、そして第二騎士団を率いて駆けつけたディートリヒの姿だった。彼らが放つ魔法と剣閃は、猛攻を仕掛けていた魔物の群れを一瞬にして霧散させていく。
「葵さん、大泉さん!マメ太とソウマを!」
千尋の悲痛な叫び声に、葵と大泉が駆け寄る。血を流し、ぴくりとも動かないソウマとマメ太の姿に、葵は息をのんだ。大泉は静かに彼らの状態を確かめると、深く頷いた。
「大丈夫だ。致命傷ではない。戻ったらすぐに手当てをすれば、問題ない筈だ」
その言葉に、千尋は安堵の涙を浮かべた。しかし、その視線はすぐに前へと戻る。彼女の瞳は、目の前の絶望を具現化した男、オルフェウスを捉えていた。
「子供たちを助けるんだ!」
ディートリヒが叫び、魔物を切り裂きながら、子供たちの結界に近づいていく。イザベラとレオンハルトは、弱体化した魔物を一掃し、子供たちの結界に迫る。
「リラ!今だ!」
エリオットが叫んだ。彼の解析魔法により、子供たちの結界を壊すためには、純粋な回復魔力が必要であることが判明していた。
リラは、自身の魔力を最大限に高める。しかし、それだけでは足りない。彼女は、千尋が持って来ていた膨大な魔力が溜め込まれた魔石に魔力を感じ取り、意を決した。
「魔石の力と…私の魔力…!」
リラは、千尋から渡された魔石を握りしめ、自身の魔力を融合させた。それは、まさに希望と光の融合だった。彼女の体から、これまでにないほど強力な回復魔法が放たれる。その光は、結界を包み込み、優しく解き放っていく。
「やった…!」
リラは、安堵の息をついた。結界が解除されると、子供たちの体が地面に落ちていく。レオンハルトとグレンが素早く彼らを受け止め、テントへと避難させていく。
「これで…終わりだ!」
弱体化したオルフェウスに、全員が一斉に攻撃を仕掛ける。イザベラの剣が、シドの稲妻が、カノンの風が、リリィの矢が、そしてディートリヒの剣が、オルフェウスに襲いかかる。彼は、最後の力を振り絞るように、野望を叫んだ。
「貴族社会は…絶対なのだ…!私の…あの方の…野望は…!」
しかし、彼の言葉は、レオンハルトの放つ一撃によってかき消された。
「終わらせる」
レオンハルトの放つ光が、オルフェウスの体を貫く。彼は、一瞬の苦悶の表情を浮かべた後、その体を黒い粒子に変え、風に舞い、消滅した。
オルフェウスが倒れると、ダンジョン・コアは不安定な脈動を始めた。ひび割れた結晶体から、おびただしい瘴気が噴き出し、空間全体がまるで巨大な心臓のように震えだす。
「コアが…崩壊するぞ!」
エリオットの悲鳴が、轟音に掻き消されそうになる。天井からは、人の頭ほどもある巨大な岩塊が、まるで雨のように降り注ぎ始めた。このままでは、子供たちどころか、誰も助からない。絶望的な状況に、冒険者たちは身をすくませた。
その時、動かなくなったはずのソウマとマメ太が、ゆっくりと立ち上がった。彼らの体から、かすかに黄金の光が漏れ出している。それは、奇跡の再来を告げる希望の輝きだった。
「ワォン…!」
「ワォ…ン!」
ソウマとマメ太は、千尋の前に立ち、迫りくる影の攻撃を防ぐ。彼らは、まるで意思を持った壁のように、千尋を護っていた。千尋は、その光景に安堵と、そして言いようのない感動を覚える。
「マメ太!ソウマ!」
千尋の目に、再び希望の光が宿った。彼らは、千尋と、そして仲間たちを護るために、再び立ち上がったのだ。
「皆!子供たちをテントに!」
イザベラが叫ぶ。レオンハルトとグレンが素早く子供たちを抱え、テントへと駆け戻る。葵、大泉、そして第二騎士団を率いて駆けつけたディートリヒも、彼らを援護し、脱出路を確保しようと奮闘していた。
「如月!脱出ルートは!?」
レオンハルトの叫びに、如月は顔を青くして首を振る。
「脱出ルートはすべて瓦礫で塞がれてる…!もう、どうしようもない…!」
その絶望的な言葉に、全員の顔から血の気が引いていく。しかし、その時、千尋は、自身の内に秘められた、全く新しい力を感じていた。それは、瘴気を操る力ではない。このダンジョンの「理」そのものに触れるような、不思議な感覚だった。
(このダンジョンは…私の力で…)
千尋は、瓦礫で塞がれた道をじっと見つめ、強く念じた。すると、まるで意思を持っているかのように、瓦礫が音を立てて動き出し、脱出できるだけの通路を確保した。誰もが、その信じられない光景に言葉を失う。
「行ける!この道だ!急げ!」
如月の号令に、全員が脱出を開始する。ソウマとマメ太は、千尋を守るように前を歩き、迫りくる瓦礫を薙ぎ払い、道を開いていった。
彼らは、幾多の困難を乗り越え、ついにダンジョンの外へたどり着いた。崩壊したダンジョンから、まばゆい朝日が差し込み、彼らの生還を祝福する。
「うわぁ…!空が…!」
救出された子供の一人が、感極まったように空を見上げる。その姿を見て、冒険者たちは安堵の息をついた。
彼らが安堵したのも束の間、空から、穏やかで慈愛に満ちた声が降り注いだ。それは、この世界にいる者ならば誰もが知る、『御使い様』の声だった。
「よくぞ、この試練を乗り越えました。我が選んだ、御使いの少女よ」
声は、ダンジョンが崩壊した瓦礫の上から響いてくる。千尋が空を見上げると、そこに、まばゆい光を放つ女性の姿があった。その顔立ちと容姿は、このアストリアでは御使い様と呼ばれる姿だった。その傍らには、黒い毛のフェンリル。
「あなたは…御使い……女神様…?」
千尋が問いかける。しかし、その女性の口から出た言葉は、千尋の想像を遥かに超えるものだった。
「いいえ。私は、あなた方が『御使い』と呼ぶ存在。そして…かつて、大泉と共にこの世界を駆け回っていた…堕ちた御使いです」
千尋は、その言葉に息をのんだ。大泉の顔色が変わる。
「まさか…!そんな…!」
「そうよ、大泉。あなたはもう、私のことを忘れてしまったのかしら?」
女性の視線が大泉に向けられる。その表情には、どこか寂しげな色が浮かんでいた。
「あなたは、私に裏切られたと思っているかもしれませんが、それは違います。私は、私の理想のために、この世界を救おうとしただけです。しかし、人間は、また同じ過ちを繰り返した。貴族は、その力を独占しようとし、この世界を歪ませようとしている。だから私は…この世界を再構築する決意をしたのです」
女性は、自らの計画を語り始める。
「オルフェウスの計画は、あくまで一歩に過ぎない。このダンジョン・コアで、貴族社会を崩壊させ、魔物で世界を溢れさせる。そうして、一度すべてをリセットし、私が作り直す。この世界を、私の思い通りに…」
女性の口から語られる真の野望は、オルフェウスが語った「貴族社会の絶対化」よりも、遥かに個人的で、そして恐ろしいものだった。
「そんな…!なぜ…!?」
大泉が、苦悶の表情で叫ぶ。女性は、大泉に目を向ける。
「なぜって?当然でしょう。私は御使い様。この世界を救う存在なのだから。」
女性は、憎しみに満ちた声で叫ぶ。
「あなたと私は、かつて御使いとして、この世界を守ってきた。しかし、あなたは、私の理想に背き、この現状維持を選んだ。私は、あなたに裏切られたのよ…!」
女性の声は、だんだんと狂気に満ちていく。その時、千尋は、女性の体から、薄く、しかし確実に、瘴気が漏れ出していることに気づく。
(この人…瘴気に…?)
「御使いであるあなたが、なぜ…!」
千尋は、驚愕に声を震わせる。
「私の野望は…まだ終わらない。私は必ず、この世界を私の手で作り変える…!」
女性は、そう言い残すと、黒の粒子となって消え去った。
後に残されたのは、崩壊したダンジョンの残骸と、混乱した冒険者たち、そして、深まる謎だけだった。
「御使い様が…黒幕…?」
リラの呟きが、静寂に包まれた空間に響き渡る。
「我々は…一体、誰と戦うことになるんだ…」
如月の言葉に、誰もが答えることができなかった。
王都に戻った彼らを待っていたのは、英雄としての称賛と、そして、新たな戦いの始まりだった。彼らは、自らの運命を、そして、この世界の行く末を賭け、立ち上がった。