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第30話 王都を護る魔石と、二人の魔術師


ギルドマスターのザムザから街の瘴気濃度が上がっていると聞いた千尋の胸に、漠然とした不安がよぎっていた。それは、オルフェウスが起こした事件と無関係ではないだろう。そう直感すると、王城への配達が急を要する任務のように感じられた。


「レオンハルトさん、次はお城ですね!」


千尋が元気よく言うと、レオンハルトとディートリヒは静かに頷いた。その表情には、普段の張り詰めた緊張とは違う、どこか張り詰めたような真剣さが宿っていた。


王都を縦断する大通りは、平日だというのに人通りがまばらだった。いつもの賑やかな活気は鳴りを潜め、行き交う人々の顔には疲労と、かすかな怯えが張り付いている。千尋の視界には、その人々を蝕むように、薄く、黒い瘴気がまとわりついているのが見えた。


(やっぱり、街の瘴気、増えてる……)


千尋は、その不穏な空気を振り払うように、マメ太の背に乗り、レオンハルトとディートリヒは馬に跨って進んでいく。マメ太の堂々とした足取りが、千尋の不安を少しだけ和らげてくれた。


やがて、目の前には、絵本で見たような、壮麗な王城がそびえ立っていた。白く輝く石造りの壁は、天まで届くかのように高く、その頂には、王家の紋章が誇らしげに掲げられている。近づくにつれ、壁から放たれる清浄な魔力の光が、微かに肌を撫でた。王都を護る、強固な結界の存在を肌で感じた瞬間だった。


城の門番は、千尋の姿を認めると、すぐさま敬意を込めて頭を下げた。


「御使い様、ようこそお越しくださいました」


千尋は笑顔で返事を返し、胸を高鳴らせながら、重厚な門をくぐった。


王城の入り口で、二人の魔術師が千尋たちを待っていた。一人は白ひげを蓄えた、いかにも魔術師然とした老人。もう一人は、整った顔立ちだが、どこか疲労の色を浮かべた美丈夫。二人は、光沢のある深い青色のローブを身に着け、王宮魔術師としての威厳を漂わせていた。


千尋の姿を認めると、白ひげの老人が一歩前に出て、にこやかに挨拶をした。


「はじめまして、御使い様。私は王宮魔術師のアンドレと申します。ようこそ、おこしくださいました」


「はじめまして、アンドレさん。千尋です、よろしくお願いします」


千尋は、いつものように満面の笑みで答えた。アンドレの後ろに控えていた美丈夫が、静かに、しかしどこか切実な響きを帯びた声で口を開く。


「はじめまして、御使い様。私も王宮魔術師のライオネルと申します。千尋様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


「はい、大丈夫です!」


千尋が元気よく返事をすると、ライオネルの表情が、ほんの一瞬だけ柔らかくなったように見えた。その瞳の奥に、深い安堵と、言葉にできないほどの憂慮が混在しているのを、千尋はなぜか感じ取った。


「千尋様は、王城が初めてとお聞きしましたので、本日、我々がご案内させていただきます」


ライオネルの言葉に、千尋は目を輝かせた。


(やったー!まさか、初めてのお城が異世界だなんて……!)


千尋は、レオンハルトとディートリヒが案内をしてくれると思っていたため、少し驚いた。しかし、すぐに彼らの役割を理解する。二人は警護のため千尋のそばに控えているが、これから向かうのは魔石の管理を司る魔術師の管轄だ。専門的な説明ができる者が案内に来たのだろう。


王城の内部は、外観の威厳に劣らず壮麗だった。壁一面に施された繊細な彫刻、床を彩る大理石のモザイク、頭上には星屑を散りばめたかのような煌びやかなシャンデリア。見るもの全てが初めてで、千尋は思わず「すごい……」と呟いた。


「こんなに立派なお城、はじめて!」


目を輝かせ、キョロキョロと周りを見渡す千尋を、ディートリヒは微笑ましそうに見守る。その隣には、マメ太が千尋を護るように寄り添っていた。


ライオネルは、そんな千尋の姿を、まるで壊れ物を扱うかのように見つめていた。彼の耳には、御使い様の噂が届いていた。目の前の小さな少女は、この世界に降り立った希望の光。しかし、その肩には、アストリアの未来というあまりに大きな重圧がのしかかっている。純粋で無垢な彼女が、この後、オルフェウスの事件を巡る権力争いに巻き込まれてしまうのではないか、とライオネルは切なさと共に深い憂慮を感じていた。


「千尋様、この先は少し距離があります。もしお疲れでしたら、私が……」


ライオネルが言い終わる前に、レオンハルトが口を挟む。


「千尋様、お疲れでしたら私が、お抱えいたしましょう」


お互いが牽制し合う様子に、千尋は思わず吹き出した。


「ふぉっふぉっふぉ、そんなに心配してくれるなんて、この老人を運んでくれるかのう」


アンドレが笑いながら言うと、千尋も笑いながら応えた。


「大丈夫です。疲れたらマメ太に乗りますから!」


マメ太に笑顔を向けると、彼は「任しとけ!」とばかりに、威勢のいい声で返事をしてくれる。


「そうだった」


ディートリヒは肩を落とし、ため息をついた。レオンハルトは無言のまま、千尋とマメ太を見つめている。


(相変わらずだな、こいつは……)


レオンハルトとライオネルのやり取りをみて、ディートリヒは苦笑いを浮かべた。幼馴染である二人の、お互いを牽制し合うようなやりとりは、見ていて飽きない。特に、ライオネルは大の子供好きだ。千尋に一目会って、すぐに彼女に夢中になっているのが見て取れた。


壮麗な廊下を抜けると、空気の質が明らかに変わった。これまでの賑やかな喧騒が嘘のように静まり返り、どこか張り詰めた、重々しい空気が漂っている。淡く、しかし確実に脈打つ魔力の気配が、肌を直接撫でるように感じられた。


やがて、千尋たちは、王都の結界を維持する、巨大な魔石の部屋へと足を踏み入れた。部屋の扉が開くと、まず千尋の視界に飛び込んできたのは、部屋の中央に鎮座する、信じられないほど巨大な魔石だった。


その魔石は、今まで見てきたどの魔石とも比べ物にならないほど巨大で、淡い光を放ちながら、脈打つようにかすかに震えている。それはまるで、巨大な生き物の心臓が鼓動を刻んでいるかのようだった。


「すごい、こんなに大きな魔石があるなんて!」


千尋は、思わず感嘆の声を漏らした。


「ふぉっふぉっふぉ、驚かれるのも無理はありません。この魔石は、大昔に王都を襲った黒龍から取れた魔石だと記録にあります。王都の結界を維持するための、最も重要な光の源です」


アンドレが誇らしげに説明してくれた。


その黒龍の魔石の周囲には、少し大きめの魔石が三つ、正確な三角形を描くように配置されていた。そして、その三つの魔石は、まるで黒い汚れを吸い取ったかのように、瘴気が溜まり、黒くくすんでいるのがはっきりと確認できた。その黒い澱は、千尋がギルドで見たものと、同じ質のものだった。


千尋は、三つの魔石から順番に魔石の回収交換をし始めた。一つ目の魔石に触れると、途端に、手のひらの魔石が熱を持った。それは、孤児院で感じた、あの禍々しい魔石の熱とは違う。しかし、千尋の身体に、これまで感じたことのない奇妙な違和感が走る。


「……?」


思わず、千尋は動きを止めた。


「千尋様、どうなされましたか?」


レオンハルトが、すぐに駆け寄って千尋の様子を窺う。


「いえ、大丈夫です。少し、変な感じがしただけ……」


千尋は、何でもないように笑顔を見せたが、レオンハルトの瞳は、彼女の不自然な様子を見逃さなかった。


二つ目の魔石に触れると、先ほどよりも強い奇妙な感覚が、千尋の身体を駆け巡った。彼女の視界が、一瞬だけ歪む。まるで、目の前の風景が、黒い靄で覆われていくかのようだった。


「千尋様!?」


レオンハルトの声が、遠くで聞こえる。


「……大丈夫、です」


千尋は、必死にその違和感に耐え、三つ目の魔石に手を伸ばした。


そして、三つ目の魔石に触れた瞬間、千尋は、思わず目を見開いた。


魔石から流れ込んできた瘴気の中に、かすかに、しかし確実に、オルフェウスの気配を感じたからだ。


それは、まるで彼の視線が、今この瞬間、自分を、そしてこの王城の魔石を、どこかから見つめているかのような感覚だった。


(どうして……?捕まったはずなのに。まさか、あの気配は幻だったの?)


千尋は、心の中で自問自答した。しかし、彼女の直感は、それが幻ではないと告げていた。


その時、アンドレが、わずかに眉をひそめて呟いた。


「ふむ……瘴気の回収ペースが異常に早い。これでは、我々だけでは追いつかなくなる日も近いな」


アンドレの言葉に、ライオネルは真剣な表情で頷いた。


「そうですね。それに、先ほどから微弱ですが、黒龍の魔石の光がかすかに揺らいでいるように見えます」


ライオネルは、巨大な魔石をじっと見つめ、何かを察したように呟いた。


「これは……、オルフェウス卿は、この時を待っていたのかもしれない」


ライオネルの言葉に、千尋はハッとした。自分の違和感は、やはりオルフェウスの気配だったのだ。そして彼は、王都の結界を狙っている。


千尋は、自分の手に残った、オルフェウスの魔石の感触を思い出した。そして、その魔石が、彼女の知らないところで、この世界の運命を、大きく動かそうとしているのではないかと、漠然とした不安に襲われた。


新たな日常は、始まったばかり。しかし、その影には、不穏な闇が、ゆっくりと、しかし確実に、広がり始めていた。そして、その闇は、今や、王都の心臓部すら狙い始めていたのだ。


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