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第9話 異世界の邂逅、そして緊急脱出


白銀のフェンリルとなったマメ太と、天使のような少女の姿になった千尋。初めての異世界で、千尋はただただ愛しい相棒に興奮し、モフモフの毛並みを撫で回していた。その柔らかい感触と、マメ太の甘えるような仕草に、千尋の親バカぶりは最高潮に達していた。


「マメ太、可愛いねぇ、可愛いねぇ! こんな姿になっちゃうなんて、ママは嬉しいよぉ! もふもふ、最高!」


幼い声でそう囁きながら、千尋はフェンリルとなったマメ太の首筋に顔を埋めた。マメ太も気持ちよさそうに喉を鳴らし、千尋の小さな体を優しく包み込む。このまま一日中、マメ太と戯れていたい。そんな幸福な時間が、永遠に続くかのように思えた。異世界に来て、まさかこんな癒やしが待っているとは。これなら、どんな「特殊」な仕事でも頑張れる気がする。


しかし、幸福の絶頂で、千尋の心臓がフッと冷たくなった。 ふと、千尋の脳裏に霧島の言葉が蘇った。


(──今回はあくまで試験ですので、実際に回収業務を行うわけではありません。門をくぐり、アストリアの空気を感じ、すぐに戻ってきてもらいます)


「あ……!」


千尋はハッと顔を上げた。そうだった。これは試験だ。いつまでもマメ太とイチャイチャしている場合ではない。すぐに地球に戻らなければ。もし、このまま戻れなくなったらどうしよう。この可愛いマメ太と離れ離れになるなんて、そんな悲劇は絶対に避けたい! そんな現実的な(しかし、この状況では最早非現実的な)不安が、千尋の胸をよぎった。


千尋は慌てて、自分が飛び込んできた「門」の入り口を探した。幸い、そこは草原の真ん中に、漆黒の虚無としてぽっかりと口を開けていた。まるで、空間に開いた大きな穴のようだ。その闇の向こうには、見慣れた地球のオフィスが待っているはずだ。


「よし、マメ太! 戻るよ!」


千尋はフェンリルとなったマメ太の背中に飛び乗った。子供の姿になったおかげか、マメ太の背中は驚くほど乗り心地が良い。まるで、専用の乗り物のように体にフィットする。マメ太の体温が、千尋の小さな体にじんわりと伝わってくる。


マメ太が門へと向かって駆け出そうとした、その時だった。


ガサガサッ!


と、すぐ近くの森の茂みから、何かが動く音が聞こえた。千尋は思わずマメ太の手綱のようなものを引いて、動きを止める。


(え、誰か来た!? もしかして、葵ちゃんとか如月さんとか大泉さんとか、誰かがもう戻ってきたのかな!? どんな姿に変わってるんだろう!? 葵ちゃんなら、きっともっと可愛い姿になってるに違いない! 如月さんなら、きっと王子様みたいになってるんだろうな! 大泉さんは……おじいちゃんだけど、きっと渋いイケメンになってるはず!)


千尋の脳内では、同僚たちが異世界でどんな姿に変身しているのか、という好奇心がムクムクと湧き上がっていた。まるで、ガチャを引く前のワクワク感だ。そんなことを考えながら、千尋は期待に胸を膨らませて、茂みの奥をじっと見つめた。


しかし、茂みから現れたのは、千尋が予想していた同僚たちではなかった。


まず現れたのは、白銀の鎧を身につけた、すらりとした長身の男性だった。その顔は、千尋が今まで見たどんな俳優やモデルよりも凄まじい美形だ。整った顔立ちに、吸い込まれそうなほど深い青い瞳。まるで、絵画から抜け出してきたかのような、完璧な造形美だった。彼の周りには、どこか神々しい雰囲気が漂っている。その美しさは、千尋が思わず「拝みたい」と思ってしまうほどだった。


そのすぐ後ろから、もう一人、同じく白銀の鎧を身につけた男性が姿を現した。彼もまた、そこそこ美形だ。整った顔立ちに、鋭い眼光。凄まじい美形の男性に比べれば、親しみやすい雰囲気だが、それでも地球では滅多にお目にかかれないほどのイケメンだ。まるで、ファンタジー小説の表紙から飛び出してきたような、そんな二人組だった。


二人の男性は、千尋とフェンリルとなったマメ太の姿を認めると、驚いて目を見開いた。その表情は、まるで信じられないものを見たかのような、純粋な驚愕に満ちている。同時に、その驚きの中には、どこか畏敬の念と、ある種の確信のようなものが混じっているようにも見えた。彼らの視線は、千尋の幼い姿と、その隣に立つ白銀のフェンリルに釘付けになっていた。


(うわ、ヤバい! 見つかった!?)


千尋は内心で焦燥に駆られ、冷や汗が背中を伝った。こんな初っ端から、異世界の人間に見つかってしまうなんて、完全に想定外だ。しかも、二人とも、いかにも「異世界の人」という感じの、ファンタジー感満載の鎧を着ている。


(でも、異世界あるあるで、美形な人が多いな……って、いやいやいや! 今、そんなこと考えてる場合じゃないでしょ、私!? 危機的状況なのに、なんでこんなところでオタク脳が発動してるのよ!?)


千尋の脳内ツッコミが、パニックの中で炸裂する。しかし、目の前の美形な二人の姿は、千尋のオタク心を刺激せずにはいられなかった。こんなイケメンが、まさか自分の目の前に現れるなんて。


しばらくの間、お互いに驚いたまま、沈黙が続いた。草原を吹き抜ける風の音だけが、その場に響いている。その沈黙が、千尋の焦りをさらに煽る。


やがて、凄まじい美形の男性が、ゆっくりと口を開いた。彼の声は、澄んだ泉の底から響くような、心地よい響きがあった。


「……子供の、御使い様?」


その言葉に、千尋はさらに混乱した。


(御使い様ってなんですか!? まだ、説明されてないこといっぱいあるよー! 霧島さん、座学で教えてくれるって言ったのに、こんな重要なこと、聞いてないよぉぉぉ! 私、ただの配達人になるはずだったのに、なんでいきなり「御使い様」とかいうラスボスみたいな称号をつけられてるの!?)


千尋の頭の中は、新たな疑問符で埋め尽くされた。しかし、このままではまずい。この状況を何とか切り抜けなければ。


千尋は、咄嗟に、顔に張り付いたような笑顔を見せた。それは、事務職時代に培った、どんな理不尽なクレーム客にも対応できる、営業スマイルだった。笑顔でいれば、きっと何とかなる。そう信じて、千尋は口角を最大限に引き上げた。


「あ、あはは……!」


そして、その笑顔のまま、フェンリルとなったマメ太の背中をポンと叩いた。


「マメ太! 行くよ!」


マメ太も、千尋の意図を察したのか、小さく「キューン」と鳴くと、一瞬で門の入り口へと駆け出した。その俊敏な動きは、さすが神獣といったところだ。千尋は、二人の美形な男性が驚いて固まっているのを横目に、そのまま門の漆黒の闇の中へと飛び込んだ。


一瞬の浮遊感と耳鳴り。そして、次の瞬間、千尋の体は元の姿に戻り、見慣れた警視庁の地下会議室の床に、マメ太と共に着地していた。


「はぁ……はぁ……」


千尋は、荒い息を整えながら、冷や汗を拭った。なんとか、切り抜けた。しかし、その胸には、異世界で出会った美形な二人組と、「御使い様」という謎の言葉が、深く刻み込まれていた。そして、自分の「モブキャラ」人生が、とんでもない方向へと転がり始めたことを、千尋は改めて実感するのだった。



その頃、地球側の会議室では。


霧島は、モニターに映し出された千尋の姿を見ていた。彼女が門をくぐり、アストリアで少女の姿になり、フェンリルとなったマメ太と戯れる様子。そして、突如現れたアストリアの騎士たちに驚き、慌てて地球へと戻ってくるまでの一部始終を、彼は冷静に観察していた。


モニターに映し出された光景に、霧島の表情がわずかに強張った。アストリアの草原に現れた二人の騎士。そして、その目の前に立つ、幼い姿の千尋とフェンリルとなったマメ太。


「まさか、今日に限って見回りに出ているとは……!」


霧島は小さく呟いた。彼の見回りの周期は把握していたが、このタイミングでの遭遇は完全に予測外だった。千尋がアストリアでどのような姿になるかは、バイクの排気量によって変わるため、原付50ccの姿は初めて見たが、その幼い姿がアストリアの住人にとって、どれほど強い印象を与えるか、霧島には痛いほど理解できた。


「これは……厄介なことになったな」


彼の口元に浮かんだのは、笑みではなく、深い懸念の色だった。千尋の適応力は予想以上だったが、この予期せぬ邂逅が、今後の計画にどのような影響を与えるか、霧島は静かに思考を巡らせた。アストリアの住民が、我々の配達人、それも『門』から現れた存在を認識したこと。しかも、よりにもよって『御使い様』と呼ぶ存在として。これは、単なる偶発的な遭遇では済まされない事態になる。この「御使い様」という言葉が、千尋の運命を、さらに大きく変えることになるだろうと。


霧島は、モニターから目を離し、再びタブレット端末を操作し始めた。彼の瞳の奥には、千尋がこの新たな世界で、どのような未来を築いていくのか──その可能性を見据えるような、深い光が宿っていた。



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