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途中棄権

作者: さくらぎ舞

京子はプールが嫌いだ。毎年、6月になると体育の授業で水泳が始まる。最近では5月でも真夏のようなギラギラした日差しを目にするが、6月とはいえ日によっては風が冷たく、ぶるっと身震いするしかない日よりも少なくない。


それなのにーー。


学校は「水泳はいざというときに身を守るための大切な授業」として水泳を強いる。一体全体なんなんだ、と京子はこの時期になるといつもブツブツ親に文句をいう。


「私にいってもね~、先生に話してみたら、そのまんま」

母はそう提案する。京子がそんな大胆なことをしないと知ってるから、ケラケラしてる。


「そんなに嫌なら、生理とかなんとか理由つけて見学したら?でも、成績はきっと、”鼻くそ”だよ」

これも毎年の口癖だ。毎年と言っても、月のものが始まった小学校4年生のころからだけど。

「そんな下品なこといえるわけないじゃん、それに”鼻くそ”ってやめてくれる?」


京子は少し顔を赤くしながら、母さんの顔をにらむ。鼻くそ、というのは通知表に黒の丸が付くこと。つまりC判定をくらうということだ。


「だったら、諦めて、受けてみなよ。40、50分我慢すれば、あっという間だよ」

「簡単にいうけど、嫌な時間は本当に長く感じるんだから、その間、息止めてっていうの?」

「そこまで言ってないわよ、ほんと、プールのこととなると、ムキになるんだから」


母は、もう聞きませんよ、と背中を向けた。京子も諦めて、しぶしぶ学校へ行く準備をする。プールの支度はいつも適当だ。水泳キャップや水着を忘れてしまおうか、と一瞬思ったけど、わかってそうする自分も許せなくて、結局いつも準備を整えてしまう。


「行ってきます」

今朝も、見事に快晴だ。6月入って梅雨のシーズンになるはずなのに、連日、絶好のプール日和が続いている。プールを楽しみにしている友達と向うのコンビニ駐車場で待ち合わせをしてるけど、彼女の「今日も楽しみ!」なんて言葉を聞くのは京子にとって辛すぎる。


「おはよっ、京ちゃん」

由香がとびっきりの笑顔で声をかける。京子は小さく「おっは」と伝えてプールバッグをズンと蹴った。


「京ちゃん、あ、プールね…」

由香と京子は同じクラスだ。水泳の授業はまったく別のコースで練習する。小さいころから水が大好きでいまだにプール教室に通っている由香は水泳が大の得意。手足が長く、息継ぎもスムーズ。

遠くから由香が泳ぐ姿を見ると、しばらくの間、見とれてしまう。


「どうしたらあんなふうに軽く泳げるんだ?前世は魚?」なんてくだらないジョークを飛ばして、由香から怒られたことがある。

本当は自分も得意になって一緒のコースで泳いだり、長期休みには開放日に市営プールとかに行けたりしたらいいんだけどーー。仲のいい二人だからこそ、京子はなんとなく由香に申し訳ないと思ってしまう。


本当は朝からテンション上げて登校したい由香の気持ちを慮って、「そうそう、今日も私の大”すき”なぷーるよ~ん」と笑い飛ばしていきたいところだが、無理無理。今から鼻やら耳やら口やら、身体の穴というすべてに水が詰まって、息も絶え絶えな自分を想像してしまう。


「京ちゃん、無理しないでいいわ、今日も何も考えずにいこっ!」

由香からの慰めの言葉を聞くと、ちょっぴり安心する。いたって普通を装って、とりあえず校門をくぐって教室に向かう二人。しかし、京子の背中は「やっぱり帰りたい、もう嫌だ~、本当にマジ、帰りたい」と物語っている。


教室に入る瞬間、京子はあることを思いついた。

「そうだ、今日は自分から、ちゃんと言おう」

何を言おうか、その内容を考えるわけでもなく、ただ「途中棄権」の話を先生に伝えること、それを心に決めた。


授業は中間にあるロングの休みを経て3時間目に設定されていた。隣のクラスと一緒になるから、先生は必ず二人つく。先生たちがプールの水面やコンクリの部分を確認し、日誌に気温や水温などを記録している間、クラス全員で掛け声とともに体操をする。京子は由香の後ろで「本日の計画」をイメージトレーニングしていた。


(いきなり最初から途中棄権じゃ、ちょっといくらなんでもって感じがするし、そのあとどうするかも自分でわからないし。でも、終盤でそんなことしたって意味ないし、15分くらい経ったら棄権しようかな)


そんなことをずっと考えていたら、前にいた由香が後ろの京子をチラチラ見ている。怪訝な顔をしているから(もしかして、私、つぶやいていた?)と心配になってしまって、急いで笑顔をつくった。


体操が終わると先生の指示にしたがってコースに分かれた。京子はいつも一番左のコースだ。5人しかいない、そのコースでビート板を使って練習をスタートする。ビート板の上で顔を水につけないで足をバタバタさせているだけなら、なんとかなるけど、そんなことしたら先生に怒られてしまう。


2,3本、ビート板付で練習したのち、今度は先生が水に入ってクロールの息継ぎの練習をしようと、京子のほうに手を差し伸べた。内心「え~、先生と手をつなぐの?」とドキドキしたが、自意識過剰すぎる自分の反応を見せまいとまずは顔を水につけた。


「お、やる気あるじゃん」

(余計なこといって)

京子は先生の言葉に内心、ムカッとしていたが、それでも手をちょっとだけ添えてみた。

「そうそう、イイ感じ」

(何が、イイ感じだよ)


そんな”やり取り”を続けて、結局1本やり終えてしまった。自分でも、なんだか拍子抜けな1本めになり、結局勇気がなくて「途中棄権」することは実行に移せないだろうと思った。


2本目になると、今度は、先生の手をタッチするタイミングにある一定のリズムが生まれたのを感じた。あんなにタッチしたくなかった手を軽くでもなんでも触れられるように、自分の体と腕が知らぬ間に求めている。見事にタッチのリズムを刻み始めた自分に小さく驚いた。


途中棄権どころか、これじゃ、ずっと練習続けられるんじゃない?と思えてくる。そんな自分がおかしくて、思わず水中でㇷ゚ワッと笑ってしまった。その瞬間、ごぼごぼっと水が口から食道に入り込み、ぐわっと身体を2,3度上下させることに。


「おいっ」

と先生の大きな声が水中で響いたかと思うと、京子の身体が大きく水上に持ち上げられた。

「おい、大丈夫か?!」

(何も、そんなに大げさに…)


京子は、自分が溺れたわけでもないのにと思いながら、プイッと横を向いてしまった。そんなに大きな声でいわなくてもいいのに、恥ずかしい、といった気持ちのほうが大きく働いたのだ。実際に同じコースの子たちだけでなく、向うの由香まで心配した顔でこちらを見ているのが目に映った。


先生は、ちょっとムッとした顔をしたが、気を取り直して「よかった、溺れたかと思ったから」とボソッと言った。そして、さっきと同じように手を差し伸べた。


京子はなんだか、虚しくなってしまった。水泳嫌いなのに真面目にやってる自分を知って笑い、その自分が溺れそうになるーー。あのまま先生の手にしたがって、息継ぎやらクロールのかきやらを練習し続けていたら、もしかしたら上手にできるようになるかもしれない。


でも、それが「なんだ」というんだ。頑張ってうまくなれば素直に喜べるはずなのに、なぜか虚無感を覚える自分が、よくわからない。そんなこと考えているうちに、きっとこの時間も何事もなかったように忘れてしまうだろう。


こんなものが続いて、自分や他人から「積み重ねだね」と評価される。


「くだらないな、本当に」

京子はあっという間に終わってしまった水泳の授業に、少し安堵しながら、強烈な日差しですっかりポカポカにあたたかくなったタオルで顔と体を拭いた。


由香が心配そうに京子の顔をのぞきこむ。

「京ちゃん、大丈夫?さっきは、びっくりしたけど」

「うん、ありがとう、大丈夫だよ」

京子が小さく笑うと、由香は安心していつものテンションに戻した。


「なんかさ、由香、私さ、いやだいやだと思ってやってるじゃん。それでもやんなきゃなと思ってガンバルじゃん。できたらできたで、うれしいはずなのに、今日も、途中までうまくいったはずじゃん。でも、そのとき自分でなんだか笑えてきてさ、それで水飲んじゃったの、いっぱい」


「うんうん、ほんと、心配だったんよ」


「ごぼごぼっていう落としてさ、もうダメかな、と思っちゃったかもしれないけど、それより、こんなんで、苦しい思いして、それでも頑張ってってさ、本当、どこかでどうかなったら、もう”あ~よかった”ってありえないじゃんね」


「うん、そうだけど、で、京ちゃん、どうしたの?」

「わたし、やっぱり、途中棄権、自分からするの、ありだな!って思ったよ」


無駄なものにも意味がある、できないことに挑戦してみることが大事、もしかしたらできるようになるかもしれない。


その意味は自分でもよくわかる。でも、今日の出来事で「やらなくちゃいけない、のが本当にやらなくちゃいけないのか」ってことに疑問が大きく働いてしまったのだ。


やりたくないものもやらなくちゃいけないー。


母もよく言う。意味はわかる。意味というか意義。でも、結局、何かを我慢してやった結果、うまくいくこともあれば、そうでもないこともある。その責任は自分でとるから、もっともっと自分のやりたいことを、人に迷惑かけないから、させてほしいって思うのよ。


京子は由香にそう話してみた。由香は自分の髪をタオルでバサバサと拭きながら、「うんうん」と続けて聞いてくれている。京子の話が一通り終わったところで、タオルを肩にかけながら、由香は笑顔でこう答えた。


「京ちゃん、すごいわ!ほんと、そうだわ。うちら、やらなきゃいけないこと、やんないとね!」


由香は、水の妖精ー。だから、もう存分、泳げばいい。私は?京子が自分に問いかけても、何が好きでも追うでもない自分は、結局何も持っていないことに気づく。


「ゆか、私、みつけるわ!、こんなできないこと途中棄権しようなんて、考えてないで、ぜったい棄権しないもの、みつけたるわ!」

二人は顔を見合わせて笑った。周囲がどう見ようと、二人の間に起きた笑いが青い空が大きく響き渡った。

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