彼の名は熱血河原ビクト
光の中から現れた少年の格好はこの世界の者から見たら非常に奇妙であった。
鼻に絆創膏を貼った少年の髪は赤く逆立ち、白い鉢巻を額に巻いている。
右脇にボールを抱えて、半袖短パンに穴あき手袋をはめ、バッシュを履いたその姿はこの世界の人間ではないのは明らかであった。そして何より……
「これが主人公?何か……画風?が違くないか?まるで子供の落書きじゃないか……」
ベイルは人間に対して言うにはあまりに失礼な発言をした。ただ誰もベイルの言葉を否定しなかった。少年の雰囲気は何処かこの世界の人間と異なり、輪郭が太いと言うか荒々しいと言うか、画風が違うとした表現出来なかった。
「おい!おっさん達、ここ何処だ?国際スポーツセンターじゃないのか?」
周りの動揺など意に関せず少年は堂々と質問をした。
少年の言葉に我に帰ったフレイラは質問に答えてあげた。
「えっと、私の名前はフレイラと言います。貴方をこの世界に召喚した魔導士です」
「召喚?魔導士?ねーちゃん何意味わかんねー事言ってんだ?」
「ここは貴方がいた世界とは別の世界で、貴方に助けて貰うために私が呼んだんです」
「ここは俺がいた国じゃねーの?」
「国というか、世界そのものが違います」
「ふーん不思議な事もあるんだなー」
今の説明で不思議なことで済ませらせる少年はあまり肝が座っていた。
「よろしくければ名前と自己紹介をお願いします」
「俺か?俺の名前は熱血河原ビクト!小学五年生だ!夢は世界一のドッジボーラーになることだ!よろしくな!」
ビクトはフレイラに手を伸ばしてガッチリと握手した。その強さにフレイラは体を強張らせた。
「え?ネッケツガワラ……ビクト?ショウガク?ドッジボー……え?」
フレイラはビクトが話した言葉を殆ど理解できなかった。これまで聞いたことの無い単語にフレイラは何から聞けばいいか全く分からなかった。
「ビクトって呼んでくれ!」
「ビクトさん……よろしくお願いします……」
とりあえず少年の名前だけは何とか分かった。
ここでようやくベイルが咳払いをして声を掛けた。
「うっん!ビクト君、君は戦えるのか?」
「誰だ?おっさん」
「ベイル部隊長だ。このコレリア要塞を任されている」
「要塞!すげー初めて見た!マジで別の世界なのかここ!」
「聞いてくれ、今この要塞に敵軍が迫っている。君はそれを倒せるのか?」
「え!敵も来てるの!やべーじゃん!じゃあその剣とかで戦うの?見てー!」
ベイルは話を全く聞かないビクトに主人公召喚を許可したのを後悔し始めた。
そして誰もが理解した。何故主人公召喚が使われなくなったのか。単純に面倒臭いからだ。
自己紹介をして、この世界の事を説明して、今の状況を説明してと、とにかく話が一向に進まない。
作戦室をうろうろして窓から外を眺めようとするビクトを見かねたフレイラが呼び止めた。
「あの、ビクトさん落ち着いて下さい。このままでは貴方も危険なんですよ?」
「でも俺剣なんか振った事ないぞ」
「じゃあビクトさんは何が出来るのですか?」
「だから言ったろ?俺は世界一のドッジボーラーになるって!だから俺が出来るのはドッジボールだ!」
痺れを切らせた嫌味な男が遂に立ち上がった。
「全く話になりません!ベイル部隊長!このバカなガキを退出させましょう!」
嫌味な男の発言にビクトが怒りをあらわにした。持っていたボールを掲げて嫌味な男に投げつけようとした。
「なんだと!おっさん!やるのか!」
「フレイラ……外に連れ出してくれないか?」
ベイルは頭を押さえながらフレイラに指示し、フレイラは急いでビクトの手を引っ張った。
「は、はい!行きますよビクトさん!」
「ちょっ!離せ!あいつと試合させろ!」
「何の試合ですか!」
「だからドッジボールだよ!」
「それがさっきから分からないんです!」
フレイラは暴れるビクトを引っ張り部屋の外に連れ出した。
廊下に出るとフレイラはビクトから手を離した。そんなビクトは明らかに不機嫌そうだ。
「もー何なんだよ、勝手に呼んどいて」
「それはすいません」
「ねーちゃんはいいよ、優しそうだし」
「ビクトさん」
「さんなんか付けなくていいよ」
「えっとじゃあビクト君。貴方の事を聞かせてくれる?」
フレイラはまずビクトについて分からない事を聞こうと思った。ビクトの発言はフレイラの知らない事ばかりでそもそも会話が出来ていない。なので少しづつ話を聞いてビクトを理解しようと努力した。
「俺か?」
「そう、まずはドッジボールって何なの?」
「それも知らねーんだ。いいぜ教えてやるよ!ドッジボールってのは全世界を熱狂させる大人気スポーツだ!」
「スポーツって言うのは……?」
「うーん、そこからかよ。えっと運動競技?」
「分かった。それで何をするの?」
「このボールを投げて。相手に当てる、そうやって全員に当てたら勝てるんだ。それでこっちの味方が全員当てられたら負け」
「なるほど、そういう競技がビクト君の世界では行われているのね」
まだまだ理解には及ばないがフレイラは話を進めることにした。
「そうだぜ!俺のとーちゃんは最強のドッジボーラーだったんだけど六年前に失踪してな。それでとーちゃんを探す為に俺もドッジボーラーになったんだ!」
「そうなんだ……それは心配だね(違う探し方した方がいいと思うけど……)」
「多分とーちゃんの失踪は世界征服を企む悪のドッジボール集団カオスエンペラーが関わってんだ。だから俺はカオスエンペラーと戦ってとーちゃんの居場所を突き止めんだ!」
「まだ子供なのに凄いね(悪の集団って、運動競技の話では?)」
意外にも重たい過去があったビクトにフレイラは同情したかったが、世界征服とか悪の集団とか言われどうにも感情移入できないフレイラであった。
フレイラから質問したのに謎は深まるばかりである。
「俺の事はそんな感じだ!何か他に聞きたい事は?」
ビクトの言葉にフレイラは最も重要な質問をした。
「ビクト君は敵を倒せる?」
フレイラの真剣な眼差しを感じ取ったビクトはこれまでの軽い調子をやめて、しっかりと目を見て答えた。
「いや、ドッジボールは人を傷付けるものじゃない。だから戦争には力は貸せない」
「そうですか……」
ビクトの答えにフレイラは落胆し、同時に安心した。それは主人公召喚が失敗した事とこんな子供を戦場に立たせたくない、二つの矛盾した感情によるものだ。
「それにボールを投げるだけで敵を倒せる訳ないだろ?常識的に考えて」
「それもそうですね」
まさかビクトから常識という言葉が出ると思わなかった。
「なあなあ、ねーちゃんのそれって魔法の杖だろ?ねーちゃん魔法使いなんだろ?」
ビクトはフレイラの杖を指さしている。
「ええ、そうです」
「じゃあ、見せてくれよ!魔法を!俺見たことないんだ!」
ビクトは目を輝かせながらフレイラを見た。それは年相応の無邪気な子供そのものであった。
「いいですよ」
フレイラは快く快諾し杖を握り魔力を込めた。空中に小さな魔法陣が現れた。
「炎よ!」
フレイラが呪文を唱えるとビクトの目の前に突如炎が現れた。
「すげー!本当に魔法使いだ!クラスの奴に自慢しよ!」
ビクトは炎の周りをぐるぐる周り興奮している。そんな微笑ましい光景にフレイラは頬を緩ませた。
「今度はビクト君のドッジボールを見せて欲しいな」
もはやフレイラはビクトを完全に子供として扱い、子守りをしているようであった。
「いいぜ!じゃあ向こうの壁に向かって投げるぜ」
フレイラは何の考えもなくただ軽い気持ちでビクトにお願いしただけである。
ビクトがボールを投げるとボールは凄まじい速さで炎を纏って壁にバン!っと大きな音を立てて激突した。
それは人間がボールを投げて出していい速度ではなかった。運動をしないフレイラもそれくらいは分かる。ましてやボールを投げるだけで炎を纏うなど人間にできるわけがなかった。
ボールが当たった壁は少し焼け焦げていた。ボールは跳ね返りビクトの下へポテンポテンと転がってきた。そのボールはさっきまで燃えていた筈なのに焦げた跡すらなかった。
「どうだ?すげーだろ!これでも本気じゃないんだぜ?」
フレイラは目の前で起きた事の理解が追いつかずただ呆然と阿保みたいに口を開けて焦げた壁を見ていた。
「何の音だ!敵襲か!」
ベイル達が慌てて作戦室から出てきた。フレイラは我に帰りベイルに頭を下げた。
「すいません!ビクト君が投げたボールの音です」
「おっさん達にも見せてやろうか?」
ビクトが自慢げにそう言うと怒ってきたのは嫌味な男だ。
「そんな訳ないだろ!ふざけるのもいい加減にしろ!役立たずの魔導士め!我々の邪魔をする前に死んでしまえ!」
「すいません、すいません」
嫌味な男はフレイラに詰め寄り怒鳴り始めた。ぺこぺこ謝る事しか出来ないフレイラを見かねたビクトが割って入った。
「おっさん!ねーちゃんに怒鳴るのはおかしいだろ!」
「餓鬼は黙ってろ!大人の邪魔をするな!」
「何だと!」
「もうやめろ!サボ!」
嫌味な小隊長はサボと呼ばれて他の小隊長に制止させられた。
だがビクトは止まらない。ビクトが、ボールを投げると炎を纏い、サボの髪の毛を掠めた。
「アッツ!」
「へへーんだ!俺を馬鹿にするからだ!」
得意げに笑うビクトをサボは髪を押さえて睨みつけた。
「何だ今のは!」
「さあ?なーんでしょ?バカな子供にはわっかりませーん」
「こいつ!」
サボが今にも殴りかかろうとした瞬間、要塞中に警報を伝える鐘が鳴り響いた。
「敵軍が進行を早めています!」
伝令の兵がそう伝えるとベイルの怒声が飛んだ。
「何をやっている配置につけ!」
ベイルの命令に小隊長達は慌ただしく動き始めた。
「お前なんか相手にしている時間はない!ここで大人しくしてろ!」
サボは去り際ビクトに釘を刺すと返事も聞かずに走っていった。
「へーんだ!」
ビクトは指で変顔を作りサボの後ろ姿に挑発した。
「フレイラはその子を頼む」
「分かりました」
そうフレイラに言い残すとベイルも去っていった。
残されたのはフレイラとビクトだけである。要塞は外も中も一気に騒がしくなった。
フレイラは壁にもたれ掛かり腰を下ろした。
「ねーちゃんは行かねーの?」
「私ね、戦場ではあまり役に立たないの」
「魔法使いなんだろ?」
「うん、でも一人じゃ何にも出来ないの……だからビクト君を呼んだの」
「そうなのか。ごめんな力になれなくて」
ビクトもフレイラの隣に座り慰めるように身を寄せた。
「いいんだよ。子供は戦争なんかしなくていいんだから」
「でもこのままじゃ俺たち危ないんだろ?」
「うん、物凄い数の敵が迫ってるの。でも大丈夫。私が死ねばビクト君は元の世界に帰れるから」
「そんな事言うなよ!死ぬとか簡単に!」
「ごめんね」
フレイラは黙ってしまい顔を自分の両膝の間に埋めてしまった。
そんな寂しげなフレイラを見てビクトはポツリとつぶやいた。
「俺も本当なら戦ってもいいんだ」
「そうなの?」
フレイラは顔を上げてビクトを見た。ビクトの顔は何処か気まずそうで何か伝えなきゃいけない事を隠しているようである。
「でも、人殺しはしないぜ!それだけは絶対ダメだ」
「うん、分かってる」
「だけど前の試合のせいで左足に力が入んないんだ。これはチームメイトにも隠してる秘密なんだ。だから今の俺じゃ無理なんだ。俺の本気を出せない」
深刻そうに伝えたビクトの顔は険しく、悔しさを滲ませていた。
「それって力が入らない呪い?」
「呪い?捻挫だよ。ボールとる時やっちゃったんだ」
フレイラの的外れの見解にビクトは呆れた顔で答えた。だがフレイラから返ってきた答えはビクトにとって嬉しいものであった。
「それなら魔法で治せるよ?」
あまりにあっさり言い切ったフレイラにビクトは思わず立ち上がった。
「本当か!」
「うん」
フレイラも立ち上がり杖に魔力を込めた。
「癒しよ」
するとビクトの左足が暖かな光に包まれた。すっと光が消えてビクトが左足をぐりぐり回しその変化に驚いた。
「本当だ!痛くねー!すげーよねーちゃん!ありがとう!これで次の試合も出れるぜ!」
ビクトはぴょんぴょん飛び跳ねて左足の全快を喜んだ。長い廊下を行ったり来たり走り回り、これまで全力で動けなかった鬱憤を晴らしていた。
ビクトはフレイラの前で立ち止まり堂々と宣言した。
「よし!今度は俺の番だ!必ずねーちゃんを助けてやる!」
ビクトはドンと自分の胸を叩いた。その真っ直ぐに見つめた瞳は一切の曇りがなく自信に満ち溢れていた。
「ありがとう」
「よし行こう!」
ビクトはフレイラの手を引きベイルが向かった方向へ走っていく。
小さくても頼り甲斐のあるビクトの手に引かれてフレイラは走りながら思った。
――球を投げれば火が出るのに、なんで捻挫は治らないんだろう……