十四話 Side:エルンスト
あれから数日経ったが、カタリナ嬢から預かったバラを兄上に渡すタイミングがない。兄上はああ見えて賢い人なので、大人たちと混ざって研究室に入り浸っている。自分から会いに行こうとは思わないので、まあその時がくるまで待とう。
それよりも大切なことがある。
今日はエレアノールが僕に会いに来てくれる日だ。彼女が自分から僕のところに来てくれるなんて、初めてかもしれない。今までは僕が会いに行くばかりだったから。
エレアノールが来る前に、やらなくてはならないことが沢山ある。まず、屋敷の整理だ。家は少々特殊で、屋敷に重要物が沢山保管されているせいで侵入者が絶えない。そのため、危険な罠が多数仕掛けられている。
それらに誤ってエレアノールが引っかからないようにしなくてはならない。とりあえず全ての罠の機能を停止しておいた。また後で再起動させるから問題はない。
その次には、使用人の選別。家は少々特殊で、働いている使用人は腕っぷしの強い、強面の男ばかりである。こんなのがいたら、エレアノールは気が引けてしまうだろう。見た目がひょろくて優しそうな人物だけ、彼女の前に姿を見せることを許可しておいた。
「坊ちゃん。準備できましたぜ!」
「エレアノールの前で絶対に僕のことを坊ちゃんと呼ぶな」
そう強く言っておくことを忘れない。その呼び方は止めろと言っているのだが、いつまでたっても変わらないのだ。
エレアノールが来た。僕は鏡を見て自分の顔が強張っていないか確認して、彼女を迎え入れる。
「エルンスト様。お邪魔します」
エレアノールは桃色のドレスを着ている。彼女の宝石のようなピンクの瞳と合わせているのだろう。とても可愛くて似合っている。
いつもよりおめかししているようにも見え、僕に会うためにおしゃれしてくれたのかと嬉しくなる。それに、彼女の髪に赤色のリボンが編み込まれている。これは僕の瞳の色を考えてくれたのだろうか。また、彼女に赤色のリボンをプレゼントしよう。
彼女を引き連れて僕の部屋に入る。自分の部屋に愛する彼女がいると考えるだけで、変な気をおこしてしまいそうだ。
エレアノールは少し緊張しているのだろうか、顔がいつもよりも固い。僕の部屋だということを意識しているのだとしたら、僕も少しは気を持たれているのだろうか。
「今日はどんな用で来てくれたんだい?」
「わたくし、エルンスト様にお話ししたいことがあるのです」
彼女は真剣な顔で僕を見ている。その瞳に僕だけが映っていることに歓喜すると同時に不満を感じた。何度も僕のことはエルと呼ぶように伝えているのに、彼女はなかなか呼んでくれない。
少々強引に僕のことを愛称で呼ばせ、エレアノールの目的を聞く。
「わたくしとエル様の婚約を、破棄してください!」
…………?
何だか今、聞こえてはいけない言葉が聞こえたような気がする。
「……こんやく、はき」
「はい」
僕が復唱すると、エレアノールは可愛らしく頷く。僕はいつもの笑みを保てているか自信がなくなってきた。今すぐ、彼女を抱き込んで今の言葉を撤回させたい。
もしかしたら彼女が言ったこんやくはきとは、別の言葉の略称かもしれない。そう微かな希望にかけてみたが、当然そんなことはなかった。ちゃんと、婚約破棄だった。でもついでに彼女と出かける約束を取り付けることができた。
……ああ、エレアノール。君は、僕から逃げようとしているのかな。
ゆっくりと目を細めると、彼女はびくりと体を揺らした。怯えさせてしまうのは嫌だけど、怖がる彼女は見ていて可愛いし好きだ。




