3話―② 出会った日のこと
教会といっても、礼拝堂の奥は大規模な生活施設になっている。廊下で、なんか黒くてデカくて目付きの悪い男とすれ違った職員は「敵襲……!?」と焦ったが、よく見ると下の方にセラがいたのでその心配はなさそうだと悟る。
もしも一緒にいるのがシャルロッテだけだったら、人質にでも取られているのかと思うが、セラなら大丈夫な気がしてくる。彼女自身は武闘派ではないが、この国の王族をはじめとする色んな人間と“仲良し”なセラが本気を出せば、人ひとりを国外追放より酷い目に遭わせることくらい容易い。
シャルロッテは彼女に連れられ、自分に割り当てられている小部屋へ入る。ベッドとサイドテーブル、クローゼットだけの部屋に一切の私物はない。
セラは、全員が部屋に入ったのを確認すると、ドアを閉めて声をひそめた。
「浄化対象はワイルドボア。場所じゃなくて、この世に存在するワイルドボア全てを対象にするイメージでやってみて。はじめて意図的に魔力を広範囲出力するだろうから、ヤバそうだったら途中で止めるのよ」
「はい」
シャルロッテがうなずく。彼女への気遣いを見せるセラに、クライドは、まあこいつは敵じゃないかと視線の鋭さをいくらか弱めた。
いつものように、祈りのポーズをとるシャルロッテ。とりあえず、ワイルドボアから感じたこと全てを思い出す。見た目に、鳴き声、それから味、食感。
――本当に、これで合ってるのかしら。
この惑星を、自分を中心にして波紋が広がるようにスキャンするイメージ。全生物から、ワイルドボアに該当するものを抜き出して浄化していく。
――あ、
膨大な魔力放出に対して、体が勝手にブレーキをかけた。意識が急激に遠のく。
目を閉じ、黙々と手を組んでいたシャルロッテのまぶたがぴくりと震えた。ふらりと傾く体を、ある程度は予見していたクライドが支える。
完全に脱力してしまったのを見て、セラはすかさず彼女の手首で脈を取った。
「――うん、大丈夫、ただの自衛反応ね。私はワイルドボアがどうなったか調べるから、あとは頼んだわよ! 左の突き当たりが医務室だから、なんかあったらそこに!」
テンションが上がってゴム毬が跳ねるみたいにビュンと飛び出して行く彼女に置き去りにされ、クライドはシャルロッテをベッドに横たえつつ思う。
――意識のないやつを俺と二人にするなんて、あいつは一体どこ見て判断してんだ……?
すこぶる評判が悪いことを自覚しているクライドだったが、自分で言うにはちょっと虚しい疑問を抱いてしまった。
――いや、そういや……はじめてシャルロッテと会った後に、差出人不明の感謝状と脅迫状を混ぜたような手紙が届いたな。あいつが送り主か。
端的に表現すると、あなたの身元は割り出してあるから妙な真似はしないようにという言葉がオブラートに包んであって、その上に「シャルロッテを助けてくれてありがとう!」がデコレーションされていた。自分の親族の名前や居住地まで書かれていて、さすがのクライドもちょっと恐怖を覚えたものだ。
――もう、あれから八年か。こいつもデカくなるはずだな。
意識はないものの安らかな寝顔をしているシャルロッテを見下ろして、彼は彼女がたったの十歳だったころを思い出していた。
◇◇◇
八年前。戦争が終わって、クライドの元には多額の報奨金が舞い込んできた。最も多くの敵兵を屠った、とかではなく、彼のあまりの強さに敵が「やってられるか!」と戦意喪失した結果、全体的な死傷者がかえって少なくなったという功績だ。
砲弾は斬られ、魔物をけしかければ捻り潰され、魔法で爆破したら舌打ちで済まされる。彼と目が合っただけで死んだ気になるのも仕方ない。あんな化け物がいるところに領土戦争なんて仕掛けまい、と、それからケンカを売ってくる国もない。
それで、金には困っていないし、ただ運動がてら魔物が出る森をうろついていた時だった。
遠くで咆哮。この辺りには生息していないはずの魔物の声だ。
――ドラゴン……こんなところに、手負いで羽休めか? どうせなら全力の相手と戦ってみてぇけど。
だが、大抵の魔物はドラゴンを見ると一目散に逃げて行くし、威嚇されるようなことをするなんてよほどの強者が近くにいるか、はたまた命知らずな人間が挑んでいるのか。
様子を見に行ってみると、いた。人間だ。それも子ども。
白を基調とした立襟の服は、まだ幼いのに聖女であることを表していた。彼女の前では、瘴気で凶暴化したドラゴンが今にも襲いかからんとしていて、後ろでは居るはずのない強敵にやられたのであろう護衛騎士と思しき男が二人転がっている。
その少女――シャルロッテは、一歩も引かずに浄化の力でなんとかしようとしていた。翼を負傷しているドラゴンが遠くまで追ってくることもないだろうに、決して逃げず、倒れた仲間を庇うように立ちはだかっている。
――なにやってんだ。
本当に、なにをやっているんだと思いながら、クライドは前へ駆け出した。そのまま、火炎を吐こうと口を開けたドラゴンの首を斬り落とす。
「おい、大丈夫か」
振り返った先にいるシャルロッテは、金のまつ毛に縁取られたミントグリーンの瞳にじわじわと涙をたたえ、泣くかと思ったらきっちりと腰を折って「ありがとうございました」と謝意を述べた。
そうして顔を上げると小刻みに唇を震わせ、今度こそ泣くかとクライドが身構えたら「あの、この人たちを教会に運んでもらえませんか? お礼はします」と依頼してきた。
「……なんで見捨てなかったんだ?」
気絶している一人の首根っこをつかんで引きずり、もう一人は小脇に抱えながら尋ねると、彼女はまっすぐな目をして言った。
「私の役目は、みんなの笑顔を守ることです。彼らには家族がいるので、置いて行くわけにはいかないと思いました」
自分は勘定に入っていなさそうな口ぶりに、クライドは思わずため息をつく。
「お前も一人の人間だろうが。……ったく、ほら」
空いた方の手でシャルロッテを抱きかかえて、彼は教会の前まで同行した。
道中、どうしてもお礼がしたいというので滞在している宿屋を教えたら、いつの間にかこんなことになっていた。
◇◇◇
シャルロッテがふと目を覚ますと、自分はベッドの上にいて、そばにいたクライドが顔をのぞき込んでくる。
「お、起きたな。気分は?」
「ええ、大丈夫――」お腹が、くう〜と鳴る。
「……お前さっき食ったばかりだろ」
「魔力を使ったから、その補填かも」
人間の消化スピードじゃねえな、とクライドが考えている前で、ベッドに腰かけた彼女は再び両手を組もうとする。
「おい、なにやってんだ」
「まだ浄化の途中だったから」
「やめろ、本格的にぶっ倒れるぞ」
ちょっと呆れたように言われた。昔、夜遅くまで勉強をしていたら、セラに「ダメダメちゃんと寝なさぁい!」と注意された時みたいで彼女はやや不満げな顔をする。
「意外と、ちゃんと出来ていたような気がするの。もう少しで――」
「結果はお前の上司が確認しに行ってる。ギリギリで起きてるやつに出来ることなんてねぇよ、大人しく寝とけ」
昔に比べれば分別がつくようになったが、彼女は今でもたまに死ななければオッケーなスタンスでいる時がある。
放っておいても死なないが、クライドは、なんとなく放っておけない。
口をつぐんで遺憾の意を示している、たま〜に子どもっぽくなる彼女の前にしゃがみ込んで、彼は視線を合わせた。
「腹減ってんなら、なにか作ってやるから。ほら、なにがいい?」
「…………。そうね――」
空腹に負けて、あれこれと考え始めるシャルロッテの頬が緩む。
「デザートがいいかしら……プリン……スイートポテト……フレンチトースト……」
とりあえず、頭に浮かんだものを片っ端からつぶやいていく。
クライドは、
――空きっ腹に甘いモンか……まあ、こいつなら大丈夫そうだな。
と思いつつ、ひとつひとつに相づちを打ちながら、静かにワクワクしている彼女を眺めていた。