この世は遊園地!あの世は天国!自殺は地獄!
ある有名スピリチュアリストのブログを元に書いた作品です。
今から話す解説は、わたくし個人の見解ではなくて、私が尊敬する、ある有名スピリチュアリストのブログを元に書いたモノです。
この世は遊園地!と聞くと、ほとんどの人は「はぁ~?」となるでしょう。
なぜなら、この世は苦しみの世界であり、人生は修業だと思う人がたくさんいるからです。
だからみんなピーターパンになれないのです。たとえば妖精の粉をふりかけられて空を飛べる大人。
そんな人は、ずっと幸せの人生をおくれて、死んだ後も天国のような世界に行けることでしょう。
苦しい修業をしなくても、人生は苦労の連続という言葉がありますけど、時代遅れの老害的な言葉だと思います。
お釈迦様は色即是空とお説きになりました。
色即是空とは、この世は幻想世界だという事です。
つまり私達人間は、全てアバターであり、霊界に私を操っているハイヤーセルフがいるのです。
このハイヤーセルフは、神様と同じ完璧な存在で、様々な経験をするために私というモノを操っているのです。
だからこの世で起こる事全ては、神様が見てる夢であって、起こる事全てに全く意味はなく、全て完璧な宇宙の流れによって起きているだけです。
つまりこの世に起きる事全ては、自作自演なのです。
人間はみなこの世から霊界であるあの世に還ると、自分のハイヤーセルフである完璧な存在とワンネスに戻ります。
あの世(死後の世界)は、思った事がすぐに現実化するという素晴らしい世界です。
たとえば空を飛びたいと思えば自由に空を飛ぶ事ができるし、立派な家や御殿を建てたいと思えば、想念だけですぐに出現させる事ができます。
死後の世界は、天国か地獄か?と思っている人や、死んだら無になって終わりと思っている人も大勢いますけど、死後の世界には、天国も地獄も存在しません。
だったら死んだら終わり?というわけではなくて、まずは四次元の幽界という世界に行きます。
その幽界は、思った事がすぐに現実化するという素晴らしい世界です。
特に潜在意識が浮き彫りになる世界です。
そのため、自分の想念によって、天国のような世界を造ったり、地獄のような世界を造ったりする事ができます。
これが天国と地獄の正体です。
しばらく幽界で暮らして、霊界という五次元に世界に行きます。
この本当の故郷である霊界で、自分のハイヤーセルフとワンネスになるのです。
人間以外の動物は、幽界をスルーして、そのまま霊界に入ります。
人間だけが自我があるため、その自我を浄化するために、しばらく幽界で生活するのです。
霊界は全てがワンネスであったと気付く愛だけの世界で、魂が還るべき本当の故郷です。
宇宙全体は素粒子や波動で出来ているらしいです。
だから四次元以上のあの世では、すぐに思考が現実化するのです。
この世(三次元の世界)では、思考が現実化するのに、行動と時間がかかります。
あの世には時間というモノが存在しません。
宇宙全体には、時間や善と悪、優劣など存在しません。
楽しいとか苦しい、幸福と不幸というのも存在しません。
だけど光と闇はセットで存在しています。
ただ光が良くて、闇が悪いという概念はないです。
要はどちらでもいいって事です。
闇が存在するから、光も存在する事ができるのです。
悪を滅ぼして正義を目指すのだという漫画の歌や、光の戦士が闇の住人を滅ぼすとか、おかしな事を言っているわけです。
闇を滅ぼす事なんてできるわけないし、光が存在するために必要不可欠なモノです。
光が善で、闇が悪という概念も、宇宙にはありません。
神様とは宇宙意志のことです。
宗教の教えみたいに、神様という個体がいるわけではありません。
宇宙全体が神様であり、私達一人ひとりが、神様なのです。
すなわち、私達人間一人ひとり完璧な存在であり、神様なのです。
宗教の神様というモノは、人間が勝手に造ったモノです。
仏様や観音様は、木彫りの人形だという事になります。
お釈迦様もイエス・キリスト様も、偶像崇拝を禁止していたらしいです。
すなわち宗教団体がよくやっているような、何かを神様に見立ててお祈りするというやり方です。
お釈迦様やイエス・キリスト様がお説きになった教えを、人間の都合のいいように改ざんされたモノが、今の新興宗教です。
徳を積まないと天国に行けないとか、神様の御用をしなければ地獄に墜ちるとか言って洗脳させて、宗教組織の奴隷にしたり、神様に献金だとか言って多額のお金を出させるのが新興宗教の実態です。
まあ宗教にはしる人が多いのもムリがない話。
学校では、見えない世界の事など教えないし、為政者達によって選別された唯物的な箱庭教育が、今の学校教育です。
だから私は、学校なんて言っても行かなくてもいいと思っています。
学校で教える事なんて、将来ほとんど役にたたないモノばかりです。
例えばピラミッド等の古代遺跡は、大勢の人達が滑車を使って造られたと習いましたけど、あんな原始的な方法でピラミッドなんか作れるはずはないという事は、客観的冷静に考えたら分かります。
ピラミッド等の古代遺跡は、一万年以上前に造られて、今から一万年後も残るのです。
今の文明が全て塵となって消えた後でも、ピラミッド等の古代遺跡だけは残るのです。
紀元前は、今よりもかなり高度な文明が発達していたといわれています。
だからピラミッド等の古代遺跡は、あの頃の文明のテクノロジーによって造られて、宇宙人が関与していたモノと思われます。
その証拠に古代壁画には、未確認飛行物体らしきモノが描かれているらしいです。
どう考えても、古代の高度な文明テクノロジーと宇宙人が関わっていたとしか思えません。
そのように、学校では本当の真実を教えないのです。
見えない世界の事なんか全く教えないし、自殺したら大変な事になるから、絶対はやってはいけないよという一番大事な事を教えないのです。
だから学校なんかムリに行かなくてもいいし、自分が行きたくなったら行くという軽い気持ちでも全然いいと思います。
不思議な事に、学校なんかろくに行かずにヤンチャばかりしていた人の方が、なぜか成功者になっています。
たぶん今の教育はおかしいという事に気付いていて、自分のポリシーというモノを持っているからだと思います。
そのような例だけみても、人間の目で善悪のジャッジをする事などできないのです。
学校に行かない少年革命家がいますけど、彼は自分の心の声に正直に生きていると思います。
本質的な生き方、すなわち自分が常に上機嫌で、ワクワクするような生き方が理想なのです。
そういう人が、一生幸せな人生をおくれて、死後もその人の想念通りの世界に行く事になります。
人間がこの世に転生してくる目的は、あの世からこの世という遊園地を楽しむために生まれてくるのです。
けっして我慢とか苦労の修業をするためではないのです。
団塊世代みたいに我慢とか苦労が美徳と思って、そういう想念で生きている人は、そういう人生を引き寄せてしまいます。
毎日上機嫌で笑いながら生きている人は、そういう人生を引き寄せますし、一生幸せに生きる事ができます。
死後の世界は、今私達が生きている現界の延長なので、一生幸せに生きた人は、死後も同じような世界に行くというか、想念によって造り出します。
宗教団体の悪口を書いて宗教の人に怒られそうですけど、私は過去に某宗教団体に在籍していた時期があるので、実態がよく分かるのです。
本当の幸せになるために存在するのが宗教だと言われてますけど、周りを観察して、本当に幸せそうな人はごく少数しか見た事がありません。
宗教が生きがいという人もいましたけど、大部分の人は、仕方がないからイヤイヤやっているというのが顔に現れていました。
病気が治ったという実例も多々ありますけど、自然治癒力か、目に見えない霊的存在が病気を治したかもわかりません。
病気が治ったら治ったで、神様に命を頂いたお礼にとか厳しく指導されて、宗教組織に死ぬまで奴隷として使われたり、多額の献金を要求される宗教地獄が待っています。
熱心な信者ほど、信仰地獄に泥沼の如くはまっていました。
洗脳させて多額のお金を絞り取ったり、奴隷にしたりするのが新興宗教の目的ですから、見えない世界の事を学びたいからといって、宗教に入るのはおすすめしません。
私は幸いあまり熱心ではなかったので、信仰地獄にはならなかったですけど。
見えない世界の事を学ぶのは、別に難しい事ではありません。
スピリチュアル的な本が書店で並んでいますし、グーグルのブログやユーチューブでも簡単に学ぶ事ができます。
古い考えの人や昭和世代の人は、努力をすれば報われるとか、苦労や我慢が美徳と思っている人が大部分ですけど、苦労や我慢からは何も生まれないという事は、私の人生経験に於いて実証済みです。
努力というのも古い陳腐な考えです。
努力という本来の意味は、嫌な事をイヤイヤ我慢してやる事です。
例えば、嫌いな学校の勉強の場合は、親や先生が良い点数を取らないと、将来立派な大人にはなれないから、しっかり勉強して良い点数を取りなさいと教えるので、仕方なくイヤイヤ塾等に通って偏差値を上げるために努力するわけです。
例えば有名アスリートや格闘家になっているような人は、努力をしたからなれたのではありません。
好きな事だから、寝る間も惜しんで夢中になれたのです。
ただ自分の心のワクワクに従ったまでです。
集中と夢中は違います。
自分自身が神様であり、一人ひとりがみんな神様なので、自分の心の声に耳を傾ければ、間違いはありません。
人の意見を聞いて、その通りにする人は、必ず失敗します。
人が言う正しい意見と楽しい意見は違うのです。
楽しいワクワクの方を選んだ方が、人生は上手くいくのです。
人間一人ひとりがみんな神様、生命というモノは、元々ワンネスの状態なのです。
遥か遠い昔に、ビッグバンによって宇宙が誕生しました。
魂がどうやって誕生したかは、難し過ぎてよくわかりませんけど、元々魂はひとつでした。
その元々ひとつの存在が宇宙そのモノなのかどうかも、難し過ぎてわかりませんけど、神様という存在だと思います。
その神様的な存在が、様々な経験をするために分離をして、宇宙人や私達地球人や動物植物が誕生しました。
だから私達一人ひとりが神様なのです。
元々ワンネスの状態であった存在が、様々な経験をするために分離をしているということは、本当は誰も生まれていないし、死んでもいないという事になります。
相手も存在しないばかりか、自分というモノも存在しない、ノンデュアリティという事になります。
どんなへんちくりんな奴や、サイコパス的な殺人者奴、ヤクザや半グレ、詐欺師等も神様という事になります。
だから承認や赦し、多様性が必要なのです。
宇宙には善も悪という概念がないので、あの人はあんな事をしているから悪人だとか、あの人はあんな素晴らしい人だから善人だとか、人をジャッジすること事態がナンセンスなのです。
だからといって、殺人や詐欺をやってもいいんだというレベルの低い話ではありません。
この三次元世界である人間界で幸せに生きていこうと思ったら、この世のルールを守る必要があります。
なぜ人を殺してはいけないのか?と問う若い人がたまにいますけど、私の答えは幸せになれないから人殺しなんかやるモノじゃないよです。
人殺したら、当然警察に捕まって、辛くて苦しい刑務所に入る事になります。
刑務所暮らしが、幸せで天国だという変態さんは、そんなにいないと思います。
どうして学校に行かなくてはいけないの?という問いに対しては、嫌ならムリに行く必要もないよです。
引きこもりでもいいよ。あなたはあなたのままで十分いいよです。
行きたくなったら行けばいいし、勉強したくなったら、フリースクールでもいいよです。
わたし達がこの世に生まれてくる目的は、幸せになるためです。
けっして修業のためではありません。
今が楽しければいいという状態を、一生継続する事です。
これが幸せだとわたしは思います。
宇宙には時間という概念はありません。
時間というモノは幻想で、宇宙の小さな星のひとつである地球も同じことです。
だから将来の事を心配するとか、過去の事を後悔するとか、まったく意味がない無駄なことです。
今を一生懸命楽しく上機嫌に生きていればいいのです。
将来どうなるかなんて、誰にもわかりません。
人生は今の連続でしかないのです。
だからどんなダメな自分でも赦してあげるのです。
ほとんどの人は、自分のこういうところがダメだから、治さなければならないと思って、それに向かって努力をしようとします。
人間には短所なんてモノは存在しないのです。
短所というのは、その人の特性であって、周りの人があなたのそういうところが悪いと勝手に短所と決めているだけで、短所でもなんでもないのです。
反対に周りの人が、あなたのそういうところが立派よと言えば、それが長所になります。
すなわち長所短所は、人間が自身の固定観念に基づいて、勝手に決めているに過ぎません。
例えば、引きこもりニートの人なんかでも、このままではダメだと思って努力する必要はないのです。
そんな自分を赦してあげればいいのです。
そんな人も完璧な存在なのだから、自分最高とか言って、自己肯定感を高めて、自分を赦してあげるのです。
承認や赦しとは愛の事です。
どんな変な人でも存在を認めてあげる。
これが愛です。
まずは自分を赦して、自分を大好きになる。
自分大好きな人は、他人の事も好きになります。
どんな嫌な奴でも、その存在を認めてあげて、承認することができます。
人はみんな、自分で考えて行動しているように思っている人がほとんどだと思います。
だけどこれは間違いなのです。
人間には自由意志は一ミリもありません。
例えば、今日の朝食はコーヒーにするか紅茶にするか迷ったあげく、紅茶にするとします。
そういう場合、今日の朝食は紅茶を飲むという宿命が、シナリオ通りに決まっているのです。
人生に起きる全ての事は、生まれる前から決まっているのです。
何処どこの学校に通う事になるとか、どの会社に就職するとか、誰といつ何処で結婚するのかという事も、全てプログラム通りに決まっているのです。
勿論何歳で死ぬとかいうのも決まっています。
本当は死というモノは存在しなくて、ただ肉体という衣が失くなって、本当の故郷の霊界に還るだけなのですけどね。
すなわち、死というモノは、ただの通過点であり、怖くもなんともないのです。
人間には自由意志は一ミリもないので、自分が心からワクワクする事を、夢中になって思い切りやればいいのです。
勿論周りの正しい意見なんかガン無視でいいのです。
天才と呼ばれる人は、人の何倍も努力した人といえますけど、本人は努力なんかしてないのです。
ただ自分の心の声、ワクワクに従って、ひとつの事に寝る間も惜しんで夢中になっただけです。
ワクワクイコール楽ではありません。
死ぬようなトレーニングをやっているように見える人でも、本人は全く苦労とか感じてなくて、ただ夢中になっているだけなのです。
だから天才と呼ばれる人が誕生するのです。
そういう人達も生まれる前から、私はそういう人生を選択しますとプログラムを決めて生まれてくるのです。
天才と呼ばれる人は、ほんのごく一部で、ほとんどの人は普通の人生です。
私は何もしたくないわ。ただ美味しい物をたくさん食べて、普通に楽しく暮らしたいわという人も、そういう人生を生まれる前から決めているのです。
結婚する事なく、独身のまま一生を終える人もたくさんいますけど、そういう人は、結婚しない人生を決めて生まれてくるのです。
何かを成し遂げるのが良くて、何もしないのが悪いというわけではありません。
要はどちらでもいいのです。
宇宙視線(神様目線)で見ると、優劣なんかないのです。
極端な例を挙げると、聖人君子をような生き方をするお坊さんと、サイコパス殺人者。
宇宙視線(神様目線)で眺めると、お坊さんが善で殺人者が悪というわけではありません。
善と光が優れていて、悪と闇が劣っている概念はありません。
宇宙視線で見ると、ただ醤油ラーメンが好きか、味噌ラーメンが好きかの違いでしかありません。
高度に進化した宇宙人さんは、サイコパス殺人者を瞬殺する事なんか簡単です。
だけど、あえて宇宙人さんはそれをやりません。
なぜかというと、善と悪をジャッジしてしまう事になるからです。
私も含めて、ほとんどの人は人殺しを経験しています。
変な言い方になってしまいましたけど、私達の魂は、輪廻転生を繰り返しています。
数え切れないほど、行き変わり死に変わりを繰り返しています。
つまり起きる事全てにまったく意味はなくて、ただ宇宙の調和と摂理によって勝手に起きているだけです。
地震や津波等の災害も、自然の摂理、宇宙の調和によって勝手に起きているだけです。
起きる事全てに、幸か不幸かなどの意味はなくて、人間が勝手に幸せな事、不幸な事と判断しているだけです。
だから何か嫌な事が起きても、それが何?というようになればいいのです。
すなわちいい事が起きても感謝、悪い事が起きても感謝なのです。
何か自分に悪い事が起きても、きっといい事が起きる前触れなんだというように、感謝できる人が幸せなのです。
人間の人生は、生まれる前から決められた宿命プログラム通りになっています。
だから乗り越えられない試練なんてやって来ないのです。人生自動運転でも十分幸せになれますし、わざわざ苦労や我慢なんかする事に意味はないのです。
苦労や我慢を美徳と考えている昭和世代の人がまだたくさんいますし、人生は修業と思っている団塊世代や団塊ジュニア世代の人も大勢います。
修業なんて意味はないという事は、お釈迦様も説かれていました。
私は長年格闘技や武術をやっていますけど、古い団塊世代の先生ほど、武術は修業のためにやるモノだとか、難行苦行的な思想を持っている方がたくさんおられるように感じました。
私個人の解釈では、武術を修業と思って難行苦行的なトレーニングを何年何十年やっていても、たいして上達はしないし、進歩はしないという事に気付きました。
ただパワーとスタミナ、根性と気合だけで長年やっていても、若い人には勝てません。
武術に限らずどんなスポーツでも同じ事で、長年やっている人の方が強いという根拠はどこにもないのです。
一番努力した人がチャンピオンになれるといわれてますけど、間違った努力を何十年やっても、一向に強くもなれないし、レベルアップもしません。
楽しいと感じるトレーニングとか、正しい方法でトレーニングしないと意味がありません。
正しい方法とは、トレーニングのやり方を考える事、つまり正しいフォームから始まり、なるべく力とスタミナとか根性を使わない技の研究であったりします。
例を挙げると、力を使わず肩甲骨の可動域を利用して波を起こさせるパンチや突きであったり、股関節を可動させて波を起こさせて蹴るキックであったりします。
武術で一番大切なのが脱力です。
脱力ができてないと、何十年やっても上達しません。
こういったトレーニングを、ワクワクしながら、楽しみながら行う事が上達への近道だと思います。
辛い事を我慢して、苦しみながら修業と思って何十年やっても、楽しみながら正しいトレーニングを数年やっている人には勝てないと思います。
そういう例を、私はたくさん見てきました。
すなわち頑張るとか根性とかは、これからの時代流行らないのです。
ただし、格闘技やスポーツの試合中だけは、根性とか気合気力がある人が勝ってると思います。
格闘技やスポーツに限らず、音楽や様々な趣味や仕事でもワクワク楽しみながらやる方が絶対いいと思うし、イヤイヤ我慢しながらやるくらいなら、辞めた方がいいと思います。
例えばカラオケを例にとってみると、ただ根性と気合で声を張り上げる練習を何十年やっても、歌が上手くならないのは、誰だって分かります。
歌が上手くなろうと思ったら、根性とか気合なんかは一旦捨てて、音程を合わす練習や、ビブラートやその他のテクニックを研究しないと上達しません。
私はなんにも取り柄がないわとか、私はなんにもしたくないわ。ただ毎日が楽しければそれでいいわという人もたくさんいますけど、そういう生き方で十分いいと思います。
人間一人ひとりは、完璧な存在なのです。
誰ひとり価値のない人間なんていません。
つまりみんな違ってみんないいのです。
どんな変な奴や、ヤクザや半グレ、爆音響かせて走るヤンキーもどきや殺人者や囚人、浮浪者や障害者も価値がある完璧な存在なのです。
ちょっと分かりにくかったかなぁ?と思いますけど、宇宙には善悪という二元論的な概念はありません。
宇宙は一元論で、全て完璧な調和のもとに動いています。
起きる事全てに意味はなくて、ただ宇宙の流れによって完璧に起きているといえます。
また人間には自由意志は一ミリもありません。
思考のグルグルも、全ての行動も、宇宙の調和の中で起きている事です。
自動運転でも十分幸せになれるって事は、人間関係や仕事、趣味やその他全ての事ひっくるめて、宇宙にお任せすればいいのです。
人間関係で悩んでいる人が大勢いますけど、真面目な人ほど、全ての人と仲良くならなければならないと思っています。
職場でもサークルでも、その他モロモロの団体でも、自分のアンチという人が、約二割くらいいるらしいです。
これを78対22のユダヤの法則といいます。
つまりどんなに人付き合いを良くしようと努力しても、二割くらいの割合で、あなたの事を良く思わない敵がいますよという事です。
イジメで悩んで自殺してしまう子供が大勢います。
自殺者の数は、年間十万人くらいといわれています。
毎年十万人くらいの人が自殺と考えたら、凄い数です。
自殺だけは絶対にやってはいけないと、私ははっきりと言います。
自殺したら楽になれるとか、天国が行けるとか、死んだら終わりなので無になるとか思っている人がたくさんいるから、そんなに凄い数になるのだと思います。
はっきりと言いましょう。自殺したら楽にもなりませんし、天国にも行けません。
ただ地縛霊となって、この世とあの世の狭間を彷徨うだけです。
地縛霊となっている間は、死んだ時の苦しみがずっと付きまといます。
自殺以外の死では、苦しみも痛みも失くなって、あの世に還れますけど、自殺の場合は、死んだ時の苦しみをずっと引きずります。
なぜそうなるかっていうと、私にもわかりません。
ただ見えない世界に関する本に、自殺した霊は地縛霊となるとか、地獄のような苦しい世界にかなりの長い期間停滞するとか書いてあるからです。
そんな事信じられないという人もいると思いますけど、自殺して後悔してからでは遅いのです。
私がイジメを克服した方法を教えましょう。
ただイジメてくる奴を、撃退すればいいのです。
イジメっ子が、自分よりも強そうだったらそれもできませんよね。
私は空手を始めたばかりの学生の頃、柔道初段のイジメっ子を撃退した事があります。
どうみても相手の方が格上で、自分は格闘技を始めたばかりのド素人です。
そんな喧嘩ならやってもいいんです。
私がまだ学生の頃は、喧嘩自由がまかり通っていたけど、今は暴力沙汰が厳しくなって、むやみに喧嘩なんかしたら犯罪になります。
学校に限らず、職場でもパワハラやイジメが普通にたくさんあります。
そんな輩といちいち喧嘩なんかやっていたら、刑務所に入る事になります。
だからド付き合い以外の方法で闘うしかありません。
スピリチュアル的に考えると、どんな変な奴でも承認して存在を認めてあげるという多様性がいいのだけど、まだまだこの世は、弱肉強食的な部分が残っています。
綺麗事ばかりでは、幸せにはなれないのです。
自分に危害を加えてくる相手とは距離をとるか、それが出来ないなら闘うしかありません。
イジメやパワハラは、警察や労働基準監督署や弁護士等を利用すると、相手をギャフンと言わせるか、刑務所送りにする事もできます。
イジメやパワハラを平気でやってくる奴が周りにいたら、幸せになる事なんか出来ないですものね。
人生を毎日楽しく、幸せになろうと思ったら、自分自身が常に上機嫌をキープしなければいけません。
人の機嫌や上司の機嫌をとるのではなくて、常に自分の機嫌をとるように工夫するのです。
例えば、常に楽しい事を考える、妖精の粉をふりかけられたら空を飛べる自分かどうかをチェックするのです。
周りの人を変えたいと思ったら、まずは自分が変わる事です。
人は人を変える事はできません。
自分が変われば、周りの人や環境も変わるのです。
自分を変える事なんて難しいわとか、常に上機嫌でいるなんて出来ないわと思いがちだけど、私が実際に試した凄く簡単にできる方法があるので教えますね。
まずは、不平不満や愚痴や泣き言、人の悪口を絶対に言わない。毎日八つの天国言葉を唱えるです。
私自身まだまだ未熟な魂レベル、つい人の悪口言ってしまう事が今だにありますけど、そんな自分を赦してます。でも以前よりは、そんなマイナスな事を言う回数が、かなり減っています。ほとんどの人は、すぐには無理なので、ちょっとずつ回数を減らしていくしかありません。
まだまだ人をジャッジするクセが完全には直らない自分がいます。
職場でパワハラしてくる奴がいたら、すぐに喧嘩腰になってしまう自分がいます。
私はそんな自分を赦しています。
読者のみなさんも、お釈迦様みたいな聖人君子になるのはまず無理だと思うので、八つの天国言葉を言う事をおすすめします。
周りに人がいたら口に出すわけにはいかないので、頭の中で唱える方法でもいいです。
愛してます。ついてる。嬉しい。楽しい。感謝してます。
しあわせ。ありがとう。許します。
ひとつずつ解説していきますね。
愛してますは、まずは自分自身を愛して大好きになる。
自分の良いところと至らないところ全部ひっくるめて大好きになる。
そして家族や恋人、友達、周りの人の良いところも悪いところも全部承認して、赦してあげることです。
それができるようになると、地域全体、日本全体、世界全体というように規模を大きくしていき、この世の森羅万象一切、やがては宇宙全体の存在を愛するという次元まで上昇します。
完全に悟りを開いた、お釈迦様のレベルです。
私自身、まだまだその境地までは、ほど遠いですけどね。
ついてるは、常に自分はとても運がいい、とてもついてると声に出して言うか、心で思うかです。
つまり脳を騙すテクニック。今までとても運が悪くて、自分は運が悪いんだと思っていた人も、気が向いた時に、自分はとても運がいいんだ。とてもついてるんだと口に出して言う事によって、不思議と本当に運が良くなってくるんです。
簡単に言うと、そういう未来を引き寄せるんですね。
反対に、俺は運が悪いんだと思っている人は、本当に運が悪い未来を引き寄せます。
だからどんなに嫌な事が起こっても、私はとても運がいいんだと言い続ける事が大切です。
嬉しいと楽しいは、毎日が嬉しくて楽しいと思い続ける事です。
例えば、人間関係が良好です。だから毎日が嬉しくて楽しいと唱えると、本当にそんな未来を引き寄せるのです。
毎日が嬉しい楽しいと口に出して言ってみたり、頭の中で言ったりすると、本当に嬉しくて楽しい事が起こってくるのです。
感謝してますは、起きる事全てに感謝をする事です。
自分にとっていい事が起きたら感謝するのは簡単ですけど、良からぬ事が起きても感謝するのは、なかなか難しいです。
宇宙には、いい事とか悪い事、幸せとか不幸の概念がありません。
人間が勝手に固定観念というフィルターを通して、幸せな事が起きた、不幸な事が起きたと判断しているだけです。
だから良からぬ事が起きても感謝なのです。
塞翁が馬ということわざがありますけど、良からぬ事が起きても、良い事が起きるための下準備だったりします。
宇宙全体は、人間の叡智の及ばない精密な意志で動いています。
だから起きる事全てに意味はなくて、悪い事が起きても、それが何?と思えるようになれば、悟りに近付いたといえます。
しあわせは、読んで字の如く、私は凄く幸せ者だと思い込む事です。日本という恵まれた国に生まれた事じたいが大変ラッキーな事であり、凄く幸せな事なのです。
なぜかというと、住む所もあって、食べる物にも不自由がなくて、水道をひねれば当たり前に水が出るし、エアコンのおかげで夏は涼しく、冬は暖かく過ごせるからです。
また仕事が無くても、生活保護というセーフティーネットがあるため、飢え死にする事はありません。
こんな恵まれた国、世界全体で見ても少ないと思います。
ありがとうは、この言葉じたいが最強の言霊と言ってもいいほどの凄い言葉です。
全ての事にありがとう、例えば快適に住む所があって、毎日美味しい御飯が食べられる事にありがとう。
仕事がある事にありがとう、楽しい遊ぶ施設がある事にありがとう等です。
その他にも、たくさんありがとうという出来事があるはずです。
常日頃から、たくさんありがとうと唱えていると、本当に良い事を引き寄せて、幸せな日々をおくる事ができます。
口で出さなくても、頭の中で唱えても効果あります。
本当はありがとうなんて心の中で思っていなくても、不思議とありがとうと思えるような出来事を引き寄せるので不思議です。読者のみなさんもぜひ試してみてください。
許しますは、どんな変な奴や、大嫌いな奴でも、その存在を赦してあげて、承認してあげる事です。
わたくし的には、これが一番難しいです。
ついあいつは悪い奴だとか、人のジャッジしてしまうので、今だに実行できていません。
だけど、許しますと何度も唱える事によって、少しずつマシになっていっているかなぁ?っていうくらいですけど、元々正義感が強くて、イジメとかパワハラする奴が許せない性格なので、なかなかへんちくりんな奴を承認する事ができていません。
スピリチュアル的解釈でいくと、本当は人間一人ひとりが神様であり、価値のある完璧な存在なのです。
また人間には自由意志は一ミリもないので、あいつは悪い奴だとか、ジャッジする事じたいがナンセンスなのです。
頭では分かっていても、なかなか悟れない課題です。
ちなみに差をとる事を、悟りといいます。
人はみんなワンネスだ、この世は幻想だと気付く事が悟りです。
他人は自分の生き写し、すなわち鏡です。
かがみから我をとると神になります。
八つの天国言葉に、私はひとつプラスしました。
お任せしますです。
すなわち宇宙(神様)に全てお任せして、何事があってもくよくよ心配しない事です。
起きる事全て、すなわちいい事も悪い事も、宇宙の摂理と調和の中で勝手に起きている事だから、何事も宇宙にお任せして、人生自動運転でいけば、かなり楽ちんなのです。
本当は苦労とか我慢とか努力とか頑張るとかやらなくも、自動運転で十分幸せになれるのです。
良からぬ事と感じる出来事も起きてきますけど、いい事が起きる前の前触れであったりします。
大事なのは、良からぬ事が起きても、必要以上に落ち込んだり、ネガティブになったり心配したりしない事です。
ほとんどの人の悩みの大半である人間関係(私もたまに人間関係で悩む事もある)にしても、深刻にならずに、悩む事を止めれば、勝手に解決できるようになっているのです。
最後に、私個人が思う幸せになる秘訣は、あきらめるとお任せするです。
お任せするは、先ほども書きました通り、宇宙に全てお任せするという事です。
あきらめるは、ネガティブな意味にとらえがちだけど、あきらめるの本当の意味は、明らかに眺めるです。
何が起きても、明らかに俯瞰する。
つまり、神様目線か高度に進化した宇宙人的目線で、自我や執着を無くし、起きる事全てを高次な次元から眺める事です。
あきらめるという事を行うだけで、欲しかった物が手に入ったり、こうなりたいと思っていた事が実現したりした経験は何度もあります。
欲しい欲しいと執着している時は手に入らないモノであって、あきらめるという事を行った時、思わぬところから手に入ったりするモノです。
長くなりましたけど、これで終わりにさせていただきます。
読者のみなさんが幸せでありますように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
私の解説では、まだまだ分かり難かったかもしれませんし、ちょっと伝わりにくかったかなぁ?と思うので、スピリチュアルをもっと学びたかったら、有名スピリチュアリストと検索したら、私が学んでいる、ある有名スピリチュアリストのブログとユーチューブに辿り着くと思います。
私は、三年前にこの方のブログを読んで、なぜ自殺がいけないのかを投稿。
それからしばらく二年以上は、まったくスピリチュアルを学ばない時期が続き、元のネガティブ気質で不平不満や愚痴、人の悪口等を言う以前の自分に戻ってしまいました。
仕事のミスが続き、かなり凹んでいた時に、再びこの方のブログを見つけて、毎日スピリチュアルを勉強するようになりました。
だから、本格的にスピリチュアルを学び始めたのは、まだ半年くらいです。
このわずか半年で、魂レベルが成長し、次元上昇できた自分がいます。
元々ネガティブ気質の私が、わずか数ヶ月で、今が一番幸せだなぁと思えるようになりました。
読者のみなさんは、もっと早いかもしれません。
例えば一ヶ月とか、一週間とか、中には一日という人もいるかもしれませんね。