※Phantasmagoria-Ⅰ:思想ガ創リシ理想
「行ってきまーす」
勢いよく玄関を飛び出した俺は、外の眩しさに目を細めた。
本日ハ晴天ナリ…ってか?
実に清々しい。
俺は颯爽と自転車に跨り、ペダルを踏み込んだ。
桜一色に染まった並木道をひたすら真っ直ぐ進み、出口と同時に現れるコンビニを右に曲がる。
そして緩やかな坂道を下った先。
そこには輝かしいであろう未来が俺を待ちわびていた。
出発地点で自転車を止め空を仰ぐ。
麗らかな春の香りを体中に感じた今日。
俺は高校生になった。
教室に入ると見慣れた後姿を発見し、俺はそいつの頭を目掛けて鞄を振る。
「うおっ!?」
相変わらずまぬけなやつだ。
「そんな油断だらけでこの先が思いやられるな、マモル」
俺がしてやったりと笑いながら言うと、マモルは一瞬視線を逸らし、少しだけ膨らました頬をすぐに緩めた。
「それは僕だけじゃないと思うよ?」
俺は不思議に思いマモルの視線を追いかけようと振り返った。
見えたのは…ん?
……鞄?
「ぶはっ!!」
俺が鞄を認識して間もなく、顔面に衝撃が走る。
誰だ!?
…なんて、聞かなくても分かってるさ。
俺はぶつかった個所を抑えながら顔をあげた。
「そんな油断だらけでこの先が思いやられるね、祐輔君」
高校生と呼ぶには少し幼すぎる顔でニヤリとする少女。
「つぐみ、てんめぇ~…」
俺は仕返しと言わんばかりに彼女の首に腕を回し、両頬を口元へと引き寄せてやる。
なんとも不細工な顔だ。
それを見て大爆笑するマモル。
「ハホフフン、ふぁふぁっふぇはいへはふへふぇ」
「無理無理。僕、笑いすぎて動けない」
「つーかお前、つぐみの言ってることよく分かるな」
そんなじゃれあいをしている内に予鈴がなり、俺達は大人しく席に座った。
暫くしてこれから担任になるであろう教師が教壇に立つと、今日一日の予定を説明し始める。
俺はつまらない話から顔を逸らし、窓の外を見ると奴らと同じスタートをきれた事に喜びを噛みしめていた。
奴らとは当然、つぐみやマモルの事。
家が近所だったせいか、物心ついたころから俺の隣にはいつだって二人がいた。
幼馴染…という言葉で納めるには少し足りない。
どちらかというと“兄弟”と言うべきかな。
その兄弟達が保育園に始まり、小・中、そして高校生になった今でも、こうして同じ場所にいる。
俺達の絆は神であろうと切り裂くことなんてできない。
例えこの先、それぞれ環境が変わったとしても。
俺達三人はずっとこのままなんだ。
俺は本気でそう思っていたし、彼らもまた同じであると信じていた。
だからマモルの口から出た言葉に、俺は酷く驚いたんだ。
それは俺達が入学して三カ月が過ぎた頃。
部活を終えた俺達はいつものように帰路へつく。
「また明日ねー」
そう言ってつぐみが家に入るのを見届け、それから十分もかからない自宅へと、それぞれが自転車を転がす。
それが俺達の日課だった。
しかし、その日はいつもと少し違う。
「祐輔、ちょっと話がある」
確かにマモルと二人で遊ぶことだってあった。
だけどこうも真剣に話があると言われたのは、始めてに近い気がしないでもない。
俺はマモルに促されるまま馴染みの公園へと入り、定位置であるブランコへと腰かける。
「ホラッ」
いつの間に買ったのやら、マモルが缶ジュースを俺に目掛けて放り投げた。
俺はそれをキャッチして、すぐさま乾ききった喉を潤すとマモルに聞く。
「話って何?」
「ん?あー…」
歯切れの悪さはいつもの事だが、決して悪い報告ではなさそうだ。
恐らく本人は気付いていないのだろうが、とてつもなく緩みきった顔をしている。
女でも出来たか…?
俺がそう思った矢先だった。
「彼女…出来たんだよね」
やっぱり。
まぁ、驚かないこともない。
顔も良く温厚なマモルは昔から女に人気があった。
中学の頃なんか“癒し系”とか言って、先輩にまで可愛がられる始末。
しかし、とうの本人はさほど恋愛に興味がある風でもなく、告白されたところで全て断ってしまうというなんとも贅沢…もというぶな少年だった。
そんな純情少年に始めて彼女ができたとなりゃあ、驚かないわけもない。
「よかったじゃねーかぁ!で?相手は誰なんだよ?」
こう聞く俺に、顔を赤らめた兄弟はこう答えた。
「……つぐみなんだ」
傍から見れば、つぐみは女の子として十分魅力的なのは分かっていた。
でもそれは、あくまで“傍からみたつぐみ”であって…。
三人の間で色恋の文字が浮かぶだなんて想像もしてなかった俺は、最早驚くを通り越していた。
「祐輔?」
思わず黙り込んでしまった俺が意識を戻すと、マモルが不安そうな顔で俺を覗きこんでいた。
俺は慌てて笑顔を作る。
「マジかよッ!?なんかわかんねーけど、すげーな!オメデトウ」
投げかけたのは当然祝福の言葉。
無駄にテンションが高いのは幼馴染二人の幸せが嬉しかったから。
そう、俺は今猛烈に嬉しいんだ。
喜ぶ俺の様子に安心したのか、マモルは再び顔を赤らめはにかんだような笑顔を見せた。
それからというもの…
「わりぃ~、先帰ってて。部室の掃除しないとだからさ」
もちろん、嘘。
まぁ、俺なりの気遣いというやつだ。
恐らく…いや、確実にマモルにはバレているけど。
「すぐ終わるなら待ってるよー?」
…つぐみよ、空気を読め。
なんて事は思うだけにして、俺はさりげなく遠慮した。
「いい、いい。たぶん遅くなるし、たまには部活の野郎どもとも交流が必要だからよ」
つぐみがふーん、と口を尖らせる。
それは彼女の童顔を更に幼くしてみせた。
…マモルには悪いが、やはり俺には妹にしか見えん。
「じゃあ僕らはお先に。祐輔もあんま遅くならないようにね」
そう言うマモルに、俺は返事をしながらニヤリと視線を送った。
つぐみにはばれないように。
マモルは恥ずかしいような困ったような顔を見せると、つぐみも一緒に乗せた自転車を漕ぎ始めた。
俺は部室に戻り、二人の後姿を思い出す。
よくよく思い返せばなんら不思議なことはない。
父親のいないマモルと、母親のいないつぐみ。
多少の違いはあれど二人は同じ痛みを抱えていた。
そして小さい頃から一緒だった分、互いをよく理解し合っていた。
俺には決して理解出来ない痛み…。
俺の家は両親ともに健在で仲も良く、つぐみやマモルを“兄弟”などとは言っているが実際には四つ下のナマイキな妹もいる。
だからこそ、俺には二人の痛みなど理解できるはずもない。
そして、それはとても幸せなことなのだ。
じゃあ、つぐみやマモルは幸せじゃないのか?
そう聞かれれば俺は間違いなく違うと言うだろう。
幸せの定義は人それぞれだが、少なくとも“親の存在”だけで決まるものじゃない。
二人にしか理解出来ない痛みをうまく共有した結果、その二人が結ばれたと言うなら、それはそれでとても幸せなことなんじゃないかと俺は思う。
そんなことを考えているうちに時間はあっという間に過ぎ、俺はようやく帰路へつこうと駐輪場へ向かう。
外はすっかり暗くなっており、残っている生徒もほとんどいない様子だった。
そういや今日は見たいテレビがあったんだ。
俺は早く帰ろうと自転車に跨った。
そして、今まさにペダルを踏み込もうとした瞬間。
「あれ?まだいたの?」
そう言って俺の足を止めたのは、クラスメイト兼俺の所属するサッカー部のマネージャーである塚本奈々という女の子だった。
――ねぇ
――その想い出は真実かい?