Fourth day:互イニ刻ム破滅
深く深く沈んだ闇の先。
駆け抜けていく俺の記憶。
様々な欠片達に思いを馳せ、俺はさらに沈んでいく。
やがて見えてきたのは一つの箱だった。
薔薇の鎖で閉ざされた、美しくも痛々しい小さな箱。
『開けないの?』
後ろから聞こえた声に振り返る。
その姿に驚くことはない。
ただ、俺はもう死ぬんだと改めて納得するだけだった。
『その箱、開けないのかい?』
再び投げられる質問。
「触ることさえ出来ないのに、開けられるわけがねぇだろうよ」
俺の理性が感じ取るままに答えると、
『それはおかしいな』
と呆れたように彼は言う。
おかしい?
なにが?
怪訝な視線を送ると、彼は更に呆れたように笑顔を作った。
『だってさ…ホラ』
彼の人差し指の矛先が俺を通り越す。
一体何だというのだろう。
あんなトゲだらけの箱、痛くて触れるわけがない。
触りたいとも思わない。
俺は不思議に思いながらも彼の誘導通り視線を移した。
……アレ?
本当におかしいな。
そこには、ついさっきまでしっかりと縛っていた鎖が解けかかっているというありえない光景があった。
「お前がやったのか?」
『愚問だね』
彼の即答に間違いはない。
あの鎖を解く事など誰も出来るはずないんだ。
あの鎖は…
『キミの意思だよ』
真っ直ぐな言葉が俺の胸を貫く。
『ずっと隠していたんだろう?』
「ちがっ……」
俺の否定を遮るかのように、突如強烈なノイズが視界を揺らし始めた。
違う。
隠していたんじゃない。
隠していたんじゃなくて…
どんなに心の中で叫んでも、相手に届くはずもない。
ノイズが砂嵐へと徐々に変わっていく。
なんでだ?
お前、俺のこと…………
俺の顔から考えを察したのか、彼は否定するかのように軽く微笑んだ。
『また来なよ』
そう言って、いつものように片手をあげる。
『待ってる』
その言葉を引き金に俺の体は砂嵐に攫われ、気付けば気持ちの良い浮遊感へと放り込まれた。
白とも黒とも言えない曖昧な空間。
出来ればずっとここにいたい。
そう願ったところで、叶わぬことを俺は知っていた。
左手の感覚が微かな熱を捉え、やがて温もりへと変わっていく。
そして光に包まれた瞬間。
目の前に広がったのは、天国の入り口でも地獄の門でもなく、最近になって毎日見るようになった天井だった。
死ねなかったのか…。
正確には“殺されなかった”だが。
ズキズキと痛みが脈打つ脳内で俺は自分が生きていることを主張する。
ふと顔を横に向けると、小さな寝息を立てた奈々がベッドにうずくまり俺の左手を握っていた。
やっぱり、何を考えてるのか分からない。
結ばれた手を見つめる。
ふと、袖から覗く白い腕に俺は驚かされた。
見てるだけでこちらが痛くなるほどの無数の傷跡。
その中には古いものだけでなく最近作られたであろうものまで、しっかり筋だっている。
彼女もまた、破滅の道へと進んでいるようだ…
俺は傷から目を逸らすと、そっと体を起こした。
柔らかい掌。
可愛らしい寝顔。
綺麗な長い髪。
ガシャリと重たい音に、俺は我に返る。
「ん……」
吐息交じりの声に心臓が大きく跳ね上がった。
起きるか…?
俺の上昇する心拍数とは相いれず、彼女が眠りから覚めることはなかった。
俺は一息つくと、自然と奈々に引き寄せられていた右手をゆっくりと下ろす。
殺意と欲望に溺れた右手で、今更どう触れようと言うのだろうか…。
ピリリリリ ピリリリリ
突然の高音に、俺の心臓が再び跳ね上がる。
どうやら奈々の携帯電話らしい。
「んー…?」
さすがにこの音で起きないはずもない。
俺は慌てて横になると、寝たフリをした。
正直、自分でも理由は分からない。
とにかく起きていることがばれないようにうっすらと目を開け、奈々の様子を盗み見る。
奈々はゴソゴソとだるそうに鞄を探り、携帯電話を手にした。
「もしもしぃ~…?」
寝起きが悪いところも、あの頃のまんまだ。
それが妙におかしくて、俺は笑いを堪えるのに必死だった。
しかし、その笑いもあっけなく消えることになる。
「あっ、マサかぁ」
奈々が親しげに名前を呼ぶと、俺を包んでいた手が離れていった。
マサ。
俺はその名前を知っている。
名前だけじゃない。
声も、顔も…。
だからと言って何があるという事でもない。
マサとは奈々が兄のように慕っている友人で、たった一度、偶然会った時に挨拶をしたくらいだ。
「うん、うん。……わかった。じゃあ、また後で」
そう言って奈々は電話を切り、眠そうな目を擦りながら立ち上がった。
少しして台所から調子よく刻む音が聞こえてくる。
いつもこうして出かける前に準備していたと思うと、改めて彼女のマメな性格を尊敬する。
俺は奈々の後姿から目を離さずに、ひたすら追いかけていた。
やがて作り終えた食事等等、いつものようにテーブルがセットされる。
「行ってくるね」
寝たフリをしたままの俺の頭を撫でキスをする。
すぐに離れた唇が、今度は耳元に寄せられた。
吐息交じりの声が俺の耳を擽る。
奈々はもう一度キスをすると、静かに部屋から出て行った。
俺は再び体を起こすと、目の前の煙草に火をつける。
愛してる……か。
なんとも腑に落ちない言葉だ。
見えるはずもない窓の外へと目をやる。
そして、突如頭に浮かぶひとつの疑問。
…なんで、ここなんだ?
俺の拘束されている位置があまりにも不自然なことに、今更ながら気付く。
窓を割られたくなかったのなら窓に触れない位置に縛りつければよかったんじゃないのか?
人を監禁するのにベッドの上じゃなきゃいけない理由なんてあるはずがない。
むしろ、こんな優遇された監禁自体意味不明である。
…しかし皮肉なものだ。
ようやく冷静になれたところで、生きることを諦めた俺に、彼女の真意を探る必要など全くないのだから。
俺は吸いこんだ煙と一緒に疑問を吐き出した。
空っぽになった頭はすぐに別の物で埋められる。
つぐみ…。
彼女はマモルの元へ逝けたのだろうか。
二人で俺のことを待っていてくれているのだろうか。
俺は煙草を銜え最後の一息をし、灰皿へと押しつぶした。
その後の俺はテレビを見たり、素直なゲーム感覚で知恵の輪をやったりと、全く持って緊張感のない時を過ごす。
あんなに早く感じた時がこうもゆっくり流れていくだなんて想像もしていなかった。
そういえばこうなる前も、大学やらバイトやらで時の流れというものを感じることさえなかったな。 これはこれで悪くはない。
しかし、何度確認したことかはもう覚えていないが、とにかく俺の行動範囲は狭い。
時間を潰すにも限度がある。
それでもゴールデンタイムまで持ちこたえたのだが、さすがに限界というものだ。
玄関をチラリと覗くが、奈々が帰ってくる気配は微塵も感じられない。
俺は軽い不快感を感じながらも、倒れるように背面からベッドに沈み込んだ。
なんでこんなことになったんだろ…………
眩しくもなんともない白熱灯の下で俺は目を閉じる。
やがて持て余した時間が埋め尽くされるのに、そう時間はかからなかった。
埋め尽くしたのは抽象的な夢などではなく…
言うなれば走馬燈。
揺るぎようのない、色鮮やかな走馬燈……