Second day-Ⅱ:二分ノ一
「何なんだ、このゲームは!!」
俺は怒りにまかせてキーボードを強く叩きつけた。
もう何度目のシュミレーションかなんて覚えていない。
殺されては脱出を図り、また殺されては脱出を企て…。
自分の死にゆく様を何度も画面越しに見ては、気が狂いそうだった。
「ただいま~」
機嫌のよさそうな奈々の声が、外界の空気を連れて充満する。
気付けば時計は、無情にも六時十三分を指していた。
部屋に入ってくるなり俺の顔みて奈々はクスリと笑う。
「おかえり」
俺は乾いた目を細めながら言った。
「随分面白いゲームを見つけたんだな」
「そうでしょう?」
得意げな顔が更にムカツク。
返事をしない俺に構う事もなく、エプロンを身につけながら奈々は言った。
「ハッピーエンド、見つかった?」
俺の頭に一瞬にして血が上る。
そりゃあそうだろう?
どれだけやっても、七日目以降の未来が来ることはないのだから。
夕食のハンバーグがベッドへと運ばれてくる。
ナイフとフォークも一緒に置かれたところからするに、どうやら自分で食べることを許されたらしい。
「テレビ、見たいのある?」
そう聞いてくる彼女は、ごく普通の女の子だった。
あの頃の…付き合っていた頃の可愛らしい奈々。
だからこそ解らない…。
「なぁ、いい加減教えてくれないか?なんでこんなことをする?」
当然返答を待つ俺だが、彼女は無言のままだった。
数秒の間を起き、テレビがプツリと暗くなる。
聞かなければよかった。
そう後悔したところでもうどうにでもならなかった。
俺の左手の甲に銀色を光らせたフォークが嫌な音を鳴らして突き立てられる。
余りの痛みに呼吸することさえままならない。
「もぉ~、また聞いてるフリしてたんでしょぉ」
奈々は俺の脚に跨ると、直立したフォークの背筋を撫で始めた。
酷く歪んでいるであろう俺の顔を、青白い瞳が覗きこむ。
や…やめ……
声にならない拒絶が虚空に消えていく。
優しくなぞる指をフォークに巻き付けりと、奈々は勢いよく俺の手から抜き取った。
四つの小さな穴からは血液がどんどん湧き出てくる。
奈々は絶叫する俺を見下しながら笑みを浮かべた。
「ちゃんと言ったでしょ?質問は受け付けないって…ね?」
平然とした顔で赤く滴るフォークを舐める姿に、俺はゾッとせずにはいられなかった。
もうやめてくれ……
マジで痛いんだって。
そう叫ぼうとする口の中に、ハンバーグが押し込められていく。
鉄の味が広がり、その都度吐き出しそうになるのだが次々と詰められ阻止されてしまう。
「おいしいでしょ?こぼしちゃだめよ」
出来ることなら今すぐにでも殺してほしい。
そう思っているのは間違いないのに、人間とはどうしてこうも生きることに貪欲なのだろう。
己の性に嫌気がさしながらも、俺は力の限り顎で噛み砕き喉の奥へと通した。
ようやく全てを飲み込み顔をあげると、いつの間に手にしたのか、奈々は煙草に火をつけ俺の口元へと差し込む。
「食後の一服、したかったでしょ?」
俺の愛用の煙草を手首で揺らしながら奈々は微笑んだ。
俺は煙を吸いこみ、痛む左手でむりやり煙草を挟むと精一杯の力をこめて笑い返す。
それが今の俺に出来る唯一の抵抗のような気がしたからだ。
そして俺がもう一度煙草を銜えたところで、奈々は俺に顔を近づけた。
「さて、問題です」
落ち着き払った声とは裏腹に、俺の顎元へナイフをあてがう奈々の手が震えている。
「私をこんな風にしちゃったのだーれだ?」
また俺かよ…。
相変わらず身に覚えのないことばかりだ。
いい加減うんざりだぜ。
ただでさえ体中の水分が煮えくりかえってるんだ。
少し頭を回転させただけで意識がぶっ飛びそうになる。
黙りこくった俺を不愉快に思ったのか、奈々は俺の銜えていた煙草を徐に引き抜くと傷口に押しつぶした。
蒸発する音が鈍い痛みを響かせ俺の吐き気を誘いこむ。
「痛いよね?苦しいよね?可哀そうに…」
奈々はそう言いながらベッドを下り、タンスの二段目を探り始めた。
それにしても相変わらずおかしなことばかり言いやがる。
可哀そうにだと?
お前がやったんだろうが…。
俺は彼女が振り返るまでの間、何の意味もないことを承知でずっと睨みつけていた。
「楽になりたいでしょう?」
奈々の一言に俺の六感が凍りつく。
見開いた俺の目の前に突きだされる二つの拳。
「今日は選ばせてあげるよ。どっちがいい?」
何だ?
俺は何を選ばされてるんだ?
躊躇する俺に奈々は続けた。
「フフッ、大丈夫だよぉ。どっちを選んでもすぐ楽になれるから」
中身が解らない以上迂闊に答えたくはない。
しかし、例のごとく答えないわけにはいかないのだろう。
幸か不幸か、左手の痛みはマヒし始めて俺の頭に余裕を作っていた。
考えるんだ…。
俺が考えを鮮明にしようと目を閉じた刹那、記憶の底から欠片が呼び覚まされる。
昨晩の奈々のキス。
あの時、彼女の唾液とともに異物が喉を通る感覚をおぼろげながらに覚えていた。
なるほど…
だから今日は、なのか。
あの手の中に薬が入っているのは間違いないだろう。
片方は痛みどめもしくは睡眠薬、もう一つは何かしらの毒薬といったところだろうか…。
痛みを止めて楽になるか…
死んで楽になるか…
後者だけはなにがなんでもごめんだ。
ただ選べば二分の一の確率で俺は死ぬことになるかもしれない。
どうしたものかと俺はシーツを強く握りしめた。
…そうか!
ようやく冷静になってきたらしい俺の頭は、右手が使えることに気付く。
鎖の長さは俺の予定を裏切らないほどのゆとりがあった。
「み…右……」
俺は心臓を大きく鳴らしながら答えた。
奈々は掌をゆっくりと開く。
その中には予想通り青と白のカプセルが二錠、冷たい輝きを放っていた。
「じゃぁ、コレ飲んで」
そう言って奈々は再び俺の脚に跨り、指でカプセルを俺の唇に押し当てる。
俺は奈々の指ごとカプセルを受け入れると、こう願い出た。
「俺薬苦手なの知ってるだろ?せめて水くれよ」
奈々は軽く一息つくと、コップを手にする。
「おいおい、昨日みたいにはしてくれないのか?」
俺の言葉に奈々は一瞬キョトンとしたが、すぐに妖しい笑みに戻すと
「いいよ」
と、お茶を口に含んだ。
奈々の顔がゆっくりと近づいてくる。
俺は軽く顎を上げ、彼女のキスを待った。
お互いの髪が絡み合い、息も交わっていく。
そして唇が重なる瞬間…
俺は左腕で彼女の腰元を抱きしめ、右の掌で首元を捕えた。
口の中の薬を吐き出す。
わりぃな、奈々。
俺は五十パーセントで生き残るほうじゃなく、百パーセント生き抜く方法を選ばせてもらう。
せっかくだからお前にも選ばしてやるよ。
「このまま死ぬのと、俺を逃がすの。どっちがいい?」
俺がそう聞いたところで、奈々は動揺するわけでもなくただ一言。
「殺せば?」
と俺を見下した。
どうやら助かるには“正当防衛”という剣を振りかざすほかないみたいだ。
俺は右手に握力をこめる。
奈々は多少顔を崩すことはあっても、俺に向けた視線をはずすことはなかった。
そしてその瞳になぜか違和感を感じ、俺の覚悟が揺らぎ始める。
なんで…?
そう思った矢先、彼女の口角が微かに上がるのに気付いた。
俺が反応するよりも早く奈々の手が動く。
そして、彼女の握りしめたナイフが俺の右手に食い込み、再び焼けるような痛みが襲ってきた。
反射的に振り払うと、左手と同様に血が噴き出し始める。
「前から言おうと思ってたけど…」
奈々は再びタンスへと向かい、痛みにもがく俺をしり目に言い放った。
「中途半端な覚悟はいたずらに事を荒立たせるだけよ」
戻ってきた奈々は俺の髪の毛を鷲掴みにし自分の方へと引き寄せるた。
酸素を確保するのに夢中な俺の口に、先ほどの何倍もの量の薬が詰められていく。
そして奈々は改めて口に含んだお茶を俺の中へと流し込んだ。
思考回路もぶっ飛び抗う力も失くした俺は、窒息する前に異物を吸収していくことしか出来なかった。
口の中がカラになったことを舌で確認すると、奈々はそっと唇を離す。
しばらく痛みに耐えるうちに感覚が鈍り始めた。
ぼやけた視界の中で彼女がじっと俺を見つめている。
だからなんで…
やがて闇にのまれるであろう意識は、彼女への違和感で堕ちていくことになった。
なんでお前が辛そうなんだよ…………