ブラッドムーンの初恋
男主人公の目線で書いてみました。
楽しんでいただけたらうれしいです。
ザッザッと生い茂る草や苔、枝を踏み鳴らす。
蒼蒼とした森の中をひとり歩き続けた。
前方から光が射したと思うと、開かれた場所に出た。
開かれたばはいちめん花畑が広がり、中心には塔が立っていた。
塔の周りには畑と井戸があり、物干しにかかったシーツからは生活感が滲み出ていた。
「本当に御令嬢がこんな場所で暮らしているのか……?」
驚きを隠せなかった。
キョロキョロと周囲を見遣る。
先の戦争で功績を上げた騎士団副団長 クラウス・ヒルドブランド。
王家から褒賞として子爵位を授かった。
しかし、爵位だけでは足りぬと王家所縁の姫を妻として娶ることになってしまった。
王家には男子しかいない為、王弟の娘が産んだ公爵令嬢が選ばれたらしい。
本来であれば結婚式当日に初めて会うことになっていた。
しかしクラウスは真面目な男だった為、それでは相手の御令嬢に失礼では、と先に顔合わせをと考えてブラッツ公爵家へと赴いた。
先だって手紙も出していたはずだが、公爵家の対応はひどいものだった。
たかだか侯爵家の次男と侮られたのか、公爵こそ出てきたが、玄関先であしらうように娘はそこに居ると森にある塔の地図を渡された。
ーーそして現在に至る。
「なぜ御令嬢がこんな森の中、しかも塔に…?」
地図を渡されてからずっと疑問だらけたった。
とりあえず塔に行ってみるか、と歩を進める。
すると井戸の方からばしゃばしゃと水音がした。
使用人が居るならば声をかけようと近づいたところでクラウスは固まってしまった。
井戸の近くにはタライに入れた服を洗いながら、歌をうたう薄紫の髪に金の瞳が眩い美しい少女が居たのである。
花畑にぽつんとしゃがみ込む少女はまるで花の妖精のようだった。
そのまま呆然としていると、洗濯が終わった少女がタライを持って立ち上がり、こちらを向いた。
「だれ…?」
鈴のような、けれど甘く通る声だった。
クラウスはその声に意識を取り戻す。
「ご挨拶が遅れました。クラウス・ヒルドブランドと申します。騎士団の副団長をしております」
「きしだん」
少女は首を傾げおうむ返しのように呟く。
そしてむむっと眉間に皺を寄せた。
「わたし、きしだんにつかまるような悪いことはしてないと思う…」
勘違いしている!と慌ててクラウスは用件を伝えた。
「いえ!違います!!私が戦争で功績を上げた褒賞として、御令嬢と結婚することになりましたので!ご挨拶に伺いました!!」
「けっこん…」
「…もしかして、聞いておりませんか?」
「……はい」
一瞬びっくりした顔をしたが、すぐに感情のない表情に戻ってしまった。
「いつものことですから。それよりもこのような格好で申し訳ありません。わたしはカトリーナと申します。すぐに支度をしてまいりますので中でお待ちください」
(このような格好…?)
カトリーナの言葉にクラウスは思わずじっと見つめてしまった。
そして見つめたことを後悔した。
「もっ、申し訳ない!!」
カトリーナはワンピース型の下着姿だったのだ。
クラウスはぐるんと後ろを向いた。
「いえ、お気になさらず」
「いや!本当に申し訳ない!!今日の所は帰ります!」
クラウスは脱兎の如く駆け出した。
突然目の前から走り去るなどと最低だという考えはよぎったが、沸騰した頭では何も考えられなくなってしまった。
その後クラウスはブラッツ公爵家について調べた。
カトリーナがなぜあんな森の中で暮らしているのか、そして結婚について知らなかったことも。
ブラッツ公爵家は王弟であるカトリーナの祖父が元当主だった。
息子はなく娘がひとり。
蝶よ花よとお姫様らしく育てられたカトリーナの母親であるアントニーだ。
ブラッツ公爵は婿養子を探していた。
婿として選ばれたのは侯爵家の三男だったハーゲンだった。
ブラッツ公爵に取り入るのがとても上手く、この男ならば娘を大切にしてくれると思った公爵はすぐに爵位を譲り田舎に引っ込んでしまった。
しかし公爵が引っ込んだことでハーゲンは突然アントニーを無視するようになった。
カトリーナが産まれてからは家に帰らなくなった。
愛人の元に入り浸りだと社交界では噂になっていた。
そうこうしているうちにアントニーは体調を崩し始め、カトリーナを産んで六年後に看病の甲斐なく病死した。
確たる証拠はないが、実はアントニーは毒殺されたのではないかと考えられている。
アントニーの葬儀が終わり、前公爵夫妻が田舎へ戻るなりすぐに、ハーゲンは喪も明けきらぬうちに後妻と娘を迎えた。
娘はカトリーナよりもひとつ歳上だった。
ふたりを迎え入れるとハーゲンはカトリーナを森の塔に追いやった。
最初は世話をするものが居たらしいが、公爵家の財政状況が悪くなり給金が払われなくなると人手が足りず、誰も寄り付かなくなった。
ちなみに公爵家の財政難は後妻とその娘の浪費が原因だそうだ。
「はぁーーー」
資料を読み終わると大きなため息を吐き、ソファに背を預けた。
「読み終わったのかい?」
メイドが入れた紅茶を飲み、脚を組み替えたのは第三王子のクロヴィスだ。
クロヴィスとは歳が近いこともあり、昔からの気の置けない友人である。
ブラッツ公爵家について調べていたら、既にこちらで調べてあると資料を揃えて持ってきてくれた。
「あぁ、ひどいな」
「カトリーナ嬢が君の元に嫁いできたらブラッツ公爵家は取り潰す予定だよ。元々一代だけのはずだったものを、王弟殿下が勝手をしただけだからね」
「そうか…」
「本当は王家の血筋だし、こちらで面倒をみようかとも思ったのだけどね。後々面倒なことになりそうだしね。………君に押しつけら様な形になってすまないな」
心底申し訳なさそうな顔で微笑む。
その顔を見てクラウスはカトリーナを思い出した。
同じ金の瞳だからだろうか。
ふと、口の端が弛んでしまった。
「クラウス…?」
クロヴィスの怪訝な声にハッと気がつき、片手で顔を覆う。
「いや、大丈夫だ」
赤くなった顔を隠したつもりだったが、そんな様子にクロヴィスはニヤリと笑う。
「カトリーナ嬢に会ってきたんだって?」
「あ、あぁ」
「ふぅーん。とても君好みの御令嬢だったようだね」
「そっ、それは!その…」
「ふふっ、押しつけてしまったと思っていたが。気に入ってもらえたのならよかったよ」
言いながらクロヴィスは立ち上がり、そろそろ仕事に戻らないとね、と部屋を出て行った。
「はぁーーーーーーー」
再び深いため息を吐き、両手で顔を覆う。
『気に入ってもらえたのならよかったよ』という先程のクロヴィスの言葉を反芻する。
「気にいるも何も…カトリーナは誰が見ても可愛いと思うのだが…」
クラウスは先日カトリーナに会ってからベタ惚れだった。
妖精の様な美しさに一目惚れしてしまったのだ。
今まで剣一筋で生きてきたので初恋である。
カトリーナのことを考えれば考えるほど喜びが湧き上がり口の端が弛む。
「カトリーナが、俺の……妻、になる…のか……」
「はいはい!そろそろ仕事に戻りますよー」
いつの間に入ってきたのか、同じ騎士団で働くレイノルド・バルウィンがテーブルの上の資料をまとめていた。
「レイノルド!お前!いつの間に!?」
「ちゃーんとノックして入りましたよー。どっかの誰かさんが可愛いお嫁さんのことばっかり考えてニヤニヤニヤニヤと気付かなかっただけでしょー」
チベットスナギツネの様な顔で、文句を言いながらカップを片づけ始める。
「なっ、そんな…ことは…っ」
「さぁさぁ、騎士団に戻りますよー」
そうして押し出される様に仕事に戻った。
とうとうカトリーナが嫁いでくる日を迎えた。
財政難のブラッツ公爵家の希望で、式は無い。
馬車さえ出せぬと聞いたので、こちらから公爵家へ迎えの馬車を行かせた。
クラウスは朝から落ち着かず、庭園のベンチに座ったり立ったりしつつカトリーナの到着を待つ。
屋敷でウロウロとしていたら執事にもメイドにも邪魔にされてしまい、ここに辿り着いた。
「はぁ、緊張するな」
両手を顔の前で合わせて独り言ちる。
屋敷の使用人たちはソワソワと落ち着かない主人に微笑ましい、いや生暖かい視線を向けつつカトリーナを迎える準備をしていた。
「旦那様!そろそろ馬車が到着するそうですー!」
幼い頃から仕えてくれているメイド長のハンナが呼びに来た。
馬車が止まった。
しかし扉が開いてもカトリーナは降りてこない。
しばらく待つが誰も降りてこないので、並んだ使用人たちも首を傾げ始めた。
(え?まさか乗ってないのか?)
マナー違反ではあるが、馬車の中を覗き込んだ。
すると馬車の端に膝を抱えたカトリーナが居た。
声をかけようとしてクラウスは気付いた。
カトリーナは出ないのでは無く出られなかったのだということに。
「あの…その…」
ぶかぶかのドレスが肩から落ちない様に、必死に手で抑えているカトリーナは表情こそ無いが困り果てていた。
クラウスは着ていたフラックコートを脱いでカトリーナの肩にかけた。
そしてカトリーナを抱えて馬車を降りる。
「ハンナ、カトリーナは長旅で疲れているだろうから部屋で休ませる。着替えを用意してくれ」
「かしこまりました」
カトリーナを部屋に運び、クラウスは自室でソファに腰を下ろし、右手で顔を覆った。
「ここまでとは……」
おそらくカトリーナが着させられていたのは義姉のドレスだと思われる。
そもそも先日カトリーナに会った際に洗っていた服は思い返せばお仕着せだった気がする。
しかも洗っている間下着姿だったことを鑑みると服はそれ一枚しか持っていなかったのでは…?
考えた途端にその時のカトリーナを思い出してしまった。
「うぉ!ダメだ!忘れなければ!!」
コンコン。
取り乱しているとノックがされた。
気を取り直して返事をするとハンナが入って来た。
「ハンナ?カトリーナは大丈夫なのか?」
「ええ、他のものにしっかり任せて参りましたので問題ございません」
「そうか…何かあったのだな」
ハンナの様子から報告したいことがあるのだと察して聞く。
「カトリーナ様は16歳と伺っておりましたが……どう見ても12歳程にしか見えませんでした。細いなんてものでは無く栄養失調ではないかと。またメイドに世話をされることにも慣れていらっしゃらないご様子で、初めは断られましたがここではその様にするのが一般的ですと申し上げました所、受け入れてくださいました」
「なるほど」
「お食事はしばらく健康状態に合わせたものを作らせましょう。それからお衣装も一から作らねばなりませんね」
「そうだな。だが服はある程度なければ困るだろう。体型に合わせたものを持ってこさせよう」
ハンナとこれからのことについて打ち合わせをしていると、再びコンコンとノックされた。
「旦那様。奥様を連れてまいりました。よろしいでしょうか?」
「?!」
突然の訪問に驚いてしまい返事ができないでいると、ハンナがどうぞと声をかける。
「失礼いたします」
メイドの後ろにゆったりしたピンクのワンピースを着たカトリーナが続いて入る。
「あ、あの旦那さま。先程はありがとうございました」
ペコリと深くお辞儀した。
その瞬間クラウスもハンナもメイドも驚いてしまった。
「カトリーナ!お辞儀はしなくて良いんだ!」
慌ててクラウスは顔を上げさせた。
しかしカトリーナはきょとんとした顔だ。
「ふむ、教育も必要ですね」
ハンナは落ち着いた様子で言う。
「それと…旦那様ではなくクラウス、と呼んでくれ」
「…クラウス……さま…」
困った様に微笑んで言うと、カトリーナも微笑みを返してくれた。
しかしすぐに感情のない表情に戻る。
それでもクラウスにとって、その一瞬の微笑みは破壊力抜群だった。
「これからは俺が必ず君を幸せにする!」
クラウスはカトリーナの両肩に手を置いて宣言した。
真っ赤な顔でそう言うクラウスに対し、カトリーナは目を瞬かせていたのだった。
◇◇◇◇◇
カトリーナは重湯やスープを食べ、散歩にお昼寝としっかり体調管理をされた生活を送っていた。
そしてクラウスが騎士団の仕事から帰ると必ず出迎えをする。
クラウスはそれがとても嬉しくて、残業にならないよう毎日必死で仕事をした。
「クラウスさま、今日は夏に庭園に植える花について庭師に教えてもらいました」
「そうか」
ひと月ほど経った頃から、カトリーナはその日の出来事を話してくれるようになった。
そんな時間が嬉しくてクラウスはいつもニコニコしながらカトリーナの頭を撫でる。
頭を撫でた後は見間違いかもしれないが、カトリーナの表情が和らぎ少し微笑んでいる様に見えるのだ。
食後に自室で雑務をしているとコンコンとノックの音が響いた。
入札の許可を出せば、ハンナが入ってきた。
「旦那様、カトリーナ様の家庭教師が決まりましたので、明日よりお勉強の時間を設けることにいたします」
「わかった」
「それからお食事もそろそろ通常のものを、量を減らしてお召し上がりいただこうと思います」
「もう、大丈夫そうか?」
「ええ、主治医から許可をいただきました」
カトリーナは10歳頃からほぼひとりで生活していたようで、かなりの栄養失調だった。
一応庭師が育てていた畑を引き継ぎ自分で野菜を育て、森の生き物を食べることもあったと言っていたが、成長期の体には全く足りていなかった。
はじめは気が付かずに普通の食事を食べさせたら体調を崩して寝込んでしまった。
内臓が弱っている為だと医師は言った。
それからは身体に合わせて少しずつ食べさせることになった。
「健康診断も定期的に行なっておりますのでご心配なく」
ハンナは難しい顔をしていたのを心配と捉えたのか、更に言う。
「あぁ、わかっている。ありがとう」
「では、失礼いたします」
パタンと扉が閉まると机の上に突っ伏して息を吐く。
「この家に来てから一ヶ月半か……」
元々可愛らしかったカトリーナはここに来て更に美しさに磨きがかかった。
それもそうである。
徹底した健康管理に美容全般のケア。
薄紫の髪は美しく輝き、少し日焼けした肌は弾けんばかりの肌ツヤを取り戻していた。
「あぁ゛〜。妻が可愛すぎてつらい」
ハンナからカトリーナはまだまだ精神的にも肉体的にも子供である為、少しずつ情緒を育てましょうと言われた。
「少しずつっていつになれば触れ合いが許されるのか…」
クラウスはカトリーナを好きな気持ちが募り、悩んでいた。
うぅ〜ん、と頭を抱えてまた机に突っ伏してしまう。
「クラウスさま」
突然の声にガタンと椅子を倒し立ち上がった。
声のした方を見るとドアの隙間からカトリーナが覗いていた。
「かっ、カトリーナ?どうしたんだ?」
カトリーナのことを考えていたので声が上ずってしまった。
「驚かせてしまいすみません。ノックをしたのですがお返事がなかったので…とびらをあけてしまいました」
無表情だが、眉が下がり申し訳なさそうに言った。
「いや、俺の方こそすまない。何かあったのか?」
椅子を元に戻し、カトリーナの近くへ向かう。
カトリーナは少し戸惑いながらも部屋に入り、上目遣いで見つめた。
「あの、明日はお休みとうかがいました。クラウスさまにお礼をしたいとみんなに相談したら、一緒にでかけるのがいいと思うとアドバイスをいただきまして…」
カトリーナは背が低いので、クラウスと話すときは顔を上に向けて話す。
その為上目遣いになってしまうのだが、その仕草が可愛すぎるのだ。
「明日は特に予定も無いな。ならば街に行こうか」
「まち…」
「カトリーナはまだ行ったことがないだろう?色々と店を見てまわろう」
「はい……。はい!たのしみです」
カトリーナは両手をぎゅっと握り締め、嬉しそうに微笑んだ。
クラウスも初デートだ!と嬉しくて飛び上がって喜びたかったが我慢した。
翌日、朝食を終えたクラウスは落ち着かない様子でソワソワうろうろと玄関ホールを行ったり来たりしていた。
「旦那様、落ち着いてくださいませ」
共にカトリーナを待っていた執事にそう言われるがクラウスは全く落ち着けなかった。
なぜならカトリーナとの初デートである。
緊張でどうにかなってしまいそうだ。
はぁー、とため息を吐いているとハンナの声と共にカトリーナがやってきた。
「旦那様お待たせいたしました。カトリーナ様のご準備が整いましたよ」
ハンナの後ろをトコトコとついてくるカトリーナを見てクラウスは呆然として固まってしまった。
薄紫の髪はふわふわとゆるく巻かれ、複雑に編み込まれた髪にはクラウスの瞳と同じ赤い色の宝石が付いた髪飾りが輝いていた。
ここに来てから少し健康的になった身体に合わせて作られたドレスは、カトリーナの雰囲気に合った清楚なものだ。
たっぷりのフリルとレースが使われ、腰に巻かれたリボンは細さを強調しているが、動くたびにふわりと揺れてとても愛らしい。
「旦那さま。お待たせして申し訳ありません。」
クラウスはカトリーナの声でハッと我に帰った。
「いや!全然待ってなどいないから大丈夫だ。それよりも、その……とても、似合っている!」
そう言い、赤くなった顔を隠すように顔を逸らしてしまった。
そんなクラウスを見てカトリーナは少し恥ずかしげに俯きながら「ありがとうございます…」と小さく返事をした。
「さぁさぁ!馬車を待たせていますからね!」
(いい雰囲気だったのに…!)
ふたりはハンナにグイグイと背中を押され、あっという間に馬車に乗せられた。
馬車が走り出すと、カトリーナは楽しそうに外の景色を眺めていた。
時折、難しい顔をしたり、驚いたような顔をしたりしていた。
普段はあまり表情が変わらないカトリーナだが、外出に浮かれているのだろうか。
ふとカトリーナがこちらを向き、目が合った。
「クラウスさま。私、おでかけは初めてなのです。今日は本当にありがとうございます」
微笑んでそう言うとカトリーナはまたすぐに窓の外に視線を戻した。
クラウスはカトリーナの微笑みに驚き、赤くなった顔を隠すように片手で口を覆いながらも外出を決めてよかったと思うのだった。
街に到着し、馬車を降りる。
カトリーナは興味津々な様子で周囲をキョロキョロ見ていた。
「さて、今日は街を歩いてまわろう!カトリーナも初めての外出だし色々と見てみたいだろう?」
「はい!ありがとうございます」
お礼を言いつつもカトリーナは周りが気になり気もそぞろである。
そんなカトリーナを可愛らしく思い、クラウスはふふっと笑った。
「気になるものがあれば足を止めるからいつでも言ってくれ」
クラウスがそう言うとキョロキョロしていた頭を止め、ぱあっと嬉しそうな気配を纏った。
「はいっ!ありがとうございます!!」
カトリーナは一人で過ごしていたせいか、喜怒哀楽が表情にでにくい。
それでも時折嬉しそうにしているかな?となんとなく、本当になんとなくだが、クラウスはわかるようになってきた。
しかし今のカトリーナは誰か見てもわかる通り浮かれていた。
「クラウスさま、あれはなんでしょうか」
カトリーナが興味深そうにショーウィンドウを指差して走り出した。
クラウスは慌ててカトリーナの手を取る。
「カトリーナ!一人で行ってはだめだ。今日は絶対に俺から離れないように」
突然手を取られてカトリーナは驚いていたが、小さな手でぎゅっと握り返し返事をした。
「はい!クラウスさま」
小さな白い手に引かれて、カトリーナが興味を持ったショーウィンドウへ向かった。
自分から手を取ったが、まさかそのまま手を引かれると思わなかったクラウスは内心大慌てだった。
ふたりは花屋や文房具店、本屋など色々な店を見て回った。
カトリーナは屋敷のみんなにおみやげを買いたいと言い、それぞれ使用人に合わせたおみやげを選んだ。
昼食は街で流行りのカフェに入った。
「カトリーナの食べたいものを頼むといい」
「よいのですか…?!」
普段はハンナとコックがカトリーナの体調に合わせて身体にいいもの、優しいものだけが出されているが、今日くらいは好きなものを食べさせてやりたい。
好きなものを選ぶよう言われたカトリーナは、メニューの写真を食い入るようにみつめている。
食べたいものは全部注文すればいいのにと思うが、ハンナに食べられる量だけと言われているようで、あれがよいか、それともこれが…ともにょもにょ声が聞こえた。
テーブルの上には頼んだ料理が並び、カトリーナはキラキラとした瞳で見ていた。
「わぁあ……!クラウスさま見てください!お花がのっています!」
カトリーナはエディブルフラワーがあしらわれ、キャラメルソースがたっぷりかかったパンケーキを食い入るようにみつめた。
そしてクラウスの注文した料理を見てその大きさに驚いていた。
「クラウスさまのお料理は…大きいのですね。すごいです!私にはとても食べきれそうにないです…」
「ははっ!シュニッツェルはどこで頼んでもこのくらいの大きさだよ。気になるようなら今度屋敷でカトリーナ用に小さいものを作らせよう」
「ほんとうですか!楽しみにしています」
「あぁ。さぁ、食べよう」
「はい!いただきます」
パンケーキを一口食べ、驚いた後にへにょんと目尻が下がった。
そして咀嚼し終わるとキラキラした瞳でじっとパンケーキを見つめた。
「とってもおいしいです!!」
こんなに表情豊かなカトリーナは初めて見た。
クラウスは連れて来てよかったと心から思った。
とても美味しかったのだろう、カトリーナは一口、また一口と食を進めていく。
クラウスもそんなカトリーナを満足げに見てからナイフとフォークに手を添えた。
「ごちそうさまでした」
いつもより少し多い量だったが、カトリーナは完食した。
無理をしていたら止めようと思ったがそんな様子もなかったので、食べ終わったクラウスはコーヒーを飲みながらカトリーナが食べる様子を見ていた。
「とても…とってもおいしかったです。お屋敷のみんなにも食べさせてあげたい」
カトリーナの言葉にクラウスは微笑むと、近くのテーブルにあるものを指差してこんな提案をした。
「パンケーキは難しいが、ベルリーナーというお菓子ならば持ち帰れる。土産に買っていこうか」
それは揚げたパンで砂糖がまぶしてあるものだった。
カトリーナはぱあっと顔を輝かせた。
「はい!ありがとうございます、クラウスさま!」
持ち帰りでベルリーナーを注文した後は、食後の散歩をしようと街の外れにある公園に向かった。
公園といっても森のようになっている部分、広場のようになっている部分、花が咲き乱れて貴族の庭園のようになっている部分にわかれている大きな場所だ。
国民の憩いの場になっており、誰もがその自然を満喫し、楽しんでいた。
花園に四阿あったので、二人はそこで休憩することにした。
「カトリーナ。たくさん歩かせてしまったが疲れていないか?」
「いいえ!とても楽しいです」
「そうか…それならばよかった」
相変わらず無表情のカトリーナだか、ウキウキとした足取りだったのでクラウスは安心した。
しばらく散歩を楽しんだら次はあのカフェでお茶でも、とクラウスが考えていると、突然悲鳴が響き渡った。
「きゃーーーーー!ひったくりよ!!誰か捕まえてーー!」
悲鳴のした方を見ると、貴族のご婦人とひったくり犯と見られる男が走って逃げる姿があった。
クラウスはとっさに駆け出した。
騎士団副団長を任されているだけあって、あっという間にひったくり犯に追いつき、後ろ手に組み敷いた。
ちょうど見回っていたのだろう憲兵隊が駆けつけたので犯人を引き渡した。
「ありがとう!助かったわ!!」
「なんとお礼を申し上げたらよろしいのか……!?」
ご婦人と、ご婦人に付き従っていたのであろう使用人が駆け寄って礼を言うが、クラウスを見るなり驚いた顔をした。
戦争が終わった後に凱旋パレードをしたこともあり、クラウスは一躍有名人になっていた。
二人の反応にクラウスは、黒髪赤い目から『漆黒のブラッドムーン』という二つ名を付けられているから怖がられているのであろうと考えた。
しかしご婦人と使用人は、ただただクラウスの美しい顔に驚いていただけだった。
もちろんクラウスが漆黒のブラッドムーンだと髪色と瞳の色で気が付いたが、まさかこんなに美しい男だとは思っていなかったので驚いたのだ。
「ぜひ、ぜひお礼を……」
ご婦人はクラウスにしなだれかかりお礼をしたいと頬を染めて申し出る。
しかしクラウスは恐怖でふらついてると勘違いした。
「いえ、この国の安全を守ることが私の仕事ですから。ふらついている様子ですし、ベンチに座って休んでください」
そしてご婦人をベンチに腰掛けさせると妻が待っておりますので失礼します、とすぐに立ち去った。
ご婦人と使用人はほぅ、とため息をつきクラウスを見送った。
クラウスは犯人を捕まえた後、すぐに早く戻りたかった。
悲鳴を聞きつけ、逃げた犯人を見た瞬間思わず走り出してしまったが、カトリーナを置いてきてしまったからだ。
(絶対に離れてはいけないと言いながら、自分から離れるなどと…!!)
走ってカトリーナを置いてきてしまった四阿へ戻る。
しかし、四阿にカトリーナはいなかった。
こつぜんと消えてしまっていた。
慌てたクラウスは大声でカトリーナの名前を叫んだ。
「カトリーナ!!カトリーナ!?どこだ!!!」
あの状況でカトリーナが四阿から動くはずがなかった。
いや、動いたとしても自分を追いかけたはずなので、ここに来るまでの一本道で会わないはずがなかった。
「なぜ、何があった……?」
周囲を見渡し、辺りを探してもカトリーナはみつからない。
ぐっと拳に力がこもる。
他人を助けてカトリーナを守れないなど、本末転倒ではないか!
クラウスは自分を責めた。
◇◇◇◇◇
クラウスがひったくりを捕まえる為に走り出すと、カトリーナも後を追いかける為に走った。
しかしクラウスの足が早く、少しは回復したが栄養失調気味であるカトリーナの身体ではまったく追いつけなかった。
途中ではぁはぁと膝に手をついて呼吸を整えていると、突然視界が暗くなった。
「え…?」
どうやら麻袋に入れられたようだ。
そしてヒョイと担がれてあっという間に運ばれ、馬車のようなものに乗せられた。
しばらく走ると馬車が止まり、また担がれる。
そしてドサッと床の上に投げられた。
「ちゃあんと連れてきたんでしょうね?」
「もちろんです。この通り!」
麻袋が開けられ、カトリーナは突然視界が明るくなり眼を瞬かせた。
眩しい光の中うっすらと眼を開けると、目の前には女性とカトリーナを運んだのであろう男が立っていた。
「金の瞳に薄紫の髪、間違いないと思いますぜ!」
「そうね。これを持ってとっとと出てお行き」
数枚の金貨を投げ捨てると女性は男に言う。
男は金貨を拾ってそそくさと出て行った。
「お前、カトリーナで間違いないね?」
ようやく光に目が慣れたカトリーナは、目の前の女性をじっとみつめる。
どこかで見たような…。
「聞いているのかい?お前はカトリーナだろう?」
ぼーっと見ていたら怒鳴られたので、カトリーナは慌てて「はい」と返事をした。
「まったく!本当に昔から鈍臭い子だわ」
そう言われてカトリーナはハッと思い出した。
赤毛に茶色の瞳、そしてツリ目に豊満な身体つき。
子供の頃に見た記憶より少し歳をとっているが…その顔には覚えがあった。
10年も会わなかったので思い出すのに時間がかかってしまったが、カトリーナを見下ろしているのは義母だった。
(なぜ…?公爵夫人がいるということは、ここはブラッツ公爵邸でしょうか……)
カトリーナは自分が連れてこられた理由がまったくわからなかった。
「お前、一体何をしたんだい!!」
「なに…とは…?」
「しらばっくれるんじゃないよ!!」
義母はカトリーナの話を聞かずに怒鳴り続ける。
その時ノックが聞こえ、ドアが開くとブラッツ公爵と若い女性が入ってきた。
義母にそっくりな若い女性はたぶん義姉だろう。
父、ブラッツ公爵は床に転がる私をチラリと見るがすぐに目を逸らした。
「ガリーナ、何か話は聞けたか」
「いいえ。この子、全然喋りませんわ」
「ふふっ、ずぅーっと一人で過ごしていたから口がきけなくなっちゃったのかしらぁ〜?」
義姉らしき女性はくすくすと笑い、見下すような眼差しを向けた。
「おい。王宮からの手紙にブラッツ公爵家は取り潰しとなると書かれていた。お前が何かしたんだろう?」
「きっと王子と仲が良いと噂の旦那にでも取り入ったんですよ!」
「とりつぶし……?」
カトリーナは初めて聞く話に驚き目を見開いた。
「しらばっくれたって無駄だよ!お前が何かしなければこんなこと起こるはずがないんだからね!!」
「今までの仕返しにしてはやり過ぎだ。さっさと旦那に取り潰しをやめるよう懇願してこい」
「自分だけお嫁に行っていい暮らしをしようったって、そうはいかないわよ」
カトリーナは全く身に覚えのない話にきょとんとしながら首を傾げた。
「えぇと、私はクラウス様に取り入ってもいませんし、何もしていません」
しかしカトリーナの意見は聞き入れられなかった。
「お前が何もしていないわけがないだろう!!」
怒った公爵はドンっと壁を叩いた。
「でも、ほんとうに何も……」
言い終わる前に義姉がパンと手を叩いた。
「お父様!わたくし良いことを思い付きましたわ!!」
義姉のイーリカはカトリーナを見てニヤァと笑った。
「この子はまったく役に立ちそうにありませんし…。漆黒のブラッドムーンの妻は不服ですけれど、私が代わりに嫁ぎますわ」
「まぁ!イーリカ!」
「このわたくしがお願いすれば妻の実家を潰すなんてバカなことをするはずがないもの」
「おぉ!イーリカ!お前はなんて家族思いなんだ」
「ふふふっ。実家は侯爵家と聞いておりますし、本人は子爵位でもお金には困っていなさそうですしね」
呆然とするカトリーナを余所に三人は盛り上がっていた。
「カトリーナは誘拐されて死んだことにすれば問題ないか」
「子爵と一緒にいた時に起こったことですもの!責任を取って姉と結婚をと言えば断れないでしょう」
「そうと決まれば色々と準備をしなければね!」
◇◇◇◇◇
馬のいななきと走り抜ける馬車の車輪の音が荒々しく響き渡っていた。
鬱蒼とした森に囲まれた、良く言えば古びた、しかしどう見ても廃墟のような屋敷の門前でそれは止まった。
「門を開けよ!」
怒気を孕んだ声を上げ、クラウスは馬上から衛兵と言うにはかなり歳のいった男を睨みつけた。
「クラウス・ヒルドブランドである!早く門を開けよ!」
男はのっそりと動き出し、クラウスが来ることを知らされていたように「あぁ、お待ちしておりました」と門を開けた。
(やはりカトリーナはここに居る)
男の言葉からクラウスは確信を得た。
そしてチラリと馬車を見遣り、屋敷へと急ぐ。
屋敷前に着くと、執事らしき年嵩の男が玄関前で待っていた。
こちらも「お待ちしておりました」とクラウスの訪問に驚く様子もなくスッと屋敷の中へ案内する。
応接室の扉が開くとブラッツ公爵が待ってましたとばかりに駆け寄って来た。
「クラウス様、お待ちしておりました!カトリーナが誘拐されたとか!!」
ブラッツ公爵は大きな身振り手振りを交え、わざとらしい口調でそう言った。
「……なぜ知っている」
クラウスが低い声でそういうと、今度はソファーに座っていた公爵夫人がハンカチを片手に泣き始めた。
そして娘であろう女が泣く公爵夫人を慰める。
「カトリーナを誘拐したと連絡があったのです。ぐすん」
「そ、そうなのです!身代金を要求されましたが、ご覧の通り我が家は貧乏な公爵家。身代金は払えないと言わざるを得ず…」
「しばらくするとこれが届きましたの」
義姉がテーブルを指差す。
クラウスはそこに置いてあったものを見て驚愕した。
一房ほどにまとめられたの薄紫色のものが置かれていた。
「あの子の髪ですわ。きっとお金にならないとわかって手をかけ「それ以上言ってみろ」
まるで地獄の底から発せられたのではというくらい低い声が部屋に響いた。
そして射殺されるのではないかというくらいの鋭い眼差しが自分に向けられていて、思わず悲鳴があがる。
「ヒッ……!」
「誘拐しただけでは飽き足らず!カトリーナに手を出したな…!許さない」
クラウスが怒りに我を失い公爵に掴みかかろうとしたところで対極的な声が空気を一変させた。
「はいはい!そこまで!!クラウスは早く奥方を探しに行きたまえ。ここは私が預かろう」
「クロヴィス……」
「きっと君を待っているよ」
そう言えばクラウスは部屋を飛び出して行った。
「さて……。ブラッツ元公爵?今回の件については私と話をしようじゃないか」
クロヴィスはニコリと冷めた目で笑った。
「カトリーナ!カトリーナ!!」
クラウスは大声でカトリーナの名前を呼びながら家中の扉を開けていく。
しかしカトリーナはみつからない。
(自分ならばどこに隠すだろうか…)
カトリーナを探しながら考える。
誘拐されてからそんなに時間をあけずにここまで来た。
屋敷に隠されているのは確実だろう。
クラウスがふむ、と考え込んでいるとふわりとドレスの裾が目の前を過ぎた気がした。
顔を上げてそちらを見ると、階下への階段の先に扉があることに気がついた。
階段を降りて扉を開けようとするが、鍵がかかっているようで開かなかった。
間違いなくここだと思ったクラウスは扉を蹴り飛ばした。
中に入るとそこは花柄の壁紙にカーテン、そして可愛らしい猫脚の鏡台に細かな細工がなされたキャビネット、その上にはいくつか人形が飾られている、とても可愛らしい部屋だった。
物置だと思って入ったクラウスは面をくらうが、すぐにカトリーナを探し始めた。
辺りを見回すと、不自然に天蓋のカーテンが閉じられていることに気が付いた。
警戒しながら近づいていく。
そっとカーテンを開けると、手足を縛られたカトリーナが横たわっていた。
「カトリーナ!!!」
クラウスは慌ててカトリーナに近づく。
そして手足を縛っている縄をほどいた。
「んぅ……」
縄をほどいているとカトリーナが気がついた。
クラウスはカトリーナを抱き上げる。
「カトリーナ!」
「クラ…ウスさ…ま…?」
「よかった…」
「わたしは…?ここ…お母さまのお部屋…?」
カトリーナはキョロキョロと辺りを見て、目を見開いた。
「そうか、ここはカトリーナの母上の部屋だったか。すまない。扉を壊してしまった」
入口を見遣ると蹴破られたのであろう壊れた扉が目に入った。
カトリーナは驚きつつも笑みを浮かべた。
「ふふ、わたしを探してくださったのですか?ありがとうございます」
「当たり前だ!君は俺の妻なんだから!!」
クラウスはカトリーナの突然の微笑みに頬を赤くしながらもついつい大きな声を出してしまった。
カトリーナは瞠目した。
「あ、いや…その…。あ!クロヴィスのところへ戻らなば!!」
誤魔化すように言うとカトリーナを抱きかかえて元来た道を歩いた。
最初に通された応接室に近づくと、ちょうどクロヴィスが部屋から出て来た。
「やぁ、クラウス!奥方はみつかったようだね」
「あぁ。」
「こちらも片付いた。行こう」
通りがけにチラリと応接室を見遣ると、青褪めた公爵と詰め寄る夫人、それからキャンキャンと騒がしい娘が目に入った。
ブラッツ公爵家は王弟殿下の為に用意された一代限りの公爵家であった。
けれど王弟殿下は社交界も王都で暮らすことも嫌がり、早く田舎に引っ込みたがっていた。
なので本来は娘を嫁がせてすぐに公爵家は無くなるはずであった。
だが、娘はあまり身体が丈夫ではなく外へ嫁ぐのは難しいと思われた。
病弱な娘だと社交界で噂になったいたが、娘が結婚適齢期になると婚姻を希望する者が現れた。
長生きできないとわかっていながら、それでも良いと言い、真面目で誠実な男に見えた。
早く田舎に引っ込みたかった王弟殿下は娘が生きている間は公爵家を男に任せることにした。
弟に甘い国王は公爵代理という事で許可した。
そのすぐ後に娘の妊娠がわかり、孫娘が生まれた。
しかし幼い孫娘を残して娘は亡くなってしまった。
王弟殿下は孫娘の今後が心配になり、娘が死ぬまでと頼んだ公爵家を孫娘が嫁ぐまでに延ばしてほしいと国王へ頼み込んだ。
国王は嫁ぎ先は王家が決めるという条件付きで許可した。
そして今回、カトリーナがクラウスに嫁いだことで公爵家は予定通り取り潰しとなったのである。
家に戻るまでの馬車で、今回の件についてカトリーナにも簡単に説明がされた。
カトリーナはお取り潰しと何度も公爵が言っていた理由がようやく理解できたようだった。
「王弟殿下はカトリーナ嬢の境遇を何もご存じなかったようだ。血の繋がった父と共にいたほうが良いだろうと思っていたが、こんな事なら田舎へ連れて来ればよかったとおっしゃっていたよ」
「そうですか」
クラウスは何も知らなかったはずはないと思っている。
カトリーナもそう考えているかもしれないが、何も言わなかった。
「まぁ、カトリーナ嬢は何も気にせずクラウスのところで過ごせば良い」
クロヴィスはそういうと王宮へ戻って行った。
まだまだ事後処理がたくさんあるんだと溜息を吐きながら。
ヒルドブランド家に戻ると使用人がみんな揃って出迎えてくれた。
カトリーナが誘拐されたと聞きとても心配していたようだ。
クラウスはハンナにこっぴどく叱られた。
夜の帳が下り、しんと静まり返る屋敷にコンコンとノックの音が響いた。
「どうぞ」
声をかけられクラウスはそっと扉を開ける。
「クラウスさま」
カトリーナは少し驚いたようにこちらを見たが、すぐにベッドから降りてきた。
「どうされたのですか?」
カトリーナはコテンと首を傾げた。
「カトリーナ、本当にすまなかった。私が君を一人にしたばっかりに……」
クラウスはバッと身体を折りたたみ誤った。
余りの勢いにカトリーナは目をぱちくりさせ、そして笑った。
「ふふっ、クラウスさまはわたしを助けにきてくださいました。それに公園でも足がはやくてとてもかっこよかったです!私はぜんぜん追いつけませんでした!!もっと鍛えなくてはいけませんね!」
両手に拳を握り鼻息荒く言うカトリーナにクラウスは気が抜けてしまった。
「ははっ、カトリーナには一生勝てない気がする」
「??わたし、いつのまにか勝ったのですか?」
きょとんとするカトリーナをクラウスは抱きしめた。
「これからは絶対に君を一人にしない。何があっても君を守るよ」
クラウスはカトリーナが突然消えて本当に恐かった。
もう二度と会えないのではと思い、なぜ一人にしたのかと自分を責めた。
「クラウスさま、クラウスさま!私もクラウスさまを守れるように頑張ります!たくさん食べてたくさん運動して、たくさんお勉強します!」
カトリーナの言葉にクラウスはふふふと笑ってしまった。
そして抱きしめていた手を緩めて顔を見合わせる。
「カトリーナが守ってくれるのか?」
「はいっ!おまかせください!!」
カトリーナは鼻息荒く拳を握りしめて自信満々に答えたのだった。
このあと、クラウスはカトリーナをデロデロに甘やかします。
あまり社交界に出ない夫婦ですが、おしどり夫婦として有名な二人です。
そろそろ連載にも挑戦したいと思うので、頑張ります!