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短編小説

目が悪いせいで不敬罪を犯し、第二王子殿下から罰を与えられています

作者: ざっきー

視点が途中で変わります。


「エルメンダ子爵家のアイヴィーとは、其方で間違いないか?」


 王立学園の中庭を歩いていたアイヴィーは、突然声をかけられた。

 視線を向けると、数歩先に銀髪の背の高い人物が立っている。

 低い声と制服姿から男子学生とわかるが、目の悪いアイヴィーには顔がぼやけて見え誰なのかわからない。


 こんなとき、通常であればアイヴィーはまず相手の声や姿かたちから人物の特定を始める。

 自分の記憶を瞬時に手繰っていき、該当する人物を思い出すのだ。

 過去に挨拶をしたことのある人物ならば、大抵はわかる。これでも、貴族の端くれだ。

 相手に失礼のないようにと、かなり気を遣う作業ではあるが。


 しかし、今回は明らかに『初対面の相手』。

 彼もアイヴィーの顔を知らないようなので、こちらも楽な気持ちで対応できる。

 

「はい。わたくしは、アイヴィー・エルメンダでございます」


 挨拶は、礼儀作法の基本中の基本。丁寧にカーテシーで返す。

 相手の言葉遣いから、彼が自分(子爵家)より高位貴族であることはすでに予想済み。

 気になる相手の身分だが、子爵以上となると伯爵家、侯爵家、公爵家のいずれかだろう。

 どれを名乗られても対応できるように、粗相のないように、心の準備だけはしっかりとしておく。


「尋ねたいことがあるのだが、今いいか?」


(……えっ、あなたの自己紹介は?)


 相手が名乗らず、すぐ本題に入ってしまった。

 まさかの、想定外の事態。

 嫌な汗が流れたが、淑女教育の賜物でそれが(おもて)に出ることは一切ない。


 彼は、学園ではかなり名の通った人物なのだろう。自分が名乗らずとも、当然アイヴィーは知っているという雰囲気をひしひしと感じる。

 しかし、アイヴィーは彼が誰なのか全くわからない。

 この状況をどう切り抜けようかと淑女の微笑の裏で必死に頭を働かせるが、残念ながら名案は浮かばなかった。


 ここまでに要した時間は、わずか数秒。

 そして、アイヴィーは最終手段を選択する。


「その前に、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「何だ?」


「大変恐れ入りますが、貴方様は……どちら様でしょうか?」


 平身低頭して、名を尋ねてみた。


「……はあ?」

 

 返ってきた声の感じから推測するに、彼は心底呆れた顔をしているのだろう。

 もちろん、目の悪いアイヴィーには全く見えていないが。



 ◇



 アイヴィーは目がとても悪い。

 これは生まれつきのものではなく、幼い頃から本を読むことが何よりも好きだったせいで、就寝時間を過ぎてもこっそり隠れて読書をした結果だった。


 その後も、視力は回復することなくさらに悪化。これまで見えていたものが徐々に見えづらくなり、現在に至る。

 ただし、目が悪くなったといっても遠くのものがぼやけて見えるだけで、手元のものは問題なく見える。

 読書には何ら差し支えなかったため、アイヴィーは大して気にも留めていなかった。

 

 視力を補う道具はあるが、それは分厚い瓶底眼鏡と呼ばれるもの。高価な上に、非常に重い。

 アイヴィーの父が入学を機に親戚の御下がりをくれたが、一日着けただけで使い勝手の悪さに辟易(へきえき)し、それ以降、この眼鏡が日の目を見ることは二度となかった。

 学園でも、アイヴィーはずっと裸眼のまま過ごしている。


 授業中は一番前の席に座り、教科書の字は問題なく読むことができるため、勉強面でも不便は感じない。しかし、学園生活で一つだけ困ったことがあった。それは、人の顔を認識すること。

 学園は『社交界の前哨戦』と言われているほど、学生にとっては社交を学ぶ貴重な場だ。

 学年を問わず、幅広く交流を持つことが推奨されている。

 それなのに、『間近にいる人物の顔しか、認識することができない』など、あまり(おおやけ)にはしたくないことだ。

 

 目を細めれば多少見えるようになることから、入学当初はそれで相手の顔を認識しようと努めた。ところが、周囲から「目つきが悪い」「睨まれている」と言われるようになり止めた。

 その後、アイヴィーは『相手に不快感を与えないよう、必要最低限の交流に留める』という極論に達し、学園では親友のエルダとばかり過ごしている。

 エルダはアイヴィーの目が悪いことを知っている。

 学園内でアイヴィーが何かやらかしても「見えていないから、仕方ないよね」と笑って軽く流してくれる気の良い友人だ。


 人と深く交流することは避けているアイヴィーだが、一応貴族の令嬢。

 同級生など学園で多少関わりのある人物については、髪色や体形、背の高さや声を覚えて、顔以外で相手を認識できるよう努力はしていた。


 たとえば、担当講師なら、深緑色の髪にやせ型の体形は薬学担当。背の低い橙色の髪は魔法学。

 同級生ならば、赤茶髪・縦ロールは公爵家令嬢。取り巻きは青、緑、紫色の髪で侯爵・伯爵・子爵家令嬢。似たような赤髪・縦ロールでも、背が高くて取り巻きがいないのは侯爵家令嬢。

 同じ眼鏡をかけた双子の兄弟は体形も声もそっくりだが、長髪は兄、短髪は弟……といった感じで必死に覚えた。



 ◇



 学園へ入学してから半年。

 このようにして何とか学園生活を乗り切っている中、突如として訪れた危機。

 相手を知っているふりをして適当に話を合わせればよかったのだが、小心者のアイヴィーにはできなかった。


 かくして、アイヴィーは彼の名を尋ねたのだが……


「私は、おまえが投票した男の……息子だ」


 先ほどとは、明らかに口調が変わった。

 アイヴィーへの呼びかけが『そなた』から『おまえ』になり、少々怒気を帯びているように感じる。

 おそらく、アイヴィーが彼を知らなかったことに関係しているのだろう。

 でも、『初対面なのだから、仕方ないよね』と開き直るしかない。

 アイヴィーは気付かぬふりをして、彼の言葉を頭の中で反芻(はんすう)した。


 『おまえが投票した男の息子だ』


 投票といえば、先月行われたアレのことを指しているのだろう。

 学園関係者の中から自分の理想や好みの異性を選び投票するという、学園祭恒例の人気企画だ。

 対象が『学園関係者』なので、学生・講師・職員など学園に関係する者であれば誰の名を書いてもいい。

 無記名用紙に一人の名を書いて投票し、つい先週行われた学園祭当日に投票結果が発表されたばかりだった。

 自分の名が上位に入るのは大変名誉なことで、過去には、票を買収して上位に入ろうと企んだ不届き者も居たという噂話もあるほど。


「そもそも、なぜ父上に投票したのだ? おまえが私に票を投じていれば、兄上と同じ順位だったのだぞ」


 声の感じから、彼が悔しさを(にじ)ませていることはわかった。

 余程、その兄とやらに勝ちたかったのだろう。

 しかし、ここで一つの疑問が。


「あの……わたくしが誰に入れたのか、どうしてご存じなのですか?」


 学園祭の企画とはいえ、公正を期するために無記名投票だった。

 それなのに、なぜなのか。


「……調べた」


「えっ?」


「で、でも、最初におまえの学年を調べたのは、母上だぞ!」


「……はい?」


 彼いわく、父親が自分に一票入っていたと非常に喜び、どの学年の生徒が投票したのか気になった彼の母親がこっそり調べたとのこと。

 投票用紙は不正を防止するために学年ごとに分けられていて、枚数も各学年の生徒数と一致するか確認をするらしい。

 それで、投票者アイヴィーが一年生とわかったようだ。

 

 彼の両親は、学年がわかったところで満足した。しかし、彼が個人を特定するべく、さらに詳しく調べたのだという。

 「筆跡鑑定をした」と彼は言ったが、アイヴィーはそれをあっさりと聞き流してしまった。

 後から思えば、ここで気付くべきだったのだ。

 こんなことができるのは、ごくごく限られた方々だけなのだということを。


「父上に投票したくらいだから、おまえは金髪ではなく銀髪が好みなのだろう? だったら、なぜ私に入れない? 同じ銀髪なのに……」


「『なぜ?』と言われましても……」


 ようやく、彼の質問の意図が見えてきた。

 ただ単に、自分ではなく父親へ投票したアイヴィーにその理由を(じか)に尋ねに来たのだ。


 ここで、アイヴィーはふと、自分が誰に投票したのか覚えていないことに気付く。

 いきなり投票用紙を配られて、学園関係者の名を書けと言われ、慌てたことだけは覚えている。


 隣の席のエルダに「誰の名を書いたの?」とコソっと聞いたら「マックス様。だって、カッコ良くて素敵だもの……」とうっとりした目で言われた。

 同じ人物の名を書こうとしたのに、残念ながら顔も学年も知らない人物だった。

 困ったアイヴィーは、う~んと唸る。顔を認識している学園関係者を、必死に思い出す。

 同じ学年の男子の顔など、誰一人わからない。

 昔よく遊んでいた幼なじみの男の子たちは皆、騎士学校や庶民の学校へ入学してしまい、顔見知りは一人もいない。もちろん、他学年など言うに及ばず。

 

 提出時間ギリギリになってようやく思い出したのが、学園の名誉理事長の顔。

 アイヴィーはそれを迷わず記入した───『サンドル国王陛下』と。



「あの、つかぬ事をお伺いいたしますが……」


「またか。おまえは、さっきから質問ばかりだな」


「貴方様は、もしかして……カーター殿下でいらっしゃいますか?」


「ようやく気づいたのか。いくら何でも遅すぎるぞ!」


「も、申し訳ございません!」


 疲れたように大きなため息を吐いた銀髪の男子学生は、この国、バンドルド王国の第二王子だった。



 ◆



 バンドルド王国には、二人の王子がいる。

 

 第一王子のハンターは十五歳。王立学園の三年に在籍中だ。

 王妃と同じ金髪で、端整な顔立ちをしている。

 第二王子のカーターは十四歳。学園の二年生だ。

 国王と同じ銀髪で、こちらも眉目秀麗である。


 そんな第二王子であるカーターに対し、アイヴィーは盛大にやらかしてしまった。

 非国民と言われても反論ができないほどの、大失態を。


「カーター殿下に対する不敬の数々……誠に、誠に申し訳ございません!! わたくしは罰を受けますが、何卒実家はご容赦くださいますようお願い申し上げます」


 アイヴィーは土下座せんとばかりに謝る。

 吹けば飛ぶような木っ端子爵家だが、家族まで道連れにはしたくない。


「安心しろ。こんなことでおまえを処罰したら、私が嘲笑されるだけだからな」


「あ、ありがとうございます! 頂いたご恩情は、生涯決して忘れません!!」


「大袈裟な奴だな……」


 フフッという声が聞こえたから、今のカーターは微笑んでいるのだろう。

 緊張で強張った体が、一気に脱力した。


「では、わたくしは失礼させていただきます」


 これ以上の失態を重ねる前に、この場からさっさと逃げ出したい。


「待て! おまえはまだ、私の質問に答えていないぞ」


「質問ですか?」


(えっと、何か質問をされていたっけ?)


「どうして私ではなく父上に投票したのか、その理由を教えてくれ」


「…………」

 

 そんな質問をされていたことを、すっかり忘れていた。

 カーターはどうしても理由が知りたいようだが、アイヴィーとしてはこのまま終わりにしたかった。

 

 正直に答えれば、再びの不敬発言になりかねない。

 しかし、答えなければこれも不敬な態度になってしまう。


「……不敬を承知で申し上げます」


「ハハハ、今さらだな」


 カーターの返事を了承と受け取り、アイヴィーは恐る恐る話し始めた。

 国王の名を書いたのは、彼以外に顔を知る人物が(学園関係者に)いなかったから。

 幼いころにパレードで見た国王は、それはそれは見目麗しかったこと。だから、理想の男性として憧れがあったのは嘘ではないこと。

 それを、一生懸命説明した。


「父上以外に学園関係者の顔がわからないとは、どういう意味だ?」


「実は、わたくしの目は大変悪く、皆さまの顔は見えているようでぼんやりとしか見えておりません。ですので、申し上げにくいのですが……カーター殿下やハンター殿下のお顔も存じ上げないのでございます」


「つまり、若かりし頃の父上の顔は知っているが、現在の父上や私たち兄弟の顔は知らぬと」


「はい。大変申し訳ございません」


「……事情はわかった。もう下がっていいぞ」


「それでは、失礼いたします」


 ようやく(いとま)を許されたアイヴィーは、優雅に見える早足でこの場を去ったのだった。



 ◇◇◇



 翌日、学園の食堂でアイヴィーはいつものようにエルダとおしゃべりをしながら昼食を食べていた。


「アイヴィー嬢、エルダ嬢、失礼するぞ」


 そう言って同じテーブルに腰を下ろしたのは、銀髪の男子学生……カーターだった。

 彼の顔はぼんやりとしか見えていないが、さすがに昨日の今日なので声は覚えている。

 従者のような男子学生もカーターの隣に座ったが、髪が紺色ということしかわからない。

 彼を見て、エルダが「マックス様……」と絶句している。

 名に聞き覚えがあるような気がするが、アイヴィーは思い出せない。

 ともかく、何を措いてもまずは第二王子への挨拶が最優先事項だ。


「カーター殿下におかれましては───」


「あ~、学園内でそういうのは不要だ」


「かしこまりました」


 カーターから許しが出たので、すぐに止める。慣れない口上を述べるのは苦手だ。

 彼は王族なのに、下位貴族のアイヴィーにも気さくに声をかけてくれる。

 きっと、根は優しいのだろう……昨日は非常に怖かったが。

 しかし、優しい人と理解はしていても、体の緊張は別。

 アイヴィーとエルダは、粗相がないように無言で食事を続ける。

 向かい側に座る彼らも同じだ。


 まったく会話のないアイヴィーたちのテーブルの周囲から、ひそひそと噂話をしている声が聞こえてくる。

 見えないはずなのに、なぜか鋭い視線を感じてしまう。

 非常に居たたまれない。

 今すぐ逃げ出したい。


 アイヴィーたちは、普段より数倍の速さで食事を終える。カーターたちも終わっていた。

 二人でうなずき合い「お先に、失礼いたします」と退席の挨拶をしようとしたら、制止されてしまう。


「……私の顔は、よく見えたか?」


 カーターの言葉に、アイヴィーの動きがピタリと止まる。

 

「い、いえ……」


「こんなに近くにいるのに、まだ見えないのか?」


 驚きに目を見張るカーターへ、コクリと頷く。


「殿下のご尊顔を、不躾(ぶしつけ)に仰ぐなど恐れ多いことです……周囲の目もございますし」


 アイヴィーは小声で返す。

 言葉の意味を理解したのか、カーターは「わかった」とだけ言い席を立った。


 その後、興味津々な様子で質問をしてくる同級生たちに曖昧な返答をしている間に、アイヴィーたちの休憩時間が終わったのだった。



 ◆



 それから、数日が経過した。

 アイヴィーがカーターと遭遇したことなどすっかり忘れかけた頃、突然、彼から呼び出しを受けた。

 カーターのお付きの男子学生であるマックスの妹(アイヴィーたちと同級生)を通して招待状を手渡され、昼食会に招かれてしまったのだ。


 重い足取りでエルダとやって来たのは、学園で関係者以外は立ち入り禁止の区域。

 そこに、王族専用の部屋がある。


「ねえアイヴィー、まさかとは思うけど……カーター殿下に気に入られたんじゃない?」


「それは、絶対にない! だって私は、気に入られるようなことは何一つしていないからね!!」


 自慢するようなことではないが、これは紛れもない事実である。


「たしかに話を聞いている限りでは、殿下に対して不敬なことしか言っていないもんね。彼の顔を認識していないとか……」


「ああ、もうそれを言わないで。さすがに、今回ばかりは私も深く反省をしているのよ」


 エルダには、これまでのことは全て話をしてある。

 親友の彼女でも呆れてしまうくらい、アイヴィーの態度は酷すぎた。

 ここ最近のカーターの行動は、これまでの言動に対する彼なりの報復だと思っている。

 それに付き合わされているエルダに「あなたまで巻き込んで、ごめんなさい!」と謝罪をしたところ、「私は、マックス様のご尊顔が間近で拝見できるご褒美の時間だと思っているから、気にしないで!」と明るく言われてしまった。

 エルダはアイヴィーには気を遣わないので本音だとはわかっているが、それでも申し訳ない気持ちになる。


 扉の前に立っている護衛騎士に招待状を見せると、侍女が出てきて中に案内された。

 部屋はとても広くて天井が高く、開放感にあふれている。

 見たこともない立派なシャンデリアにアイヴィーが目を奪われていると、クスクスと笑い声が聞こえた。

 その声だけで、誰が笑っているのかすぐにわかる。

 口をぽかんと開けて天井を見上げている姿を、彼に見られていたらしい。


「カーター殿下、本日はお招きいただきありがとうございます」


 今さら取り繕っても遅いが、一応淑女の礼をとる。


「私の急な招待を受けてくれて、ありがとう。エルダ嬢も、付き合わせてしまってすまない」


「いいえ、とんでもございません」


 エルダもきちんと礼を返す。彼女もアイヴィーと同じ子爵家の令嬢なのだ。


「では、時間もないことだし、食事を始めよう」


 カーターはアイヴィーの手を取り、歩き出す。

 子爵家の自分が第二王子から直々にエスコートを受けるなど、全くもって恐れ多い。

 奥のテーブルまでそれほど距離はないはずなのに、アイヴィーには気の遠くなるほどの永遠の時間に思えた。

 椅子に座りふと見ると、目の前には二人分の食器の用意しかない。

 これは、どういうことなのだろう。


「あの、殿下───」


 アイヴィーの不安を感じとったのか、カーターは部屋の反対側を指さした。


「エルダ嬢は、あちらでマックスと食事をする。二人きりで話がしたかったから、このような形を取らせてもらったが、同じ部屋の中だから問題はなかろう。侍女たちもいることだしな……」


 婚約もしていない未婚の男女が二人だけでいると、外聞が悪いと言われる。それは、家の中でも外でも同じこと。

 先日、学園の中庭でカーターに遭遇したときは、少し離れた場所にマックスが控えていたとのこと。

 もちろん、目の悪いアイヴィーは気付いていなかったが。


 用意された昼食は時間がないことを考慮して、前菜からデザートまでワンプレートに盛り付けられていた。

 宮廷料理人が調理しただけあり、見た目も味も素晴らしい料理を前にアイヴィーの手は止まらない。

 カーターの存在も忘れて無我夢中で食べ進めていたら、また笑い声が聞こえた。


「見苦しいところをお見せして、申し訳ございません」


「いや、そんな美味しそうに食べてもらえたなら、誘った甲斐があったというものだ。それより……今日は先日より席が近いが、私の顔は見えるのか?」


 カーターがにこやかに微笑んでいることは何となくわかる。でも、やっぱり顔はぼやけたままだ。


「殿下の瞳が、緑眼なのはわかりました。しかし、まだお顔をはっきりとは……」


「おまえは、本当に目が悪いのだな。そんな視力で、日常生活や授業に支障はないのか?」


「手元は見えますので、教科書を読む分には問題ございません。日常生活も慣れてしまえば、特に何も。それに、どうしても見たいときはこうします」


 そう言って、アイヴィーは目を細める。こうすれば、少し見えるようになるのだ。

 カーターを睨みつけてしまう形になるので、視線は外している。

 さらに裏技として、欠伸をかみ殺し涙で目を潤ませると一時的ではあるがもっと良く見えるようになるのだが、さすがにカーターの前ですることではない。

 

「ププッ……あはは!」


 カーターが突然吹き出した。

 アイヴィーとしては実演しながら真面目に説明をしたつもりなのだが、これのどこに面白い要素があったのだろうか。

 それでも、カーターが楽しそうに笑っている顔をぼんやりと見ることができた。


「授業中は、一番前の席に座っております。離れるほど、ぼやけますので」


「……なるほど、では近ければ近いほど見えるのだな。ふむ、これは良いことを聞いた」


 カーターが呟いたところで、昼食会の時間が終わる。

 今回は大した失態もなく乗り切ったことに、アイヴィーはホッとしたのだった。



 ◆



 あれからひと月以上が経過したが、アイヴィーは未だにカーターから呼び出しを受けていた。

 数日に一度の割合で、昼食やお茶会に誘われるのだ。

 以前のように「顔が見えているか?」と尋ねられることはなくなり、カーターが知り合いから聞いた視力矯正の方法や、アイヴィーの貴族令嬢としての心構えの話などをすることが多くなった。

 

 カーターは講師を連れてくることもあり、勉強をすることもある。

 その内容が淑女教育のようで「なぜ?」と思うことも多々あるが、それだけ初対面の自分の態度が酷すぎたのだろう。

 これも(不敬罪代わりの)罰則の一つなのだと、アイヴィーは思っている。



 そんなある日、アイヴィーはカーターではなく二年生の令嬢から呼び出しを受けていた。

 待ち合わせの場所に一人で行こうとしたアイヴィーに、エルダが「私も一緒に行くわ!」とついて来た。

 そこに居たのは、二人の女子学生だった。


「アイヴィー様、来月のダンスパーティーでカーター殿下のお相手をあなたが務めるというお話は、本当ですの?」


「公爵家のわたくしを差し置いて、子爵家の方とだなんて……」


 ライムグリーンと茶色の髪をなびかせながら、女子学生が尋ねてきた。

 初めて会った人たちなのに、なぜか二人ともアイヴィーのことをよく知っている。


「恐れ入りますが、ダンスパーティーというのは何のことでしょうか? わたくしは、まだ社交界にも出たことがないのですが」


 母からは、学園を卒業して初めて大人と認められると聞いていた。

 だから、それまでは夜会などへは参加できないはずなのだ。


「それは、皆さま同じです。わたくしたちが尋ねているのは、学園の行事であるダンスパーティーのことです」


「学園のダンスパーティー……」


 先日の授業で、ダンスの講師が言っていたことを思い出す。

 来月お披露目する機会があるから、一生懸命練習をしましょう!と。


「えっと……なぜ、そのような噂が立っているのかわかりませんが、わたくしは何も存じ上げ…」


「……それは其方に科せられた罰だ、アイヴィー嬢。だから、受けてもらわねば困る」


 アイヴィーたちの間に割って入ってきたのは、カーターだった。

 女子学生たちが、慌てて淑女の礼を取る。アイヴィーとエルダも同様だ。


「アイヴィー嬢は、以前私に不敬な発言をした。これはその罰の一つで、国王陛下も承認されていることだ。それに異議を唱える行為がどういう意味を持つのか、聡明な其方たちなら分かると思うが?」


「た、大変申し訳ございません。わたくしたちは、これで失礼いたします」


 顔色を変えた女子学生たちは慌てて去っていき、後にはぽかんとした顔をしたアイヴィーと、すぐ隣で満面笑顔のエルダ、カーターとマックスだけが残された。


「また、口が開いているぞ。先日、講師に注意されたばかりだと思うが……」


「申し訳ございません!」


 気を抜くとすぐに口が開いたままになるアイヴィーにマナー講師が呆れていたが、一朝一夕で簡単に癖が矯正できたら誰も苦労はしないのだ。

 心の中で膨れつつ、アイヴィーは気になった先ほどの話を確認する。


「殿下、ダンスパーティーのことですが……」


「彼女たちの話は本当だ。来月の学園のダンスパーティーでは、私の相手を務めてもらう。これから、ダンス講師の下で練習も始まる」


「かしこまりました。よろしくお願いいたします」


 有無を言わせぬカーターの言葉。

 やはり、これまでのことは罰だったのだと改めてアイヴィーは理解する。

 こうなれば、カーターから許しを得るまで頑張るしかない。

 本来、王族に対する不敬罪は首が飛んでもおかしくない重罪なのだ。それを、カーターの恩情でこの程度の罰で済んでいるのだから。


 アイヴィーは、決意を新たにしたのだった。




 ◆ ◆ ◆




 カーターがアイヴィーに興味を持つきっかけとなったのは、学園祭で人気投票の結果を見たことだった。


 第一位、ハンター殿下……三十二票

 第二位、カーター殿下……三十一票

       ・ 

       ・

       ・


 ああ、また負けたな、とカーターは思った。

 そもそも自分が兄に勝てるとも思っていなかったが、それでも、去年に比べたら健闘したともいえる結果だと自身を慰める。

 

 年は一つしか違わないのに、カーターは勉強も運動も兄に勝ったことがなかった。

 ハンターは、立派な国王になるべく生まれてきたような天才肌の人物だ。

 本人はその才能に(おご)ることなく、小さい頃から努力を続けてきた。

 反対に、カーターはコツコツ努力をしてようやく結果が残せる努力型と言われてきた。

 もっともっと真剣に努力すれば、カーターも一度くらいは兄に勝てたかもしれない。

 しかし、高すぎる壁を前に、そんな気は全く起こらなかった。


 自分は兄の下で自由にやっていくのが(しょう)に合っている。

 ハンターが国王になったあとは、支えていけるくらいの知識と教養を身につけていればいい……ずっとそう思っていた。


 カーターは、順位表を上から順に見ていく。

 マックスは、去年も今年も五位だった。

 普段は無表情なくせに、たまにはにかんで笑う姿が可愛らしいと女子学生から言われていると先日小耳に挟んだ。後でこれをネタにからかってやろうと、心の隅に留め置く。


 悪だくみにニヤニヤしていたカーターは、ある名に目を留めた。


 『サンドル国王陛下……一票』


 一票を獲得した者の中に、父の名もあった。

 学生であれば自分の名を書く者もいるかもしれないが、もちろん父は違う。

 誰かが一票を投じたのだ。


 それを見て、心がモヤッとする。

 カーターは父によく似ていると昔から言われてきた。彼の若かりし頃にそっくりなのだと。

 それなのに、この学生はカーターではなく父に票を入れた。

 もし、この票が自分に入っていたら……考えても意味のないことが頭に浮かんだ。


 誰が票を投じたのだろう。

 誰とも分からぬ学生に、自然と興味が湧いた。



 ◇



 バンドルド王家は仲が良い。

 公務がなければ、いつも皆で夕食を共にしていた。


「ねえ、聞いて。学園祭の人気投票でサンドルに票を入れてくれたのは、一年生の子だったのよ!」


 嬉しげな母の言葉に、カーターは飲んでいたスープを吹き出しそうになった。

 母である王妃は、非公式な場では夫である国王のことを名で呼んでいる。

 相変わらず夫婦仲が良いのはいいことだが、なぜ誰が投票したのか知っているのだろうか。

 カーターに素朴な疑問が浮かんだ。

 

「なぜ、母上が投票者ご存知なのですか? まさか、父上のために権力を行使して調べさせたのでは……」


 カーターの疑問を、すぐに兄ハンターが解決してくれた。

 ハンターの推測は間違いないだろう。王妃は、国王のためならそういうことを平気で行う人物だ。

 ただし、権力を行使すると言っても、たまに夕餉の献立を国王の嫌いな野菜から好きなものに変更させるとか、そんな可愛いものだが。


「ホホホ、ちょっと学園長から投票用紙を借りただけよ」


 「学園長に無理を言って借りてきて、公務に忙しい側近たちに調べさせたのですね?」


 長男から冷静に追及され、父と母が気まずそうに黙り込む。

 バンドルド王家のいつもの光景だった。


「無記名投票なのに、よく学年がわかりましたね?」


 重苦しい雰囲気を振り払うように、カーターが横から助け船を出す。

 王妃が、これ幸いとそれに乗っかった。


「投票用紙を見れば、すぐに学年がわかるのですって。だから、皆にはそんなに迷惑をかけていないわ」


「まあ……今回は、そういうことにしておきましょう」


 ため息を吐いたハンターが納得したところで、カーターは再度口を開く。

 実は、こちらが本命の質問だった。


「その投票用紙は、今はどちらにありますか? まだお持ちであれば、私が学園へ返却しておきます。側近たちの仕事が一つ減りますし……」


 カーターの提案に王妃は顔を輝かせ、侍女に命じてすぐに持ってこさせる。

 兄はよく気が利くと弟を褒めてくれたが、少々良心が(とが)めた。


 翌日、カーターとマックスは投票用紙の筆跡と、一年生本人が()()()書いた作文の筆跡を比較していた。

 宿題であれば屋敷の従者たちにやらせる可能性もあるため、授業中に書いた作文を講師から借りる。

 作文を借りる理由を尋ねられたため、自身の研究の一環で…と、当たり障りのない返答をしておいた。


 一年生の女子学生は三十三人で、二人で手分けすればすぐに終わる数だ。

 マックスは、自分にきちんと理由を説明しなければ手伝わないと言い放つ。

 たとえカーターがこの国の第二王子であろうと、マックスは従者として友人として、彼の言動に対しては臆することなく意見を述べてくる。

 カーターは、仕方なく彼へ話をした。

 「自分ではなく国王に投票したのが一年生の誰なのか、知りたい」と言うカーターに微妙な表情を向けたマックスだったが、約束は守ってくれた。

 そして、投票者がついに判明する。


 『アイヴィー・エルメンダ』


 それが、彼女の名だった。



 ◇



 名が判明すると、今度はどんな子なのか知りたくなった。

 マックスは「もし、その子へ権力を振りかざすようなことをしたら、ハンター殿下へ告げ口をして説教をしてもらうぞ」と釘を刺してきたが、カーターにそんなことをするつもりは毛頭ない。

 ただ、どのような子なのか、遠くから観察するだけだ。


 マックスの妹が同級生だったので、すぐに該当の人物が判明する。

 アイヴィーは淡い桃色髪に薄緑色の瞳を持つ子爵家の令嬢で、いつも同じ子爵家の令嬢と一緒にいた。

 その姿は、まるで自分とマックスのようだとカーターは思った。


 マックスに「これで、満足しただろう」と言われ一度は納得したカーターだったが、やはり父に投票した理由がどうしても知りたくなる。

 「年が違うだけで顔つきが似ているのならば、若い女性は迷わず私を選ぶはずだ」と彼に言ってみたところ、「自意識過剰の自惚れ屋!」と言われた。

 マックスは、王子相手でも本当に容赦がない。しかし、それで諦めるカーターでもなかった。


「頼む、もう一度協力してくれ!」


「断る! おまえ一人で勝手にやれ!!」


「そこを曲げて、お願いしたい!」


 二人の攻防は、数日間に及んだ。

 結局、「今度こそ、最後だから!」とマックスを強引に説得し、アイヴィーへ直接尋ねることになった。

 

 アイヴィーが一人でいるところに声をかけて理由を尋ねたのだが、それはカーターが予想もしない返答だった。



 ◇



「アハハ! まさか、王子の顔を知らないとはな……アイヴィー嬢から名を尋ねられている時のおまえは、すごい顔をしていたぞ」


 こんな風にな……と厳めしい顔をしたマックスが腹を抱えて笑っている姿を、カーターはじろりと睨みつける。

 この国の第二王子であり、同じ学園に通っているにもかかわらず、自分の顔を知らぬ者がいるなど信じられなかった。


「でもこれで、ようやく王子様の我が儘行動から解放されるな」


「……いや、明日もアイヴィー嬢に会いに行くぞ」


「はあ? もう理由も知れたんだから、必要ないだろう?」


「私の顔を認識したら、どのような反応をするのか知りたくなった。彼女は、若かりし頃の父上の顔を『見目麗しい理想の男性』と表現したのだぞ。だったら、その父上に似た私の顔も認めるだろう」


 ここまでこれば、もう意地だ。

 『アイヴィーに自分の顔を認めさせたい』。その一心しかないカーターの横で、マックスは「俺、おまえの従者と友人を辞めようかな……」と呟いていた。


 翌日、アイヴィーたちが座っているテーブルに強引に同席する。

 カーターとしては気楽に話をするつもりだったが、彼女たちの緊張感が伝わり声をかけることができないまま時間だけが過ぎる。

 辞去の挨拶をしようとしたアイヴィーに「私の顔は、よく見えたか?」と尋ねたところ、見えていないとの答えが。

 自身が思っているよりも視力が悪いことに驚き、さらに、周囲の目がある中で顔をじろじろ見ることはできないと言われ、納得したカーターは別の手を打つことにした。

 

 人目を気にしなくてもいいように、学園内にある王族専用部屋で昼食会をしたが、カーターにとって思いのほか楽しい時間だった。

 アイヴィーは用意した昼食を美味しいと目を輝かせながら食べ、真面目に『変顔』を披露したのだ。

 当初の目的(周囲の視線を気にせず、自分の顔を見てもらう)は果たせなかったが、次の作戦を思いつく。

 彼女とダンスを踊れば、間近で自分の顔を見てもらえることに気づいたのだ。


 学園を卒業していないカーターたちは、まだ夜会には出席できない。

 で、あれば、学園のダンスパーティーでアイヴィーをエスコートするしかない。


 さっそく準備を始めたカーターに、王妃がニコニコしながら話しかけてきた。


「最近、カーターに好い人ができたと聞いたけど……わたくしに紹介はしてくれないのかしら?」


「誰が、そのようなでたらめを」


「グリーンのドレスを注文したそうだけど、どなたに贈るのかしらね。お相手の方がそれを着たら、周囲からはどのように見られるか。たとえ、学園のダンスパーティーだとしても───」


「……わかりました。降参です」


 やはり、母には勝てない。

 様々な情報網を持つ彼女を前にして、隠し事など一切できないのだ。

 カーターは母に全てを話した。父の顔しか認識していない彼女に、どうしても自分の顔を見てもらいたい、認めてもらいたいのだと伝えた。


「『自分の顔を認めてもらいたい』だなんて……彼女のことが、そんなに好きなの?」


「はい? 母上がどうしてそのような発想になるのか、理解できないのですが……」


「ふふふ……では、その人がカーターの顔を認識した後はどうするの? 彼女に『見目麗しいですね』とでも言ってもらえば、あなたはそれで満足なのかしら?」


「それは……」


 先の事など、何も考えていなかった。

 カーターは、アイヴィーに自分の顔を見てもらうことだけで頭が一杯だったのだから。


「あなたがそれでいいのなら、見合い話を進めても問題はないわね。ハンターは隣国の王女様との婚約が調ったから、次はあなたの番よ。国内の有力貴族たちの令嬢とのお話が多数持ち上がっているから、まずはお見合いパーティーから開催し───」


「……そちらの件は、少し考えさせてください」


 王妃の話を中断させ、カーターはその場を去った。



 ◆



 今日は、アイヴィーとのお茶会の日だ。

 少し離れたテーブルでは、マックスとエルダもお茶会をしている。

 カーターは、チラリとあちらのテーブルを覗く。話が弾んでいる様子が見て取れる。

 最近、マックスの付き合いが悪くなってきたとカーターは思っている。決して、気のせいではない。

 以前はよく城内の私室に遊びに来てくれたのに、近頃は誘っても予定があると断られることも多い。


(もしや、あの二人は……)


「マックス様を度々お借りして、申し訳ございません」


 カーターが彼らの様子を窺っていることに気づいたアイヴィーが、頭を下げた。


「甘いものがお好きと聞きましたので、エルダがケーキ店巡りにお誘いしましたところ、快く付き合ってくださいました」


「マックスが、二人に付き合ってケーキ店にか?」


 そんな話は初めて聞いた。

 昼食で出す食材に「彼女は、これが好きらしいぞ」とさり気なく提案するなど、最近やけにアイヴィーのことに詳しいなとは感じていた。

 

「マックス様もフレディ様も侯爵家と伯爵家の方々ですのに、わたくしたちとも気さくに話をしてくださるので、大変有り難いと思っております」 


(フレディ?)


 聞き覚えのある名に、カーターは記憶を手繰る。

 フレディはカーターたちの同級生で、マックスの親戚だと聞いたことがあった。

 自分を差し置いて四人で楽しい時間を過ごしているのだと思ったら、心がモヤモヤした。


 お茶会が終わり、マックスへ「私もケーキ店に行きたかった」と文句を言ったところ、「そろそろ、アイヴィー嬢を解放してやれ」と真顔で返された。


「第二王子と頻繁に会っていると周囲に知られれば、おまえの婚約者候補たちから攻撃されるのはアイヴィー嬢と彼女の実家だ。彼女たちが傷つけられないよう俺がそれとなく手を回しているが、限界はある。アイヴィー嬢へ想いを告げる勇気も、彼女を守る気概も、彼女との将来の覚悟もないのであれば、会うのは今日で最後にしろ。これは従者ではなく、友人としての忠告だ」


「私が、アイヴィー嬢を……好き?」


「自分の瞳の色のドレスを贈る時点で、普通は自覚しないか? まさか、ここまで鈍感だとはな……」


「あれは、彼女にはグリーンが似合うと思っただけで……他意はない」


「では、彼女の髪色と同じ色石のタイピンとカフリンクスを注文したことも、他意はないのか?」


「それは……」


 二人の衣装を合わせようと思ったから……そう反論しようとして、カーターは口を閉じた。

 ダンスパーティーで衣装を合わせるのは、婚約者同士がすること。つまり、そういうことなのだ。


 気付いてしまえば、簡単なことだった。



 ◇



 カーターは夕食の席で、アイヴィーを伴侶に迎えたいと家族に告げた。

 突然の報告であったにもかかわらず、誰も驚かず、反対意見もまったく出ない。

 これからどのように婚約までの手続きを進めていくか、具体的な話となる。

 カーターは身分差を心配したが、彼女本人、実家のエルメンダ家、親族……そのすべてが調査済みで、第二王子の結婚相手として問題なしと告げられた。


 驚いているカーターに、母は微笑みながら語りかける。


「裏で根回しは進めていたのよ。あとは、カーターが真摯に彼女へ想いを伝えるだけね」


 母は、昼食会やお茶会での二人の様子を知っていた。

 どうやら、侍女の中に母の息が掛かった()()がいたようで、カーターの行動はすべて筒抜けだったのだ。

 

「私は、反対されると思っていました。以前言われていた、有力貴族と縁を繋げと……」


「ハンターみたいに政略結婚と割り切れるのであればよかったけど、あなたには無理ね。結婚をしても、いつかは破綻していたと思うわ。それでは、お互いに不幸でしょう? だから、あなたは頑張って意中の女性の心を射止めなさい」


「はい。父上、母上、兄上、ありがとうございます」



 ◇



 翌日、マックスに報告をしたところ「良かったな!」と自分のことのように喜んでくれた。

 アイヴィーの心を射止めるために、これからも協力を頼むと伝えると、「王子様が暴走しないよう、俺がしっかり見張っておく」と力強い言葉が。

 

 王族であるカーターに遠慮なく厳しい意見を述べてくれる友には、感謝の言葉しかなかった。



 ◇



 アイヴィーには、改めて淑女教育を受けてもらうことになった。

 これは、「アイヴィー嬢が誰もが認める完璧な淑女になれば、周囲の横やりも多少は減る」との兄の助言を参考に始めたものだ。

 高位貴族と下位貴族では、その立ち振る舞いも大きく異なる。

 カーターはいずれ公爵となるため、その夫人として申し分ない所作を身につけてもらう必要があった。

 

 アイヴィーの所作は徐々に良くなってきているが、ぽかんと口を開ける癖だけはなかなか直らない。

 カーターとしては、あの表情も好きなので見られなくなるのは非常に惜しまれるが、彼女と結婚をするためには仕方ないと思っている。



 ◆



 ダンスパーティーを明日に控え、最終打ち合わせという名目で今日は初めてアイヴィーと一緒にダンスを踊ることになった。

 できれば練習パートナーも自分が務めたかったが許可が下りず、カーターは一人寂しく練習をしていた。


「なあ、いつになったらアイヴィー嬢へ求婚するんだ? もうすでに両家の話し合いは済んでいるのに、知らぬは本人だけっておかしいだろう? それに、公爵夫人教育を、未だに罰則の一環と思っているようだし……」


 王城の私室にいるカーターのもとに、マックスが来ていた。


「彼女には申し訳ないが、今の状態の方が都合がいいのだ。自分への罰だと思っているから、マナーもダンスも短期間で上達したし、ドレスも借り物だと思って素直に受け取ってくれた。罰でなければ、遠慮してドレスを受け取ってもらえないばかりか、相手役も確実に辞退されていたぞ」


「彼女の性格を考えれば、そうか」


 マックスは、納得したように頷いた。


「───でも、それも今日で終わりだ。アイヴィー嬢へ、これから求婚をしようと思う」


「はあ? ダンスパーティー当日ではなく練習日に求婚って、おまえは情緒というものがないな……」


 ため息を吐き、首をかしげながらマックスは部屋を出ていった。

 これから、エルダに会いに行くとのこと。

 明日のダンスの相手役を務めると言っていたが、マックスこそ、いつ求婚をするつもりなのか。


 侍女からアイヴィーが到着したとの報告を受け、カーターは急いで客室へ向かう。

 彼女は練習後そのまま王城内に一泊し、明日一緒に登園することになっている。

 そのときは、カーターの婚約者として堂々とエスコートしたい。だから、今日求婚をするのだ。


 挨拶もそこそこに、侍女へお茶の準備をさせる。

 アイヴィーはダンスの練習に公爵夫人教育と忙しく、会うのは久しぶりだった。

 幸い、今日は時間がある。

 カーターとしてはゆっくりお茶を飲みながら話をしたかったが、心配性のアイヴィーに急かされるように練習部屋へと移動する。


 向かい合い、一歩前に出てアイヴィーの手を取ろうとしたとき、ハッと息を呑む気配がした。


「……殿下は、お噂通りの眉目秀麗な方だったのですね」


 アイヴィーの薄緑色の瞳は、真っすぐにカーターを見つめていた。

 目が合うと恥ずかしそうに視線を逸らす。


「申し訳ございません。不躾(ぶしつけ)に……」


「いや、そんなことは構わない」


 自分の顔を見てほしいと言ったのは、カーター自身だ。

 しかし、それを口実にする必要がなくなったため、最近は口にすることも忘れていた。


「その……どうであった、初めて見る私の顔は?」


「とてもお美しいと思います。一度でもお顔を拝見したら、忘れないと存じます」


「父……国王陛下の若い頃と比べて、どちらが其方の好みだ? 率直な意見が聞きたいから、不敬な発言もすべて許す」


 自分でも、意地悪な質問をしたとの自覚がある。

 それでも、アイヴィーへどうしても尋ねたかった。


「国王陛下は、穏やかで優しい雰囲気をお持ちでした。カーター殿下は、どちらかと言えば精悍なお顔ですね。お二人は似ていらっしゃいますが、雰囲気は全く異なります」


「それで、其方の答えは?」


「…………」


「どうなのだ?」


「来年の人気投票では……カーター殿下の名を記入するかと」


 俯きながら答えたアイヴィーの手を、カーターは無意識に引き寄せていた。

 思わず抱きしめてしまった彼女からは甘い香りがして、さらに腕に力が入る。

 アイヴィーに選んでもらえた喜びで、胸が高鳴った。


 カーターの所業にアイヴィーは驚き固まり、ダンス講師は慌てて後ろを向く。

 侍女は、すぐさま自分の存在を空気と化した。


「……貴女が好きだ。どうか、私と結婚してほしい」


 想いを伝えると、アイヴィーはビクッとしたあと、カーターの腕の中で小さく頷いた。

 

 練習後、庭園内のガゼボに移動し、改めてアイヴィーへ求婚をする。

 彼女の指に指輪をはめ、二人は正式に婚約者となったのだった。




 ◆ ◆ ◆



 どうしてあの時頷いてしまったのか、アイヴィーは自分でもよくわからない。


 なぜ、有力貴族家の令嬢ではなく数々の不敬を働いたアイヴィーだったのか。

 手の指輪を見ても未だ実感はなく、夢の中にいるようだ。

 そんなアイヴィーに気付いているのか、カーターは「アイヴィーだから、好きになった。他の者ではダメだ」と何度も言う。

 その度にアイヴィーの顔は赤くなり、カーターは嬉しそうに微笑むまでがいつもの流れだ。



 ◇



 カーターから教わった視力を矯正する方法を実践してきたおかげで、アイヴィーの視力は多少良くなっていた。

 今は、テーブルの向かい側に座る婚約者の顔が認識できるまでになっている。


「どうした? 私の顔に何かついているのか?」


「いいえ。今日も殿下のお顔が、はっきりと見えるなと思いまして」


「そうか、それは何よりだ。他の男の顔は、昔のように見えずともよい」


「ふふふ……かしこまりました。でも、国王陛下のご尊顔を拝見することは、許してくださいますか?」


「……まあ、仕方ない。挨拶をするのだからな」


 渋々といった感じのカーターに、思わず笑みがこぼれる。

 今日、アイヴィーは夕食に招かれていた。

 婚約後、学園でハンターと会う機会は何度もあった。王妃からお茶会に招かれたこともある。

 しかし、国王に直接会うのは今回が初めてだ。


 公式な謁見という形ではなく非公式の家族の晩餐会に招待されたので、「そこまで緊張しないであろう?」とカーターからは言われた。

 それでも、粗相がないように、これまでの教育の成果を総動員して臨みたいと思っている。


「そういえば、言い忘れていたが……そのドレスも、アイヴィーによく似合っている」


「あ、ありがとうございます」


 顔が赤くなったアイヴィーを見て、カーターがまた嬉しそうに笑っている。

 あの表情は、新たな攻撃手段が成功したと喜んでいる顔だ。

 アイヴィーとしては、いつも一方的にやられてばかりで悔しいので、たまには仕返しをしようと目を細めて睨んでみたが、爆笑されただけで効果はない模様。

 おまけに、席を移動してきたカーターに額へ口づけをされてしまい、さらに自分の顔が赤くなる結果となった。


 目が悪いせいで不敬な言動をし罰せられていたはずなのに、なぜか、こんなにも愛されているアイヴィーだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 罰則に淑女教育を折り込むとは…やるな!(笑) しっかり外堀は埋めてるし… マックス君はちやっかりエルダが落としてるし(笑) 同世代高位令嬢達の歯軋りが聞こえてくる様だ…ギリギリ… 逞しい子爵…
[良い点] 甘酸っぱくて面白かったです! 仲の良い王室。ちゃんと忠告もしてくれる友達(側近?)。幸せなお話しありがとうございました!
[一言] 器も小さいが、本人に知らせず周囲から囲って 逃げられないようにするあたり、度量も小さい。
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