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短編

『なぜ、人を殺してはいけないのか?』という問題を考えてみる殺し屋と話を聞く死体始末屋

作者: NOMAR



『もし彼が人を殺害したのであれば、彼は死なねばならない』


 人倫の形而上学

  イマヌエル・カント



◇◇◇◇◇



 男の死体がある。

 暗い夜、廃ビルの三階。かつてはオフィスだったフロアは血に濡れている。

 夜の中、窓からの月明かりがひとつの男の死体を白く染めていた。


 その死体の近くに女がいる。壁に背を預けて床に座る。黒のパーカーは血に濡れたまま、手にした刃物をタオルで丁寧に拭う。

 その刃物は刀と呼ぶには短く、ナイフと呼ぶには長い。厚みのある刃をぼんやりと見つめながらゆっくりとタオルで拭う。暗い廃ビルの中は月明かりと懐中電灯の明かりだけで薄暗く、夜明けはまだ遠い。


 女はふとポケットの振動に気がつき、ポケットの中からスマホを取り出す。液晶を見て相手を確認するとスマホを耳に当てる。


「あ、もう着いた? 速いねー。えーとそのビルの三階、奥の方で。血の跡があるからすぐ分かるんじゃないかと。いやー、ちょっと失敗して、あ、仕事はキッチリこなしたんだけど、手際が上手くいかなくて、あれ? 切れちゃった」


 しばらくスマホを見て、少し嬉しそうにへらりと笑い、スマホをもとのポケットの中へ。片手に持っていた刃物も革の鞘の中へとしまう。


「また、おじさんに会える」


 薄く微笑み座ったまま小さく鼻歌を始める。


 女と死体の待つフロアへと一人の男がゆっくりと歩いてくる。壊れて倒れたドアを踏みつけて死体に近づく。肩に大きな黒いバッグを抱えたまま、血溜まりを迂回して女に近づく。

 男の無精髭の生えた口が開き、低く掠れた声を出す。


「……無事、か?」


 女は座ったまま男を見上げて。


「あ、心配してくれてる? 見ての通り無事、って、あー、血まみれだった? これあたしのじゃなくて返り血で、あたしはゼンゼンケガしてないし。ちょっとねー、油断したつもりも無いんだけど、仕事は慣れてきたときにミスをしやすいっていうのはおじさんの言った通りみたい。一発でヤるつもりが直前で気付かれてさ、この人も暴れなきゃ痛い思いもしないのに必死で急所を守るから、防いだ手とか肩とか斬っちゃってさ。それで血がピュピューって飛び散っちゃって、」


 男は話を聞きながらため息つくと、肩に乗せていた黒いバッグを下ろす。中から取り出した紙袋を無言で女に渡す。


「あ、代えのパーカー持ってきてくれた? ありがと。わ、真っ赤だ」


「手近には、それしか無かった」


「黒が好きだけど赤も好き。そんでね、このターゲットのオッサンはよっぽど死にたく無かったんだろーね。あらかじめ逃げ道抑えてたからこのビルの上に上に逃げてってね、走って追いかけてここでようやく仕留めたところで。そのときもぎゃーぎゃー喚きながら手で身を守るから。だから二の腕が血で真っ赤で指も落ちてるし、必死ってこーいうのだよねー、と。でも必死って必ず死ぬならさっさと諦めたらいーじゃん、なんて。あのー、おじさん?」


「なんだ?」


「これだけ血を辺りに散らすと、後始末が面倒かな?」


「……塗料の代金は後で請求する」


「えーと、おじさんの手間を増やさないように、次からなるべくキレイに仕留めるから。怒ってる? 怒ってない?」

 

「べつに、怒ってない」


 男は黒いバッグから黒い死体袋を取り出す。床に倒れる死体を持ち上げ死体袋に入れる。女は立ち上がる。


「おじさん、手伝おっか?」


「……これは俺の仕事だ。そ、その血まみれのパーカーもこっちで処分する。着替えろ」


「あ、うん。ちょっと待って、うあ、寒ーい」


 男は死体を袋に詰め込むと、今度はスプレーを取り出し床の血溜まりに吹き付ける。灰色の塗料が生乾きの血を覆い隠していく。静かな暗い廃ビルの中で、スプレーの音と新品のパーカーを袋から出して着替える音が小さく響く。


「はい、おじさん、処分おねがい」


「……あぁ」


「あちこちに血が跳ねちゃってる。これ、全部消せる?」


「そのライトで、照らしてくれるとた、助かる」


「はいはーい、任せてー。ね、おじさん、最近どう? 何かお話しよーよー」


 男はスプレー缶を振り、空になったものをバッグに仕舞い、新たなスプレー缶を取り出してまた作業に戻る。女は男の手元を懐中電灯で照らしながら話す。


「そのスプレー、血の反応を消すんだっけ? ルミノール反応とかいうの」


「……そうだ」


「こうしてこの人物の生きた証は匠の手により消されていくのでありましたー。なんちって」


「お、お前は」


 男はケホとひとつ咳き込んで女に顔を向ける。


「人を殺してはいけない、と誰かに教えられたことは?」


「んんー?」


 女は懐中電灯を持ってない方の右手の人差し指を自分の顎に当てて天井を見上げる。


「けっこう前に聞いた憶えがあるね。人を殺してはいけない、って。その時も不思議に思ったものではあるのですよー。なぜ、人を殺してはいけないのか?って」


 男は女の声に耳を傾けながら、床の血溜まりにスプレーを吹き付ける作業に戻る。


「なぜ、人を殺してはいけないのか。この答えとしては大雑把に3つ。絶対に、何がなんでも人を殺してはダメ、というのは少数派。次に、べつに人なんて殺してもいいじゃんっていうの。これはもっと少数派? んで多数派は、条件付きで人は人を殺してもいい、って答えるんじゃないかな?」


「……、」


「この国は死刑制度のある国だからね。死刑っていうのは、人が人に人を殺せっていう制度。そしてこの国は民主主義。みんなが死刑がある方がいいって考えてるから、民主的に死刑制度が維持されるのでありましたー。

 だからさっきの、なぜ人を殺してはいけないのか?っていう言い方が変だなって思って。逆に、なぜ人を殺してもいいのか?って質問なら、この国の人たちの多くは条件付きで人を殺してもいいって応えられるハズだもの」


「……その、条件が、」


「うん、条件が法律ってことでしょ? 大雑把には社会治安を乱す者は処刑して社会から永久追放する、てことでしょ。人を殺すようなヤツはブッ殺してやるっていうの、トートロジー? おっかしいよねー。

 なんかそんなジョークがあったよね。

『てめえ! よくも俺の女房を撃ち殺しやがったな!』

『すまん! 代わりにあそこにいる俺の女房を撃ち殺してくれ!』って。あはは」


「……、」


「んでもって法律が条件を縛ってはいるけど、つまりは社会の邪魔になる人は殺してやるっていうのを制度にしてるわけで。でも社会の邪魔っていうのを個人で定義したら、自分の邪魔するヤツは殺してもいいってとこに行き着くよね。この殺してもいい人の条件なんてのを問うのが道徳とか倫理とか哲学って代物なんじゃないの?」


「……お前はいろいろ知ってるな」


「んーん? 知らないことばっかりだけど? で、どんな人を殺してもいいのか?って考えて作られたのが死刑制度。でも殺してもいい条件なんてのを真面目に話し合うのは不謹慎だから議論討論しないってのは変で、なぜ、人を殺してはいけないのかっていう疑問の立て方はただの思考放棄なんじゃないかなーって」


「……考えたくないから、疑問の立て方をねじ曲げている?」


「うん、そんな感じ。だってどんな人なら殺してもいいのか?って条件を絞る方が建設的じゃない? 死刑制度のある国で暮らす国民としては。で、分かりやすい考え方としては、敵は殺してもいい、ていうのがあるよね。敵は殺して味方は大事に。群れを作る生物ならコレ当然」


「……それはそれで、て、定義の問題が」


「うんそう。何をもって敵として何をもって味方とするか、敵と味方をどう定義するかの範囲の話。でも人によってこの範囲がバラッバラなのですよー。敵の敵は味方になったりするしね。

 学校で先生が、友だちをイジメてはいけません、とか言うけどそれって友だちじゃ無かったらイジメてもいいってことだもんね」


「……そ、れは、おかしくないか?」


「おかしいのはこの先生の方だよー。だってたまたま同じ地域に生まれた同年代集めて、それで全員に友だちになれってムリじゃーん。あの子は親がヤクザだから一緒に遊んじゃダメ、あの子は親がカルトだから仲良くしちゃダメ、あの子は親がキチガイだから友だちになっちゃダメって、味方の線引きをしてるもんでしょー」


「……」


「その線引きの延長のひとつが、敵は殺してもいい。何を敵か?っていうのは他には、異教徒は殺してもいいってのもあるよね。同じ神様を信じられないのは自分たちと同じ人間じゃ無い。だから殺してもいい。でも思想だけで判定するのも理性的じゃー無いってことで、法律とかは行為が判断基準なんだろね。でもでも理性的に社会の敵を排除しようとしたら? どうなるかな? 例えば少子高齢化っていう社会問題」


「……」


「誰もが結婚して子供をバンバン作れば解決するっていうのもあるけど、増やすだけなら家畜みたいに人工受精で増やす手もあるのにね。何より増やすだけが高齢化社会の解決手段じゃ無いしー。

 減らしても社会問題は解決するよね? 例えば70歳以上は殺してもいい、とか。子供は親を殺してもいい、とか。そうしたら高齢化社会じゃ無くなるのに。コレ、ちょっと考えたら誰でも解ることなんだけど」


「……それは、やっちゃいけない、ことだ」


「やっちゃいけないことだから、ヘンなお年寄りが増えちゃったんだね。それでお金を出すからあのじーさんを殺してくれって依頼が来て、あたしのお仕事は続けられると。世の中、上手く回ってるもんだね」


「……」


「んで、子供は親を殺してもいい、って言うなら反対の親は子供を殺してもいい、てのもあるよね、今回のそこのターゲットのその男の人もねー」


 女は懐中電灯の明かりで黒い死体袋を指す。


「30過ぎて引きこもりになって、親に暴力振るうんだって」


「……調べ、たのか?」


「うん、でさ、精神病院に通院したり入院したり、それでも良くならなくて。それでこのターゲットのご両親が、この子が人様に迷惑かける前に親として責任を取らないといけない、と思い悩んで殺人依頼。これってアレだよねー、製造責任者がクレームが来る前に製品の回収処分をするってヤツ。人もリコールの対象になるんだ」


「……親が子供を殺すのは、ダメだ」


「でもそういう親がお金を出して人に頼むから、あたしの仕事は成り立っているので持ちつ持たれつなのですよ。ダメ、ということならお金を出すから親を殺してくれ、子供を殺してくれ、という人がいなくならないと。あ、それはそれであたしが困りますなー。うん、親が子を殺してくれとか、子が親を殺してくれと依頼してくる世の中なので、それが仕事になってお金になるのです。あ、親がいると親に殺される心配があるってことかな? 良かったあたし、親がいなくて。親に殺される心配事がひとつ無いというのは、これって親ガチャで当たりを引いたってこと?」


「……そう、かもな」


「ま、こういう感じで条件付きで人は人を殺してもいい、というのはその条件の定義が曖昧バラバラとなります。そしてこういう話を詰めていくと、そもそも論として人を殺してはいけない、というのなら人とは何か? 動物とは生命とは? 犬は殺してもいいのか? 猫は殺してもいいのか? クジラは虫は? 同じ生物で人だけ特別扱いするのはなぜだ? というツッコミが出てきたりするもので」


「……」


「人を殺してはいけない、というなら人の定義からしないとね。あとは動物愛護な人の中には、人は殺してもいいけど犬は殺しちゃダメ、猫は殺しちゃダメ、っていう人もいるだろね」


「……それは、お、同じ人間だから」


「同族でも共食い同族殺しする生物はいっぱいいるよ。人間だけがダメってことはないでしょー。カルネアデスの板なときもあることだし。そして人の定義とか言い出すとー、あれは一見、人に見えるけれど人の形をしたなにかだから殺してもいい、と言う意見も出てきたり。人を見ても人間だと感じられなければ、殺しても人殺しにはならないよね」


「そ、その考え方が既におかしい」


「そっかな? こういう人は街にゾンビが現れてパンデミックとかいうときに、生き残りやすいんじゃない? いざというときに人という生物種が生き残るための冗長性として人類に必要な種類でもあるよ」


「……」


「そもそも人が人を殺す、というのは何ぞや? という疑問も出てくるのです。生物の生と死は明確に線引きされてるものでも無いし。それが分かりやすかったら脳死みたいに、脳が反応してないけど身体は生きてるとかいうややこしいものも無い訳で」


「……」


「状況をちゃんと見たならば、人を殺すということ、この言い方もどっか変だなー、と思うのですよ。例えばあたしが、」


 女は皮の鞘から刃物を抜き出す。懐中電灯を持つ手の反対の手でその刃物をクルリと回す。


「あたしがこの、かすみクンで人を殺したりするわけだけども」


「……その、ナイフ、……かすみクン?」


「そ、かすみクン。もとは折れた刀にグリップ付けて仕立て直してもらったの。その刀が、かすみナントカカントカって銘があったんで、かすみクンです。で、このかすみクンであたしは何人か殺してきたりしたのだけどもー。例えば、このかすみクンで今、死体袋に入ってる人の首を切って死体にしたことの状態を説明するとー」


「……」


「金属の刃物が、人間の肉と肉の間を通過した。その人間は活動を止めた。これだけ。その状況を見た人が『人が人を殺した』と言う。つまり人を殺したってのは、その人が見た主観の話じゃない? 状況だけ見れば人間が一体、活動を停止した。それを見て、自分は死にたくない、殺されたくないって人が感情移入しちゃう。それで人が殺された、人が人を殺したって騒ぐのは、その人の感想なんじゃない?」


「……理屈だけなら、そ、そうなるのか?」


「理屈というか、あたしの感想? で、感想っていうのはその人が見て感じて想ったことで、それに正しいとか間違いとか無いよね。それが有りになっちゃうと、お前が寒いと感じるのは間違いだ、お前が痛いと感じるのは間違いだ、と感想全否定になっちゃう。人の身体は殺しちゃダメだけど、人の心は殺してもいいってこと? こういうのがどこからどこまでを人として定義するのか? ということになるのだけどー」


「……」


「もっとも主観と感想の押し付けあいから、あいつぶっ殺してやる、という感情も生まれたりするので、自分の意見を主張するときは相手を殺す覚悟がいるのかもね」


「……、」


「なんか歌にもあったよねー。人を殺してはいけません、あなたが殺されない為に。ものを盗んではいけません、あなたが盗まれないために。とか。殺されたくなければ、殺してはいけない、という自己投影? になるのかな?」


「……」


「だけどそれは、死んでもいいとか殺されてもかまわないっていう自殺志願者なら、人を殺してもいいってことになるよね。なんだっけ? 撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、とか聞いたことあるような。だから、いいっすよー、おいらのことブッ殺してもいいっすよー、って人はバンバン殺してもオッケーになるよね」


「それは、死にたがることが、や、病んでいる」


「病んでいる人は人間扱いしなくてもいいってこと? だから死刑にして殺してもいいってこと? その病む人扱いされたら死刑にされる、なんて恐怖と不安が病みかけている人にマトモな振りを強要する、脅迫的で寛容さの無い社会を作っているんじゃない?」


「……」


「んで、その結果に心を病む人が増えて、世界で一番、精神病院入院患者の多い国ができたわけだけど。ちょっと頭がおかしいくらいで人間扱いしてやらないって、狭量なんじゃないかなー?」


 男はスプレーを床に起き、しばらく考えてひとつ長くため息を吐く。女に顔を向け、そうして見つめあい、口を開く。


「それでも、人を殺すのはいけない」


「理由は? 理屈は?」


「……分からん、説明もできん」


「ならぬことはならぬものです、の(じゅう)の掟みたいだね」


「なんの為に、人を殺す?」


「それはもちろんお仕事だから、お金のためにですよ?」


「そんなに、金が要るのか?」


「うん、だって働いて稼がないと学校の給食費も払えないもの。義務教育だから学校に行かないと。あたし中学生だし」


「……」


「あたしも見た目が良かったらこの仕事をしなくても、売春で稼いだりできたかも。または人と上手くお話できる性格なら、学校の先輩みたいに大麻とか覚醒剤の売人とかやれたのかもね」


「……」


「でも、おじさんの『殺してはいけない』というのもちょっとは分かるよ。学校でイジメをしてはいけませんっていうのも同じだよね。学校でイジメを続けていると、学校の先生たちは不祥事を隠す為に隠蔽を頑張っちゃう。そして隠蔽工作が当然になるとあらゆる不祥事が外にバレなくなる。だから学校の中で麻薬の売買があっても、大人が隠してくれるからちょっと安心して麻薬を売ったり買ったりできる」


 女は、うふふふ、と可笑しそうに笑う。


「なぜイジメをしてはいけないのか? それはイジメの結果に隠蔽体質になった学校が、やがて麻薬販売の中継拠点となって麻薬が街に広まるから。こういうのも、そうなってみて初めて理由が解ることかもね」


「……麻薬が広まっている、というのは、き、聞いたことあるが、そんなに?」


「うん、あたしの先輩も学校のトイレで大麻を売ってるよ」


「そんなに、金が必要、なのか?」


「その先輩はもっと勉強したいんだって。大学に行っていろいろ学びたくて、それで学費を貯めるために学校で大麻を売ってる」


「……、」


「学校も義務教育で義務っていうなら、教科書とか体操服とかレンタルにしてくれたり、給食費を無料にしてくれたりしてくれると楽になるんだけどなー。まあ、義務教育って言ってもそこにはビジネスとか利権とか経済の問題があるんだろうね。あとは学校に関わる経費も払えず稼げないヤツは人間扱いしてやらないってことかもね?」


「……、」


 男はため息をつき、女から視線を外してスプレーを手にする。また血痕を消す作業に戻る。スプレーを噴射する音に消えそうな声で小さく呟く。


「……ままならない、ものだな」


「そう言うおじさんはどうして死体処理の仕事をしてるの? 人を殺したあとに必要な仕事だよねコレ?」


「……お、俺にできそうな仕事は、探しても、他には見つからなかった」


「あー、ままならない世の中だねー」


「こんな仕事は、や、辞めたい……」


「えーと、おじさん、あのさ。この仕事もやってくれってお金出す人がいるってことはさ、この仕事が社会に必要とされているからだよね? それに気休めだけどさ、人は与えられた環境でベストを尽くすことで道が開けるとか聞いたことあるし。だから、あたしはあたしで人殺しの仕事を頑張って、おじさんは死体処理の仕事を頑張っていれば、そのうちなんとかなるんじゃない? というか、そうでも思わないとやってられないというかさー」


「お前は頭がいいから、な、なんとか、なるんじゃないか?」


「どっかなー? あたし程度の頭の良さじゃ、どーにもならないんじゃないかな?」


 その後も女は男に話しかけ、男は言葉少なく頷きながら話を聞き、床や壁に残る赤い血をスプレーで灰色に塗り替えていく。薄暗い夜の中で二人寄り添うように。

 床と壁の血の赤が塗料の灰色に染まる頃には、ここで一人の男が殺された痕跡は見えなくなった。落ちていた指も拾い死体袋の中へと。

 男はスプレー缶をバッグにしまい肩から下げる。もう片方の肩には死体の入った黒い死体袋を担ぐ。女は懐中電灯で男の足下を照らす。廃ビルの三階から一階まで階段を歩いて下りる。女は男に話しかけながら。


「おじさんが『人を殺してはいけない』というのも、いいと思うし」


「……そうか? お、お前は納得、してないみたいだ」


「うん、納得してない、というかあたしは人を殺す、というのが本質としてどういうものなのか、納得する以前にまだちゃんと理解してないという感じ? それが解るまではこの仕事続けるつもり。お金も稼がなきゃだし」


 一階まで下りたところで女は男を見上げて、にへら、と笑う。


「おじさんみたいに、理屈も分からない、理由も説明できない。だけど人を殺してはいけないって言う大人がいてくれないとね。でないと世の中悪くなる一方じゃない?」


「……、」


「だからあたし、おじさんが人を殺してはいけないって言うの、好きだよ」


 二人は廃ビルの外に出る。外は朝日が登る頃、空は黒から白へと変わり始める。女は明るくなる街を見て目を細める。


「あー、もう朝か。早く帰ってシャワー浴びて、着替えて学校に行かなきゃ」


「……徹夜、で学校か?」


「うん、中学生だからね。これでも無遅刻無欠席なのです。でも眠いから登校してから授業中に寝るので」


「学校は、勉強するところだ」


「そうなんだけどさー、ツマンナイから寝てばっかりだよ。夜に仕事すると昼間は眠いし。授業中居眠りばっかりしてるのにテストの点数だけはいいものだから、そういうのも同級生に嫌われるとこなんだろねー」


「……学校で、う、上手くいっていない、のか?」


「あたしはお喋りしたいんだけどねー。あたしが話すとみんなあたしのこと気持ち悪いとか頭がおかしいって言うのです」


「……」


「おじさんだけだよ。あたしの話をちゃんと聞いてくれるのは」


 女は少し照れたように笑う。男は、そうか、と呟き路上に停めた黒いミニバンへと進む。

 女は男と並んで歩く。


「おじさんはこの仕事を辞めたいかもしれないけど、あたしはこうしておじさんと会えるのが楽しみなのです。だから、もうしばらくはこの仕事、続けて欲しいなあ、と。あたしの勝手な希望だけども」


「……話を聞く、ぐらいしか、できない」


「それがいいんだよ。おじさんがいなくなったら、あたしのこんな話を聞いてくれる人はひとりもいなくなっちゃうし」


 女は男を見上げて手を振る。


「じゃあね、おじさん、またね」


「……あぁ、また、な」


 女は男に背を向け歩き出す。軽やかな足取りで弾むように。

 男は黒のミニバンのバックドアを開き、中に死体袋と黒いバックをドサリと置く。しばらく死体袋を見つめたあと、振り向いて女の去っていく背中を見る。

 明るくなっていく早朝の街の道、駅に向かって進む赤いパーカーの背中を目で追いかける。やがて赤いパーカーが見えなくなると、うつむき疲れたように長くため息を吐く。ミニバンのバックドアを閉め運転席に乗り込みエンジンをかける。


 ゆっくりと朝日が登り、冷たく白い光が柔らかな闇を押し流す。夜から昼へと変わる朝の時、街は目覚めて動き出す。

 人殺しを仕事にする女も、死体を処理する仕事をする男も、明るくなっていく街の中へと溶けていく。

 いつものように、いつもの如く、人の住む街はいつもの今日を、まるで昨日のように繰り返していく。

 白々しい朝日は闇夜の中の出来事を、知らないままに照らし出す。

 街はいつもの今日が、また始まる。



BGM

『それを言葉という』

 Amazarashi

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[一言] 改めての感想になります。 先の感想への返信を踏まえていろいろとお書きいたしますが、人間が生きていくうえである種の枠に加えられるというのはある種必然で、またその枠に収まらない者が生まれてしまう…
[気になる点] かすみくんの銘 [一言] どもりなおじさんと口の減らない少女の対比がすごいと思いました。 どちらも、方向性が違うだけで社会不適合なのかもしれません。 おじさんは、工場勤務とか淡々と仕…
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