#3 断り
生徒全員が集まっている体育館、そこで視線を集めているのは、壇上に立っている華麗な女性であった。その女性は、マイクを使って全員に話しかけてはいるが、視線は俺に向けたままであった。それもただ見ているのではなく微笑んでいるのだが、明らかに目つきはこちらを狙っている捕食者の目をしている。
時間にして30分ほどであろう。彼女はその間楽しそうに話、他の生徒は食い入るように話を聞く。俺だけが、しんどい思いをしていた。
それもこれも屋上で将棋をしてしまったのが間違いだったのだ。
「弟子にならないか?」
彼女はじっと俺の目を見ている。本気で言っていることが伝わってくる。
弟子になる……か。その言葉で俺は彼女が誰なのか、やっと理解した。どこか見たことあったのは彼女がテレビで紹介されていたからであり、一時期ニュース番組でも多く取り上げられたからであろう。興味がなかったわけではないが、あまり詳しく見たことはなかったため気づかなかった、女性初のプロ将棋棋士にして、珍しいであろう現役高校生棋士銀波 彩香、その人であることを。
「…そういう事だったんですね。」
彼女がやたらと強い理由が分かった。プロ棋士であるならこれぐらいの強さを持っていて当たり前だ。むしろ素人相手にハンデが少ないまであると思う。というか銀波さん、本気出し過ぎではないか?
彼女がどれぐらいの強さであるのかは分からないが、プロ棋士はアマチュアと比べたら天と地との差があると言えるぐらいにプロ棋士は強い。多少のハンデをもらったとしても勝てるわけないのがプロ棋士なのである。
そしてそのプロ棋士である彼女が、師弟関係を結ばないかと提案してくるのは凄い光栄なことなのだと思う。そもそもプロ棋士になるためには、師匠がいないとなることはできない。名前だけの師弟関係というのもあるにはあるが、しっかりとした師弟関係というのもある。
彼女はきっと後者の方で考えているのだろう。スカウトのような勧誘の仕方をしていることをみれば、それは分かる。
ただ俺は……将棋をするつもりはない。
「弟子にはなりません。俺は将棋をするつもりはありません。」
彼女の目を見て、はっきりと俺は伝えた。
本気で言っていることが伝われば、諦めてくれるだろうと思い俺は彼女と目を合わせる。伝われ伝われと念じていると彼女の掴んでいた手の力が強くなっていた。
「君の意志が強いのは分かった……ただ、それでも将棋をして欲しいと思っている。仮に私が師匠というのが嫌ならば、他のプロ棋士の先生を紹介しよう。君のその才能をそのままにするのはもったいない。君には棋士として非凡な才能がある。それは私が保証しよう。」
彼女は何故ここまで俺に固執するのだろうか……
自分でも将棋は強い方だという自覚はある。それでも同年代に俺よりも凄い奴など何人もいるだろう。その中で俺がプロ棋士になることなんてきっとできるはずがない。プロ棋士になることなんて不可能に近い。いやできるはずがないのだ。
それだというのに彼女は何でそこまで熱く俺を勧誘するのだろうか。もしかしたらドッキリなのかもしれない。もしかしたらテレビの撮影か何かでこの学校に来ていて、そのターゲットとして俺が選ばれたのかもしれない……さすがにないか。
そうだとしたら、そもそも俺がここにいるなんて保証はどこにもないし、もう少し導入部分をしっかりと設定しているだろう。
やはり彼女は本気で俺を誘っていることは間違いないようだ。
そうだとしても、彼女が言っていることに俺は理解できない。対局自体もそこまで良い内容ではなかったはずだ。そもそも彼女の言っている非凡な才能なんて俺は持っていない…持っていなかったのだ。
「俺には才能なんてないです。将棋の知識が多少あっただけで、今回はたまたま勝てただけです。他に凄い才能を持った人は沢山いる。弟子が欲しいならそこから探せばいい。もう一度言いますが、俺は将棋をやるつもりはない。」
「……別に弟子が欲しいとかは思っていないし、正直弟子を取るほどの余裕は私にはない。けれども君と対局して、その才能を腐らせるのはもったいないと感じたんだ。中学生で駒落ちで私に勝てる棋士はきっといない。奨励会員でもだ。君はそれぐらいのことをしてみせた。自信を持っていい。君は棋士の世界で頂点を目指せる存在になる。だからこそ将棋をやって欲しいのだ。」
将棋…の頂点……?
「…名人にもですか?」
「あぁ。なれるとも。」
胸の奥から黒い靄のようなものを感じた。黒く醜く苦しい感情、普段であれば胸の奥にしまい込んでいるのに今はそれができない。風船が割れて空気が漏れ出すかのように俺の感情は彼女へとあふれ出す。
「そんな簡単に名人にもプロ棋士にも慣れないことは、俺は知っている。目にして見てきたし、話しも聞いていた。プロ棋士の世界が苦しいことも知っているし、奨励会の世界がより厳しいことも知っている。そんな世界に足を踏み入れるつもりはないし……そもそも俺は将棋が嫌いだ!」
彼女の手を無理やりどかす。彼女は何か言いたげな顔をしていたが、それを俺は無視をして屋上から飛び出した。
逃げるように屋上から離れていき、空き教室に入る。
先程の高揚していた気分がなくなっていることに気づく。それがどういう意味をしているのは俺には分からなかった。
ただ、彼女との将棋が頭の中から離れない。このまま1人でいても頭の中から離れることはない気がしたので、俺は授業に出ることを決めた。
それが間違いであったとは知らずに……
時間割を知らなかった俺は、先生に捕まるや否や体育館へと連れられた。
そこで彼女がうちの学校に来た理由がようやく分かった。どうやら彼女はうちの学校のOBであったらしく、折角だという事で彼女が講演会を開くことが決まったらしい。
他の生徒はそれを楽しみにしていたらしいが、普段から話を聞いていなかった俺はそれを知らなかった。
知っていたらそのままさぼっていた。今日は本当についてないらしい。
俺は1人、顔を伏せて講演会を過ごした。その間も彼女の視線を感じながら……




