#1 ある日の屋上で
パチリッ……パチリッ……
周囲に流れるのは、パチリと駒を指す音だけで、それ以外は聞こえない。
まるで世界から切り離されたかのように、隔離されているかのように、その部屋は静寂に包まれていた。
ただ、その空気は重いわけではなく、むしろとても心地よく感じる。
盤を挟んで正面に座っている相手とは話すことはおろか、顔を合わせすらしない。ただそれでも二人の心が通じ合っているのが分かる。
一瞬にも無限にも感じる中、2人は将棋を指していた。
校庭ではしゃいでいる生徒達を横目に、心地よい日差しを全身に浴びて俺はひと眠りつこうと思っていた。
春の日差しというものは良いものだ。優しく温かく感じる。そよ風という名の天然の扇風機もあり、最高の寝場所であるのは間違いない。
周りに人もいないというのも心を落ち着かせてくれる。
眠気によって、頭が上手く回らなくなっていると不意にギ~ッと屋上のドアが開いた音がした。
心地よく寝かしにきていた眠気がどこかに消えていく……今は授業中のはずだが、一体誰が来たのだろうか?俺と同じでさぼりに来た人であろうか?
出来ればおとなしくしてくれる人ならいいのだが……
姿勢を変えず、ドアの方に目を向けるとそこにいたのはスーツを着ていた女性であった。
どこかで見覚えがあるような気もするが、その姿は明らかに学校の関係者に思えない。。
モデル体型と言えばいいのか、女性にしては少し高い身長でありながら、出るところはしっかりと出ており、凹凸がはっきりとしているのが分かる。目も大きく、ぱっちりとしており、鼻もすらりとしていて高い。
彼女は、こちらに気づいていないのか、長い黒髪を風になびかせて鉄格子に乗り出す勢いで近づいていった。
「ん~~っ、ほんと変わってない……」
彼女は大きく伸びをして外の景色を眺めている。特に景色がいいわけではないが、彼女の口から出た言葉を考えるに、屋上からの景色を見たことがあるらしい。
ただそんなことより、俺の目線は彼女に釘付けになってしまった。
横顔と風に流されている黒髪、どこか儚く消えてしまいそうなそんな表情。その姿がドラマや映画に出てくるようなワンシーンみたいで思わず、じっと見つめてしまった。
そこから時間がどれだけ経過したのか分からないが、彼女は不意にこちらに振り返った。目と目が合う……少しだけ心臓がドクンっと跳ねた気がした。
口を開くのは彼女の方であった。
「あ~見られていたか…君は何でここに?」
彼女は恥ずかしいものを見られたかのように少しだけ頬を赤くしている。
綺麗な人であったが、その姿は可愛らしさを与えてくる。あまり恥ずかしがらなそうな雰囲気をしている彼女であるがそうではないらしい。
「……特に理由はないですけど。」
あまり年上、の美人の女性と話したことないせいか、少々素っ気ない態度になってしまった。別に彼女のことがどうこうってわけではないが、こうなってしまうのは仕方ないことだ。
思春期真っ盛りな中学生はこんなものだろう。
「素っ気ないな。まぁ、知りもしない相手に話しかけられればそんなものだろうが。」
彼女は仕方ないものを見るような目でこちらを見てくる。少しその態度が気に食わないが、特に言い返す理由もないので俺は口を閉ざしておいた。
「特に注意をする気はないが、今の時間は授業中と聞いたが…君は出席しなくていいのか?」
どうやら彼女は、今が授業を行っている時間だと知っていたらしい。屋上に来るときに誰かに聞いたのであろう。
「……」
どう答えるのが正解か分からない為、俺は口を閉ざしたままであった。
「だんまりか…君は勉強は嫌いか?」
彼女は、俺の横に腰かけたかと思うと唐突に訪ねてきた。
「なんで横に座るんですか?」
「別にいいじゃないか。それにこんな美人が横に座るなんて役得だろ?」
どうやら、自分が美人であるということを彼女は理解しているらしい。
「……別に勉強が、好き嫌いとかはないです。」
確かに役得であると思うが、それにこたえるほどの精神力を持っていないので聞かなかったことにする。
めんどくさいと思ったことはあるが、勉強が嫌いとは思ったことはない。むしろ俺は成績は良い方である。
「そうなのか!こんなとこでさぼっているから、てっきり勉強が嫌いなのかと思ったよ。」
屋上でさぼっている生徒なんて今時いないから、彼女は俺を不良生徒だと思ったのかもしれない。彼女の驚いた顔が、それを物語っている。
「私もな、学生の時は勉強が嫌いでよくこうして授業をさぼっていたよ。」
彼女は懐かしむように遠い方を見ていた。
若く見えるが……実は結構な歳をとっているのだろうか?
「言っておくが……私はまだ18歳だぞ、少年。」
彼女のこちらを見る目が笑っていなかった。背筋が凍るようなそんな雰囲気を醸し出している。
何故かこちらが思っていることを彼女は察したようだ。心理学者か何かなのだろうか?
「まあそんなことはいい。君は何か好きなことはないのか?」
好きなこと……
一瞬頭の中に1つの思い出がよぎったが、すぐに頭の中にしまい込む。あれは、やめると決めただろう。
「特にないです。」と答えると彼女は少し悪い笑みをして、俺の両肩を掴んでグイッと引っ張った。
彼女が正面で向き合う。じっと彼女はこちらを見つめてくる。
近い近い!何でこんなに近くで見られないといけないんだ!?
「希望ある学生が、好きなこと1つもないというのは感心しないな。よしっ!せっかくだから私が君に1つ勧めてあげよう。」
彼女は明らかの興奮している様子でこちらを見つめてくる。
美人は何をしても可愛いというが、そんなことはない。獲物を見つけたかのような目でこちらを見られると恐怖の方が多くなっている。
「いや、困ってないので遠慮します。」
「そ、そんなこと言わないで聞くだけでいいからさ、君も面白いと感じるかもしれないだろう?」
肩を掴んでいる手の力が強くなっている。彼女の必死さが伝わってくる。
新手の詐欺師か何かだろうか?さすがにそうだとは思いたくないが……そう見えるのも仕方ないだろう。
「特に君の不利益になることもないし、やらないか?」
何かいかがわしいことに誘われているように聞こえるのは、俺が不純だからか、それとも彼女の言い方のせいだろうか?
「そもそも何に誘われているのが分からないので…」
彼女は俺の肩を離して、「それもそうか!」と口にする。
綺麗な人と思っていたが、どこかポンコツ臭がする。
「これを君に勧めようと思って…これだ!」
彼女は何やら自分のバックをあさり始めたかと思うと長方形の形をした木の板を見せてきた。
持ち運びのために作られたであろうそれは、サイズや形に違いがあるけれど見覚えのある盤であった。
「……将棋ですか?」
「おぉ!分かるんだな!それなら話は早い!私が君に面白さを教えてあげよう!」
彼女は俺が将棋を知っていたことが嬉しいのが、満面の笑みを浮かべた。
先程の企んでいた笑みとは違い、偽りのない笑顔であった。まるで満開の花が咲いたかのような笑顔に気を取られて、俺は断ることができず、彼女と一局行うこととなった・
これが俺の運命を大きく変えることになるとは、その時は分かりもしなかった。




