光の差す場所 ~ユニットCUBEができるまで~
例年よりも長引きそうな梅雨。不快な空気と降り続く雨に辟易しながら、通勤のために満員電車へ乗り込んだ。
車両内は今日もすし詰め。空座どころか新聞を広げるスペースもない。そんな現実から逃れるように、手にしたスマホの画面へ視線を落とした。
ホーム画面からSNSアプリを起動。あっという間に電子の世界へ潜り込む。そこはもうひとつの現実。私は電子の世界で、帆ノ風ヒロという別の顔へ切り替わる。
SNSの世界の中でも、私は多数の作家と繋がっている。あえて作家といわせてもらおう。作品を発表している以上、プロとアマチュアという垣根はあれど、全員が等しい存在であると思っているからだ。
その世界には、彼らのつぶやきが溢れている。しかし時に、何気ない日常会話に混じり、凶器のような言葉が襲い来ることもある。
『100万PV達成しました!』
『大賞受賞、書籍化します!』
『第三巻、発売します!』
『コミカライズ版もよろしく!』
『アニメ化したい!』
この恐ろしい武器はなんだ。
それらの言葉が刃物となって、次々と心を抉られる。それらを目にする度、嫉妬という見えない鎖が、この首を、全身をがんじがらめにする。
書籍化したいのは私も同じだ。でなければ小説など書かない。いつの日か、自分が手掛けた作品を紙の書籍として手にしたい。
悔しい気持ちを必死に静め、深く息を吐く。
まぁ、落ち着け。気になる発言はミュートして、遮ってしまえばいい。そう思いながらも、誰からどんな有用な話が出るかわからない。もったいないという妙な貧乏根性が顔を出し、凶器の言葉を遮れずにいるのも事実だ。
「ぐぬぅ……」
平静を装いつつ画面をスクロール。お気に入りの人たちとやり取りを楽しむのは実に楽しい。ついつい時間を忘れてしまう。
『あれは時間を溶かす悪魔のツールだ』
オフ会でもお世話になった、スーパー読み専の称号を持つ読書家ユーザー。あの方も、そんなことを言っていた。でも、それでも私はこの世界に光を求めてしまう。
なぜ私が凶器のような言葉に耐えてまで、この悪魔のツールを使うのか。理由は簡単。自作品の宣伝のためだ。
「宣伝するとしないとでは、反響がまるで違うんだよなぁ……」
悟りを開いた私には、無我の境地へ少しずつ近付いているという自覚がある。
評価ポイントやお気に入り数は既に些細な問題だ。ポイントなど何ヶ月も確認していない。それこそ埃をかぶっているだろう。
竜が出てくる7つの玉。その漫画に出てきた戦闘民族の王子も言っていたはずだ。『こんな数字はもう当てにはならん』と。
確かに彼の言う通りだ。そんな数字だけで私の作品の善し悪しを計られたくはない。
けれど、どうしてもPV数だけは確認せずにいられない。読まれなくなったら終わりだ。私の作品をどれだけの人が認知しているのか。それだけがどうしても気になってしまう。
SNSで宣伝を始めた当初、私はすぐに気付いた。ここは文字で溢れている。何もしなければ簡単に埋もれてしまうと。
『そうだ。ツイートに画像を付けよう』
まるで京都へ旅立つようなノリで、せっせと作品のイメージ画像を作り始めた。幸い、技術と素材には困らない。しかし、看板作品である『碧色閃光の冒険譚』。これを宣伝するための画像がない。
『イラスト。イラストが欲しい……』
あいにく絵を書く技術がなかった。途方に暮れながら、文字の砂漠でイラストという水を求めた。だが、オアシスの場所がわからない。
『どうすればいいんだ……』
検索に次ぐ検索の末、とても有用なキーワードを見つけた。つぶやきに添付されている絵柄を眺め、気になる相手の所へ押しかけ続けた。そうしてコツコツとイラストを手に入れ、現在に至るというわけだ。
しかし、人の欲は恐ろしい。一度手にしてしまえば、より多くを望むようになる。
『イラストが……もっと欲しい……』
そう思い立った私は、再びSNSの世界で絵師を探した。しかし資金力に乏しいアマチュア作家では、私が望むだけの力を持った絵師に巡り合うのは困難を極めた。
一度だけ、思い切って有償絵師へ依頼したこともある。その美麗ともいえる絵柄は、今でも変わらず虜にされている。だが、上がってきたラフスケッチは私が求めていたものとは違った。
その絵師様も、自分には苦手なジャンルの絵柄だという。おまけに、自分の好みでないと筆が乗らないという本格的な職人気質。悔しさと共に、泣く泣く依頼を諦めた。
そして、ここまで辿り着くのに何年を要しただろう。
いつものように絵師を探していると、『イラスト依頼受付中』の文字に胸が踊った。しかも初回無償。極め付けには、『応援したいと思った方には専属絵師も検討』とまで書かれている。
「凄い人を見つけた……」
思わず心の声が漏れていた。
美大卒の駆け出しイラストレーターと書かれている。だがアイコンを見た瞬間、この方のポテンシャルは高いのでは、と勝手に推測。まさに無我夢中でオファーしていた。
これが、ひえんさんとの出会いだった。
あらかじめ決めていた構図と、モデルとなるふたりの簡易資料を提示。すると、わずか二日後にはキャラデザインのラフが完成。他の仕事を持っているはずなのに、驚くほどのスピード感。しかも設定にはない要素まで提案してくださるという対応ぶりときたものだ。
「すげぇ……本当にすげぇよ……」
幸運なことに、ひえんさんもファンタジー好きということが功を奏した。レスポンスの速さと提案量から熱意がびしびしと伝わる。武器の形状や細かな装飾まで逐一確認という丁寧な仕事。私は猛烈に感動してしまった。
「これは、とんでもねぇ匠だ……」
なんということでしょう。まさに私の脳内がリフォームされそうでした。
しかしここで、驚くべき事実が発覚した。
『オリジナルの長編小説を、趣味で書かれている方がいることにびっくりです!』と。
なろうにいることが当たり前になっていた私には、鈍器で殴られたような衝撃だった。それこそ、リフォームするべき古屋を木槌で打ち壊す、あの瞬間のように。
施主の泣き顔と、私の心が共鳴した。
「私にはほんの一部しか見えていなかった」
この瞬間、これまで勝手に抱いていた概念は崩れ去ったのかもしれない。
翌日、電車の中で、前に立つ男性のスマホ画面が目についた。そこには私が使っているものと同じSNSツールが開かれている。
同じツールなのに、繋がっている相手もつぶやきの内容も違う。
「まるでパラレル・ワールドだな……」
不思議と笑いが込み上げていた。
世界はまだまだ広い。そんな当たり前のことを再認識させられた瞬間だった。
ひえんさんが『小説家になろう』を知らなかったように、サイトの登録者は現時点で180万人。見方を変えれば、たった180万人だ。もっと大きな場所に目を向けてもいいじゃないか。
「書籍化したいと望むなら、自分でやってしまえばいいんだ」
不意に、そんな考えが頭をもたげた。
駅のティッシュ配りと同じだ。拾われるのを待つのではなく、自分からどんどん発信してしまえばいい。だが、現在無料で公開しているものをわざわざ買う人もいないだろう。
「でも、ひえんさんのイラストが付いたら?」
どんよりとした梅雨の曇天。そこから漏れ出す薄明かりをじっと見据えた。私の考えは次第に明瞭になり、現実味を帯びていった。
そして、前回のやり取りからわずか二日で表紙ラフが完成。意見交換をしていると、ラフを書き直してくださるという神対応が発生した。
『相手の要望にはできるだけ応えたいと思ってしまう』、というひえんさんのメッセージに、やはりこの方しかいないと確信していた。
イラスト作成中から、ひえんさんと電子書籍の話をしていたこともあり、ここからの流れはとてもスムーズに運んだ。
『やりますか。電子書籍』
ひえんさんの言葉で、実現に向けて大きく舵を切ると、気になることが浮上した。
「帆ノ風ヒロとひえんでもいいけど、ユニット名があった方が箔が付くかな?」
電子の世界を離れても、頭の中は完全に帆ノ風ヒロとして機能していた。夢と現実が入り混じったような不思議な感覚。それを抱えて過ごしていたことは記憶に新しい。
お互いにHというイニシャルが付くことから、それを使おうと思い立った。ふたつ組み合わせて田。
「でん、じゃ格好つかないな」
ひとり苦笑して、考えを更に深めてゆく。
「四角……キューブか」
CUBEという名を提案すると、ひえんさんから早速応答があった。
『小説もイラストも基本四角に描くものだから、創造を詰め込んだCUBEみたいな感じでいいかもです』
そして、更にメッセージが続いた。
『CUBEに意味が欲しいところですね〜。何かふたりの創作コンセプトで一致するところを取り入れたいですね』
あれこれとやり取りを進めた。ひえんさんはドキドキやわくわくを届けたいという。私にも興奮や感動を届けたいという気持ちはある。共有し、分かち合いたいという想いが強いのも事実だろう。
結局、CUBEの四文字から考えを深化させ、Create、Ultimate、Buddy、Enjoy。これをコンセプトに据えた。即興でマークを作り、五時間足らずの間でユニット名とロゴ・マークが決定した。
『早速、SNSで宣伝してきます』
私は居ても立ってもいられず、CUBE結成の旨をSNSで発信することにした。しかし、作品とユニットを売り込むには更に強い宣伝力が必要だ。ひえんさんと相談した結果、動画作成技術を持つ動画師を同時募集しようという話にまとまった。
宣伝と共に、『動画師と繋がりたい』というハッシュタグを設定。電子の世界へつぶやきを放った途端、すぐに反応があった。
「はい?」
画面を見ながら思考が停止した。
なんとコメントをくれたのは、以前から交流のあるササブネさんだ。
『畏多くも以前から、碧閃のプロモ動画作りてぇ、とか妄想しちゃったりしてました』
作家仲間だが、彼女がアップする写真のセンスには眼を見張るものがあった。本を作って販売をしているという実績もある。作家であり声優でもあるというスーパー・ウーマン。そして何より、朗読サイトにて碧閃を読み上げて頂いたことが大きかった。一人四役をこなし、作品への理解もある。まさにうってつけの神人材だ。
「願ったり叶ったりだよ……」
私の脳内がファンタジー。
魔王討伐を託された二人組。仲間を探しにふらりと酒場へ入ったら、最強の女戦士が声を掛けてきた。まさにそんな心境だ。
そして、ササブネさんとやり取りを交わしている間に、別の方からもコンタクトを頂いた。椋田紺碧さん。碧閃の内容やイラストに惹かれ、動画作成に協力してくださるというのだ。
ひえんさんと相談を重ね、ササブネさんには動画ディレクターとして加わってもらい、椋田さんを動画師として迎え入れることになった。
2020年7月。こうして、ユニットCUBEが誕生した。
文章、イラスト、動画。周囲に助けられ、航海へ乗り出すために必要としていた力が次々と集まってくる。めぐり合わせというべきか。縁とタイミングとでもいうべきか。
「全てはどこかで繋がっているのかもしれない……」
気付けば、私もそれなりの歳になった。あと十年若ければ。そんなことを度々思うようになっていたが、卑屈になるのは止めることにした。
たった一度の人生じゃないか。何かを変えたい。面白いことをしてみたい。
この時代に自分が生きたという証を残したい。そんな願望を以前から持っている。私にとってのそれが、文章であるということだ。
ただ、自分の妄想を固めたようなこの碧閃を全面に出してゆくのも恥ずかしい。自分の子供にも胸を張って見せられるような、大層な文芸作品で勝負したいという野望はある。
大器晩成、大いに結構。それはまた、次の風が来るのを待つだけだ。まず今は、目の前に来たこの追い風を帆に受けて、行ける所まで行ってみたいと思う。
180万人の境界を越える。七つの海をまたにかけ、世界へ目を向けてみたい。
海の藻屑と消えるのか。はたまた、密林の奥地で黄金を手にするか。まずは動くこと。どこまでゆけるかは、それから考えればいいだけのことだ。
曇天の梅雨はまもなく終わる。夏の日の太陽から降り注ぐ日差し。その光を全身で受けながら、この手を伸ばし続けたい。
「きっと掴んでみせる……」
私は光の指す場所を歩き続けていたい。