94話「ウィクトルの真の心」
病院を出て、一旦宿舎へ。そこで最低限の身支度を済ませ、再び自動運転車に乗り込む。三人だけの車内は妙に広く感じられて、どことなく寂しい雰囲気。それでも時は来て、私たちは旅立つ。
「主、体の方はどうでしょうか?」
「問題ない」
「長く車内で過ごすことになってしまいますので、負担がかかることもございましょう。無理は禁物でございますよ」
ウィクトルは今のところ元気そうに振舞っているが、それでも、負傷中の身だ。背中の刺し傷はまだ完治していない。その状態で、長時間座っていなくてはならないとなると、多少辛い部分があるかもしれない。
「そうだな。だがリベルテ、心配は要らない。私はこう見えても頑丈だ」
「ふふ。そうでございますね」
今までならフーシェも一緒にいたはず。そう思うと、胸が痛い。
ウィクトルとリベルテは割り切っているのだろうか? どうやって彼女の死の苦しみを乗り越えたのだろう?
彼らへの疑問はたくさんあるけれど、直接尋ねてみることはできない。
万が一、彼らも密かに苦しんでいたら、申し訳ないことになってしまうから。
「確か、行き先はフィルデラだったな? リベルテ」
「はい。その通りでございます」
「また世話になってしまうとは……」
「いえいえ。今回は父にも連絡しておりますから、何の問題もございません」
それにしても、ウィクトルとリベルテは本当に仲が良い。私でさえ入っていきづらい時があるくらい。リベルテはウィクトルを心から慕っているようだが、逆にウィクトルの方もリベルテを信頼している。そういう両者の信頼関係が、この異様なまでの仲の良さに繋がっているのだろう。
一人そんなことを考えていた時だ。
「ウタくん。そのブローチ、身につけてくれているのだな」
突如ウィクトルが私に話しかけてきた。
すぐには言葉を返せない。
「やはり美しい。君は青が似合うな」
「あ……そういうことね」
ウィクトルがくれた、私の母親のブローチ。これは今でも宝物。
ただ、与えられた役割上身につけていることができない時もある。成婚パレードの時などはそれの典型例。あの時は、服装が決められていたから、派手なブローチを身につけておくわけにはいかなかった。
だから、このブローチとずっと一緒にいることはできない。
けれども大切なもの。手放したくないものだから、今日は身につけてきた。
「気に入ってるの、このブローチ。これを持っていると、母と繋がっているような、そんな気がするのよ」
地球の人間にはげんなりしていた。口を開けば愚痴や喧嘩、思い通りにならなければすぐ殴り合い。皆心が荒んでいたから、もっと美しい世界へ生きたいと常に願っていた。
そして私はこの星へ来た。
まったく別の星ならば、希望もあるかもしれない。心の美しい人々と出会えるかもしれないと、僅かな期待を抱いていた。
けれども、このキエル帝国だって、結局は人の世だ。
憎しみ合い、他人を恨み、野望のために誰もが権力を欲する——この国もまた、穢れに満ちている。
私が求めた楽園はここにもなかった。穏やかな心で人々が暮らす世界、なんて、所詮幻想。どこにも存在しないものだ。
しかし、「この国へ来たことが無意味だったと思うか」と問われれば、「無意味だった」とは答えないだろう。ここへ来たことに意味はあった。その理由の一つが、このブローチに出会えたこと。
「……そう、か」
「あっ、ごめんなさい! べつに、そんな、気まずい空気にするために言ったわけじゃないのよ!?」
「いや、いいんだ。君は何も気にしなくていい」
ウィクトルには母の話をしづらい。どうしても、彼を責めているような雰囲気になってしまうから。私はただ、ウィクトルに、母のことを少しでも知ってほしいだけなのだが。
「……好きだ」
刹那、ウィクトルの口から珍妙な発言が飛び出した。
「え」
「……好きだと言ったら、君はどんな顔をしただろう」
彼は僅かに俯いた状態で、琥珀に似た瞳だけを動かしてこちらを一瞥する。
いきなり何を言い出すのか。冗談? 本気? それはともかく、そもそもこんなことを言い出した意図が掴めない。
「ごめんなさい、ウィクトル。意味が分からないわ」
「そうか。意味が分からない、か」
「何か意味があるの? もしかしてなぞなぞか何か?」
「……いや、いいんだ。気にしないでくれ」
今さらそんなことを言われても、気にしないでなんていられない。きちんと事情を説明してもらわなくては、気になって気になって、他のことを考えられなくなってしまう。
「無理よ? そんなこと言われて気にしないなんて。説明がなかったら……告白でもされたのかって思ってしまうわ」
冗談めかしてそう言うと。
「よし。では説明しないでおこう」
「え、ちょっと、何なの? 誤解されたい趣味?」
「いや、私ももちろん誤解されるのは嫌いだ。だが——君のそれはべつに誤解ではない」
話せば話すほど理解不能になっていく。
告白したと捉えるのが誤解でないなら、もしかして、本当にその気で言ったのだろうか? でも、ウィクトルに限ってそんなことはあるはずがない。彼は誰かを愛するような質の人間ではないはずなのだが。いや、でも、可能性がゼロなことなんてこの世には存在しない。だとしたら、実際想ってくれているという可能性もある?
「私が君の手を取るべき人間でないことは分かっている。もう何度も人を殺めた、穢れたこの手では、君に触れられはしない。だが、それでも、口で言うだけなら構わないだろう。そう考え、今に至っている」
ウィクトルの落ち着いた声が空気を揺らす。
「好きだ。……それだけは言わせてくれ」
私は言葉を失う。
そうして訪れた静寂の中、リベルテだけが一人狼狽えているのが見える。
確かに、ウィクトルは私に良い待遇をしてくれていた。それも、出会ってすぐから。緊張している時は励ましてくれ、不審者からは護ってくれ、いつもなるべく近くにいるよう努力してくれていた。
だから、彼が私を好きだとしてもおかしくはない——いや、でも、急に言うのはおかしい!
それに、普通、そういうことは二人きりの時に言うのではないだろうか。こんな、リベルテという第三者もいるところで、いきなり想いを打ち明けるなんて。おかしいところは色々あるが、そこが一番おかしい。
「こんなところで言うのね、それを」
彼らしいといえば彼らしいのかもしれないが、第三者もいるところで心を打ち明けるというのは、さすがに勇敢過ぎる。
「……車内で言うのはおかしかったか」
「車内だから、ではないわ。第三者もいるところでだから、よ」
「第三者? それがいると何か問題があるのか?」
私の言わんとしていることをウィクトルはちっとも理解していない。
主人が想いを告白するのをいきなり聞かされたリベルテは、一人赤くなっている。この距離では聞かなかったふりをするわけにはいかないし、かといって何か意見を述べられるわけでもない、そんな状況に彼は困りきっている。もはや気の毒だ。
「見てごらんなさいよ。リベルテが困ってるでしょ」
「……確かに、そうだな」




