88話「ウタの諦めの先に」
肉体から離れた魂はどこへ行くのだろう、なんて考えて、無駄なことばかり考えるわね、と自分を笑う。だって、そんな思考、何の意味もないではないか。死した後のことなんて、思考しても何も生まない。生きているうちに死後について考えて、もし仮に何らかの事象を見つけ出したとしても、命が終わればすべてが消えてなくなる。きっと、欠片も残らない。
あれ以降、私は部屋を移された。古い洋館の客室のような雰囲気のある、以前暮らしていた部屋には、もう戻してもらえないだろう。何せ、今や私は『脱走する危険性のある女』だ。これまでフーシェがされていたように、今度は私が、手足は鎖で壁に繋がれ、地下室に閉じ込められている。もはや為す術がない。
私は今後どうなるのだろう?
このままじっとしていて助かるのだろうか?
自分から動かなければ運命は変わらない。未来は拓かれない。人はそう言うかもしれないけれど、でも、己の力だけではどうしようもないという時もあるものだ。
そして、今がまさにそういう時である。
誰かが手を貸してくれれば、少しは変わるかもしれない。けれど、この状況でそれを期待するのは無謀。だから私は、何もないここに佇み続けることしかできないのだ。
「やぁ、どうだい? 調子は」
「……貴方と話すことなんてないわ」
ビタリーが私に会いにやって来ると、いつもゾッとする。明かりのない部屋で一人座り続けているのも辛いことではあるけれど、今の私からすれば、ビタリーの顔を見ることの方がずっと辛い。いや、辛いと表現するのは相応しくないかもしれないが。ただ、彼の顔を目にすると、吐き気すら催しそうな気分になるのだ。
「あれから冷たいね」
ビタリーはわざとらしく残念がっているような顔をする。
「当たり前じゃない! ……貴方はフーシェさんを殺めたのよ」
本当はビタリーの顔なんて見たくない。姿さえ目にしたくないくらいの気持ちでいる。それでも、彼に訴えたいことがあるから、私は仕方なく彼の方へと視線を向けた。
「あれはやむを得ないことだったんだよ。彼女は反逆罪を背負っていたから」
「どうして……あんなことをしたの」
「反逆者だから」
「そうじゃないわ! ……あの時、なぜ私を撃ったの」
私とフーシェが脱出しかけていたあの時、ビタリーはフーシェでなく私を狙った。そして、それに気づいて私を庇おうとしたフーシェは、結果的に銃弾を受けることとなったのだ。もしビタリーがフーシェに向けて弾丸を放っていたとしたら、今とはまた違った現在があったかもしれない。
「その方があの女を仕留めやすいと判断したから、だよ」
「……悪魔ね、貴方は」
いつか、この男がキエル帝国の皇帝となる日が来たら、この国はまともではいられまい。
きっと今以上に多くの血が流れる。気に食わないという子どもじみた理由だけで、数多の命が散らされてゆくのだろう。
善か悪かではなく、強者か弱者かですらない、そんな混沌とした時代が訪れる。そして、その時には、誰もがビタリーに気に入られようとするのだろう。皆、ただ己が生き残るためだけに、彼のお気に入りとなる努力をするはずだ。
……そんな未来に希望があるのか。
退屈であればあるほど、時の流れは遅くなるもの。秒針が刻む一秒はいつも同じ一秒のはずなのに、とてもそうは思えない。
ようやく一日が終わろうとしている。
今日一日、気が狂いそうなほど長かった。いや、正確には「長く感じた」なのだろうが。
……そんなことはどうでもいいけれど。
私がこの一日で学んだのは、何もすることのない日を過ごすというのはかなり苦痛である、ということ。
学びになったという意味では良かったのかもしれない——なんて言う気は更々ない! こんなのは新手の拷問。必要最低限の行為以外何一つさせない、なんていうのは、拷問であり虐待! どんな理由があったとしても。
それから数日が経った夜。
私はその日も、埃臭い地下室の中で、一人退屈な時を生きていた。
ようやく夜になった、と安堵すると同時に、いつになればこの苦しみから逃れられるのだろう、という不安に駆られもする——そんな複雑な心境だ。
それにしても、肩が痛い。
鎖の向きのせいで常に腕を背中側へ回されることになってしまっている。その体勢自体はそこまで無理のあるものではない。が、そのまま長時間じっとしていなければならないので、肩に負担がかかる。その結果、肩が痛むのだ。
こんなところからは早く脱出して、どこか遠いところへ行きたい。光のある場所へ、爽やかな世界へ、今すぐ飛び出したい。
……そんなことを思えていた頃もあった。
でも、今はもう分からない。
逃げ出したいのか。このままでいたいのか。思考が滅茶苦茶になっていたけれど、しまいに無になってきた。もはや頭を巡らせる気力すらない。
そんな時だ、扉から軋むような音が聞こえてきたのは。
ビタリーや見張りの者が来たのなら、こんな音はしないはず。彼らなら、もっと普通に戸を開けるだろう。それに、音はしているのに扉はなかなか開かない、なんてことは、起こり得ないはずだ。とすれば、無関係な者が開けようとしているのだろうか。
忍び込んだ泥棒?
宝を漁ろうとでもしている?
もしそうなら、ここにいる私は危険なのではないだろうか。いや、逆に、その泥棒に協力してもらうという手もないわけではないけれど。ただ、相手はキエル人だろうから、言語の差で意志疎通が難しい可能性は高い。
万が一、私の命まで奪われそうになったりしたら——まぁ、それはそれでいいだろう。
どのみち薄暗い人生。
どうせ光など浴びれぬ運命。
それならば、どうなろうが知ったこっちゃないし、この際もう死に方なんて何でもいい。
極力苦痛のない死に方をしたい、とは、今でも思っているけれど。でも、いざ死ぬとなれば、どんな死に方だろうが多少の苦しみは伴うもの。
だからどうでもいいの。
もうどうにでもなればいい。
扉が軋む不気味な音を聞きながらすべてを諦めていると、「ウタ様」という声が耳に入ってきた。
それも、聞き覚えのある声。
「えっ……」
私は思わず面を持ち上げる。
すると、僅かに開いた扉の隙間から部屋に入ってこようとしている一つの人影が、視界に入った。




