74話「ウタの小さな過ち」
帰りの自動運転車の中、私はウィクトルと隣り合って座り、何とも言えない気分でいた。
シャルティエラは私に対しては敵意を抱いていないようだったけれど、最後の発言だけは不気味さ満点で。語彙力不足で上手く言い表せないが、いまだにおかしな気分のままだ。
「力に屈し従属の道を選んだ男……」
車窓から街並みをぼんやり眺めつつ、意味もなく呟く。
その時、ウィクトルが視線をこちらへ向けた。
琥珀色の爬虫類を思わせる双眸が、私をじっと見つめている。
「何を言っている? ウタくん」
「あ……ご、ごめんなさい。独り言なんて……」
「いや、それはいい。ただ、少し様子がおかしい気がしてな。茶会で何かあったのか?」
う……バレてる……。
明らかになったら困る事柄を抱えているわけではない。しかし、こうもぴったりなことを言われていると、心を読まれているみたいな気分になってドキリとせずにはいられなかった。
「その……」
「何か言いたいことが?」
「シャルティエラさんたち、やっぱり、少しおかしいと思うの」
いきなりこんなことを言うのもどうかと思いはした。だが、彼が言うよう促してくれたから、取り敢えず考えを告げてみることにした。
「成婚パレード、私とウィクトルが呼ばれているのは、やっぱり変よ。お茶している時のシャルティエラさんの話から考えても……不自然だわ」
赤青黄三色の信号機なるものに阻まれ、車は一時停車。
「やはり、何かあったのか」
ウィクトルは私の話を聞く気でいてくれている様子。だから私は、シャルティエラがしていた話の内容を明かした。話すのは正直あまり気が進まなかったけれど。
「彼女がそのようなことを? ……では、やはり、ウタくんは参加しない方向で考えた方が良いかもしれないな」
そんなことを述べつつ、ウィクトルは考え込むかのように握った拳を口もとへ添える。
「ウィクトルも……参加は見送った方がいいんじゃない?」
「私が?」
「脅すつもりではないけれど、ウィクトルが何かに巻き込まれる可能性だってあるわ。彼女はフリントを憎んでいるみたいだったから」
車はまだ止まっている。こんな時に限って、道路が混雑しているみたいだ。急ぎの移動の最中ではないから、まだ良かったけれど。
「だからね、ウィクトルも——」
「いや。私は出る」
私が最後まで言うより早く、彼は断言した。
「今さら『止めたい』などと言うわけにはいかない。君は違うが、私のような身分の者からすれば、一度頷いておきながら変更するなどあり得ないことだ」
いつもは冷淡に見えても心優しい彼だが、今は少し違っていた。
今、彼の口から出る言葉には、優しさなんてものは欠片もない。それどころか、柔らかさすら感じられない。銀の刃を突き付けるような調子。
「案ずるな、ウタくんのことはどうにかする。私だけなら、何かあってもどうにでもなる」
「……ウィクトル、どうして」
「リスクがあるからと逃げれば、その時点で敗者となるだろう。そんなことはできない」
車内の空気が恐ろしいほど冷たくなる。リベルテでもいてくれれば緩和されたのかもしれないが、二人きりの今、この冷ややかな空気をどうにかしてくれる者は存在しない。
「ねぇウィクトル、あのね、そんなに思い詰めること……」
「勝者の下で勝ち続けることでしか生きられない。虚しいものだな、人間は」
どうしてそんなことを言うの?
そう問いたかったけれど、質問する勇気は私にはなかった。
ただ、しばらく傍にいたからこそ、分かることはある。それは、今のウィクトルが明らかにおかしいということ。今の彼は、いつもの彼とは違う。
「ウィクトル……」
「ある意味では、君もそうだろう。理解できないことはないはずだ。君は私の下で生き延びることを選んだ。自由を捨ててでも、生きることを選択したのだろう」
「待って! それは違うわ」
私は思わず叫んだ。
「誤解よ。私は生きるためにウィクトルに従う道を選んだわけじゃないわ」
もし、私を地球から連れ出したのが、ウィクトルでなかったとしたら。それでも私は、その者の傍で大人しく生きてゆくことを選択しただろうか。
否、そんなわけがない。
ウィクトルだったから、私はここまでついてきた。惹かれるところがあったからこそ、彼の近くにいることを選び、今に至っているのだ。
「これだけは言えるわ。ウィクトルだったから、私はこの道を選んだの。それは絶対」
「後からなら何とでも言える」
「そんなことないわ! 私、そんなくだらない嘘はつかないもの!」
喧嘩なんてしたくない。そう思っているのに、つい調子を強めてしまう。それは多分、誤解されたくないと思うから。無駄な争いを起こさないためにも、本当は引くべきだったのだろう。けれど、ここで引いたら永遠に誤解されたままになりそうな気がして。
「……だからウィクトルも、無理に従うことなんてないのよ」
「逆らうのは無理だ」
「望んで忠実であることを選ぶのなら分かるわ。でも……」
「もう止めてくれ!」
ウィクトルは突然鋭く叫んだ。
執拗に言い過ぎたか、と、若干後悔する。でも、もう遅い。
一度砕け散ったカップが元の姿に戻ることはないように、一度冷えきった空気は元には戻らない。叫びを最後に彼は黙り、私も言葉を失って。今ここにあるのは、肌を刺すような静寂のみ。
「……ごめん、なさい。執拗に言い過ぎたわね……」
気まずい空気に耐えきれず、謝っておく。
しかし、車内に音が戻ってくることは、もうなかった。
結局、私たちは気まずい空気のまま宿舎へ戻ることになってしまった。
私が悪かったのだろう。私が、他人のことにまで首を突っ込むような真似をしたから、彼を不快にしてしまった。そして、まともに目を合わせることしかできない、こんな結果になってしまったのだ。
そっとしておくべきだった。
気づいたことは告げるにしても、彼に参加を取り止めるようになんて言うべきではなかった。
私は私の人生を、彼は彼の人生を、近くにいても別々に歩いてゆく。傍にいるような気になっても、それはあくまで物理的な距離。心の距離は分からないものだ。だからこそ、干渉すべきではなかったのだと、今は分かる。
でも、今さら気づいても、もう遅い。
こじれた後の気づきなど、何の意味もないのだから。
共に行けると信じていた。でも、それは間違いだった。生まれも育ちも違う私たちに、隣を歩く運命なんて存在しなかったのだ。手を取り合ってゆけるのだと信じていたけれど、それは、ただ私がそう信じたかっただけのこと。それ以上でもそれ以下でもない。
何とか関係を修復したいと思うが、どうすれば良いのか分からず、私はただ途方にくれるだけ。




