71話「婚約発表の日」
面会した日を含めて三日後、ビタリーの婚約発表が行われることになった。
この国は通信技術が発達しているため、情報端末もそこそこ普及している。星にいない間も少しはウィクトルと会話できたのも、そのおかげ。そして、ある程度栄えている地域になら通信網が張り巡らせてあるようだ。それは、国民向けに情報を一斉発信したい時には特に役に立つ。
私たちは宿舎内にてその時を迎える。
映像を見るのは、リベルテが所持している板状の機械で。
「……あと十分」
こういう時は、日頃から四人同じ部屋で過ごしているのがありがたく感じる。
誰の部屋で見るか、なんて相談を、全然しなくて済むから。
「二分前になったら教えてくれ、フーシェ」
「……分かった」
今日は四人とも宿舎にいる。誰も欠いていない日で良かった。一人でもここを離れていたら、残念な気分になったことだろう。……そんな小さなことを考えているのは私だけかもしれないが。
「ウタ様はこういった発表をご覧になるのは初めてでございますよね?」
「えぇ」
何の前触れもなく話しかけてくるのはリベルテ。
彼は他人に話しかけるという行為に対してまったくもって抵抗がないらしい。
ただ、彼の持つ愛嬌は、ウィクトルたちにとって価値あるもののはずだ。ウィクトルは見方によっては冷淡に見えてしまうタイプだし、フーシェは無口で馴れ合いを好まないタイプ。となると、愛想良さを前面に押し出していくことは至難の業。そこをフォローする、リベルテの愛嬌である。
「リベルテは初めてではないの?」
「はい。実はそれほど経験がありませんが、初めて、ということではございません。そもそも、婚約発表だけが放送されるわけではなく、国の現状に関する報告なども大事の際には放送がありますから」
国の現状に関する報告、か。
平和な村で暮らしていたからかもしれないが、まったくイメージが湧かない。
「しかし……こうもいきなり婚約の発表が行われることになるとは、驚きとしか言い様がございませんね」
それは私も思った。
ついこの前会った時でさえ、ビタリーは婚約に関する話題は少しも出してこなかった。もちろん、それらしき噂が流れているということもなかったし。恐らくは水面下で話が進んでいたのだろうが、とても信じられない。あの頃既に婚約などという話が浮上していたのなら、あれだけたくさん噂好きの人が出入りしているのだから、一言二言くらいは耳に挟む機会もあったはずだ。
怪しいというか何というか。
上手くは言えないが、私の胸の中には言葉にならない違和感が渦巻いている。
「……ボナ様、あと二分」
「あぁ、分かった。そろそろ行こう」
フーシェから二分前の知らせを受けたウィクトルは、手をつけていた用事を一旦止め、私とリベルテが座っている方へとやって来る。そして彼は、リベルテの横に腰を下ろした。
「もう始まりそうだな」
床に座り、リベルテの手元の機械を覗き込むようにしながら、ウィクトルはそんなことを発する。
「……どんな相手か楽しみね」
ウィクトルに続けて、フーシェが歩み寄ってきた。彼女はウィクトルの後ろにしゃがみ、彼とリベルテの間から首を伸ばす。
——そして、ついに約束の時が来た。
最初、画面にキエルの文字が映し出される。すると、リベルテが唐突に、視線をこちらへ向けてくる。何事かと思っていたら、「これは『皇帝直属の放送局』というロゴが出ているだけでございますよ」と教えてくれた。この国の文字を読む能力が不足している私への配慮だったようだ。
さすがにそろそろ、こちらの言語も勉強しなくては。
この星、この国で、私はこれから生きてゆくのだ。自動翻訳機は非常に便利だが、ここで生きるのなら、いつまでもそればかりに頼っているわけにはいかないだろう。取り敢えず、小さな子どもが理解できる範囲くらいの内容だけでも、読めるようにしていきたい。
『本日、次期皇帝であるビタリー・キエルリア様が婚約発表を行われることになりました。まもなく、映像がそちらへ移ると思われます』
画面に映し出されたのは、真面目そうな男性。三十代くらいだろうか、と思うような顔をしている。黒のスーツをきちんと着こなし、僅かに白髪の交じった髪も丁寧にセットした、注意する点など見当たらない身だしなみの人だ。
『それでは、しばらくお待ち下さい』
真面目を擬人化したような男性がそう述べてから数秒、画面が一転する。
講堂のような部屋。用意された純白のテーブルは横長のもので、その向こう側には、一人用の椅子が二つ並べられている。そして、さらにその奥には、金色に輝くパーテーションが設置されていた。それは、仕切るために置いているという感じではない。どちらかと言えば、飾りで、といった雰囲気だ。
時折人は映る。しかしそこにビタリーたちの姿はない。今から登場してくるのだろうか。
「……随分豪奢なセットね」
フーシェがそっと呟く。少しばかり不満げな顔で。
「それは、金持ちでございますからね」
リベルテは苦笑しつつそんなことを言った。フーシェの発言への返しだったのだろう。
「まったく……無駄金を使うのは止めてほしいわ」
一人溜め息をつくフーシェ。
呆れ果てた、というような顔をしていた。
刹那、場内の空気が一変する。その場にいるわけではない私ですら感じたほどの変化。いよいよだろうか。
「あ。出てくるみたいね」
私がそう発した瞬間、カメラが、画面に向かって右側へと動く。そして映し出されたのは、僅かに開いた扉。全体は白で、縁や取っ手には金色の装飾が施されている、高級感のある扉だ。どうやらそこが入り口らしい。
十秒ほどかけて、扉がさらに開いてゆく。
そして、ついに、カメラがビタリーの姿を捉えた。
切れ長な目。終末を映し出しているかのような灰色の瞳。白く滑らかな陶器人形にも似た肌。それらの要素を視認すれば、その青年がビタリーであると、すぐに判別できる。
彼が着ているのは軍服ではなかった。黒いシンプルなデザインのスーツだ。しかし、元より品のある彼のことだ、一般人のスーツ姿とはまとっている風格が違う。特徴のない服装だからこそ、彼自身の持つ雰囲気が全面に溢れ出していた。




