65話「ウタの心に生まれた素朴な疑問」
それから二週間ほどが過ぎた、ある日の夕方。
散歩から帰り夕食を迎える前のちょっとした休憩時間に、リベルテが満面の笑みで言ってきた。
「聞いて下さい! ウタ様!」
私と二人きりの生活に苦労しているのか否か、それは不明だが、ここのところ明らかに以前より疲れたような様子だったリベルテ。しかし、この時は、以前の彼を思わせる明るさがあった。表情から、声から、力がみなぎっている。
「何? どうしたの?」
その時私は椅子に座ってお茶を飲んでいた。
「数日中に主が帰還するそうでございます!」
「ウィクトルが?」
「はい! その通りでございます!」
私も数回ウィクトルとの通話に使わせてもらった板状の機械を胸に抱き、リベルテは嬉しそうに話す。今の彼は、すべてが上手くいき幸せの絶頂にいる者のような顔をしている。とにかく幸せ、というような表情だ。
「連絡があったの?」
「はい! 先ほど!」
白色のティーカップを僅かに手前へ傾け、その中を満たしている茶色い液体を口腔内へと注ぎ込む。熱を持ったお茶は、口腔内を温めながら流れていき、やがて喉に達する。柔らかな香りで嗅覚を刺激しつつ、液体は喉に流れ込み、口の中に続いて喉までも温めた。
「いよいよでございますね!」
ウィクトルたちが地球に赴いて以来、リベルテには長い間世話になってきた。彼には、長時間にわたって付きっきりで生活のサポートを行ってもらったので、心から感謝している。
本当なら、リベルテもウィクトルと共に行きたかっただろう。
敬愛する主人に同行し、尊敬できる主人のためにその命を使いたかっただろう。
けれど彼は、文句の一つも発することなく、私の傍にいてくれた。私のために色々考えてくれた。
こんな言葉で表すのは陳腐過ぎるかもしれないが、彼には、本当に心からありがとうと思っている。
「えぇ。良かったわね、リベルテ」
「……へ? リベルテ、でございますか?」
ちょうど私が座っている椅子の真横まで来ていたリベルテは、きょとんとした顔をする。
「貴方は本当に、ウィクトルを大切に思っているものね」
これは嫌みでも何でもない。もちろん、裏側にある意味をほのめかそうとしての発言でもない。私はただ、純粋に思っていたことを口にしただけ。
「え、えぇ。それは、もちろんでございます。主はいつもリベルテたちを導いて下さる——とにかく偉大な方でございますから」
そう述べるリベルテの瞳に曇りはなかった。
その瞳を見れば分かる。リベルテが主人を心から尊敬しているのだということは、もし言葉がなかったとしても、はっきりと感じ取れたはずだ。
「やっぱり、凄く尊敬しているのね」
「はい!」
「私も彼のことは嫌いではないけれど……リベルテはどうして彼をそこまで尊敬しているの?」
以前耳にした出会いの話を聞く分には、命の恩人、というわけではないようだった。出会いは皇帝の仲介によるものだったようだから、一目惚れというわけでもないのだろう。
だとしたら、リベルテがここまでウィクトルを敬愛しているのはなぜ?
キエル人には分かって、地球人には分からない。そういうこともあるのかもしれない。
でも、一度疑問を抱くと、どうしても答えを知りたくなってしまう。
「主を尊敬している理由、でございますか?」
「えぇ。もし良かったら聞かせてくれないかしら」
「もちろん! 構いませんよ!」
胸の内を探るようで不快に思われるかもしれない、という不安はあった。
だが、尋ねた際の反応を見た感じだと不快感を抱かれてはいそうにないので、取り敢えずひと安心。
「そうですねー……主の尊敬できるところは……まず、部下のことをいつも細かく気にかけて下さるところでございますね。主は男女問わず部下を皆平等に扱います。当然距離感に差はありますけど、でも、遠い位置の者にだからといって雑な態度を取ることはなさいません」
リベルテは一息でそこまで言った。
教科書を音読しているかのような上手な話し方だ。
「もちろん、それだけではございませんよ! どんな時でも自らが先頭に立って敵に突き進む心の強さ。我々の前では決して弱音を吐いたりしない周囲への配慮。そういったものも、素晴らしい点でございます!」
尋ねるべきではなかったかもしれない、と、私は若干後悔した。
なぜって、リベルテの話が終わらないからである。
私は軽い気持ちで問いを放った。ほんの少し気になったから、それだけの理由で質問しただけで。まさか、リベルテがウィクトルの尊敬できる点についてこんなにも話し出すとは、夢にも思わなかった。
だから今、驚くと同時に困ってしまっている。
「主はいつも部下の前では弱音をお吐きになりません。それは、皆が動揺することを避けるためなのでございます。今まで幾度も、主が酷い目に遭われたことはございました。でも、体調が悪くとも負傷していようとも、主は冷静さを保って部下たちに接していらっしゃいました。おかげで、皆、劣勢な時であっても落ち着いていられましたよ」
頂点に立つ者であるからこそ、常に冷静でなくてはならない——ということなのだろうか。
確かに、それも分からないことはない。
リーダーが小さなことで慌てたり大騒ぎしたりしていては、その下にいる者たちは不安に駆られるばかりだ。
……ただ、苦しみを隠そうとするというところには、賛成できない。
己の感覚というのは、大抵、周囲の人々には見えないもの。才あるものなら多少は察することもできるかもしれないが、ほとんどの人間にはそのような能力はない。
だからこそ、苦痛は言葉にして伝えねばならないのだ。
そうしなければ、すべて一人で抱えてゆくことになってしまう。
苦しみや痛みを隠して生きてゆくことだけが正義とは私は思わない。何もかもを背負って歩み続けることだけが理想像だと、私は思えない。
だって、その道の先には多分破滅しかないから。
辛さを背負って孤独に在ることが正しい姿ではない。息苦しい時には、誰かを頼っても良いはずなのだ。
「そう……それは凄いわね」
「はい! 主はリベルテの憧れでございます!」




