5話「ウタの幕開け」
キエル帝国の西端、ウェストエナー。ウィクトルの船はそこに到着した。船を降りると、用意されていた運転手のいない自動運転車に乗り込み、皇帝のいるところまで移動する。
「この車、運転手がいないのね」
「今時運転手付きの車があるのか?」
座席は前後二列になっている。前列は一人席が二つあり、後列は三人は並んで座ることができる座席となっている。私とウィクトルとリベルテの三人は、後列の座席に並んで腰掛けた。フーシェだけは前の列だ。
「え……これが当たり前だというの?」
「地球では知らないが、ここではそうだ。運転手付きの車など、数十年前にほぼ廃れた」
ウィクトルの口調は「当然」というような雰囲気だった。
運転手がいないなんて不安ではないのだろうか。
慣れれば平気になるものなのだろうか。
ウェストエナーより自動運転車に乗ること十五分。
天まで届きそうな建物が連なる発展した街の中で、車から降ろされた。
「すごく背の高い建物がいっぱいね……!」
周囲を見渡し、思わず感嘆の声を漏らす。
それに反応したのはリベルテ。
「地球はまだここまでの建物はありませんでしたからね」
「知ってるの?」
「もちろんでございます! 地球では色々なものを見て参りましたから」
リベルテは恥ずかしそうにを緩める。
「では、皇帝のところへ行こう」
そう言って、ウィクトルは進み始める。
それに一番に反応し歩き出したのは、私でもリベルテでもなく、フーシェ。彼女は何も発さぬまま、淡々と足を進めていく。
少し遅れて、リベルテが「参りましょうか」と声をかけてくれた。私は「そうね」と返す。それから、私とリベルテは歩き出した。
目指すのは、皇帝のところだ。
「ただいま戻りました」
皇帝との面会はすぐに実現した。
多少の手続きはあったようだが、そこに苦労はそれほどなく、すんなりと皇帝がいる間へと入れてもらうことができたのだった。
「おお。成果報告じゃな?」
「はい」
皇帝は背の高い人だった。といっても、人の範囲から外れているほど背が高いというわけではない。地球人でも時折いるくらいの身長だ。
頭部は四角い。顔面には無数のしわが刻まれており、まるで、一種の彫刻作品のよう。髪と伸ばしたヒゲは白く、サンタクロースみたい。赤いガウンを羽織っているところも、サンタクロース感を高めている。
「よい。報告せよ」
豪華な一人用ソファに腰掛けたまま皇帝は発した。
それに応え、ウィクトルは報告を開始する。
「任務完了致しました。これで地球もこの国のものになるでしょう」
「ふむ」
「地球人サンプルも予定通り十体ほど持ち帰っております。現在輸送中と思われます」
「ふむ」
ウィクトルの報告を多くを語らず静かに聞いていた皇帝は、そのタイミングで、唐突に切り出す。
「で、そちらの小娘は何者じゃ?」
皇帝の細い目から放たれる視線が私を捉える。
その瞬間は、全身の肌が粟立つような嫌な感じを覚えた。
でも、これは多分、緊張ゆえの不快さなのだろう。べつに酷いことを言われたわけではないのだから。
「彼女はサンプルとは別に連れてきた地球人、名はウタと申します」
ただならぬ圧力を放つ皇帝の前で淡々と言葉を述べることができるウィクトルは凄い、と、純粋に感心した。私には間違いなく無理なことだ。
「サンプルとは別に、だと? どういうことじゃ。もしや、愛人候補か?」
皇帝はニヤリと笑みを浮かべる。
もしかしたら、少しはお茶目なところもあるのかもしれない。
「まさか。個人的な地球人研究のため、力を借りることにしただけです」
「……うぬ? 壊滅した星のことなど研究して、何になるというのか?」
皇帝の眉間にしわが入ったのを見て、私は内心焦った。怒られるのでは、と思ったから。でもウィクトルは冷静で。落ち着いた調子で述べる。
「あくまで私個人の趣味です」
「ほう」
「しかし、良い報告でもあります」
「ふぬぅ……」
鼻息のような声を漏らす皇帝。
「彼女は歌が上手です。気に入っていただけるのではないかと思い」
刹那、皇帝の目の色が変わった。
それまでは「どうでもいい」「報告暇すぎ」というような顔つきをしていたのだが、今は目を大きく開いている。その顔つきは、空腹の際に獲物を見つけた肉食獣のよう。
「歌、だと……?」
「はい」
「ほう、それは面白い。……我が女神アズールニャンニャンよりも歌が上手いというのか?」
アズールニャンニャン、て。
この星の歌手なのだろうか。
「どの程度お好みに合うかは分かりません。ただ、心に響く歌であることは保証します」
うぅ……。ハードルがグングン上がっていく……。
初めて来た星の初めて入る場所で、偉い人も見ている。そんな状況下で歌うなんて、大丈夫なのだろうか。こえがうわづったり、心臓が破裂したりしないだろうか。終わりが見えないくらい粘り強く説得されてつい頷いてしまったが、不安しかない。
「ふむ、それは興味深い」
そう言って、サンタクロースのような容姿の皇帝は私へ視線を向けてくる。
「よかろう。ここで歌ってみよ」
来てしまった、この時が。
その思いが胸の内を掻き乱す。
いや、分かってはいたのだ。この時が来る、ということは。ウィクトルに説得され頷いてしまったあの時に、私が皇帝の前で歌を披露するという運命は定まったのだ。
頷いた以上、私は責任を持って歌わねばならない。
それは私に課せられた義務。
「……はい」
控えめに返事をすると、一旦瞼を閉じる。
これをしなくては心が落ち着かないからだ。
胸の鼓動は加速するばかり。視界が暗くなったところで、それは一切変わらない。多少の緊張なら目を瞑るだけで落ち着いたかもしれないが、ここまで緊張が大きいと簡単に落ち着くことはできなかった。
——母親が歌うと思おう。
瞼を閉ざした暗闇の中、私は閃いた。
母親は歌手。人前で歌うことを仕事にしていた人間だ。その彼女なら、このような状況にあっても、怯むことなく堂々としているだろう。微かな緊張すら味方につけて、いつも通りのパフォーマンスを発揮するはずだ。
「響く歌、遠くから聴こえてくる、希望の声」
唇を開けば、溢れ出す旋律。
それだけが静寂を揺らす。
「移ろう季節には、今の私、とどまらず」
この際、緊張は要らない。
周囲など関係ない。
「流れる川のせせらぎが、穢れ落としてゆくでしょう」
歌うのは、母親を宿した私。
「ゆらり、ゆれる、水面映し出した、夢の歌」
母親はもう亡き人。
それでも、私の記憶には今も確かに存在している。
「響く歌、遠くから聴こえてくる、希望の声」
旋律には記憶が残るもの。
一つ一つの音が連なる時、遠い過去の思い出が蘇る。
「終わりなき物語の果て、幸せな明日が待ってなくても……」
私も明日のことは分からない。けれど、私の歌を好きでいてくれる人がいるというのなら、それはきっと幸せなことなのだろう。たとえ、そんなこと微塵も期待していなかったとしても。