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奇跡の歌姫  作者: 四季
遠征の章
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55話「ビタリーの執拗さ」

 ビタリーに腕を掴まれてしまった。私は抵抗できない。そのまま引っ張っていかれる。


 悲鳴のように私の名を呼ぶリベルテの声が耳に入った。私は振り返り、リベルテがいる方へと視線を向ける。彼は追いかけてきていた。必死の形相で。


 けれども、ビタリーは足を止めない。

 私が「待って下さい!」と声をあげても、足の動きを止めることはない。


 もはや問題が発生してしまった。このままでは、穏やかな暮らしなど、夢のまた夢。静かな暮らしなど幻想に過ぎない、ということになってしまう。


 それを避けるためには、ビタリーから逃れなくてはならない。

 だが、どうしろと言うのか。

 腕力で負け、身分でも負け——そんな相手に立ち向かっていける者がいるとすれば、ウィクトルくらいのものだろう。



 あっという間に連れられてきてしまった。

 ビタリーは満足そうだ。


「ここは僕の楽園だよ。君はここで、僕のために、歌を披露してくれればそれでいい。飲み物ならいくらでもある」


 私が連れられてきたのは、妙な空気に満ちた場所だった。


 薄暗い空間を照らす、赤いライト。寝そべった女たち。丸テーブルの上にはグラス。

 どことなくいかがわしい雰囲気だ。


「ここで歌えと……?」

「そう。そういうことだよ。君の歌があれば、楽園はもっと楽園らしくなるはずだからね」


 室内は蒸し暑く、しかも、頭痛を引き起こしそうなほど強い香りが宙を満たしていた。甘い匂いが強過ぎて、既に鼻や目が痛くなってきている。


「ビタリーさまぁ。また女の子を連れてきたのぉ」


 頭が痛くなるほど甘い声を発したのは、金髪の娘。

 竜巻のように豪快に巻いた腰まで届きそうな長い髪、猫のような目、アヒルのような形をした唇。本来気が強そうな顔立ちだが、ビタリーに向けるその表情は、意識を遠のかせる薬を飲んでいるかのよう。


「あたしたちはどうなるのかしらー」


 続けて言葉を放つのは、金髪娘の隣でベッドに寝そべっている女性。

 金髪娘とは違い、ふくよかな体をしている。

 しかしながら、身にまとっている服はかなり大胆なデザインだ。薄い生地で、色は紫。下着のようなワンピースだ。胸元や脇腹には薔薇のレースがあしらわれていて、肌が少しばかり透けている。


 ……眺めるだけで頭が痛くなりそうだ。


「さぁ、歌え。ウタ」

「あの。もう帰らせて下さい。歌う気はありません」


 こんなところで歌うのは気が進まない。強い香りのついた空気の中で歌ったりしたら、喉まで痛くなりそうだから。


「……なに?」


 ビタリーは低く発する。

 機嫌を損ねたか? と焦りながらも、平静を装い言葉を返す。


「部屋に帰らせて下さい」


 直後、私の背中は壁に叩きつけられた。


「ふざけるな!」


 ビタリーが片手で私の体を壁に押し付けたのだ。

 そのせいで、私は背中を打つ羽目になってしまった。


「僕に逆らうのだな? ならば容赦はしない。力づくでも従わせてやる!」


 壁にぶつかった肩甲骨に、じんわりと痛みが広がる。背中にも、額にも、汗の粒。押さえ込むように密着され、恐怖に心が震える。心臓の拍動は加速を続け、どこまでも止まらない。


「いつも……こんなことをなさっているのですか」


 灰色の瞳に凝視される。

 目を逸らしたくなるところだが、私は敢えて彼を真っ直ぐに見つめた。


「思い通りにならないからといってそのような大声で脅すのは、どうかと思いますが」

「ふざけた真似を……!」

「そんなことをするのは子どもです。貴方は子どもではないでしょう、もう止めて下さい」


 不利な立場なのは分かっている。

 でも、だからこそ、負けたくない。


「私、帰ります。そこを退いて下さい」

「そう簡単に帰れると思うなよ……」

「なぜ私に執着するのですか」

「不愉快なんだ! 僕の言うことに従わない女の存在が!」


 言うことを聞かない私が不愉快な存在なのなら、なぜ、その私にここまで執着してくるのだろう。不愉快なら、嫌いなら、放っておけば良いのではないのか。見なければ、それで済む話ではないか。敢えて関わる必要なんてないはずなのだ。


「ゆくゆくは皇帝となる僕に従わない女など、いるはずがないというのに!」


 しまいにビタリーはそんなことを言い出した。

 一体何を考えているのだろう。


 勘違いとか思い上がりとか、それらしい言葉は色々ある。が、今のビタリーの状態を見事に表現できる単語というのはなかなか見つからない。もしかしたら、そんな単語は存在しないのではないだろうか。


 壁に押し付けられつつも呆れていた、その時。


「失礼致します!」


 入り口の扉が開いて、リベルテが姿を現した。

 彼は深く考えていないような顔で視線をこちらへ向ける。そうして、今の私とビタリーの状態を目にし、目を丸くした。


「ウタ様!?」


 狐に化かされでもしたのだろうか、というような表情になるリベルテ。


「邪魔が入ったか……」


 ビタリーはリベルテを一瞥すると、低い声でそう呟いた。

 それに加え、ちっ、と舌打ちまでしている。


「な、何が起きているのでございますか!?」


 相変わらずの奇妙な敬語。しかし、今は、そんなことはどうでもいい。取り敢えず助けてほしいのだ。リベルテが来てくれた、これは大きい。私一人でビタリーから逃れるのは至難の技だが、力を貸してくれる者がいれば話は別。


「少し、その、怒らせてしまって……」

「そうなのでございますか!?」

「もし良かったら……助けてくれない?」


 本人がいるところでこんなことを言ったら、余計に怒られてしまうかもしれない。でも仕方がなかった。この際、本当のことを言うしかなかったのだ。


 すると、リベルテは察したように頭を縦に振った。

 それから、甘いお菓子のような笑みを浮かべて、ビタリーに話しかける。


「あの……申し訳ございませんが、彼女を自由にしていただけませんか?」

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