40話「シャルティエラの引き込み工作」
シャルティエラ——これまた複雑な名が飛び出したものだ。長い名前に馴染みのない私には覚えられそうにない。シャロと呼んで良いと言ってもらえてはいるが、許可を貰ってもすぐに短縮した呼び名で呼ぶ気にはなれない。出会ってから数日が経っているというのなら、ともかく。
いや、そもそも分からないことがある。
それは、シャルティエラが、地球の言語を理解できるのかどうかということだ。
私は翻訳機を身につけているから、彼女の発する文章を理解することができる。しかし、彼女の方はどうなのだろう。彼女も翻訳機を所持しているなら私が地球の言葉で話しても理解できるだろうが、もしそうでないのだとしたら、同席してくれているリベルテに通訳してもらう必要がある。
そんなことを色々考え込んでいた時、シャルティエラが口を開いた。
「使うのは地球の言語で構いませんわよ」
このタイミングで使用言語に関する発言。心を読まれたかのようで驚いた。が、驚いたことを悟られないよう、平静を装う。
「分かりました」
「それで良いですわ。わたくし、今日は自動翻訳機をつけてきておりますの。話せますわよ」
会話は可能、となると、交流の幅は一気に広がる。自宅の裏庭がジャングルになるくらいに。これはかなり大きいと言えるだろう。
「それで、何かご用ですか?」
相手のペースに持ち込まれるのは嬉しくないので、私は、自ら切り出していく。なるべく、こちらの思う流れで話を運びたい。
「貴女と二人でお話したいと思って、参りましたの。よろしくて?」
それは、リベルテはなしで、ということだろうか。
……何を企んでいるの?
シャルティエラは女性だ。それゆえ、二人きりになること自体に不安があるわけではない。女性同士になら、さすがに、手を出されるということはないだろうし。
ただ、それでも彼女を訝しんでしまう。
それは多分、彼女が私を好意的に捉えていないとはっきり分かる振る舞いがあったから。
そもそも、私と彼女は今さっき出会ったばかり。お互いのことなどほとんど知らないような関係性だ。だから「二人で」という話はなおさら不気味に感じられる。だってあり得ないではないか、いきなり二人きりで話したいだなんて。
「……あら、どうしましたの? お返事は?」
髪と同じ薄めのシーグリーンの瞳が、こちらをじっと見つめてくる。
大きな瞳で見つめられると、言葉にならない圧のようなものを感じた。
ただでさえ好かれてはいないようなのだ、もたもたしていてはさらに嫌われてしまいかねない。一刻も早く、何か答えなくては。
「その……どうして二人なのですか? リベルテが一緒ではいけないのですか」
取り敢えず何か言葉を、と思い、私は問いを発した。
それしか思いつかなかったのだ。
もう少し思考する時間があったなら、返答に時間をかけられる猶予があったなら、もっと意味のある何かを発することができたかもしれない。しかし、速やかに言葉を返さなくてはならない状況下では、優れた返答を放つことは難しかった。
「……警戒していますの?」
一瞬、シャルティエラの目つきが険しくなる。
怒らせてはまずい、と、内心焦っていると。
「何も、傷つけたりする気はありませんわ。わたくしは血が嫌いですもの、プライベートでまで野蛮なことをする気なんてないですわよ」
シャルティエラは柔らかな声で続けた。
今は微笑んでいる。
「二人でお話してよろしくて?」
「……はい。分かりました」
私はその時になってようやく頷いた。このままでは話が進まない、と感じたからだ。断ったとしても、彼女は大人しく帰ってはくれないだろう。それならば従っておいた方が早い。ここは一応向こうに合わせておいて、とっとと用を済ませて帰ってもらおう。きっとそれが最善だ。
「ということですわ。リベルテ、ここから去って下さいます?」
「しかし、リベルテは主よりウタ様をお護りするよう命ぜられておりますので……」
「そんなことはどうでもいいですわ! さっさとお去りなさい!」
控えめな物言いをしたにもかかわらず鋭く叫ばれたリベルテは、不満そうに黙った。それから、一旦私に視線を向けてくる。何か返したいが、ここで彼に味方するような言葉を発するわけにはいかない。だから私は、小さく一度頷くだけにした。大丈夫、と伝えたくて。すると、その数秒後、リベルテは「では失礼致します」と会釈して去っていった。今回ばかりは準備のない合図だったが、私の心は少しは伝わったようだ。
「ようやく二人になれましたわね」
リベルテが去っていくや否や、シャルティエラはその愛らしい面に甘い笑みを浮かべる。
声ははっきりしていて聞き取りやすいが、鋭さはなく、聞き手に嫌な印象を与える声質ではない。また、表情の柔らかさもあって、刺々しい雰囲気はなくなっている。
最初は「気が強そう」と感じたが、今はそのようなことはない。
今の彼女となら、少しはまともに話せるかもしれない。
「貴女のことはお聞きしていますわ。地球出身だとか。それなのになぜウィクトルの傍にいることを選んでいるんですの?」
「え……」
言われてみれば、考えたことはなかった気がする。なぜウィクトルの傍にいるのか、なんて。
私が彼の近くにいるのは、私を地球から連れ去ったのが偶々ウィクトルだったから。気づけば彼の船に乗っていたから、そのままキエルへ来てしまったのだ。
私が望んだわけではない。
嫌だったわけではないけれど。
「彼は地球の仇でしょう? だから不思議なんですの。どうして母星を傷つけたような者と共に生きられるのか」
妙に力の入った言い方だ。
まるで自分にも滅ぼされた過去があるかのような口調。
「貴女はウィクトルの首を取ろうと思いはしませんの?」
シャルティエラの口から出たのは、私の想像の範囲から大きく外れた、残酷な言葉だった。
「もし貴女がそれを願うなら、わたくしたちが協力しますわよ」
「そんなこと……どうしてですか?」
私が地球の生まれだからだろうか。私が平和な田舎暮らしだったからなのか。シャルティエラの口からあっさりと出る言葉の過激さに、どう返せば良いのか分からなくなる。何とか言葉を返すことができたが、胸の内では文化の違いの大きさを改めて実感している。
「実はわたくしも、彼には恨みがありますの」
「……恨み?」
リベルテに席を外すよう言った理由は、こんな話をするからだったのか。それなら分からないでもない。ウィクトルの直属の部下であるリベルテが近くにいたら、このような話はできないだろう。
「えぇ。ですから、貴女の悔しさも少しは分かりますの。生まれた星は違っても、手を取り、共に憎む相手を倒すことはできるはずですわ」
そんな簡単に分かるわけがない、私のこの複雑な胸の内なんて。
母親を殺められたことと、ウィクトルと過ごした時間。それを天秤にかけ、どちらに傾ききることもできないこの心を、今さっき知り合ったばかりの者が理解できるなんてことは考え難い。
「私は、その……ウィクトルを憎く思ってはいません」
「あら。そうでしたの? せっかく、ビタリーとわたくしと貴女で戦えるかもと思いましたのに」
「ウィクトルはかつて私の母を殺めました。でも……私は彼に色々お世話になったんです。なので、一概に彼を悪と言う気にはなれません」