34話「ウタの避難」
司会の女性が舞台袖にはけたことを目で確認してから、私は改めて前を向く。客席へ視線を向けると、こちらを見つめる大量の目を視認することができた。こんなに見られているのか、という思いは、私を「頑張ろう」という気分にさせてくれる。注目してもらえているというのは、嬉しくもむず痒い。
音のない空間。
私はそっと口を開き、空気を吸う。
そうして私は、また、歌い始めるのだった。
無事、一曲を歌い終え、ホールに再び静寂が戻る。
まるで時が止まったかのようだった。
その数秒後、拍手が巻き起こり、乾いた音が一気に溢れる。
また一つ、何事もなく仕事を終えることができた。そう思い、私は密かに安堵する。人前に出ることには徐々に慣れつつあるが、それでも、緊張がまったくないと言えば嘘になる状態だ。ただ、だからこそ、問題なく歌い終えられた際の達成感と嬉しさは大きい。
私はその場で軽く手を振る。すると、幾人か、手を振り返してくれる人がいた。
相手はまったく知らない人だ。初対面の人。でも、こうして直接的に接することによって、より積極的に交流できたような気がして、心の中が温かくなる。
決して明るい人生ではなかった。でも、今は光の下にいる。美しい衣装をまとい、眩い光を浴びながら、見られる対象になっている。暗闇に潜む時代はもう終わった。
これからもこんな風に生きていけたら——そんなことを思っていた矢先。
「異星人が人前に出るな!」
突如、罵声を浴びせられた。
これまでそんなことはなかったので、私は動揺する。対処法を熟知していないため、すぐには反応できない。
「お、おい、今そんなこと言うなよ……」
「異星人は下がってろ!」
「落ち着けって」
「歌が上手かろうがキエルの人間でないことは確かだろ! 出てけ!」
飛んでくる刺々しい言葉に、私はただ戸惑うことしかできない。
これまで私は、基本的に、どこでも温かく迎えられた。けれど、それは偶々幸運だっただけ。本来、こういった普通の接し方をされるのが当たり前だったのかもしれない。たとえ歌が上手く歌えても、それですべての人に受け入れてもらえるわけではないし、歌なんてどうでもいい人からすれば私は所詮ただの地球人。異星人として見られるのが普通なのだ。
「異星人なんぞ嫌いなんだよ! 俺は!」
「待てって」
騒いでいる男性を落ち着かせようとしている者がいるということは、彼の言葉が総意であるというわけではないのだろう。それだけが救いだ。ただ、それでも、負の感情を向けられることは嬉しいことではない。
「何なら追い出してやる!」
激しく騒いでいた男性は、ついに、席から立ち上がる。そして駆け出し、舞台へ近づいてきた。その手には刃物。銀色に輝く刃がこちらを睨んでいる。
本気で私を追い出すつもりか。
乱暴な手段を使い、傷つけようとするほど、異星人が憎いというのか。
「ウタ様!」
「……リベルテ」
呆然としていた私は、いつの間にか近くにやって来ていたリベルテに声をかけられ、正気を取り戻す。
「一旦退きましょう!」
「勝手に逃げて問題ないの?」
「もちろんでございます! 危険ですから!」
そんな風に言葉を交わしているうちに、刃物を持った男性が接近してきた。彼との距離は、もう十メートルもない。このままでは、数秒後には攻撃されるだろう。
リベルテは即座に私の手首を掴む。
そして、戸惑う私のことなど微塵も気にかけず、引っ張って走り出した。
私は何もできないし何も言えない。ただ、引かれるままに足を動かすだけ。もはや、場の流れに従うことしかできない。
「待て! 逃げるな!」
背後から男性の叫びが聞こえた気がする。
でも、振り返る暇はなかった。
リベルテに手を引かれ、一旦舞台袖へはける。
ライトの当たらない薄暗い舞台袖も、若干騒ぎになっていた。
……だがそれも無理はない、いきなり舞台に上がってくる人物がいたのだから。
舞台から離れれば良いのだろう、と、私は考えていた。しかし、リベルテはまだ足を止めない。どうやら彼はまだ歩き続ける気みたいだ。私は彼に手首を掴まれており、それゆえ、彼の選択に従うしかない状態。だから、どこへ向かっているのかも分からぬまま足を動かし続けることしかできなかった。
そんな状態で歩くことしばらくリベルテはようやく足を止めた。
「ふぅ。ここまで来ればさすがにもう問題ないでしょう」
「結構歩いたわね」
「何も言わずお連れして、失礼致しました。体力は大丈夫でございますか?」
そこまで体力のない女ではない。
ただ、心臓はまだ豪快に鳴っている。
「えぇ……平気よ」
「なら安心致しました」
武器を持った男性からは逃れられたようだ、追ってきている様子はない。
私は思わず安堵の溜め息をつく。
リベルテが素早く入ってきてくれたから、男性に襲われずに済んだ。何事もなく逃れることができた。負傷することもなく済んだのは、偏に彼のおかげである。
「あの男には警備が対応するはずでございます。ウタ様が心配なさることはございません」
リベルテは安心させるように微笑みかけてくれる。
その優しげな表情は、動揺によって硬直した私の心を柔らかく揉みほぐしてくれているかのようだった。
彼の人柄が滲み出た笑顔だ。
「助かったわ、ありがとう」
「いえ! 当然のことをしたまででございます!」
当然のことではないと思う。リベルテにとっては当然のことなのかもしれないけれど、それが、すべての人にとって当然というわけではない。誰かが困っていても見て見ぬふりをする人間だって、世の中にはたくさんいる。
「あのような危険な者が交じっているとは考えておらず、失礼致しました」
「え。リベルテは何も悪くないわよ」
「お優しいですね、ウタ様は」
「優しいだなんて……褒めすぎよ。嬉しいけれど、少し恥ずかしいわ」




